扉の奥には
――竜?
竜が住み着いている? この道に?
アニータさんは確かにそう言った。
じゃあ、それって、要するに――。
「――こ、この道は使えないっていこと?」
そういうことになる。だって竜なんて普通軍で退治するものだ。
沢山の騎士と、魔法使いと、兵器があって初めて倒せる生き物。それが竜なんだから。
「……そうだねえ。普通は、そうだ。だから私たちもここで拠点を作って待ってたんだ。街にも戻れないから、竜が気まぐれでどこかに移動でもしてくれないかと祈ってね」
「……そんな」
それなら、どうすれば?
竜の移動を待つって……どれくらいの時間がかかるの?
少なくとも一日や二日じゃない。もっとだ。この集落を見ればわかる。畑に作物が生っている。それならもう数か月は待っているということに……。
「……聞いてもいいか?」
「なんだい?」
ログの声。
混乱した私の耳に、しかし落ち着いた声が入ってくる。
「竜の階級と闘型は?」
「……三級、亞竜だよ。闘型は近接型だろうね。身体能力特化型の可能性が高い」
「……なるほど」
ログは頷いている。
顎を撫でながら考え事をしているように見えて――。
……? 階級と闘型?
なんとなく言葉から意味は想像できるけど、でもよく分からない。
だから、ログに質問しようとして――。
「着いたよ。ここが集会所だ」
――そこで目的地に到着した。
拠点の真ん中にあった、古い建物。平屋づくりの大きな建物で、蔦が這った壁は年季を感じさせる。
「……お嬢様、心の準備をしときな」
「……?」
……なんのこと?
首を傾げてログを見るも、ログも不思議そうな顔をしている。
アニータさんはそんな私たちを何とも言えない顔で見て――。
「……開けるよ」
――集会所の扉を開ける。
すぐに中に入っていった。
その後ろにログが続き、私も中に入る。
――そして。
「おかえりなさいアニータさん。どうでしたか?」
「…………え?」
声がした。若い女性の声。
……聞き覚えのある声。
「…………あ」
そちらへ顔を向ける。目が合った。
見覚えのある色の目、そして懐かしい色の髪が肩の下まで伸びていて、ああ、少し伸びたんだな、なんて少しズレたことを頭のどこかで考える。
見開いた目、少し痩せた頬。
でも、その顔立ちは何があっても見間違えないだろう。
「――マリー」
そこには、かつて私の前からいなくなったメイドの姿があった。
◆
それは私の日常が壊れてしまった日のこと。
ほんの数か月前の夜のことだ。
実家に呼び出されたと朝から街に降りていったマリーがいつまでたっても帰ってこなかった。いつもなら夕方には必ず帰ってくるはずなのに、連絡一つ入ってこなくて。
『ねえドルク、探しに行って? なにかあったのかも』
『……そうですな。代わりの護衛を手配しましょう。その者が来たら何人か部下を連れて探しに行きます』
ドルクと二人、顔を見合わせて心配した。
何があったのかわからなくて不安で、怖くて。ただ少しトラブルがあって、連絡が遅れただけなのだと信じたかった。
『……』
『……』
一分が一時間に思えるような焦りの中、ただ代わりの護衛を待って――
『リーヤお嬢様、大変です!』
『え、な、なに?』
――しかし、ようやく扉を開けて入って来たのは、代わりの護衛じゃなかった。
騎士ではなく、いつもは屋敷の警備をしている見覚えのある衛兵の一人で。
『リーヤお嬢様の魔導庫が何者かによって荒らされました!』
『……え?』
――
――
――
『……わ、私の魔道庫が……』
衛兵に案内されて駆け付けた先。屋敷の地下にある魔導庫。
その一角にあるスペースの扉は開け放たれていて、中は荒らされて何も残っていない。本当ならそこには父から貰った宝石やドレスなどの貴重品などが入っているはずだったのに。
『……そんな……どうして』
信じられなかった。
そもそも魔導庫が荒らされるなんてありえないはずだった。
なにせ魔導庫というのは、領主直系の者が一人一つ使える保管庫だ。部屋に置いておくことを躊躇うような貴重品を納める金庫のようなもの。銀行の貸金庫が一番イメージとして近いだろう。
……だからこの家でもトップクラスのセキュリティを誇る場所のはずなのに。
『……どういうこと? 泥棒が入ったの?』
『それは』
訳も分からず、ここまで連れてきてくれた衛兵に問いかける。
しかし彼は困った表情で眉をひそめて――。
『――それは、違うと思われます』
代わりに魔道庫の傍で確認していたもう一人の衛兵が口を開く。その傍に立つ魔法使いも同意するように頷いていた。
『屋敷に賊が入った様子はありません。この部屋にも。そして魔導庫にもこじ開けられた痕跡はありませんでした……恐らく、正規の方法で開けられたものだと思われます』
『……せ、正規の方法?』
『正式な手順で開けられています。誰か、この魔導庫の開け方を他に知る者はいませんか? その者が下手人かもしれません』
……他の? 開け方を知る人? その人が下手人?
……でも、それは。
『あ、ありえないよ。だってこの魔導庫の開け方を知ってるのは私と専属メイドのマリーだけで……ドルクも知らないんだよ?』
そうだ。この中には服なんかも入っていたから。
ドルクはいつも魔導庫を開けるときは部屋の外に控えるようにしていた。
『そのメイドが犯人なのでは?』
『そ、そんなわけないでしょ!? マリーがそんなことするわけ――』
――と、そこで気付いた。
『まさか、マリーが帰ってこないのは……誰かに捕まったからじゃ。それで、この魔導庫の開け方も無理やり話させられて』
『……可能性はありますな』
呟きをドルクが肯定する。
そんな、じゃあ急がないと。マリーは……。
『ドルク、すぐに探しに行って! 急がないとどうなるか』
『わかりました。代わりの手配も終わっているでしょう。すぐにでも向かいます』
もう魔導庫のことなんてどうでも良かった。
ただ、マリーのことが心配で。
――それからすぐにドルクは部下を引き連れて捜索へと向かった。
――
――
――
『………………嘘だよ』
『……お嬢様、お気持ちは理解できますが、残念ながらこれが調査結果です』
数日後。予定よりも遅くドルクは帰って来た。
それも彼一人で。隣には誰もいない。ただ紙の束だけを持っていた。
……そしてその紙には。
『……マリーの家族が莫大な借金を抱えてた……? それで、数日前に夜逃げしてるの?』
『……ちょうど魔導庫の件があった日ですな』
調査資料には、いくつかの事実だけが書かれていた。
マリーの家族の借金、そして失踪した日と……前日まで困窮していたのに、その日だけは豪遊し、馬車まで買っていたという証言。
そして、もう一つ。当日マリーが騎士の誰かと話をしていたという証言が。
何かを伝え、そして大きな袋を受け取っていたと。
――他でもないドルクが、私にそう言ったのだ。
『……彼女の実家は儂も訪れました。中はもうすっかりもぬけの殻になっており、残っていたのはこの紙一枚だけです』
震える手を押さえながら渡された紙を開く。そしてそこに書かれていたのは――。
『――お嬢様。本日付でお暇いただきます』
ただ、その一言だけだった。
信じられないくらい短い別れの言葉。でもその文字は確かに見覚えがあるもので。
『……嘘だよ。何かの間違いだよ』
『……お嬢様』
――それから、方々に手を尽くして、何があったのかをドルクに調べてもらった。
でも、ドルクが持ってくる調査結果は、全てマリーが私を裏切ったということを指し示していて。
……認めるしかなかった。渡された資料がそう言っていた。
……あの日、マリーは兄弟の誰かに唆されて私の魔導庫の解錠方法を売り、その金を持って国外へ逃亡したのだと。
――
――
――
――でも、今になって思う。
ドルクは、一体いつから奴隷紋を刻まれていたのだろう?
◆
「マリー」
「……お、お嬢様」
目の前にマリーがいる。数カ月ぶりに見る彼女。
懐かしくて、でも困惑もあって。こんなところで会うなんて思ってなかった。
「……」
「……」
何を言っていいかわからなくて。どうすればいいかわからなくて。
聞きたいことがあった。話したいことがあった。でも何も言葉が出てこない。
「……」
「……」
マリーと見つめ合う。ただ、時間だけが過ぎる。
胸の中によく分からない感情がある。胸の奥をそれが締め付けている。
……でも、どうしていいか全くわからなくて。
「――お嬢」
「……あ」
そんなとき、ログの声が聞こえた。
その声を聴くと少しだけ混乱が収まっていく気がする。
「とりあえず、落ち着こう。話はそれからでも遅くないはずだ」
「……そうだね」
肩から力が抜ける。
そして、マリーをもう一度見て――
「マリー、座ろう?」
引きつった顔をしている彼女に、今度はちゃんと話しかけることが出来た。




