マリー
集会場の一角。机と椅子がいくつか並んだ場所。
そこに私たちは座り、向き合っていた。私とマリーが向かいに座り、アニータさんは少し離れた場所に腰を下ろしている。ログだけが座らずに壁際に立っていた。
「……あの日、私はいつものように実家に顔を出したつもりでした」
マリーは語る。
数か月前、何があったのか。何故姿を消したのかを。
……私もそれが知りたかった。
「母から呼び出されていたんです。実家の今後について話があると」
「……うん、それは私も聞いたよ」
突然の知らせだったことを覚えている。
前日の夕方に手紙が届いて、随分急だとマリーは憤慨していた。
それでも家族だから仕方ないと。
あの日、急に休みを頂いて申し訳ありませんと、そう言いながら出ていくマリーを見送ったんだ。
「でも、家に入るとそこには家族はいなくて……武装した騎士の集団がいたんです。……最初は入る家を間違えたのかと思いました」
しかし、確認してもそこは間違いなく自らの家で。驚いて、混乱して……そして彼らはそれを待ってくれなかった。そうマリーは言う。
周囲をあっという間に囲まれて、抵抗する余地はなかった、と。
「私は拘束されました。そして家の奥まで連れていかれて……
……じ、尋問されたんです」
「……そんな」
気付く。マリーの体が震えている。
そして左手を押さえていて――なんだろう。手袋だろうか。左手だけに付けている。
「抵抗はしたんですけど、逃げられなくて。助けを呼ぼうとしたんですけど、障壁を張られてて。マークとも家の手前で別れていたから」
マーク……誰だろうと思い、マリーの恋人だと思い出す。あの頃の二人は本当に仲が良くて、二人でよく出かけていたことも。
「……が、がんばったんですけど」
「マ、マリー」
……震えが段々と大きくなる。ガチガチと歯が鳴り始めていて。
もう良いよと言いたくなる。でもそれをマリー自身が止めた。
彼女が歯を食いしばって顔を上げる。真っ直ぐな瞳と目が合った。
「……私は、あいつらに魔導庫の開け方を話しました。
……申し訳ありません。あの中にはお嬢様の大切なものが入っていたのに」
マリーが椅子から降りた。
そして地に頭をこすりつける様に頭を下げる。
それが、あの日に会った真実だと。そうマリーは言った。
マリーは裏切ってなどいなかった。彼女もまた、被害者だった。
「………………申し訳ありませんでした。全ては私が弱かったからです。」
「マリー、違うよ。それはマリーが悪いんじゃなくて」
この短い話だけでもよく分かった。
マリーが辛い思いをしたことが。思い出すだけで震えてしまうようなひどい仕打ちを受けたことが。
だから、すぐに顔を上げるように言おうとして――。
「――」
――でも。そう考えながら。
――心の裏側。その深いところで、本当に信じてもいいのか? とマリーを疑う声があった。都合のいい嘘を言ってるだけじゃないのか、と。
……ドルクのように奴隷紋という証拠がある訳じゃないでしょ? と。
不信感だ。この数か月間、マリーが裏切ったと思っていた過去が、私を疑り深くさせている。また裏切られたくないでしょう? そんなに簡単に信じていいの? と不安を煽る。
あのときの苦しみを忘れたの?
失う辛さを忘れたわけじゃないでしょう? と。
私の中の嫌な所。私だけを守りたいと願う心。
「……」
……でも。
……でも、今はそれを無理やり踏みつぶす。
それは今じゃなくてもいい。疑うことならいつでもできるんだから。
「……」
そうだ。そもそも状況的にはこの場所にマリーがいたことも含めて、真実である可能性が高い。ドルクの奴隷紋も、この森の中の拠点もその理由の一つだ。
少なくともドルクの調査資料とは違って、マリーは家族と一緒に国外へ逃げてはいなかったのだから。
……だから、信じる。
……いや、もしかしたら信じたいだけなのかもしれない。……それでも。
「……マリー、頭を上げて。そんなことしなくていいから」
「いいえ、いいえ。私はこんなことでは許されない過ちを犯しました」
声がかすれている。目の前で泣いている人がいる。その人は確かに私の姉のような人だった。
……幼い日よりずっとそばにいた、誰よりも親しい人だった。
「マリーのせいじゃないよ。むしろ、悪いのは――」
そうだ。それが真実だと言うのなら。
……もちろん一番悪いのは誰とも知らない兄弟だ。あいつらのせいだ。憎んでも憎み切れない。
……でもきっと、その次に悪いのは。
「――いいえ、いいえ! 私に罰を与えてください。そうでなければ私はもう二度とお嬢様の前に立つことが出来ない」
「マリー……」
でも、マリーは頑なで。
どうすれば頭を上げてくれるのか。マリーの真面目で頑固なところが強く出ている。
確かにそれはマリーのいいところの一つではあるけれど、私はそんなことを望んではいない。だから、なにかあればと思って周りを見て――。
――ログと目が合った。
「……すまない。俺から質問したいことがあるんだが」
「……な、なんでしょう」
意図を酌んでくれたのか、ログがマリーに問いかける。
「魔導庫のことを話して――その後どうやって脱出したんだ?」
「それは――」
マリーが顔を上げる。
涙が頬を伝い、目が赤く染まっている。
「……彼が、マークが戻ってきてくれていたんです。周囲の雰囲気に違和感があったと。それで、私が魔導庫のことを話した後、あいつらは半分以上が家から出て行って、その隙に」
「……なるほど」
……それは、確かに少し気になっていた。
拘束されて、そのまま逃がしてもらえたとは思わなかったから。
本当によかった。そのマークさんには感謝しなければならない。
もしそのままどこかに連れていかれていたらどうなっていたことか。
「しかしお嬢様、私は――」
「……本当に強情な子だよ」
なにかを言おうとしたマリーの声をアニータさんが遮る。
見ると溜息をつきそうな顔でこちらを見ていた。
「一応言っとくけどね、私の目から見てその子の言ってることは事実だよ。私たちがその子と合流したのはその直後だ」
「……そうなの?」
「ああ、馬車で領都を脱出したところで、血まみれのその子を抱えたマークに会ってね」
……血まみれ?
「不思議そうな顔してるけど、その子の左手だよ。……まだ爪が生えそろってないんだ。言ってる意味、わかるかい?」
――。
そんな、それじゃあ。
さっきマリーが尋問と言っていたけど、もうそんなのは尋問じゃない。そんなのは――。
「……ごめんね」
「……お嬢様?」
マリーを抱きしめる。
衝動的に。蹲っているマリーをその上から抱きしめた。
「ごめんね、マリー」
「そんな、お嬢様、悪いのは私で」
自分でも何に謝っているのかわからない。
マリーがそんな目に遭っていたのにのうのうと暮らしていたことか。それともそんなマリーを恨んでいたことか。何の助けも出来なかったことかもしれないし、もしかしたらもっと根本的なことか。……あるいはその全てか。
「ごめんね、マリー。生きててよかった」
「……お嬢様」
ふと思い出す。
そうだ、私は最初にそう言うべきだったのかもしれない。
大切な人が行方不明になっていた。
その人と再会できたのだから、まずその言葉を言うべきだった。
……もちろん、現実的にはマリーがいなくなった理由を知らなかったんだから、そんなこと言えるはずがない。
でも、そう言うべきだった。そう思うから。
「ごめんねマリー。また会えて嬉しいよ」
「……お嬢様、私もです。お嬢様に会いたかった」
マリーが抱き返してくれる。
懐かしい匂いがした。幼いころから傍にあった、大切な人の匂い。
怒りはあるし、悲しくもある。そして己を責める心も。
考えなければならないことは多い。
……でも、今はただ。
マリーともう一度会えたことが嬉しかった。




