あの日の記憶
あれは十歳の誕生日のとき。
今から一年以上前の、まだ家が平和だったときのことだ。
『お嬢様、お誕生日おめでとうございます!』
『おめでとうございます、お嬢様。これで十歳でしたかの?』
家族だけのちょっとしたパーティーの後、ドルクとマリーの二人から改めてお祝いをしようと言われて、私の部屋でちょっとしたパーティーを開いていた。
机の上にはマリーが焼いたお菓子と、ドルクが買ってきてくれたお高いジュースが並び、それを三人で囲むようにして座る。
一応主役の私は二人にお祝いの言葉をもらいながら、誕生日を喜べるのって子供の特権だよね……なんておっさんじみたことを考えたりして。
『パーティーと比べると質素なものですが……』
『そんなことないよ。すごく美味しそう。パーティーよりこっちの方がずっといいよ……いや本当に』
クッキーを差し出しながら謙遜するマリーに、つい本音で返した。
それもこれも、直前のパーティーがイヤにギスギスしていたからだ。
『……最近、なんか変じゃない? 雰囲気がさ』
『……そうですなあ、少し違和感は感じますな。一部のご兄弟が色々出かけておられるようですし』
――今思えば、この頃から予兆はあったのかもしれない。漠然とした違和感があって、でも当時の私はそこまで深く考えることはしなかった。それが、後にどういう結果をもたらすのかも知らずに。
『……また姉の誰かが喧嘩でもしてるのかな』
『それは嫌ですなあ……魔法を打ち合って家を壊されるのは勘弁してもらいたいものです』
だから、そんな適当な推測を言ったりして。ドルクはそれを聞いて嫌そうな顔をした。
疲れたようにドルクが溜息を吐くのは、以前家が壊れたとき片付けに駆り出されたからなのだろう。確か倒れたタンスや壊れた壁を直すのに、半日くらい力仕事をやらされていた。あのときのドルクは腰が痛いとぼやいていたものだ。
『――もう、二人とも。せっかくのお祝いの席でそんな話をしないで下さい。ほら、嫌なことはいったん忘れて、食べましょう?』
『……そうだね』
『……まったくですな』
マリーに怒られて、ドルクと顔を見合わせて笑って。
クッキーに手を伸ばし、ジュースを飲んで、他愛もない雑談をした。
穏やかで、でも暖かい時間。
そんな時間がゆっくりと流れて行って――。
『――そろそろお開きですね。ところで、実は私からお嬢様に渡したいものがありまして』
『渡したいもの? なになに?』
机の上があらかたなくなった頃、マリーが私に白いものを差し出した。
受け取り、広げてみると、それは丁寧に編み込まれたレースの髪飾りで。
『姫飾りです。庶民の風習なので、お嬢様はご存じないかもしれませんが』
『姫飾り……そういえば聞いたことあるかも』
言われて思い出したのは、少し前、街の教会に視察に行った時に聞いた話だ。そろそろそれくらいの年ですねえ……みたいな感じで。
『十歳になった女の子に送るんだったっけ?』
『はい、その子の無病息災と、良いご縁を祈って』
『……あー』
良いご縁とは要するに結婚相手のことだ。良い旦那見つかるといいね、ということである。日本で言うひな人形が近い感じだろうか? 違う? よくわからない。だって私元男だし。
『本当は母親か姉が送るものですが、今回は私が代理と言うことで』
『……うん、ありがとう』
……正直ちょっと微妙な気分だ。健康ではいたいけど、別に旦那は要らない。私はまだ記憶と体の違いに、自分の中で決着をつけられていないのである。
まあ、祝ってもらえること自体はとても嬉しいので、笑顔で受け取るけれど。
よく見ると結構手が込んでて……これもしかして手作りだろうか?
『私も幼いころに母からこれをもらい、最近いいご縁をもらいました。きっと効果があると思います』
そう言うマリーからは幸せオーラが溢れている。
そうだ、実は最近マリーとドルクの部下の騎士が恋人同士になったのだ。
突然で驚いたけど、結構真面目そうな相手で良縁っぽかったので、私からもお祝いを渡した。マリーもマリーで真面目なのでさぞかし二人の子は真面目に育つだろうなあ、と。
『……うんまあ、でも私はだいぶ先かな』
『そう言ってるとあっという間ですよ? 子供だからと時間は待ってくれません』
軽く現実逃避すると、マリーから痛い言葉が帰ってくる。止めて欲しい。その言葉は元おっさんに良く効く。マリーにそのつもりはないだろうけど。
『そうですなあ……儂も気付いたら爺になっていましたし。ついこの間まで近所の子供とチャンバラしていたような気がするのですが』
『……それ、ボケてませんよね?』
突っ込むマリーに、それは困りましたな! と笑うドルク。
そんな時間が、たしかにあった。
◆
山道をログに背負われて進む。
ザ、ザ、と一定間隔で刻まれる歩みは、どこか落ち着いて、服越しに伝わってくる温もりもあって少しだけ意識が昔へ飛んでいた。
かつての記憶。幸せだったころ。
あの日私を祝ってくれたマリーは、しかしある事件の後、姿を消してしまって。
「……」
ドルクはもしかしたら被害者だったのかもしれない。
……だとしたら、マリーは。
「……」
……今になって。
……いや、違う。
本当は、それもこれも、本当は――。
「――お嬢、疲れてないか?」
「……大丈夫、ありがとう、ログ」
ログの声に、遠くに行っていた意識を戻す。
……今はそんなことを考えている場合じゃない。そういうことにする。
「……」
……なんとなく周りを見る。
そこは深い緑に両脇を囲まれた細い道。隣国へと繋がる道の、まだ始まりのあたりだ。
「……道、あったね」
「ああ、隠されてはいたが地図に書いてある通りの場所にあった。現状は特に問題もなく進めているし、地図に間違いもない」
あの後――地図を確認した後、私たちは早速山を登り始めていた。
少し疲労感があったけれど、でも急いだほうがいいだろうとログが言ったからだ。時間が経てば追手が来るかもしれない。それまでに山道に入ったほうがいいと。
……まあ、それはそうだろうと思う。折角秘密の道を歩いているのに、誰かに見られてしまっては意味もないだろう。
「……よし」
ログはたまに立ち止まり、両手に持つ方位の魔道具と地図とを見比べながら進む。手元の地図はよく分からない記号や目印が書かれていて、私には全くわからない。でもある程度慣れた人なら分かるような地図らしい。なんかすごい。
…………ちなみに。両手に地図や魔道具を持ってどうやって私を背負っているのかと言うと、おんぶ紐だ。実は街で買い物をしているときについでに買っていた。少しみっともないかもしれないが、カッコよさで命は買えないわけで。
「……しかし、薄いが人の歩いた跡があるな。やはり全く使ってないわけじゃないらしい」
「そうなの?」
「まあ、人の通らない道なんてすぐに草や枝で塞がれるから当然なんだが。おそらく、今でも拠点や道を定期的に管理している人間がいるんだろう」
そうなんだ……あれ、でもそれが敵の可能性は?
だって多分騎士団でしょ……?
「跡は最近のものじゃなさそうだ。もし騎士団の人間がいても何があったか知らないんじゃないか? こんな山奥だと通信機も通らない」
質問するとそんな答えが返って来た。
言われてみると確かにそうかもしれない。
「万が一襲ってきたら迎撃するしかないが……見た感じでは大した人数じゃないだろう」
……なるほど。ならログがいれば大丈夫か。
この数日でログがかなり強いということは理解できている。
「……それにしても、分かりやすい地図だな――」
――と、そう呟いた、その時。
ログがピタリと立ち止まった。
「……ログ?」
「……魔物だ」
「……え」
言われて周囲を確認する。
すると、遠く離れた所の茂みがガサガサと動き始めて――。
――唸り声。それも一つじゃない。
「お、降りようか?」
「いや、大丈夫だ。獣系ならこうやって……」
ログがおもむろに片足を上げて、軽く地面を蹴りつける。
その足は銀色に輝いていて――。
「――――!!!!」
数十メートル先の茂みが一斉に激しく動き出し、凄まじい勢いで遠ざかっていく。
キャンキャンという鳴き声もしていた。
「……」
「獣系は実力差に敏感だからな。少し脅せばすぐに逃げていく」
……なるほど。
頼もしい騎士様だった。




