94話◇騎士は暴く
ちょっとした正装に着替えたのはマリアと食事をするために必要なのであって、指輪を外していることに深い理由はない。なんとなくだ。
「サム、髪型はおかしくないか」
「そのお姿なら例えおかしくても様になりますからご安心ください」
サムはずっとこんな調子で取り合ってくれない。私はこんなにも気にしていると言うのに。
ダイニングルームへ行く前にマリアの部屋に迎えに行く。コンコンとノックをして声をかければ、中から深緑のドレスを身にまとったマリアが現れた。指輪をしているから特別美しいわけではないのに、どうにも胸があまく痛む。森にいた時のマリアがとても綺麗だと思ったからドレスの色は深い緑色にした。彼女のウェーブがかった赤い髪がよく映える。胸元が大きく開くのはイブニングドレスの仕様なのだが、マリアはそこにシルクのスカーフを上品に差しこんでいたのであの視界の暴力である谷間は見えず安心した。
「あら、素敵よヴィンセント」
「おまえも似合っている」
「うふふ、ありがと」
腕を差し出せばマリアは迷いなく手を伸ばす。エスコートしながらダイニングルームへ行けば、すっかり準備が整っていた。モルツは料理の仕上げ、給仕はサムがしてくれて、もう一人の使用人は部屋の隅で楽器を弾いてくれていた。ゆったりとした弦の響きがよい雰囲気を醸し出している。
「まあ、なんて贅沢なの」
席について、私たちは食事を大いに楽しんだ。商店街で買った魚はメインのソテーとなってテーブルに運ばれた。マリアは「とってもおいしい」と喜んでくれた。デザートにはカカオのソースがかかったフルーツが出てきて思わず厨房をにらむ。モルツめ、気を効かせたつもりかもしれないが、手の内を知られている相手に振る舞うのはけっこう恥ずかしいぞ。
食事が終われば、楽器を弾いていた使用人がバルコニーへ連れ出してくれた。そこにはキャンドルがあちこちに並べられ、波の音と共に幻想的な空間ができている。陽はすっかり暮れているぶん、夜空の星が満遍なく輝いていた。
改めて流れ出した曲はワルツだった。これは踊りに誘えという計らいなのだろうか。
「……触れないと言っていたのに、結局なあなあになってしまった。許してくれるか」
「あたしは別に気にしてないわ」
マリアはそう言うと困ったように笑った。私としては騎士に復帰するまでと思っていたのだが、出鼻を挫かれた気分だ。今日だけは大目に見てもらうか。
「踊れるか?」
「うふふ、まだできるかしら」
右手を差し出せば、マリアはそれに手を重ねる。ワルツは三拍子。リズムを合わせステップを踏めばそれらしくなるものだ。マリアの腰に左手を添えて踊り出せば、ぐっと距離が縮まった。
「こんなふうに女性をダンスに誘う日が来るとは思わなかった」
「あなたが申し込めば大抵の女子は大喜びで受けるわよ」
「……その大抵の女性は目がギラギラしていて怖いぞ。ネズミを狙う鷹の目だ」
「言えてるわね、ふふっ」
「……」
深緑のドレスが曲に合わせてふわりと舞う。
軽快なワルツは次第にゆっくりと落ち着いたスローテンポになり、跳ねるような足取りは緩やかなものに変わった。二人だけの舞踏会は思いのほか楽しく、互いに顔を見合わせて笑い合う。しばらくそうして踊っていると、そして曲が変わり、別の音楽が流れ始めた。ダンス終了の合図だ。
「楽しかったわ、ありがとうヴィンセント」
「こちらこそ」
曲が終わり楽師が去るとサムがいれ替わりでやってきた。お茶を持ってきてくれたらしい。私はマリアの腰に添えた左手をなかなか離せずにいた。私が好意を込めた言葉をマリアはさらりとかわす。これ以上近づいてくれるなというマリアの態度に、胸が切なくなる。
おまえはなにを恐れている。
なにを隠している。
どうすれば守ってやれる。
「アドリアナ」
気づけばその名を呼んでいた。口に出してしまえば、その名はなぜか目の前の女性にピタリと当てはまる気がする。
しかしマリアの身体はそのまま固まってしまった。表情は強張り、目を見開いている。そして次の瞬間、マリアは逃げようとくるりと身体を反転させた。私は慌てて彼女を強く抱きとめる。
「行かないでくれ。お願いだ」
「はなしてっ」
今にも泣き出しそうなマリアの声に胸が苦しくなる。腕から抜け出そうともがく彼女がとても哀れに思えた。
「逃げないでくれ」
「いや、なにも聞かないで」
「なにがあっても私はおまえを傷つけない」
「そんなの嘘よ」
「アドリアナ」
その名を呼ぶと、観念したのかマリアは動かなくなった。腕の中にいる彼女を決して逃すまいと私は抱き込む力を込める。
「……おまえがアドリアナ・マリア・ガルブレースなんだな」
クライブの話を聞き、マリアの身の上を知れば知るほど、この二人は同一人物なのではと思い始めた。通常では考えられないことだ。アドリアナの年齢は相当なものなのだから。しかし恐ろしいことにそれだとあちこちに辻褄が合う。マリアが隠し通したいと思うのだって仕方がない。もはや人間の域を超えているのだから。自分は人ならざる者だと、いつの日かそう言っていたマリアを思い出し、胸が苦しくなった。温かい雫がぽたりと腕に落ちる。これはきっと彼女の涙だ。泣かせてしまった事を申し訳なく思う。だけどそれ以上に——
「例えおまえが何者であっても守りたい。おまえが私にしてくれたように」
ぽたり、ぽたりと雫が腕に落ちる。
彼女の涙は止まらない。
「……サム」
マリアが弱々しくサムの名前を呼んだ。なぜだ。なぜ、私ではなくサムを呼ぶのだ。呼ばれた本人は目を丸くしていてマリアを凝視していた。
「ねえサム、おねがいよ。あたしを殺してよ」
おねがい、とひたすらサムにすがるマリア。また私の腕から逃れようとする姿に、言いようのない怒りがこみ上げてきた。
「だめだ。そんなの絶対に許さない」
「いや。おねがい、死なせて」
「ならその命私がもらう!」
マリアの顔をこちらに向かせ、無理に唇を奪った。涙で濡れたマリアの唇は柔らかく湿っていた。二度、三度と食むように唇を重ねれば、マリアの身体から次第に力が抜けていくのがわかった。顔を離すと、マリアは目を泳がせて真っ赤な顔をしていている。
「……キ、キスしたわね」
「私は初めてだ。責任とれ」
「はぁ?」
「もう一回するか?」
マリアはすごい勢いで首を横に振った。そんなに嫌がらなくていいじゃないか。しかしようやく観念したのか、力を抜いてくったりと身体を私に預けてきた。
「……バケモノなのよあたし」
「ああ、バケモノみたいに美しかったな」
「自分が何歳かわからないの」
「いつまでも若く魅力的なままだ」
「バカじゃないの」
「おまえに会ってバカになった」
「なによそれ」
「あきらめて私を側に置け」
怒ったように頰を膨らませたマリアだったが、しばらくにらみ合いをするとふっと顔をほころばせた。困ったように笑うと、ぽろりと涙をひとつこぼす。
「ほんと、どうしようもない人ね」
……受け入れて、もらえたんだろうか。諦めに近いだろうがマリアはもう私から逃げようとも、拒否しようともしなかった。そのことに大きな安堵を覚える。
「ひとりで抱え込まなくていい。私がいる。難しいことは二人で考えよう」
「……ヴィンセント」
私の身体に腕を伸ばし、マリアはぎゅっと抱きついてきた。
「ありがとう」
彼女が小さくこぼしたその言葉。どうしようもない幸福感に包まれ、私はそれを一片も逃すまいとマリアの身体をまた抱きしめた。
◇
「……お二人様、もうそろそろお離れください」
とんでもなく怖い顔のサムがベリッと私たちを引き剥がした。マズい、成り行きとはいえ節度ある男女の距離というのをはるかに超えてしまっている。私は背中にヒヤリとしたものを感じた。
「おい貴様。また性懲りもなく若様にベタベタ引っ付きおって。調子に乗るなよ」
「え、あたしが悪いの? わりとヴィンセントのせいな気がするんだけど……」
「この際いろいろと聞きたいことがある。洗いざらい吐いてもらうぞ。……また両手両足縛られたくなかったら逃亡しようなんて考えるなよ」
「わ、わかったわよ」
腰が引けているマリアはそのまま近くにあったテーブルの椅子にぽすんと腰をかけた。
「サム、そんなに言わなくても」
「お二人にとって大切なことです。魔女様がどういう秘密を抱えてらっしゃるのかを知らないと我々もお守りできません」
サムの真剣な瞳が切に訴える。
「……若様が大事だと思われる方なら、私もそうしたいのです。だから知りたい。なにを抱え、なにを隠し、なにを考えているのかを」





