内戦
殴られた男がきりもみしながら飛んでいく。
呻き声を上げながら、地面に何度かバウンドし……それでも勢いはなかなか衰えず、広場の端にある生け垣に頭から突っ込んで止まった。
……あれ、生きてるのかな。
まああんな奴どうなろうが知ったことじゃないけど。
でも生死だけは少し気になるような。
そう思い、首を傾げ――。
――その瞬間。
ガシャン、というガラスが砕けるような音が響き渡った。
「……え?」
音から一拍遅れて、紅い光が見えた。空から落ちてくるそれに目を奪われて上を向く。
空からは紅い雪のようなそれがひらひらと落ちてきて――。
――あれ、これどこかで見たような。
「ふうむ。やはり無駄ですか」
「……」
「なるほどなるほど……しかし、随分と悠長なことをされますなあ。アホをわざわざ挑発して、近づいてきたところを斬るなど。ひょいと近づいて斬ればよかったではないですか」
「……ずっと俺の隙を窺っているジジイの前で、お嬢の傍を離れることなど出来るはずがないだろう」
……ああ、そうか。思い出した。
これはあの日見たものだ。この紅い光。これは領都から脱出したあのときに。
魔砲。あの砲弾の光。
……でも、なんで? なんでこんなものが上から落ちてくるの?
「お嬢、気を抜くな。まだ何も終わっていない」
「……え」
ログの言葉に前を向く。
……終わってない?
でも、さっきのあの男は今も生け垣に刺さってるのに。
「……あれはただの屑だ」
「そうですなあ……剣だけは立派だったので、何かに使えるかと連れて来たのですが、何の役にも立ちませんでしたな」
……屑? 連れて来た?
じゃあ、終わってないというのは――。
「――ド、ドルクが敵なの?」
「ほほほ――何を今更。最初からそう言っているでしょう。お命頂戴しに参りました、と」
ドルクが空を指でさす。
そこには紅い光の残滓がまだ残っていて……
「……お嬢、敵は魔砲を打ち込んできている。砲弾は俺が撃ち落とすが、欠片までは防げん。障壁の強度を上げてくれ」
「……え、あ、う、うん」
変わっていく状況に付いていけない。訳が分からない。でもログがそうしろと言うので、とりあえず指示された通りに障壁に魔力を回す。
「ふむふむ。期間は短いながらも信頼関係は築けている、という訳ですか。若いというのはいいですな、儂も青春の時を思い出します」
「……」
「長い人生です。色々なことがありました。騎士の家に生まれ、後を継ごうと決意したときのこと。騎士仲間と共に切磋琢磨し腕を磨き合ったときのこと。妻と出会い、結婚したときのこと。子が生まれ、父となったときのこと。
――そして、内戦」
「…………ドルク?」
「お嬢様は知っておいでですかな? この国は六十年前に内戦を経験していることは」
突然の質問に少し戸惑いながらでも一応考える。
……内戦。それはまあ、知っている。ちゃんと習った。たしか当時、王子二人の権力争いの果てに国を二分した戦いがあったと。
「あれは酷い物でした。仲間だったはずの者たちが憎み、殺し合う――平和だった町は崩れ、路地裏に死体が転がりました。道では親を失った子供たちが彷徨い、たった一切れのパンを巡って殴り合っていました。まさにこの世の地獄のような。そんな様相だったのです」
「……それは、教えてもらったけど」
相当に酷い有様だったらしく、それを忘れてはならぬと国が主導で経緯を綴った本を作ったほどだ。結局その王子は二人とも死んで三人目の王子が玉座に座ったので、本では二人がボロクソに書かれていた。
……王族なのに墓も作られず骨が野ざらしだったというのだから、その怒りがどれだけ深いものだったかよく分かるという物だろう。
「……あれを繰り返してはならぬと、戦地から家に帰って息子を抱いたときに思いました。何があろうとそれだけは繰り返さぬようにと」
「……」
「――しかし、今、この領で争いが起こり始めている」
……それは。
「お嬢様、先程のアホの話を聞いたでしょう。
――あなたは火種なのです。平民になった領主の娘。しかし血統魔法を正しく継いだあなたは未だに継承権を残している。……だからこそ、野心あるものが集まる」
「……わ、私は、領主になるつもりなんて」
「あなたはそうでしょう。しかしそれも、あのアホを思い出せば分かることですな?」
……私を妻にして、実権を握る。
そうすれば、たしかに私の意志は関係ない。
「主は仰いました。あなたは現在この領で最も大きな火種だと。それは私も正しいと思います。今は館の中に納まっている争いは、家を出たあなたを切っ掛けに燃え広がろうとしている」
「……そんなの」
「あなたのせいではない。あなたは悪くない。しかし、内戦を嫌う一人の老人として、それを見過ごすことだけは出来ない。この平和な街が戦火に飲まれるなど、決してあってはならない。――あなたは生きていてはならないのです」
ドルクの手の先を見る。
そこには昨日今日と歩いた街があった。――人々が笑顔で歩いていた街。
「……本来ならば、我ら騎士が正さなければならなかった。継承争いが本格化する前に正しく諫めるべきだった。……しかし、前騎士団長の亡き後、水面下で広がっていた闇は深く、今やこの老いぼれの力ではどうすることも出来ませぬ」
「……ドルク」
「恨んで下され、お嬢様。今や儂に出来るのは争いを外へと持ち出さないようにすることと、旦那様の亡き後、早急に次期領主を決めるよう努力することだけなのです。
……お一人では逝かせはしませぬ。全てが終わったその日。儂も自裁して後を追わせて頂く」
ドルクが私を見ている。
初めて見る顔。いつものニコニコとした顔ではなく、両目で私を見据えている。
「……」
……分からない。どうすればいいのか全く分からない。
殺されそうになってる。死にたくない。でも戦争は。家を出ようと思ったのが悪かった? 軽率だったの? でも毒が。怖くて。殺されるかもって思って、怖くて――。
――だって、死にたくない。私はまだ生きていたいだけなのに。
「――下らん」
――でも、ログはそう言った。
ドルクの言葉をそう斬り捨てた。
「馬鹿共が勝手に欲しがって、勝手に殺し合って、勝手に巻き込もうとしているだけだ。お嬢がそれに付き合う道理がどこにある」
「……付き合いたくなくても、付き合わされてしまうものですからなあ」
私を庇ってくれている。私を守ろうとしてくれている。そんな声。
火種だと、私のせいで戦が起きるかもしれないと、そう言われても。
「ならば、俺が守ろう」
「……ほう?」
「お嬢は生きていい。馬鹿共のせいでそれが難しいというのなら、俺が支えよう」
……それは、どうしようもないほどに優しい言葉で。
「どけよ老兵。お嬢は俺が守る」
「………………ほほほ、若いですなあ」
ログの背中が目の前にある。
……それを見ていると、どうしようもないくらいに安心できて。
「しかし大言壮語ではない……あの剣の冴え。只者ではありませんな」
「……」
「不思議なことです。あのアホの言っていたことは正しい。捕虜奴隷は弱いものと決まっているのですが……はて?」
「……さあな」
気付く。ログの剣が銀光を放ち始めている。
それと同時に、ドルクの盾からも緑色の輝きが漏れ始めていた。
「まあ、今はどうでもいいことかもしれませんな」
ドルクが腰に手をやり、紐をほどく。
そして腰に付けていたウエストポーチを外し――。
「さて、では始めましょうかの」
……互いに譲れぬものがあり、それが違えたというのなら、後に残るモノはただ一つ」
「……」
「若人よ。未来あるものよ。己が意を通さんと欲するのなら――」
――投げる。
それは高くまで上がり広場の端まで飛んでいく。
「――まずは、この老いぼれを越えていくがいい!!!」
「――っ!」
次の瞬間、ドルクが目の前で盾を振り上げていた。




