63話◆魔女はおどろく
チューイチューイと朝なき鳥の声で目が覚める。
「……ん?」
まだ部屋の中は暗い。だけど違和感で一気に脳が覚醒する。なんで私、ベッドで寝ているの。椅子にもたれて寝ようとしてたはずじゃ……。身動きをとろうとすると、身体に絡められたなにかが逃すまいと引き寄せる。ここは私の部屋で間違いない。そしてこの部屋にいるのは私とヴィンセントだけだった。私の背後にぴたりとくっついた熱の塊は、もしかして。
「ヴィンセント?」
どうにか腕の拘束をゆるめて身体を反転させると、すぐ目の前にヴィンセントがいた。私の声かけにもぞもぞと動いたかと思うと、無駄に大きな胸にヴィンセントの頭が埋まる。
「あ、こら、ちょっと。起きてってば」
大声をあげそうになるのを必死にこらえる。こんなのだれかに見られたらたまったもんじゃない。肩をたたくけど、身じろぎするだけで起きてくれない。むしろスリスリと頭を胸に埋めて来るのでなんとも言えない感覚が込み上げて来る。もう、私より背丈が大きな男がなにやってんのよ。
「ヴィンセント、ねえっ」
語気を強めに言ってもぎゅっと私を抱く腕が強くなるだけだった。寝ぼけて私をテディベアかなんかだと思ってない? いい加減くすぐったいからやめなさいってば。
「——リウ。今すぐ起きなさい」
ぱちり。そんな音が聞こえそうなくらいにヴィンセントの目が開いた。キレイな顔した彼の上目づかいに一瞬だけ心臓がキュンとなる。顔がいいって得ね。彼は目を開けただけで動かなかった。そこのポジションどうにかしてよ。埋もれたままで息苦しくないのかしら。私は頬づえをつき、見下ろすようにヴィンセントをにらんだ。
「どうしてあたしはここで寝てるのかしら」
「……お前が休めないと思って」
「ええ、おかげでグッスリ眠れたわ。百歩譲ってそれはいいとして、なんであたしに巻きついてるの」
「冷たくて気持ちよかった」
冷たいもなにも私はちゃんとふつうの体温よ。あなたが高いだけだから。ヴィンセントの必殺上目づかいでつい許しそうになる気持ちをグッとこらえて、私はヴィンセントの耳を強めに引っ張った。
「ベッドに女の子を引っ張りこむのは感心しないわ。あなたそういうのちゃんとしてたじゃない」
「おまえは魔女だ。女の子じゃない」
「な ん で す っ て 」
キリキリとさらに引っ張ればそれから逃げるように胸に頭を押し付ける。それはくすぐったいからやめなさいっての。
「……はあ、悪さする元気が出てきたのは喜ばしいのかしらね」
それにしてもちょっと気をゆるし過ぎじゃない? さすがに誘拐犯みたいなことはしないけどあなたはもっと警戒心を抱いた方がいいわよ。
「まったく。私が悪い魔女だったら食べられてるわよ、あなた」
私は引っ張っていたヴィンセントの耳を離してするりとなでた。それからゆっくりと近づき、耳元で「離しなさい」とすごむと私を拘束していた腕がゆっくり外される。
だんだんと空が明るみ始めた。私がベッドから抜け出すとヴィンセントが捨てられた子犬のような瞳で見上げてくる。きれいな緑色は熱のせいか潤んでいた。
「……おまえの身体は大丈夫か? 疲れてないか」
「ぜーんぜん平気よ。だからあなたも早く元気になりなさい」
うふふ、と笑顔を向けて私は自室を出た。
◇
どれから手をつけようか。まずはおなか空いたから朝ごはんが食べたい。台所をあさるとパンや卵などの食料品がたっぷりある。そういえばヴィンセントが作ってくれたフレンチトーストは美味しかったな。そうは思っても再現しようなんて気は起きずに、いつも通り豆と麦を鍋に放りこんで煮ていく。下屋にいってもうひとつ火鉢に火を入れる。ゆで玉子ぐらいは作ろう。今この家には人が多いもの。
「おはよ、師匠」
ボケーっと鍋の中を見ていたら、いつの間にかフィリップが来ていて声をかけてきた。
「おはよう。ちゃんと休めた?」
「なかなか快適だったよ。いっそ住んじゃいたいくらい」
なにそれ、と笑いながら一緒に座り込んで卵がぐつぐつ煮えるのを眺めた。ふいに髪をかきあげられ、首すじに冷たい空気が当たる。
「アザ、消えてないね。ヴィンセントはなにも言わなかった?」
「暗かったし気づいてないわよ。話してないし」
「……師匠があのメイドに襲われた時、本当に肝が冷えたよ。もうあんなことしないでね」
「あたしもしたくないわよ」
ふふ、と笑ってみせると、フィリップは困ったように眉を下げる。あわい金髪がふわりと揺れる。朝日を浴びて光る彼の髪はとてもきれいだ。神秘的なものさえ感じる。
「ねえ師匠。やっぱり僕と結婚しない?」
グツグツ煮える卵を見ながら彼は言った。
「ごめんなさいね。朝イチのプロポーズはお断りする事にしてるの」
「もう、わりとマジメに言ってるのに」
苦笑しながら答えるとフィリップがスネた。そりゃあ確かに最初の求婚よりかはいくらかまともだけど。
「結婚はあたしから一番遠いものなのよ。誰ともする気はないわ」
「ヴィンセントから言われても?」
「ないわね」
優しくていい人だとは思うけど、貴族である彼とは絶対にしたくない。それは彼の人柄うんぬんではなくて、彼が背負うものが条件として最悪だということだ。
「言われてもいないのにお断りするって私もいい身分だわ」
なんとなく懐かれてるのは分かる。私も彼に気を許しているとこもあるし、いなくなったら悲しいくらいには大事に思っている。だけどそれとこれとは別問題。彼は貴族で跡継ぎだ。結婚の重要性は本人が一番に理解しているだろう。なら二人にとっても不幸でしかない。
「……ロイと話したの。彼は私の護衛から外されるわ。ことが起きすぎた。今はヴィンセントとは一緒にいない方がお互いのためだって結論になったのよ」
昨日、グスクーニア家から領城に戻った時に話がまとまった。ヴィンセントは体調が回復し次第、グスクーニア家が引き取る。そこから自宅療養を機に私の護衛から外すのだ。平穏を望むならこれが一番。周囲もピリピリしないし丸く収まる。ただ、寂しくなるだけ。彼はどう思うだろうか。少しは残念に思ってくれるのかな。
「あたしだってタダでは手放さないけどね」
鍋の中でぐらぐらと卵が揺れる。もうそろそろいいのかな。鍋を火から下ろしてザルにあげると、ほかほかと湯気をあげるゆで玉子ができあがった。
「あなたも今日は帰りなさい。疲れがとれないようだったら上で休んでるといいわ。午後にはグスクーニアのお屋敷から人も来るし、もう大丈夫よ」
そう言うとフィリップはまた困ったように眉を下げる。どうやら帰りたくないらしい。理由はなんとなくわかるけど。
「こんな研究材料にまみれた土地から離れるなんて、僕にはできない……」
「あなた仕事あっちにためてきてるでしょ。工房長も待ってるし、助手二人も困ってるわよ」
「うう。グラント、エミリー……!」
「大量の目玉茸と、生きた走り茸もあるのよ」
「帰る準備してくる」
変わり身の早さがおかしくて、去っていったフィリップの後ろ姿を笑いながら見送った。さあて、私ももう少し頑張らなきゃ。現金も手に入れたし、いろいろと後始末をしないとね。





