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前編

 穏やかな午後の時でした。その日、わたくしは独りその時を待っていたのです。突然に皇太后様のお呼びがかかりました。そう……独りにならぬ様に、ご配慮頂いたのです。


 この国に嫁いでからはや半年、朝夕の礼拝堂に向かうとき、外に出れば突き刺すように、冷たく頬にあたっていた風は、柔らかく包む様な物に変わっております。


「そなたが嫁いで来られてから、半年がきましたね」


「はい、皇太后様にはご厚情頂き、ありがとうございます」


 儀礼的に返事をいたしました。ここに来れば、普段はお祖母様とお呼びする様、お許しを得ておりますが、今日は来賓のお方が、同席しておられます。


 剣の刃、その切っ先様な剣呑な光のお色を、瞳に宿しておられるお方様です。黙ってお茶をゆるりと飲んでおられます。時折、恐る恐ると侍女の一人が、焼き菓子の皿を勧めますが、手を振りお断りになられる殿方。


 わたくしは失礼の無いように、視線を些か下に向けます。胸元の勲章は、この国の王にお仕えする証のそれが

 鈍く光っております。


「ほほほ、仮にも皇太子である孫の妃、隣国の王女として育ち嫁いで来たそなた。卑下する事もあるまいに、ミランシャ」


 無骨な客人等気にする風もなく、何時もの様に柔らかくお喋りになられる皇太后様。わたくしの心を穏やかにとご配慮して下さっているご様子。


 それに、と言葉をお継ぎになられます。


「孫のセドリックと睦まじいのは、わたくしの元にも届いておりますよ、ほら、噂をすればなんとやら」


 侍従長に先導され、わたくしの夫である皇太子様が、少しばかり緊張をされているお顔を隠すかの様に、大きな花束を抱えて部屋に入ってこられました。


「ご機嫌麗しゅう御座います。お祖母様」


 そう礼を取ると、手土産のそれを差し出されます。何時もの様に、わたくしの隣に座られる殿下。同席されるお方には、座る前に軽く会釈をするのに、留められます。


 お声は、一言もおかけになられません。皇太后様もそう。わたくしもそう……。そして彼もそれに対して不服を申し立てることもなく、ただそこに座りわたくしたちの、一挙手一投足を、脳に焼き付け覚える様に、じっとご覧になられているばかり。


 まるでそれがお役目だと言うように。


「綺麗な花ね、ありがとうセドリックや、ほら、これをミランシャに……」


 侍女が受け取り差し出されたそれから、白い多弁な花を一本選ばれ、すっと抜き出されますと、差し出された皇太后様。


 意図することを察し、一瞬ためらわれ、そして……、何かを呟かれると、十字を切り受け取られた殿下。


「ありがとうございます。ミランシャ、少しいい?」


 そうお断りになられると、こっちを向いて、と仰られました、お言葉のままに従います。椅子から腰を浮かすと、身を乗りだされて、手にされた花をわたくしの髪にそろりと、手ずからお飾らになられた殿下。


「綺麗だ」


 青の瞳を少し潤ませ、くしゃりと笑顔になられました。それはまるで、泣き顔を隠す様と、わたくしには見えました。


「ありがとうございます、殿下」


 わたくしは花に手を当て、精いっぱいの笑顔を向けます。しっとりとした花弁は、瑞々しい香りを伝えて来ました。種類は違えどそれは婚礼の時、大聖堂に飾られていた花を、その時に手にしていた、リボンで飾られた花束を思い出しました。




 カラーン、カラーン、カラーン……



 午後の時を知らせる鐘の音が流れます。コホンと、咳払いをされるお客様。退席の時が来たと、無言で知らせてこられます。


「さめてしまいましたわ、せっかく陛下より、わたくしに下賜された茶葉ですのに」


 しん、と静まり張り詰めた室内、この場のすべての息遣い、ごくんと何かを飲み込む音、それらを振り払う様に私は明るく言いました。


 決めた事ですの、決めた事。わたくしがそう決めたのです。祖国に帰る事を選んだのです。


 よからぬモノに、とり憑かれ、善良なるお心を、お失くしになられたのでしょうか。それとも、最初からお考えに、なられていらっしゃったのでしょうか。


 婚姻よる同盟を結んだわたくしの祖国に、お義父上様であらされる陛下が、突然に叛意をお持ちになられたのです。


 その行動に忠言をなされた王妃様は、気狂い女の烙印を押され、塔に幽閉の処罰をお受けになられました。心ある家臣達は、叛いたと罪に問われ次々に一族郎党、弑されました。


 そして、陛下はわたくしに、先鉾として役目を果たせとのお言葉を投げたのです。


「そなたが向かえば、民人には手出しをせぬ事を、ここで神に誓い約束してやろう」


「ならばわたくしを使者として、向かわして下さいまし、父は戦を好みませぬ、きっと城を明け渡しましょう」


 意を決した言葉に、鼻先であしらわれた、愚かなわたくし。


「そなたは皇太子と仲が良い、愛し合う夫婦は美しい。しかし、それは立場による。疑心を生む行動にも取れる。王子を骨抜きにし、そなたを通じて頃合いを見計らいこの国を、乗っ取るつもりなのか?そなたの父王は」


 よからぬモノにお心を奪われ、邪に染まってしまわれたのでしょうか。婚姻よる同盟を結んだ事実は、紛い物だったのでしょうか。


 どろりと濁った目で、わたくしを見てこられた陛下、そんな事は御座いませんと、幾度も打ち消しました。そして殿下が聞きつけ、わたくしの味方になられたのが、悪い方向へと転がりました。


 わたくしはいつの間にか、理不尽にも、簒奪を企む者に成り果てておりました。そして、益々頑なにおなりになられた陛下は、冷たく仰られたのです。


「簒奪を企むそなたは皇太子に相応しくない故、明後日、国に送り返してやろう。しかし手ぶらで返す訳にはいかぬ、よからぬ事を企んでいたとしても、だ。仮にも小国とは言え、一国の王女、何を見返りに選ぶのか見せてみろ、自分の価値はどの重さだ。祖国の民の命か、己の一族か」


 そう言われれば、わたくしに道は御座いませんでした。



 殿下はわたくしを見つめたまま、動きそうになられるお身体を、必死で堪えていらっしゃいます。何も出来ぬわたくし、お義母上様のお力添えも叶いませんでした。


 仕方ありません、これが神のご意思なら従うまで、そう言われ罪人の様に、連れて行かれたお義母上様……。


「ミランシャや……」


 手にした茶器をぼんやりと眺め、思い耽ってしまいました。皇太后様の声が、こちらに引き戻して下さいました。


 急がなくてはなりません。わたくしの決意が揺らがぬうちに。お優しい皇太后様のお気持ちが、再び動かぬうちに。



 細かな草花が描かれ、金の蝶が飛ぶ模様、わたくしのお気に入りの茶器には、お客様が陛下の命により運んで来られました、甘い香りの琥珀色したお茶が、半分程入れられております。


 これは飲めば命が無くなる代物、陛下からの賜わり品。わたくしがここに嫁いだ時には、既にご乱心されておられましたの。今のこ有様(ありよう)は、神の思し召しなのか、それとも悪魔の声に耳を傾けられたのかは……もう、誰にも分かりません


 殿下の声も皇太后様のお話しも、受け入れられぬ陛下、お二人は、親と息子としての繋がりのみで、命を永らえておられるとの噂。流石に、実母と息子を弑する事は、躊躇いを持たれておられるのでしょう。


 それを逆手に取られ、孫である殿下にお力を貸し、動こうとなされた、凛々しく雄々しい皇太后様。


「何に唆されたのか、ろくでもない息子に成り果てた、これはわたくしの責務」


 熱いお二人を止めたのはわたくし。敗国の王族の行く末を知っているのに……。あの子を見捨ててしまった。


 既に祖国は孤立しており、援軍は来ぬ情勢、助命を求める祖国からの文を密かに、陛下直々に突きつけられたあの日。


「目溢しをしてやろう、王子が母上と共に何やら企んでおると噂がある。さあ!どうするのだ」


 息子による弑逆。内からこの国の瓦解。それはなんとしてでも、防がなくてはなりません。わたくしは既に、この国の皇太子妃なのですから。


 もし……この国が政情不安に陥れば、今手を組んでいる諸国や敵対する国々も、これ幸いと攻め込んで来ることでしょう。そうなればこの国も祖国も……


 そう、両国を考えなくてはならないのに、なんという体たらく。不甲斐なさに、茶器を持つ手が無作法にも、少しばかり震えます。



『あねうえさま』


 声が過りました。ふらつくわたくしの弱い心。


 そんな躊躇いを読み取ろうとする、お客様の鋭く穿った視線。手の中の器を軽く揺らすと、祈りの言葉を呟き、十字を切ると、一息にぬるいそれを飲み干しました。


 ああ、神よ、せめて最後の姿は無様にならぬ様、お助けくださいまし。


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