148話◆魔女は動き出す
朝が来た。
アルバートにフィリップを頼み、私とリースは行動をはじめる。所持品は少ない。身につけているまじないが数種類、小さな魔石が二つとセシルが以前くれた笛、それとフィリップの鬼灯だけだ。武器になるようなものは鬼灯だけで、それも直接相手を害するものじゃない。私が使っても相手を怯ませるのが限界だろう。でも無いよりマシだ。
「リース、まずは町へ偵察に行ってくれない? あたしはクライブの家に行ってみるわ。その辺りで合流しましょう」
『了解です』
リースと別れ、橋を渡って川沿いの細い道を歩き、クライブの家を目指す。道のすぐそばには雑木林があって、もしやこの茂みに賊が隠れてやしないだろうかと疑心暗鬼になりつつも歩みを進める。
クライブの家は妙に静かだった。窓は締め切られ、隙間には布を詰めて決して中を覗けないようにしてある。何かあったんだと瞬時に悟った。
玄関まで行き、ドアをノックしようとした瞬間、後ろに気配を感じた。
——誰かいる!
振り向く前に強引に鼻と口を手で覆われ、拘束された。そのままズルズルと後ろに引きずられる。声が出せないのはもちろん、息ができなくて苦しい。眼下にあるのは節くれた大きな手。男だ。しまった油断した、とほぞを噛むも時すでに遅し。酸欠に喘ぎながら人目の届かない家の裏手まで連れて行かれると、口元の手が離れる代わりに鋭利なナイフが突きつけられた。
身体が欲するまま息を吸えば、覚えのある匂いが鼻腔を抜ける。んん、これはもしかして……
「おいクソ魔女。どういうことだ」
「サム」
耳もとで掠れた低い声が囁く。それはヴィンセントの忠実すぎる侍従だった。主人が好きすぎて何かと私に突っかかる問題児が、この状況にご立腹のようだ。気持ちは分かる。だけどここまでやるとどっちが賊なんだか。
「あたしもよく分からないわよ。離して」
背後からがっしりと腕を回され、ナイフが私の首筋を狙っている。相手がサムなだけに怖い。案の定というか、私が真摯にお願いしても拘束は解いてくれなかった。仕方ないのでひとまず分かる範囲で状況を説明し、ヴィンセントは昨日から行方が知れない事を伝えた。もちろん、盗賊団の存在も。
だけどサムは何も言わない。
沈黙の中で感じるのは圧迫感と彼の体温。どうしたんだろうと思った瞬間、かつてこの侍従と交わした言葉を思い出した。
万がいちヴィンセントと恋仲になろうもんなら絶対阻止すると。無理やり既成事実を作ってでもとか何とか……それはないとしても、賊に襲われた体で私を抹殺されてもおかしくない。私とヴィンセントの雰囲気を察して……あ、もしかしてものすごくヤバいんじゃない、私。
「ねえ、この機に乗じてあたしを亡き者にとか、考えてる?」
頭上から舌打ちが聞こえた。
うわ、こいつ本気だ。
そう思った瞬間、首筋に熱い吐息を感じ、背中から頭の先までぞくりと震えた。捕食者に捕まった獲物の気分だ。お腹に回された腕の拘束が強まると、息苦しさが増す。
「サム、苦しい」
思わず哀願するような言葉が漏れる。
本当に今日が命日になりそう。
「貴様この件には本当に関わっていないんだな」
「当たり前、でしょ。どういう意味よ」
「……じゃあ、おまえみたいな奴が他にいるのか?」
深いため息をつくとサムはやっと拘束を解いた。意味が分からない。力が入らずに地面に倒れ込む私を、蔑むようにサムが見下ろす。「謝罪はせん」と悪びれなく言うと立ち上がる私に手を差し出す。まったく、優しいのか容赦がないのか。彼の思考や忠誠もろもろが主人であるヴィンセントへ極端に寄せているゆえの行動だろうけど。
「やつらが使う妙な術はなんだ。ああいう理解不能な現象はきさまの管轄だろう」
「妙な術……」
あの不思議な現象のことだろうか。聞き覚えのない言葉が放たれ、地面に足を喰われたかのように足首まで深く埋まった。
「まるで魔法だ。あいつらが何か手に持って呪文を唱えると、突然土がえぐれたり盛り上がったりした。手に持っていたのは木の葉に見えたが……」
木の葉と言われてはたと気付く。それが魔の森の植物なら何かしら不思議な力を持っていてもおかしくはない。……だけど、私はそんな使い方知らない。何かの言葉で魔草の持つ力を引き出しているのだろうか。そう言うとサムは顔をしかめた。役立たずと言いたいところを慮ってるんだろうけど、生憎ビシビシ伝わってるから。ごめんなさいね役立たずの魔女で。クイーンなら何か知っているかもだけど、今は彼女がどこにいるのかすら分からない。
「ヴィンセントはルキースから来た騎士の小隊と合流すると言って町へ行ったのよ。もしかして騎士隊に何かあったの?」
「……ウッドヘッド家直轄の大きなお屋敷が町にあるだろう。今は賊に占領されていて、騎士はそこに捕らえられている」
サムの言葉がにわかには信じられない。若様が心配なこの侍従はカルバートンで待機していたところに賊の襲撃のあい、自分は逃亡に成功したものの町はめちゃくちゃで、身を潜めて様子を窺っていたらしい。夜になって闇に乗じてあちこち様子を見て回れば、お屋敷に収監されている人々を見つけたとの事だ。
「不思議なのは捕らえられた者達に反抗の意思が見当たらなかったことだ。賊に対して従順に応じていたと言ってもいい。無駄に矜恃が高くてやたら若様に突っかかって来るあのフレドリック・コンスタンティンですら大人しくしていた。普通だったらあり得ないぞ。おまえ、なにか知らないのか。俺はそれがまじないの類いだと思ったから、おまえが裏で糸を引いているのではないかと疑ったんだが」
ちなみに私がヴィンセントを物理的に手に入れつつ、手下の賊を使ってこのカルバートンの覇権を手に入れるところまで想像が及んだらしい。いったいサムの中で私はどんな女なのか小一時間問いただしたいわ。
「あたしが知ってる限り、精神に作用するまじないはないの。でも相手の名前を使って『契約』で縛ることができるわ。契約内容によっては無意識に身体が動くレベルで刷り込みが可能になる。でも詳しくはまだ検証もしてないから分からないの」
仮に持っている魔力の量で効果に差が出るのなら、私は優位だろう。突き付けやすく、抗える。私より多いのはクイーンぐらいだ。
そう言えば、と思い出したのは森でのクイーンとヴィンセントとのやり取りだ。彼女は私の胸について答えるようヴィンセントに強要していた。
『答えろ、ヴィンセント・グスクーニア』
普段なら脅されようが何しようが絶対そんなこと言わなさそうな彼が、茫然としながらも答えていたのを私は見た。……もうヴィンセントったら、そんなふうに思ってたなんて恥ずかしいわ。
「ねえサム、試しにあたしの名前を呼んで、何か命令してみて」
「はあ?」
「同意が必要なのか、一方的な命令でも効くのか……魔力の有無でも違うのかもしれないけど、ちょっと調べたいの。付き合って」
できれば素直にウンと言いたくない命令でお願いね、と付け加えると、サムはこれまで見たことないような満面の笑みを浮かべた。この鬼畜相手に何を言ってしまったんだと後悔しても、もう遅い。やっぱり今のナシと言おうとしたら、鬼侍従がご機嫌に言い放った。
「マリア・ガルブレース。三回まわってワンと吠えろ」
「絶対イヤ」
よかった、セーフだ。身体も反応しないし、精神も操られていない。命令された内容にイラッともしたし、心身ともに健全だろう。私は勝ち誇ったように笑みを浮かべてサムを見あげる。すると彼は手を伸ばし、私の顎をその指先で持ち上げた。そしてまるで恋人を見るかのように甘くほほ笑む。あ、やばい。そう思った時には彼は人でなしの本領を発揮した。
「アドリアナ、三回まわってワンと吠えろ」
ミスター鬼畜はご丁寧に私の真名を使った実験にも手を出してくれたようだ。まったく、よく覚えてたわね。やってもらおうとは思ってたわよ? でもちょっとタイミングってものがあるじゃないの。私の思惑とは裏原に、真名を使った命令は効果があるようで『絶対イヤ』と先ほどのようには言えなかった。アホらしいと分かっていても、なぜかそれをしなきゃいけないような気がする。けど気力で踏ん張った。足は一歩も動かしていない。そうしているうちに強制力のような波が引いていく。よかった、なんとか耐えれた。そう思って口を開いたのはいいけれど……
「——ワン」
言った後に絶句した。思わず両手で口を抑える。サムも信じられないようで目を丸くした。
「これは……悪用されたらたまったものじゃないな」
◇
私の身体を張った検証の結果、その人の名前を使えば『契約』と『命令』である程度相手の行動や思考を縛ることができると分かった。
普段呼び合っている名前なら、相手の同意があれば『契約』が、真名を使えば多少理不尽な内容でも『命令』ができる。これはちょっと怖い。何がってサムに私の真名を握られているのが恐怖以外のなにものでもない。普通は真名は秘密にしておくものだから、そんなに脅威ではないのかもしれないけど。
「ヴィンセント達が名前で操られている可能性はあるわね。もしそうだとしたら、同じ方法で解除できるかもしれない」
魔力が多い方が命令に対する強制力も抵抗力も強いだろう。だったら私が適任だ。どうにか彼らのところまで行けたらいいのだけど。
「低俗な賊ごときが若様の名前を知っているのか? 仮に知ってたとして、同意できるような契約が提示できるかも甚だ疑問だ」
「真名は本人が言わないかぎり大丈夫よ。でもミドルネームや家名はどうにかしたら分かるんじゃないかしら。騎士の人たちだってそれなりに有名な人もいるだろうし。それに、町の人たちの命を盾にしたら同意せざるを得ない状況にはできるわ」
「さすが魔女。発想が卑劣だな」
「ふん、鬼畜従者に言われたくないわね」
あーだこーだ言い合っているうちに、カァとカラスの鳴く声が聞こえてきた。偵察に行っていたリースが戻ってきたようだ。





