6話◇騎士は探険する
次の日、町外れを散策するので愛馬であるエリザベスに乗ってカポカポと歩いていた。エリザベスは身体が大きく、毛並みが美しいまっ白な美馬だ。そして気位が高く、私以外の人間になつくことは少ない。それはオス馬に対してもそうで、見合いは何度もするが一回も上手くいった事がなかった。確かにエリザベスに釣り合う馬はなかなか居ないだろうと、馬主の欲目で思ってしまう。今日は天気も良いので散歩にはぴったりだ。エリザベスが機嫌よく歩くので、私も幾分かリラックスしていた。
自分の屋敷ではないからゆっくり休めないかと思っていたが、食事は満足のいくものだったし、寝具も悪くなかった。相変わらず頭痛はひどいが疲れていたのか朝までぐっすりと眠れ、久しぶりに身体がスッキリとした気分だった。ただ騎士が珍しいのか私が珍しいのか、始終あびる視線だけはやっぱり疲れるものだった。
今日の目的はクライブ・カルマン。ギルドにブレスレットを初めて持ち込んだ男。聞くとこの男、ギルドには未登録であるもののよく魔草の買取を頼んでいたようだ。ギルドから教えてもらった道をひたすら進んでいくと、家が少なくなり、牧場や畑ばかりになってきた。のどかな風景だ。……黒々とそびえる魔の森がその向こうに見えていなければ。
この魔の森に怯える一方で、その恵みを甘受する。もし憂いがなくなり、人が自由に出入りできるようになったら、我々は森の資源を食い尽くすのだろうか。
道中、畑仕事をしていた農夫を見つけたので声をかけてみる。
「おい。すまんが人を探している。クライブ・カルマンの家はこの辺りか?」
農夫はギョッとした顔で私を頭から足先まで見て、かぶっていた帽子を手早くとると胸の前で揉んでいた。恥ずかしいのだろうか、モジモジとしながら答えるその様子は、先ほどまで大鎌を振りあげていた人物とは思えない。やめろ、頰を染めるな。
「へ、へい。あの三角屋根の家でさぁ」
あの三角屋根の家、と指さされた場所はさほど遠くではなかった。農夫に礼を言うと、エリザベスに揺られながらカポカポとゆっくり進む。本当に町外れだ。もう境目と言っていい。眼前には魔の森があり、かろうじて川という緩衝材が存在するだけだ。クライブの家はその川の近くに建てられていた。
「家に居ると良いんだが……」
近づいても人の気配は無かった。エリザベスを近くの木につなぎ、その背を撫でてやると嬉しそうに尻尾が揺れる。私は家の周りを軽く調べながら玄関の戸を叩いた。誰も反応せず、どうやら留守のようだ。手入れされた畑や果樹がある以上、長期間留守にしているわけではなさそうだが……。
仕方がないのでしばらくこの辺りをうろついてみることにした。エリザベスの手綱を引きながら川に沿って歩く。川幅はそんなに広くはないが3メートルはありそうだ。川上の方を見るとそこは魔の森に飲み込まれていた。ということはこの川の水はあの森を通過してきたということか。しばらくすると小さな橋が現れる。近くにかなり古びた木製の標識があった。文字はかすれているが、コンキースと書いてあるように見える。矢印を指した先、つまり橋の向こう側には集落か何かあるのだろう。標識のボロさとは反対に橋はしっかりした石橋だった。エリザベスと共に橋を渡ろうとして一瞬彼女がためらったが、鼻先を撫でて「大丈夫だ」と声をかけると大人しく着いてきてくれる。なんて頭のいい子なんだ。
歩きながら、なんと薄気味悪いところだと思った。荒れ放題の畑、朽ちた家。すでに捨てられた村だ。おそらく昔はある程度の人の営みがあったのだろうが、もう見る影もない。オマケに魔の森がすぐそこに迫ってきていて、まるでこの廃村を飲み込もうとしているようだ。聞いたことがない鳥の声が辺りに響き、エリザベスは不安そうに瞬きをした。
先日行った民芸品店の婦人の話を思い出した。人々が捨てた村。その理由は魔女だったか。しかし見た感じでは魔の森が原因のように見える。目の前には川、村の周囲をぐるりと囲みこむ魔の森。逃げ口はあの川にかかった石橋のみ。
荒れた道を突き進んでいたその時、不意に「ギャーッ」と悲鳴にも似た叫び声が聞こえてきた。男の声のように思えたが、いったい何事だ。怯えるエリザベスを叱咤し、速足で声のした方へ向かう。そこにあったのは一軒の家だった。しかし橋のすぐそばにあったような朽ちた家ではなく、まだ人が住んでいそうな、手入れのされた家だった。
エリザベスを近くの木へつなげ、腰につけていた革袋からドライフルーツを少しだけ取り出し彼女の口元へ持っていく。これは彼女が大好きなおやつだ。
「エリザベス、良い子だ。ここで待っていろ」
食べたのを確認してからその家へ向かった。戻ってきたらまた食べさせてやるからな。その間にもまた「ギィエーッ」と恐ろしい声が聞こえてくる。裏手の方だと思って、静かに足を運んだ。腰につけた剣はいつでも抜けるようにしておかねばならない。今日は騎士服の上に革製の胸当てと籠手、ブーツという格好で、動きやすさ重視の格好となる。少々防御には心もとないが胸当てには『護身』、籠手には『豪腕』のまじないが施してある。胸ポケットには屋敷の者が丹精こめて刺してくれたスカーフにも確かまじないがかかっていたはずだし、大人数に不意打ちで囲まれない限り、なんとかなる。
家の後ろは畑になっていた。そこに誰かが座っているのを見つける。叫び声の主はこいつだろうか。剣の柄を握りしめる手に汗をにじませながらゆっくりと近づくと、座り込むそいつは赤く長い髪の女のようだった。……こんな場所に、女?
「おい、お前。 大丈夫か」
声をかけた瞬間、女がぱっとこちらを振り向いた。私の存在には気づいていなかったらしく、その瞳が驚きで大きく見開かれた。
「……あなた、だれ?」
赤い髪の女が立ち上がる。年は私よりいくらか若いくらいだろう。その髪は秋の紅葉を想わせるような温かみのある赤だった。美しくもなく、かといって醜くもない、痩せた若い女。油っ気が少々足りないように見えるが、栄養が足りてないのかもしれない。着ている服は清潔感があり、貧しい生活をしているわけではなさそうだ。民芸店の婦人や娘がしていたようにエプロンには綺麗な刺繍がほどこしてあった。
私はひとまず敵意が無いことを示しながら、ゆっくりと歩み寄る。近くによると、女は意外と背が高いようだった。赤い髪に目が行きがちだが、私をしっかり見据える二つの瞳は宝石のような澄んだ空色だった。顔の作りは平凡そのものだが、その髪と瞳の色は美しいと思った。
「私は騎士ヴィンセント・グスクーニア。お前は……魔女か?」
風が止み、辺りがしんと静まった。女はじっと私を見ている。なんと答えようか迷っているように思えた。
「そう、ね。他人はあたしをそう呼ぶかもね」
女は顔をしかめて自虐的に笑う。うわさでは鬼婆だ醜女だ美女だと言われていた。そのどれにも当てはまらない赤毛の女。目の前のこいつは魔女であることを肯定した。いくらか悲しそうな澄んだ青い瞳に、ぐっと引き寄せられる気がした。
「ねえ。こんな所じゃなんだから、うちに入んなさいよ。お茶くらいだすわ」
魔女は、こともなげにそう言った。





