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後編

『あねうえさま』


 祖国の幼い妹の姿が声が、頭と耳に蘇り過ります。


 早く、速くはやく……効いて。物語にある様に直ぐ、とはいかないのか、飲み干したそれを、無様に落とすことも無く、ゆっくりと、白いクロスが敷かれたテーブルに戻す時間が有りました。


 ドクンドクン……、ざぁざぁと嫌な音が、身体の内から耳に響いて来ます。わたくしであり、わたくしでない奇妙な感覚へと、ジンジンと痺れと共に進んでまいります。


 何なのでしょうか、手も足も身体も何処もかしこも、おかしな事になっていきます。どうすれば良いのでしょう、どうすれば……。


 ガターン!


 側に居られた殿下が椅子を蹴倒して、立ち上がられたのか、大きな音が突然に耳に入り込みました。そしてわたくしを力の限り、抱き締めて下さいました。


 声なき声で泣かれている殿下。熱い鼓動が伝わってまいります。息が詰まるような胸の苦しみ、痛いような痺れに、殿下が身体を押さえて下さらなければ、無様な姿を見せていたでしょう。


 声が……まだ聞こえてきます。耳は……、ザーザーとしながらも、動いている様子。


「殿下、ご心配なさらずとも、この薬は即効性でございますが、四肢の力がゆるりと抜け、ゆるりと呼吸が止まるという一服、貴賓に与えられる、大変貴重なお品、血を吐いたり、無様に悶苦しむ事はありません 眠る様に終えられます、王妃様のように」


 ああ……そうですの、それは良かっ……たですわ。殿下、殿下、苦しくて、痛くて、切なくて、哀しくて……、助けて欲しいと声を出したいのです。


 でもガクガクと全身が震えて、痺れるのがますます酷くなり、何もかもわからなくなって、行っておりますの。


 頬に当たる殿下の涙のそれも、よくわかりません。声も何も、ただ……愛おしい香りが、わたくしの鼻に届いているだけです。


 そして……一度ふっと気が遠くなりました。その時、その中で、今際の際の夢を少しばかり見ました。魂が離れた様な心持ち中、たゆたゆとしつつ。



 ――、「あねうえさま、お花がさきました」


 お気に入りの装いに、ふっくらとした頬を薔薇色に染めて、ご機嫌なアリシア。


「貴方がお世話をしたお花なのね、わたくしに見せてちょうだい」


 朝の庭でわたくしが差し出した手を、嬉しそうに握る妹のあどけない姿。


「あちらです。みてくださいな」


 桃色、白、紫、黄色、赤……香り高く咲き誇る花の庭。わたくしは、ドレスの裾を少しばかり上に引き上げて、


 まだ裾引かぬ年のアリシアは、かかとの低い靴で、綺麗に敷かれた石の上を話をしつつ、仲良く進みました。


「おねえさまは、おとなりにいかれるの?」


 ええ、そうよ、と答えました。見上げてくる彼女は、頬を膨らませて、そっぽを向きました。彼女なりに、否を唱えているその横顔。


 王の娘として育ち、人々には微笑むようにと、厳しく躾けられたわたくし達。アリシアがそれに背いて、初めてわたくしに見せた素顔。


 指折り数える歳月でもないのに、遠い遠い昔の様……あの子のお誕生日もまだ、迎えていないというのに。




 ――、熱く冷たく、暗く明るく、苦しく楽に、広く狭く狭く、狭く閉じていくようなモノが、夢に水を差し、チクチク、ピリピリ、ジンジンと。あちらこちらが痛み、焼けて、ガンガンと頭に強い痛みが走ります。



 ザザザザとキィィン音が耳に潜り込んだかのような今、腕の中にいるのにも関わらず、殿下の声は聴こえません。生きてと伝えたい、貴方のすべき事をなさってと、わたくしの事で動かないで、と言い残したいのに、声は出ません。


『あねうえさま、お花をみてくたさいな』


 アリシア、アリシア、わたくしを許して、貴方の国は敗国となる。最早避けられない。神の試練か悪魔のお遊びか、大きく奇妙なモノの力が、わたくし達が住む世界に、一石を投じたのです。


 知らぬ内に投げ込まれたソレ、波紋は静かに知らぬ間に、大きく大きく広がってしまった。何も出来きなかった。早くに気がついていれば、殿下と共に、陛下を諌める事が、出来たかもしれない。 


 陛下に言われた言葉が、今も尚、わたくしの心奥深くに突き刺さり、ドクドクと血を噴き出しています。


『そなたは皇太子と仲が良い、愛し合う夫婦は美しい。しかし、それは立場による。同盟の為に、他国から嫁いだそなた。疑心を生む行動にも取れる。王子を骨抜きにし、そなたを通じて頃合いを見計らい、この国を乗っ取るつもりなのか?そなたの父王は』


 ああ……そんな事は御座いませんと、幾度も打ち消しましたのに。殿下が仲裁に入られると、ますます拗れてしまい、気がついた時には、もう、どうにもならなくなってしまいました。


 何か大きなる力に動かされている様に、理不尽極まりないそれに、逃れる術は御座いませんでした。


 殿下と共に甘い夢を見てしまったのが、いけなかったのでしょうか。静かにこのまま、夫婦として過ごす事を、願った事がいけなかったのでしょうか。


 王族の婚姻である事を忘れたかのような、穏やかで甘やかな日々が続けばいいと、神に願った事がいけなかったのでしょうか。


 国をおさめる殿下、それをわたくしは手伝いながら、子供を産み育てて……そして先に進んでいく。そんな淡い幸せに酔ってしまったのは、もしかすると、いけない夢だったのやもしれません。


 そう……、わたくしに課せられた事がありました。五感を研ぎ澄ませて網を張り巡らせ、両国の礎を支えることを、少しばかり怠ってしまったのです。


 土にまみれ働かずとも、花と絹と宝石に包まれる暮らしは、大きなる責務を果たす事により、成り立つ。それを少しばかり忘れてしまってたのかもしれません。


 今となってはもう、何もかもわからぬ事ばかり。



『あねうえさま、とってもきれいです』


 アリシア、アリシア、出立の朝、わたくしに自分で摘んだ花を、はにかみながら手渡して来た幼い妹。敗国の王族が生き残る道は……。


『あねうえさま、またおあいできますか?』


 手わされた時、妹に身を寄せたわたくしに、背伸びをしながら、ヴェールの中に顔を入れ、こっそりと囁いて来たアリシア。


 ごめんなさい。ごめんなさい。アリシア。ごめんなさい……殿下。ごめんなさい、至らないわたくしを、そのままに愛して下さり……、わたくしも短い日々でしたが、とても幸せでした。そう言いたいのに、何も出来ないわたくし。



 ――、熱く冷たく、暗く明るく、苦しく楽に、広く狭く狭く、狭く閉じていくようなモノが、夢に水を差し、チクチク、ピリピリ、ジンジンと。あちらこちらが痛み、焼けて、ガンガンと頭に強い痛みが走る様。


 どこもここもどろりとして来ました。もう、本当、に、何もか、も……、わからなくなりま、してよ。神の御手が………、ようやく、不甲斐ない……わたくしに、御慈悲をお与えに……来られのでしょうか。


 ザァザァ、ギーギー、キィーンと細く嫌な音が大きくなり小さくなり、大きくなり、小さくなって。


 狭く狭く、狭く、黒く、くろくなり。途切れ、途切れに、目が覚める時と、ぼんやりした時を繰り返します。


『あねうえさま』


 あの子の声が……、すぐ側で聴こえた気がしましたの。


『とってもきれい』


 あの子の声が……、本当に、すぐ側で聴こえましたの。


『あねうえさま、また、おあいできますか』


 わたくしは……、涼やかなその声に応えましたの。


 ごめんなさいね。と……、殿下の、暖かな腕の中で。


 さようなら、と。ごめんなさい、アリシア、出来ることならば……生きて。何処か……で。


 しん……と音が聞こえなくなりました。縛られていた物が、スルスルと解かれ何もかもが、楽になっていきます。そして……何もかもが消えて逝くのです


 わたくしの想いも、悲しみも、愛も、怒りも、喜びも……全ては夢と言わんばかりに。



 終。


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[良い点] あああ なんと甘露な 美味しゅう御座いました〜♪
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