天焦剣
少し、不思議に思ってはいた。
なんでこんなに見られてるんだろうと。街に入った時から妙に視線を向けられている気がして、でもこんなものなのかなと思っていた。
だって、私の基準は日本にいた時のものだ。人間関係が希薄と言われるあっちと比べれば、ちょっとくらいは見られてもおかしくないのかなと。異世界と日本の違いがどこにあるのか、それを箱入りの私は完全には分かっていないから。
――ああ、そういえば。そう思う。
ついさっきのアレもそうだったのか。
保存食を買いに行った時におばあちゃんに言われたこと、実は少し不思議に思ってたんだ。『――おや、珍しい。魔法使いのお嬢さんかい?』と。そう言われたときに。
“騎士団と関係ない魔法使いなんて、ほとんどいない”
……おばあちゃんのあの言葉はそういう意味だったのか、と。
「――ぬかった! そういうことか!」
ログが叫ぶ。その顔は歪んでいる。
初めて見るほどに声を荒げて、こめかみに手を当てていた。
「お嬢! すまん、俺のミスだ! すぐにこの街から出るぞ!」
「……え?」
「違和感の正体はそれだ! 俺はこの街に来て、一人もフードを被った魔法使いを見ていない!」
焦りに満ちた声。
でも、その理由が分からなくて、首を傾げる。
「そしてそこまで魔法使いが少ないのなら――昨日の昼、街に入った時点でお嬢だとバレていた可能性がある! そうでなくてもかなり怪しまれているはずだ!」
「…………っ!」
それって、要するに……追手に居場所がバレているということ?
それなら今すぐに襲ってきてもおかしくないってことじゃ……。
「お嬢、悪いがすぐに離脱――っ!」
「……えっ?」
突然、目の前からログが消えた。
「――お嬢、全身に障壁を展開してくれ」
後ろから声。
驚いて振り返ると、ログが扉に向かって剣を抜いている。
「手遅れだったみたいだ」
その言葉とともに目の前の扉が開き始め――
「――おやおや、気付いたのですか。しかし少しばかり遅かったようですなあ」
「……」
扉の向こうから声がした。少ししわがれた、歳を感じさせる声。
しかし、力が無いという訳でもなく、そして妙に耳に馴染むような――。
「……え?」
扉が開く。その先にいたのは――。
――かつての護衛騎士、ドルクだった。
◆
「まあ、戦の中で育った若い騎士にありがちな欠点ですなあ……ログ殿と申されましたかな?」
「……ああ」
部屋を出て、冒険者ギルド階段を下りる。
前を歩くドルクの後ろをログが歩き、そのさらに後ろに私はいた。
「戦争というのは大変なものです。戦闘能力や戦術にばかり目が行って、もっと基本的なことに目が回らなくなる。ロビタ王国の出でしたかな? たしか三年は戦争しておりましたな。まだ若いようですし、騎士としての殆どを戦地で過ごしたのでしょう?」
「……」
――久しぶりに見るドルクの背中は記憶にあるものと同じで、懐かしさすら感じる。幼い日から見て来た護衛騎士の背中。背負った大きな重盾は緑色に輝いていて、私はいつもこれを見て歩いていた。
「主の護衛をするということは、なにも敵から身を守るだけではありません。情報を手に入れ、日々の補佐をするのも大切な仕事の一つと言えましょう。……冒険者ギルドには他の国の情報もある程度置いてあるものです。学んでおくべきでしたな」
「……ご忠告痛み入る。これからはそうすることにしよう」
「……これから、ですかな?」
「これからだ。この先もずっと」
二人の話が遠くから聞こえてくる、
……なんだか昔に戻ったような、そんな気分だった。今はもうどこにもない過去の記憶を思い出す。幸せだった日々の僅かな残滓。
「……」
……でも、そんなものがまやかしに過ぎないのだということも、今の私にはよく分かっていた。
――だって。
◆
『お久しぶりですなあ、お嬢様。大変申し訳ないのですが、お命頂戴しに参りました』
『……ドルク』
突然現れたドルクは、私を向かってそう言った。
まるで挨拶をするように。かつて朝ごはんを何にするか聞いたときのように。
『……な、なんで?』
『ふむ……必要だから……それ以上でもそれ以下でもありませんな』
ニコニコと笑いながら。
記憶にあるものと同じ顔で。私を殺すとドルクは語った。
『……しかし、ここは少々手狭ですな。表に出ませんかな? ここでやり合うのはあなた方も不本意でしょう?』
……そして、ドルクは目を白黒とさせるロップを見ながらそう言って――。
◆
ギルドの一階に降りると、その様子は先ほどから一変していた。
大勢の人が思い思いに話していたそこは静まり返って、誰もが下を向いて震えている。
「……」
……これは、一体何が?
異様な雰囲気の中、ただ一人武器を持っているのは先程受付嬢に怒られていたリザードマンだった。座り込む受付嬢の前に立ち、全身を震わせながら槍を構えている。
「……お嬢」
「……ログ」
一歩一歩外が近づいてくる中、ログの声が耳に入って来る。
お嬢、と呼ぶいつもの声。それに少しだけ安心する。私の味方の声。
「障壁を切らさず、俺の傍から決して離れないでくれ」
「………………う、うん」
……そうだ、ドルクが相手だったから驚いたけど、私は今殺されそうになってるんだ。頼みの綱はログだけで、そこから離れたら死ぬかもしれない。それを再認識する。
そう思うと途端に震えそうになる足を抑え、障壁に魔力を回し、強度を上げる。
そしてログを見ると、横顔でかすかに笑ってくれた。――少し、気が楽になる。
――そして、入り口までの短い距離は終わり、私たちはギルドの外に出た。
◆
外に出ると、そこには炎の渦があった。
「――」
ギルド前に広がる大きな広場。ここに来るときは大勢の人が気ままに過ごしていた憩いの場だったはずの場所。
その中心に数メートルはありそうな炎の渦があって――その中に人影らしきものが見えた。
「……」
……あれは、何?
熱気が肌を炙る。ログに言われて展開した障壁越しにも伝わってくるほどの熱。
人が燃えている……のではない。どちらかと言うと、中の人間の周りを炎が渦巻いているように見えた。
訳の分からない光景。理解できない状況に頭が混乱する。
……でも、怖いことだけは分かる。本能的な恐怖が呼び起こされそうなほどの熱がある。
「……お嬢」
ログが立ち止まる。それに合わせて私も止まった。
しかしドルクだけは止まらず、前へとへと歩いていく。
「……さて――」
「――おいジジイ、黙ってろ。俺が話す」
立ち止まり、ドルクが口を開く。しかし男の声がそれを止めた。
揺らめく炎の壁の向こうで、口が動いているのがかすかに見える。
「……さて」
一歩、男が前に出る。
取り巻く炎がそれに合わせて揺れた。
――そして、ただそれだけで熱気が増す。
肌が焦がされそうな熱波。目が焼かれそうな光があって――
「――初めましてリーヤお嬢様。俺はフラム。あなたの夫になる男だ」
そんな状況の中、炎が突然そんなことを言った。
……
……
……
「……は?」
思わず呆けた声が出る。何言ってるんだこいつ。
聞き間違い? 私の耳が熱でおかしくなっただけ?
……夫?
「おいおい、驚くのは分かるが、そう口を開けないでくれよ。俺の妻になる女が。少しはしたないんじゃないか?」
「…………は?」
妻? じゃあ聞き間違いじゃないの?
どういうこと? 私を殺しに来たんじゃないの? 追手でしょ?
「言った傍から……まあ仕方ないか、まだ子供だしな。これからゆっくりと教育すればいい」
「……おい、どういうことだ」
ログが男に質問する。
そうだ、それが聞きたかった。何だこいつ。
「うん? それほど不思議なことを言っているか? 俺はただ――リーヤお嬢様を妻にしてレインフォース家の当主になろうとしてるだけだが?」
「……え?」
当主? レインフォース家の?
「な、なにをいってるの?」
「ははは、不思議なことは無いだろう? なにせ、今あの家の中がどれだけめちゃくちゃになっているのかはお嬢様のほうが良く知ってるだろうに。その混乱に乗じて、俺が当主になってやろうってだけの話さ!」
「――」
「広大な土地を持つデカい貴族家が内側の争いで荒れてるって言うんだ。そのチャンスを生かそうとするのは男として当然のことだろ?」
……当主になるために、私を妻に?
それは、言ってることはわかるけど……でも、そもそも――。
「――そんなこと出来るはずない。私を妻にしたところで、私は後ろ盾も何もないのに」
「だからその後ろ盾に俺がなると言っているんだ。大丈夫、俺が全部やってやるさ。お前は何もしなくていい」
と、渦を巻いていた炎が薄れる。そしてその隙間から男の顔が見えた。
ニヤニヤと笑いながらこちらを見ていて――。
――ぞくりと、背筋に寒気が走った。
「――何もせず、お前はただ俺の子を産めばいい」
男は、気味の悪い声でそう言った。
ドロリと濁った瞳が私を見ている。
歪に吊り上がった口が舌なめずりしている。その視線が私の顔から下へと下がって行って――。
「……………………ひぃ」
喉の奥で悲鳴が上がった。
怖い。本能的な恐怖が体を貫く。呼吸が止まってしまいそうなほどの怖気が走っている。
なんだこれ。いや、分かっている。これは性欲だ。私は今そういう目を向けられている。元男だからわかる。でもこの体は知らない。知らないものを向けられた。
――怖い、嫌だ、気持ち悪い。
脳がめちゃくちゃになりそうな、理性ではわからない恐怖がある。背中を大量の虫が這っているような気分。
「はは、怯えた顔も悪くないし楽しめそうだ。俺が今日からしっかりと教育して……」
耳から入ってくる声が怖くて、気持ち悪くて。……逃げたい。でも足が震えて動かない。
体が怯えている。足から力が抜けて、その場に尻もちをついて――。
「……あ? 何だお前」
「黙れ」
――でも、気が付くと目の前に背中があった。
それはこの数日、私の傍にずっとあったもので。
「聞くに堪えん。口を開くな屑が」
「……あ? 言うじゃねえかてめえ……聞いてんぞ、お前奴隷だろ? そこのお嬢様に買われた奴隷騎士」
その背中を見ていると、段々と心が落ち着いていく。
そうだ、ログは私の奴隷で、味方だ。彼がいる。彼が守ってくれる。守ってくれた。あの時、屋敷からちゃんと逃げ出せた。
「ははっ、笑わせるぜ雑魚のくせによぉ!」
「……え?」
……雑魚?
「知らねえとでも思ってんのか!? てめえ雑魚だろ! なにせ戦争の捕虜奴隷だもんなあ!」
「……」
「いいか? 捕虜奴隷の騎士に強い奴なんていねえんだよ! 復讐されたら困るからな!」
……ログは確かに戦争の捕虜奴隷だ。そう聞いた。
あの奴隷商はたしかにそう言っていたはずだけど――雑魚?
「奴隷にするってのはな、要するに民間に流すってことだ! 強い奴にそんなことして、残党に買われたり、いつか解放でもされたらどうする? 復讐しに帰ってきたらどうするんだ!? 危ねえだろうが! だから、強い騎士ってのは必ず殺されるか軍の管理下に置かれるんだよ!」
「……」
「そうされてないって時点でてめえは雑魚なんだよ! わざわざ帰ってきても何の意味もないと認められた雑魚! それがてめえだ!」
…………それは。
……それは、たしかに筋が通っているような気がした。
言われてみればそうだ。強い人間を奴隷にするなんて危ないような。
……でも、あの日見た銀色の輝きは。
「……だったら、試してみればいい」
「あ?」
「俺が雑魚だと言うのなら、殺して見せればいいだろう。その御大層な炎を使ってな」
「――」
一拍の空白があった。
そして、その次の瞬間――。
「――言うじゃねえか」
炎が吹き上がる。
それまでよりもさらに高く天に向かって伸びる。
「そこまで言うなら殺してやるよ! 俺の『天焦剣』を使ってな!」
「……」
「冥途の土産に教えてやる! この剣は迷宮都市で見つかった最上級の魔道具! 持つものに天を焦がすほどの炎を与える宝剣! ありとあらゆる敵を焼き尽くし、蹂躙するこの炎を耐えられる奴なぞいるわけがない! 神をも殺すこの炎に焼かれて死ね! 奴隷騎――」
――パキン、という音がした。
「……は?」
……………………あれ?
音と共に、急激に炎が薄くなっていく。
真っ赤に染まっていた視界が色を取り戻していく。
「……へ?」
男の呆然とした声。
それまで体を覆っていた炎は消え、下腹が膨らんだ小太りの男が中から現れた。
――カラン、と音が鳴る。
見ると、豪華な装飾がされ、しかし半ばから断たれた剣がログの傍に落ちていた。
「………………へ?」
男が呆然とそれを見る。
そして、何を思ったかフラフラとその剣へと近づき――。
「――――ぅぼぇ」
ログの拳が男の顔にめり込んだ。




