竜
――俺が竜を殺そう。
そう言った後、ログは集会所を出ていった。
戦場をあらかじめ確認する必要があるらしい。少しだけ説明された感じだと、竜殺しで地形はとても大事なんだとかなんとか。よく分からないけどそういうものらしい。
「……」
……それで、ちなみに私はというとお留守番だ。一人集会所に残っている。偵察でも最悪の場合竜と戦うことになるので、一緒には行けないと言われた。
「お嬢様、何か飲みますか?」
「……え、いや、それはいいよ」
そして、ログの代わりに私の傍に居るのがマリーとマーク。あと少し離れてるけどアニータさんだ。ログが集会所から出ていくときに戦える二人と話をして、私を守るように頼んでいた。
ログは少し出るから、離れている間は私の命を他の何よりも優先してくれ――なんて言っていて。いやそこまではと思ったものの、しかし二人は神妙な顔をして頷いていた。
まあ、気遣ってくれるのは嬉しいし、ログと離れるのも久しぶりな気がするので、少し不安なのは確かなんだけど……。
「……うーん」
「――――あの騎士、ログに賭けるよ。あの男が竜を殺し次第、山を越える。保存食の準備を手分けして進めておくれ」
なんとなくアニータさんを見ると、他の大人たちに指示を出している。指示を出された大人たちも小麦を抱えて、集会所の炊事場へと運んでいて……。
「……」
なんというか、すごく乗り気だなと思った。
ログが竜を殺せる前提で、もう動き始めているし。
……でも。
「……ふう、一先ずはこれで大丈夫だね。あとは運搬用の一輪車をどうにかすれば……」
指示を出し終わったのか、アニータさんがこちらへ近づいてくる。
そして私の傍へやってきて――。
「――おや、お嬢様。何か私に聞きたいことでもあるのかい?」
私の顔でも読んだのか、そう問いかけて来た。
……聞きたいこと。
それは――もちろんあるんだけど。
ログがああ言ってからずっと疑問に思っていたんだけれど。
「……その、聞き辛いんだけど」
「なんだい?」
「……なんで、ログが竜を倒せるって信じたの?」
それが、とても不思議だった。
◆
竜とは何か。この世界の人が竜をなんだと思っているか。
それを説明するのはとても難しいけれど、私がこの十一年間の人生で何となく理解したのは、竜とは天災に近いということだ。
竜、それは鉄よりも固い鱗を持つものであり、空を飛ぶ怪物だ。
金の闘気を纏い、人の千倍とも言われる魔力を持つ。
その腕の一振りで地形を削り、叫びには嵐を呼ぶことさえ可能な力が宿る。
人知を超えた化け物。
この世界に生きる者なら幼子以外の誰もが知る最強種。
――それが竜だ。
二年前のことを私は今でも覚えている。
父が覚悟を決めた顔で出陣していった日のことを。騎士も、魔法使いもその補助をする人間も、その誰もが死を覚悟していたことを。……大切な人に、涙を流して別れを告げていたことを。
たった一匹の竜。二つの街を滅ぼし、領都に向かって飛んできたそれを殺すために、レインフォース家は領中から戦力を集めて戦った。
最精鋭たる二十人の騎士。その全てに父が奥の手を使い強化魔法をかけ、領地の砦からかき集めた魔砲百門を配備。そして補助に百人を超える魔導士を配置した。
――丸一日にわたる死闘。
その果てに、ようやく勝てたのが竜だ。
それが最強種であり、天災とも呼ばれる化け物だ。
この国でも、歴史上竜が原因で滅んだ領地なんていくつもある。
うちはまだ戦闘向きな血統魔法だったから勝てたけど、そうじゃなかったら手も足も出ないことは珍しくないと聞いた。
……それなのに。そんな恐ろしい竜をログが殺すと言って、アニータさんがあっさりそれを信じたのがよく分からなかった。
私はログが戦うところを見たし、その力を間近で感じた。だから、ログが圧倒的に強いことは知っているけど……でも私も実は半信半疑だったりして。
……だから、質問する。
なぜアニータさんはログが勝つと信じているのか。
「竜って人が一人で倒せるものなの?」
それって嵐に人が一人で立ち向かうようなものでは?
私がよく分かってないだけで、今回の竜って実は弱かったりするんだろうか?
「そんな訳ないだろう? 本来、人が竜に勝つなんて不可能だよ」
しかし、アニータさんの答えはそれだった。
なんてことのない口調で、前提を壊すようなことを言う。
「竜は最強種だ。人が勝てる生き物じゃない。存在としての格が違うからね」
「……格?」
「どれだけ頑張っても、その域にはたどり着けないという意味さ。竜と人間の差は大人と子供よりなお酷い。赤子と大人くらいの差がある。まともにやったら勝負にすらならないんだよ」
二年前の戦いには私も参加してたけどね、と、そうアニータさんは言う。
補助の魔導士の一人として、竜の力を戦場で見たと。その絶望感は今でも忘れられないと。
「人と竜が対等だなんてありえない。だからこそ人は徒党を組み、陣を作る。有利な状況に誘い込み、万全の態勢で迎え撃つ。それでようやく戦いになるんだ」
「……」
「だから、本来ならログでも勝負になんてならない。あの男は人間としては規格外の闘気を持っているけれど、それでも竜の十分の一にも満たないだろう。さっきの例えで言うと、赤子が二歳児になったくらいだろうね」
……じゃあ、なんで?
なんでアニータさんはログに賭けると言ったんだろう?
……もしかして、私の血統魔法もあると思ってるんだろうか。でも私はそれは使えない。もう二年近く練習してるけど、まともに発動する事は出来ていない。
魔法は技術であり、技能だ。今日明日で突然使えるようになることもない。
……情けない話だけど、現状、私に出来ることは何もない。
能力的には私なんてちょっとだけ魔法が得意なだけの子供でしかないのだから。
「……その、勘違いしてるかもしれないけど、私強化魔法はまだ使えなくて……」
「いや、そうじゃない。例え強化魔法があってもダメだ。普通は勝てない。戦力差を合理的に考えたらどうやっても無理なんだ」
しかし、心配とは裏腹にそんな答えが帰って来て。
……あれ。そこで、少し疑問に思う。さっきからアニータさんは、本来は、とか、普通は、という言葉をよく使っている気がする。
「……普通は?」
「そう、普通は」
……じゃあ、ログは普通じゃないということ?
「よくわからないって顔をしてるね。
……察するに、お嬢様は闘気というものについてよく知らないんだろう?」
「それは……うん」
あんまり知らない。まだ習ってないからだ。
強い相手に勝ったら闘気が増えると言うのも昨日初めて知ったくらい。
「お嬢様、あの男は――超越者だ」
◆
と、そのとき集会所の扉が開いた。
そして一人の人間が中に入ってきて――。
「――ログ」
「お嬢、一人にして悪かったな」
いつもの調子でログは近づいてくる。
聞いた話だと、自分よりはるかに強い相手の偵察に行っていたはずなんだけど。それを全く感じさせない足取りだ。
「首尾はどうだったんだい?」
「問題ない。周辺に崖で階段状になった場所があった。そこに誘導して戦う予定だ」
ログとアニータさんが話を始めて……さっきの話題がどこかに行ってしまう。
超越者、か。初めて聞く。なんなんだろう、それ。
気になるんだけど……でも物事には優先順位があるし。現状あっちの方が大事だ。
「……」
……まあ、それに。
本人の目の前でその人の話をするのは抵抗があるし。また後で、時間があるときにでも質問した方がいいかもしれない。
「……はあ」
……それにしても。やっぱりログって凄いんだなあ……。
それは頼もしいし、嬉しい。感謝してるし、ログがいて良かったと思う。
「……」
……でも。
それに比べて私は。
集会所に来て、マリーに会って、少し落ち着いたからかもしれない。もしくは改めて現実を見たからか……それとも真実を知ったからか。
「……」
……どうして私は。そう思う。
胸の辺りに重いものがあって。
……後悔していた。




