後悔と決意
夜。日は沈んだけれど、拠点内はまだ動く人がいるようだった。
大人たちは皆動き回って旅のための準備をし、子供たちはその邪魔にならないようにするためか、一つのシェルターの中に全員籠って遊んでいる。
子供たちの中に一人リーダーのような子がいるようで、他の子どもをしっかりと見守りながら、遊びを提案したりして子供たちを楽しませているのが分かった。
「……」
……で、私はと言うとシェルターの中に籠って空を見ている。アニータさんからここを使ってくれと案内されたシェルターで、そこにログと二人で入っていた。
実は入るときに、マリーから男と同じ部屋ってどうなの? みたいなことを言われて、そういえば貴族令嬢だった頃はあり得なかったよね……なんて思ったりして。
でももう家から出た身だし、そんなことより身の安全の方が大事だ。この拠点にはそこまで危険もないだろうけど、最低でも国を出るまでは用心したほうがいい気もするし……。
「……はあ」
……そんなことを考えながら、ため息を吐いた。
ほんの数日で変わったものだなぁ、なんて思って。
ここは貴族の屋敷ではなくて、森の中に作られた拠点だ。綺麗に整えられたベッドは無くて、地べたに草を敷いて布をかぶせただけの簡単なもの。ログがいて、マリーもいて、ドルクだけがいなくて。
外からは虫の声が聞こえてきて、星は綺麗で、晩ご飯に景気付けだと食べた焼きたてのパンは初めて食べる味だった。
……うん、本当に変わった。比べ物にならないくらいに。
「お嬢、悩み事か?」
「……ログ」
声に振り向くと、ログは剣の手入れをしている。明日の戦いのための準備だと言っていた。手入れしなくても劣化はしないけど、より良い状態にする事は出来るのだとか。
……そんなこと、私は知らなかった。
「解決できるかどうかは分からないが、聞くだけなら俺でもできる。愚痴でもなんでも言ってくれていいぞ」
優しい言葉だ。ただ聞いてくれる。それがどれだけありがたいことかは私だってよく知っている。何せこれでも元社会人。話すだけで楽になることもあると良く知っているのだ。私は一応、立派な大人だったんだから。…………だったんだけどな。
「……その」
ログが優しい目でこちらを見ている。
……だから、昨日から考えていたことが、つい口からこぼれた。
「……悩みというか……ちょっと私だけだと整理できてないことがあって」
「なんだ?」
「……ドルクのこと」
あのとき、戦いの前。ドルクは私に内戦の話をした。そして生きていてはいけないとも。あれは、どういうことだったんだろう。あのときは只々ショックだったけど、でも思い返してみると違和感もあって。
「内戦の話、してたよね。あれってどういうことだったのかな」
「……そうだな」
ログが手入れする手を止めて、顎に手を当てる。
「俺としてもあれは不思議だった。妙に丁寧に話していたからな」
「……どういうこと?」
「殺す相手に説明する必要などないだろう。中にはあの屑のようにお喋りな奴もいるが、あの爺さんはそういう感じじゃなかった。最初は会話で気が逸れた隙に砲弾を撃ち込む気かと思ったが、違ったしな」
……確かに、そうだ。
ドルクは前の変な奴も含めて、私が狙われる理由を、生きていてはいけないという理由を細かく説明していた。まるで私に教えようとしているかのように。ただ殺すつもりだったらそれは必要ない。
「これは俺の想像だが……あれはお嬢に教えようとしていたんじゃないか?」
「……私が置かれた状況を?」
「ああ、そして、どんな相手に狙われているのかを」
権力のために私を嫁にして内乱を起こしたがっていた奴らと、それを阻止するために私を殺そうとしたがっている奴ら。
少なくとも自分自身に利用価値と殺す理由があるのはよく分かった。
……家を出れば無関係、なんていう私の考えがどれだけ甘かったのかも。縁が切れるはずがなかった。確かに私の血に魔法は流れているのだから。……考えが甘すぎたんだ。
「そう考えると、生きてはいけないと言っていたのも意味が変わってくるかもな。そのまま死ねという意味にも聞こえるが――もっと別の、例えば遠くに逃げるとかな。社会的に、貴族的に、生きていないという選択肢だってあるだろう」
「……うん」
追手がかからないくらい、遠くへ行けば死んだのと変わりはない。何せこの世界には飛行機も新幹線もないし、国を跨げば、その先の情報は仕入れることすら難しい。インターネットなんてありえないのだから。
「随分と回りくどいやり方にも感じるが……しかし、奴隷紋があったからな。面と向かってお嬢を助けることは出来なかったんだろう。命令から離れたことを言うだけでも罰が下る。地図のことを伝えたとき血を吐いたようにな。奴隷紋とはそういうものだ」
……そして、そう考えたら色々納得がいく。楽観的な予想かも知れないけど、現状を考えると、ドルクが私を助けようとしてくれていた可能性はとても高い。
「……」
……改めて確認するとよく分かる。
結局、私はドルクにもマリーにも裏切られてはいなかったということだ。二人とも被害者で、あのろくでもない兄弟たちのせいでこうなってしまった。
「……」
……それなのに、私は。
そう思うと、胸が苦しくて。
――後悔している。もうずっと。
ドルクのことを知って、マリーに再会した時から。
「……ねえ、ログ」
「なんだ?」
「……私ね、あの二人のことを恨んでたんだ」
……そうだ。私はドルクとマリーのことをを恨んでいた。
どうしていなくなったのって。なんで裏切ったんだって。
……二人は苦しんでいたのに。爪をはがされて、奴隷紋を刻まれて。
私よりよっぽど苦しんでいたのに。私は一人になっても貴族の屋敷でぬくぬくと暮らしていたのに。
「……仕方ないさ。お嬢は知らなかったんだ。突然信頼していた護衛が姉に付いたら、恨んだっておかしくない」
「……本当にそうなのかな」
「お嬢?」
ログが慰めてくれる。知らなかったから仕方ないと。私も被害者だと。
でもそれは……本当にそうなんだろうか?
「……」
本当に、私は二人の行動に違和感を覚えなかったんだろうか。おかしいって思わなかっただろうか。本当は裏切ってない可能性を考えたこともあったのでは?
だって、あいつらは兄弟に毒を飲ませる奴らだ。何をしてもおかしくないじゃないか。
ドルクがいなくなったとき。奴隷紋はさすがに予想外だったけど、脅されて姉に付いたんじゃないかと思ったこともあった。だってドルクには家族もいたし、私と同い年の孫もいる。人質に取られたら私より家族を取ってもおかしくない。
マリーだってそうだ。本当は違うんじゃないかって。調査結果が嘘だったんじゃないかと思ったことはあったはずだ。だって、私が聞いた情報はすべてドルクが持って来たんだから。それにあの日の別れ際を思い出して、あれが裏切る人の態度なのかと思ったことだってあった。
……でも、それなのに私はそれを無視して二人を恨んでいた。
もちろん、当時は可能性の話だ。こじつけみたいな話だし、現実に起こっていることだけを見れば、私は裏切られていた。
……それでも、大切だったんだから。
違うんじゃないかって。そう考えても良かったのに。
……何故だろうか?
そう、疑問に思って――
――一つ、思いつくことがあった。
「……ログ、私ね、何もできなかったんだ」
「……」
それは、今になってようやく分かったこと。
後悔して、真実を知って、ようやく分かったことだ。
「弱いから。私には何もできなかった」
もしかしたらと思った。でもできることは何も無かった。調べることも出来ない。調べて黒だったとしても、助けるための力が無い。お金もあんまりなくて、人を雇うのも難しい。奴隷だって、本当は服や宝石、最悪母の形見を売って用意するつもりだったんだ。
私は無力だった。そして、自分の無力さが辛かった。
だから、目を逸らした。見なかったことにした。そうすることしかできなかったから。
「――」
――そこまで考えて、少し前を思い出す。
それは数日前。ログと初めて会ったときのこと。
あの日、奴隷商の部屋でログは言っていた。全て俺の無能が悪いと。
ログの国が滅んだときの話だ
うちの国は救援を出さなかったから、貴族の私を恨んでいるかと聞いた。
でも、ログは恨んでないと言って、国が滅んだのは俺たちの力が足りなかったのが悪いと、そう言った。
それを聞いて、私はなんて思ったか。
生き辛そうな人だって。人を恨むのではなく、己を恨んで生きていくんだからって。
間違っていても恨んだ方が気楽に生きられるだろうにって。そう思った。
――つまり、私の正反対だ。
私は恨んだ。己の力不足が辛くて、己を恨むことに耐えられなくて、可能性から目を逸らして二人を恨んだんだ。
「……勝手だなあ、私」
――だから、後悔している。真実を知ってからずっと。
己の身勝手さも、そうなってしまった己の無力さにも。
「弱い、か。しかしお嬢はまだ十一歳だ。まだまだこれからだろう?」
「それは……」
そうだ。たしかにそう。この体はまだ十一歳で、出来ないことが多くても仕方ない。知らないことが多くても仕方ない。この体は箱入りの幼いお嬢様のもので、だから仕方ない。
仕方ないけれど……でもそれは、私が普通の子供だったらの話だ。
本当は、私の中には大人の記憶があって、幼い子供とは全然違う。
「……それじゃダメだよ。だって、今、私たちは危ない状況にあるんだから」
もっと努力するべきだったんじゃないのか。もっと真剣になるべきじゃなかったのか。私はもっと、ちゃんと生きるべきじゃなかったのか。そう思う。
明日だってそうだ。竜と戦うログに強化魔法をかけることすらできない。私は安全なところで丸まっているだけ。
「……もっと頑張るべきだった」
――結局、私は間違っていたんだ。
沢山間違っていた。一つ後悔すると、次から次へと後悔が湧いてくる。
愚かだったと思う。この世界が厳しいと言うことから目を逸らしていた。
スラムがあることは知っていた。寒い冬に餓死者が出ていることも知っていた。でも、私は貴族に生まれたから。だから大丈夫だって思っていた。
その結果がこれだ。貴族だってこの世界だと厳しかった。殺されそうになった。私は権力争いに負けたんだ。だから、負けたから全てを失って屋敷から逃げ出している。
……前世と同じように、適当に生きていたから。この世界は日本ほど優しくない。倫理も法も遥かに軽い。
権力争いなんて、と背を向けずに、ちゃんと向き合っていたら。もしかしたらドルクもマリーもああならなかったかもしれない。ちゃんと二人を、権力という力で守れていたかもしれない。
この状況は、私がほどほどで、なんて言って生きていたからだ。流されるように生きていたから、いざというときに何もできなかった。
「……もっと必死に生きるべきだったのに」
「お嬢……」
このままじゃダメだ。そういう思いがある。
このままだと同じことを繰り返す。そういう危機感がある。
「ログ、私、もっと強くなりたい」
どうすればいいかは分からない。今の私には何もかもが足りていない。
体力も、魔法の腕も、知識も、常識も。何もかもが未熟すぎる。適当に生きていた私は何もかもが空っぽだ。
それが辛くて、悲しくて。
……でも、次は失いたくない。そう思う。
私は大人なんだから。中身は少なくとも大人なんだから。
間違って泣いているだけじゃなくて、ちゃんと起き上がって前に歩かないといけない。
……きっと、それが大人ってやつだ。
今の私は、そう思えるから。
「……もっと頑張りたいんだ」
「……そうか」
決意を込めて、ログを見る。
ほどほどに生きるんじゃない、流されるのでもない。
――ちゃんと、自分の意志で歩んでいく。
それが、中身はいい年したおっさんが今更になってたどり着いた答えだった。
「なら、俺はそんなお嬢を支えよう」
ログの手が伸びる。
ポン、と背中を叩いた。
大きな手の平、力強い感触。
それが暖かくて頼もしくて。
……頑張ろうって、改めてそう思えた。




