拠点の現状
少しの時間が経って。
マリーも私も落ち着いたころ。
ふと、外から人の声が聞こえて来た。
一人や二人じゃない。もっと大勢の――。
「……?」
首を傾げる。人の声がするのはいい。外のシェルターを見る限り、それなりに人がいるのは理解していた。
……でも、これは……赤ん坊の声?
「……帰って来たね」
「呼んだのか?」
「ああ、あんたたちの人となりも何となくわかったし、皆で話をしようと思ってね」
ログとアニータさんの話を聞きながら、体を起こす。マリーも私に回していた腕を解き、体を起こした。すると膝立ちになった私とマリーで顔を見合わせる形になって……。
「……ふふ」
「……もう、お嬢様」
涙でぐちゃぐちゃになった顔。そんなマリーの姿を見るのはこれが初めてで、なんだか可笑しくなってしまった。泣き顔を笑うなんて失礼かもしれないけど、多分私の顔も同じくらいぐちゃぐちゃだから許してほしい。
「お嬢様、これを」
「……ありがとう」
差し出されたハンカチを受け取る。なんだかそのやり取りが懐かしくて、またそれで少し泣きそうになってしまう。
……でもこれ以上泣くわけにもいかないと、少し鼻をすすって耐えた。
「じゃあ、マリーにはこっちを」
「……お嬢様、ハンカチをちゃんと持ち歩いていたんですね」
そして、代わりに私の持っていたハンカチを渡して――なんだか驚かれる。
……まあ、確かにちょっと前までマリーに言われないと持ち歩かなかったけど。障壁を弄ってハンカチ代わりにしてたけど。マリーから常々ちゃんとハンカチを持てと言われていたけれど。
……なんというか、前世の名残というか。
仕草とかは普通に女性のものになってると思うんだけど、案外こういうところで習慣という物は出てくるのかもしれない。……男はあんまりハンカチ持ち歩かないから……。
「……私だって成長したんだよ」
「そうですね、ごめんなさい。
……ありがとうございます、使わせていただきますね」
顔を拭いて、笑い合って。
……なんだか少しだけ昔に戻れた気がした。
◆
それから、扉が開いて人が入ってくる。
大人が五人くらいぞろぞろと入ってきて、その後ろから子供が数人。最後に赤ん坊を抱えた若い女性が扉を潜った。
自己紹介してもらったのだけど、ほぼ全員アニータさんの家族や同僚らしい。
領が危ないと感じたアニータさんが身内を連れて逃げて来たのだとか。
全員疲れたような顔をしているけれど、でも子供たちは元気に走り回っていて、大人はそれを微笑ましげに眺めている。……強い人たちだなと思った。
――そして。
「ドルク様が、そんな……」
「……ドルクさん」
私とログはマリーとその恋人のマークと改めて向き合っていた。これまでの数カ月であったことを教え合い、話し合う。そして今はドルクについて話していた。
……ドルクの胸に奴隷紋が刻まれていたのを伝えたところ。
マリーは信じられないと口に手を当て。マークは辛そうな顔で唇を嚙む。
……こちらも久しぶりに見るマークは、以前会った時と同じように真面目そうな顔をしている。
少しだけ頬がこけているような気はするものの、しかしピンと真っ直ぐに伸びた背筋は変わっていなかった。
「救出は……難しいでしょうね」
「……かなり厳しいだろうな。奴隷契約がある以上、本人が抵抗するだろうし……奴隷紋を無理に解除することも出来ない。あれは血統魔法だからな」
ログとマークが顔を合わせて話し合っている。
ドルクの現状をどうにかできないかと。
……そうだ。これまでの状況を考えると、ドルクが奴隷紋を刻まれたのはマリーを探しに行った後である可能性が高い。なにせ、あの時からドルクの言葉は嘘だらけだったんだから。
……つまり、ドルクは私を裏切ってなんかなかった。
ドルクも被害者だったんだ。そう、確信できた。
だから、助けられないかと話し合っていたんだけど。
「……なんとか連れ出しても、奴隷紋を遠隔で操作されれば自殺する可能性がありますね」
「ああ、主を脅して解除させようにも、誰が主なのか分からない。例の姉が主ならいいが、もし別の人間だったらその時こそ打つ手がなくなる」
「こういうことをする輩はリスクを分散させているものですから……」
……しかし、二人が話し合った結果出てきた結論は難しいというものだ。
現状ではどうにもならないらしい。
……その事実を歯がゆく思う。
大切な人が苦しんでいるのに、何もできない現実が辛い。
「……」
……もっと私に出来ることがあれば。そう思って――。
「――そこの連中。人のことを考えるのは良いけど、それよりも自分のことも考えなよ。今うちがどうなってるのか忘れたのかい?」
アニータさんの声がして、そちらに体を向ける。
彼女は小屋の壁に紙を何枚か貼り付け、その前に立っていた。
……少し前世の記憶が蘇って来る。
学校が確かこんな感じだったような。そんな記憶。
「……」
そういえば、と思いだす。ドルクの話をしていて忘れてたけど、これから会議をするらしい。議題は確か今後の方針について。
「ほら、始めるよ。全員注目」
と、喧騒に包まれていた小屋の中が静かになる。
子供たちだけ集会所の隅に移動し、そこでまた騒ぎ始めた。
「まず皆、確認から始めるよ。
正直に言って最悪に近い。このままだと遠くないうちにこの拠点は立ち行かなくなる」
……え?
◆
話を聞き、実際に拠点の中を見て回る。
そして、この拠点の抱える問題を確認して――。
「小麦がこれだけしかないの……?」
問題をまとめると、食料が無い。
特に主食。このままだとそのうちパンが食べられなくなりそう。
拠点にあるものをかき集めても、私でも頑張れば持ち上げられそうな大きさだった。この拠点には十人以上人がいるのにだ。
「せいぜいあと一週間か。妙に痩せているのが多いと思ったが」
ログが呟く。そういえばマリーもマークも前より頬が痩せていた。他の大人たちもそうだ。一応子供たちはそれほどでもないけれど。
「買いに行く事は……」
「最初のうちはこっそり街に買いに行ってたんだけどね。一月前に騎士団に見つかったんだ。まだ顔が知られてない大人もいるから、あと数回はなんとかなるだろうが……」
アニータさんがため息をつく。
頻繁に大量の食品を買って街の外に出ていたら、とても目立つらしい。
「……本当は、十分山を越えられるだけの食料も戦力もあったんだ。でも竜のせいでこの様だよ」
「魔物の肉は? 食わなかったのか?」
「真っ先にそれを考えたさ。でもこの辺りの魔物は植物系がほとんどで、食えるのがほぼいなかったんだ。おそらく、動けるのは竜から逃げ出したんだろうね」
……食べられる動物がいない? 小麦もほとんどなくて?
畑もそれほど大きくなかったし、街に戻ることも出来ない。
……それって、詰んでない?
「本来のルートには竜がいるとして、別のルートは?」
「それも調べた。私とマークが二人で数か月かけてね。……でも無理だ。斜面が急すぎるし、山の上の方は断崖絶壁だよ。……うちには子供も赤ん坊もいるんだ」
……それは。もうどうしようも。
これじゃあ、竜がすぐにでも移動するのを祈ることしかできない。
「……ふむ」
「ログ?」
声がして、ログを見る。顎に手を当てて考えている。
私にはなにも思いつかないけれど、ログなら何かアイデアがあったりするんだろうか。
「……お嬢、まず一つ聞いておきたいんだが」
「なに?」
「お嬢にとってあのメイド――マリーは大切な存在なのか?」
……え? いきなり何を?
そう驚くものの――頷く。それはそうだ。マリーは私にとって姉のような人だ。あの数か月があっても、事情を聞いた今は改めてそう思う。
「……そうか。なら取れる手段は一つだな」
「え、あるの?」
ログが一度頷いた。
すごい。まさかこんな状況を打破する策が?
驚き、その声に耳を傾け――。
「――ああ。俺が竜を殺そう。それしかない」




