19話◆魔女はご機嫌をとる
おかしい。私は夕食の支度ができたと使用人さんに呼ばれたから部屋から出てきたのに。お坊ちゃんの機嫌も少しはマシになったのかなと思いきや、まったく治っていなかった。
テーブルには豪勢な料理。目の前には私を射殺せんばかりににらむ騎士さま。すでに使用人さんはいなくなり、この居間には私と騎士さまの二人だけだ。彼は腕を組んでいて、食べ始める気配が一切ない。私はひとまず食事の挨拶をして食べ始めたのはいいんだけど、彼は微動だにしなかった。
「……食べないと冷めちゃうわよ?」
うーん華麗なる無視。
言いたいことがあるなら言ってほしい。あ、もしかして私が「小うるさい」とか言ったから気にしてる? それとも熊さん騎士が欲しいって言ったからスネているの? あ、お腹空いてるからイライラしてるとか。
仕方がないので私は席を立った。そして椅子をずりずりと移動させ、彼の隣に座る。この椅子が重いのなんの。いい材木を使ってるのかしら。さすが高級お宿ね。騎士さまはさすがに私を至近距離からにらむような事はしなかったのでひと安心だ。
「ねえ、怒ってるの?」
「…………」
なーんにも答えてくれない。なので私は昼間の彼の真似をすることにした。名付けて餌付け作戦。夕食のメインであるミートパイをナイフとフォークで切り分け、彼の口もとに持っていった。
「…………」
ダメだ。食べてくれない。きっと近づけ方が浅かったんだ。今度は口に押し付けた。
「おねがい、食べて」
温かいうちがおいしいんだから。そう言うと、彼はぱくりと食べてくれた。ただ食べただけで腕組みは解いてくれない。仕方がないので二口目を切り分けて口元へ持っていく。時間はかかったが、先ほどよりは早く口に入れてくれた。よかった。おいしそうだったので、次の分はつい自分で食べてしまった。これお肉がジューシーでパイサクサクでおいしー。……いけない、これは彼の分だった。口をもぐもぐ動かしながら新たに切り分けて、次は彼に持っていった。
「…………」
また食べてくれない。私が使ったフォークはいやか。そりゃそうよね。納得して手を引こうとすると、食べられた。なんだ食べれるんじゃない。それからふた口彼にあげてひと口自分で食べるというペースで落ち着き、皿を綺麗にした。3分の1は私が食べている事になるのできっと足りないだろうと気を利かせ、自分の分を持ってくる。同じ作業を繰り返してもう一皿も空にした。ミッションコンプリート。
私はまた立って椅子をずりずり動かして自分の席へ戻った。さすがにスープは飲ませてあげれない。自分の分を頂いていると、騎士さまの視線が動いた。どうやら床をにらんでくれるようだ。うーん、少し機嫌が治ったってことかしら……
デザートの果物まで頂いたから私は食事を終了させた。騎士さまはずっと腕組みのまま動かないので、食べたのは私がせっせと口に運んだミートパイだけだ。のど乾きそうじゃない? 最後に席をたって騎士さまに果物を差し出すと素直に食べてくれた。きっと口の中パサパサだったのね。かわいそうに。早く意地を取っ払いなさいよ。
「おごちそうさま。今日も美味しかったわ。ありがとう」
「…………」
ダメね。まだしゃべってくれないわ。
「えーっと、あたし部屋に戻るから、ゆっくり食べてね」
そうよ、私がいなかったらくつろいでくれるかもしれないじゃない。
◇
部屋に戻って、用意してあった水とタオルで体を拭いた。髪も拭こうと思って手を伸ばすと、髪ひもが手に触れる。……そうか、朝つけてくれたんだっけ。なんだかんだ優しいのよね、彼。今日の話し合いは結局彼らに協力することにはなったけど、最悪な想定にはならなかった。内心緊張して吐きそうだったし、あんなふうに囲まれて怖かった。もしかしたらもっといい手があったかもしれない。でも理不尽な要求はされなかったし、私も協力してもいいと思うくらいの妥協点ではあった。きっと騎士さまが着けてくれたお守りのおかげだったんだわ。
ありがとう。それからごめんね。
……そうだ、荷物の中に糸もいくつか入れてたじゃない。簡単なお守りだったら作れる。私は思い立つと荷物の中からまじないの掛かった糸をひとつ取り出した。
糸は女王蜘蛛、下染は夜光蔓、上染は森蛇の血
1回に限りあらゆる物理的衝撃から自身を守る事ができるまじない『森の守護』。
これから護衛として仕事する彼には必要なものだろう。細い糸を6本より合わせ、それをさらに4本用意する。糸の端を結び重しをのせて固定した後、編み込んでひとつの飾り紐を作り上げた。装飾性は無く、機能重視のシンプルな構造だ。これなら着けても邪魔にならないだろう。
こういう作業でも意外と時間がかかる。部屋にこもって2時間は過ぎたと思う。夕食を頂いたのが7時過ぎだったから……
「……まだ起きてるかしら」
普通ならみんな寝入る時間だものね。もしかしたら寝室に戻っているかもしれないと思いつつ、出来上がったお守りを手にそろりと部屋を出てみた。
居間はもう暗かった。ごく薄く灯りがついているだけだ。これはもういないわね、と思った瞬間、彼を見つけた。リクライニングチェアに身体をくったり預けている。起きているのかしら。恐る恐る近づいてみると、眉間にシワを寄せたまま眠っているようだった。腕は組んだまま、だけど服はゆったりしたものに着替えてある。ここで朝まで過ごす気か。
「ねえ、風邪ひくわよ」
声をかけてみるけど反応はない。うーん、と少し考えてから、私はまず作ったお守りをこっそり彼に着けてあげることにした。組んだ腕の手前をゆっくり引き寄せ、飾ひもを手首にくるりと回す。
「あなたが無事でありますように」
勝手に巻き付けたら怒るかしらね。そうは考えてもやめる気は無かった。手首に一周させたあとかたく結んだら完成だ。出来ばえにホクホクしつつ、私は部屋に戻って毛布を取りに行った。
なんだか昨日と一緒だ。
私は床に座り込んで彼の膝にちょこんと頭を乗っけた。それだけじゃ物足りなくて、彼の腕を自分の肩に回す。うん、いい感じ。
「……巻き込んでごめんなさいね」
昨日は彼が心配で一緒にいた。今日は私がなんとなくそうしたくてくっ付いた。さらに怒られるかもしれないけど、あれだけ怒ってたんならいくらか増えても一緒よね。ただ今はあなたの温もりに触れていたいの。
「嫌だったら、その辺に捨てて」
お守りも、私のことも。
◇
名前を呼ばれた気がした。
抱き上げられて身体が揺れる。
朝起きると私は一人ベッドの中にいた。





