151話◆魔女はお見舞いする
赤い宝石のような瞳がゆっくりと瞬く。
「……マリア?」
鈴が転がるような少女の声。クイーンが目を覚ましたようだ。私を見るなり顔をほころばせるその様子に、思いのほか元気そうだと安堵する。真珠色の長い髪にかわいらしい目鼻立ち。その瞳はガーネットのように深い赤色で、ぱっと見は妖精のお姫さまのようだ。近寄って髪をなでると、おでこにある赤い六つの小さな石がキラリと光った。目に見える傷もないし、頬には健康的な赤みがさしている。さっき見たクライブよりよっぽど具合が良さそうだ。
「クイーン、急にいなくなったから心配したわ」
「ごめんねマリア。変なやつらが森の周りをウロついていたから、グラントたちが危ないと思ったの」
やっぱり危機を察しての行動だったらしい。おかげでグラントは無傷だったろうけど、本人はショックが大きそうだ。クイーンはそれを分かっているものの、理由まではピンときていないらしい。
「褒めてくれると思ったのに、ずっと悲しそうな顔してる。どうしてだろう」
グラントの方をチラリと見て小さくうつむくクイーン。私は彼女の頭をなでながらそれに答える。
「グラントはあなたが怪我をした姿を見て、とてもつらいんだと思うわ。あたしだって傷だらけのクイーンを見たら心配だし、悲しいもの。怪我はどう? 痛む?」
手足を動かしながら「んー」と顔をしかめる。添木をしてあるということは骨をどうかしているのかもしれない。
「まだ痛い。歩くのはイヤ」
「じゃあまだ安静にしてなきゃね」
しばらくは誰かの手を借りながら養生しなくちゃいけないだろう。そう言うとクイーンは「グラントにやってもらう!」と嬉しそうに笑った。
「グラントはそれでいい?」
「はい。しかし、何から何までとはいきません。俺は、男ですから」
沈痛な表情は変わらない。もしかしてグラントの負担になるかなと注意深く彼の様子を見ていたけれど、きっと大丈夫だろう。クイーンに怪我をさせたという負い目もあるけど、基本的には彼女を受け入れているように思う。クイーンが彼に抱くような熱量はなくとも、少しずつ歩み寄ってくれたらいいなと思う。エミリーも手伝ってくれるというので、引き続きクイーンの世話をお願いすることにした。
◇
クイーンの顔も見れたし、フィリップの様子を見に行こうかと思ったところで、ヨセフ先生に引き留められた。
「わしからもちょっと顔を見てほしいのがいるんじゃが」
いつもひょうきんなおじいちゃん先生が、珍しく神妙な顔をしている。いったい誰だろう。先生に案内されるまま、建物の中を歩くと突き当たりにある個室に通された。扉は布で代用してあり、石壁で仕切られたその部屋は薄暗く、窓から入るわずかな明かりがソファにかけた一人の男性を照らしている。
それは異様な雰囲気のギルド長だった。
表情が抜け落ちているとでも言うのだろうか、生気のない目がただ無意味に床を見つめている。いったいどうしたというの。「この人知ってる」と後ろから聞こえてきたので振り返ると、グラントにお姫さまだっこされたクイーンがいた。着いてきたみたいだ。
「ついにボケたのかと思いもしたんじゃが、それにしても様子がおかしくてな。言葉をかけるとわずかに反応する時がある。ちとマリアちゃんからも話しかけてやってくれんか。……おいローマン、おまえさんの大好きなマリアちゃんじゃぞ。じじ臭いところを見せてどうする。しっかりせんか」
憎まれ口を叩いても、ギルド長はなんの反応も示さない。私はギルド長の前まで行き、床に膝をついた。顔を覗き込んでもその瞳が私をうつすことはない。笑えば深まる目尻のシワはぴくりともしない。それが無性に寂しかった。まるで魂をまるごと引き抜かれたようだ。
「ギルドにいた時、賊に襲われらしい。フードをすっぽりかぶった奴に何かされていたらしいが……そこをローマンの秘書が助けだして、それからずっとこの調子じゃ」
膝に置かれたギルド長の手に、自分の手を重ねる。温かい。ちゃんと体温があって、脈もある。
「ギルド長、どうしちゃったの」
声をかけるとわずかに指が動いた気がした。
「あいつらに何かされたの?」
手を重ねてギルド長の指先を握った。硬くてゴツゴツして乾燥してて、人生の厚みを感じる。うらやましいくらいに素敵な手だ。
「あなたがいないと皆が不安だわ」
やっぱりギルド長はなんの反応も示さない。ヨセフ先生の大きなため息が後ろから聞こえた。きっと今までもこんな感じで少しだけ反応するものの、それ以上が見込めないのだろう。その時だった。
「マリア。その人、なにか術がかけられてる」
「え?」
その人の真ん中がなにかで覆われてる、と抱き抱えられたままクイーンが言った。赤い瞳を大きく見開いて、探るようにギルド長を凝視している。クイーンの目は全てを見通す。術と言われてもなんのことかサッパリ分からないけれど、彼女が言うのなら、それは真実なのだろう。地面を操った時といい、盗賊のやつらはいったいなんなの。
「少しずつ緩んできてる。さっきみたいに話しかけたりすれば、きっと」
きっと元に戻る。その言葉を信じて私はもう一度呼びかけてみた。立派な白いお髭をちょんちょんと引っ張ったり、大きな手をにぎにぎしてみても、ギルド長はまだ反応を返さない。見かねたヨセフ先生が腕まくりをした。なにか閃いたのかもしれない。
「荒治療じゃが、ちと試してみるかの……マリアちゃん、こいつのために協力しておくれ」
「あたし?」
「マリアちゃんじゃないと無理なんじゃ」
「この角度がいいかの、いやこっちか」言いながら先生が私をギルド長の前に立たせる。いったい何をするつもりなのだろうか。怪訝そうにする私に先生は「わしを信じろ」と深くうなずいた。いや、信じてるけど改めて言われたら嫌な予感しかしないじゃない。
準備ができたのか、ヨセフ先生がコホン、とひとつ咳払いをした。
「おいローマン。早く起きないと、マリアちゃんのおっぱいをもみもみするぞい」
先生の言葉にギルド長の身体がピクリと反応した。私もびっくりして先生を見たら、お茶目にウインクをする。……ああ、信じろってそういうこと。ギルド長の視界に入るように立たせて、紳士な翁を煽っちゃう作戦なのね。
「ぱふぱふもしちゃおっかのー」
指をわきわきとしながら先生の手が伸びる。これはフリよね。本当は触らないわよね。……なんかヨセフ先生、目が本気じゃない? もしかして私このまま胸もまれちゃう? ええ、マズイわよ、後ろにはサムがいるんだから。ヴィンセント以外に触られたらあとで何されるかわかんないわ。ギルド長ってば早く目を覚ましてよ! ねえ、ギルド長!!
「間近で見たらすごいのー……」
らんらんと目が輝くヨセフ先生の指が、もうすぐ胸に届く。なんとも言えない恐怖に涙目になりながら、私は気付けば口を開いていた。
「ローマン、助けて!」
「——いい加減にせんかこのエロじじいがッ!!」
ギルド長の張り裂けんばかりの怒声が聞こえたと同時に、グイッと腕を引かれ、気付けば私は誰かの背に守られていた。背の高さからしてサムだ。どこそことなく不機嫌なオーラを感じる。どうもこの状況に見かねて手が出たようだけど……え、私これ悪くないわよね?
「何を考えているんだヨセフ! マリアさんに謝れ! いいや謝っても足りん、ひと足先に冥土へ連れてってやる」
「ごめんのーマリアちゃん。でもタッチはしとらんよ。セーフじゃ、セーフ」
「そういう問題じゃないぞクソじじい!」
首だけ出して様子を伺うと、ギルド長がヨセフ先生の首根っこをつかんで持ち上げ、何やら罵詈雑言を浴びせてらっしゃる。筋肉質な立ち姿はしっかりしていて、表情にもちゃんと感情がこもっていた。目だって怒りでギラギラしているから完全復活と言ってもいいだろう。私はほっと胸を撫で下ろした。いろんな意味で。
「正気に戻れたから良しとしてくれ。しかし、おまえさん何があったんじゃ」
ヨセフ先生が落ち着いた声でさとすと、ギルド長はひとまず先生を地面におろした。
「……わからん、少し記憶があいまいなんだ。少し時間をくれんか」
「急ぎはせんさ」
バツが悪そうに頬をかくと、ソファに深く座り直した。ヨセフ先生が脈を測ったり喉を見たりとギルド長をテキパキ診察していく。こうして見るとやっぱりお医者さんなんだと感心するわ。
「しばらく休んでおれ。そんで調子が戻ったら皆に顔を見せてやるといい。おまえさんがおったらそれだけで周囲は安心する」
「ああ。すまんな」
ギルド長とヨセフ先生が交わす言葉には長年の信頼と友情が滲んでいるようだった。
……ローマンか。
さっきはつい言葉に出てしまった。普段は呼ばないけど、ギルド長の名前がローマン・アオルだと言うことは知っている。なんとなく呼びづらくて今までギルド長と呼んでいただけだ。不思議と馴染みがある気がした。アオルというのは確か……
『フクロウという意味です』
いつかのローマンの言葉を思い出した。





