143話◇騎士は求める
マリアが話の合間にスープを食べてもぐもぐと口を動かす。
「実際はギリギリの生活だったわよ。食糧も生活用品も足りないし、家はボロボロだったし。どうしても町に行って買い物しなきゃいけない時は、古びたベールで顔を隠したりしたけど、あれこそ魔女の姿だったと思うわ。擦り切れたローブにぼっさのさの髪、栄養不足の痩せた女。町の人はさぞ怖かったでしょうよ。おかげで橋のところにお供え物みたいなのがたまに置かれててビックリしたわ」
わざわざ行商が寄ってくれた時にはこれ幸いと買い込んだり、反対に物を売ってお金にしてもらったりしたという。……マリアの暮らしを想像したら切なくなってきた。いっぱい美味しいものを食べさせてやろう。服でもなんでも、それくらいの甲斐性はある。
「大人になったクライブと会ってからは、彼がいろいろと協力してくれたわ。それでやっと普通の人みたいに暮らせるようになった。彼には感謝しても仕切れないのよ。できればかわいい奥さんを見つけてあげたいんだけど」
マリアがチラッと視線をフィリップにやると、彼はすぐさま嫌そうに眉間にシワを寄せた。
「うちのエミリーはダメだよ。絶対いい奥さんになるだろうけど、ダメ」
「クライブはいい人よ。気が効くし優しいし、頼りになるわ。トーマスもエミリーのこと気に入ってるみたいだし。あたしと仲良しのご近所さんになれるのよ」
「それでもダメ。けど、エミリーがどうしても行きたいっていうなら……ああでも嫌だ!」
視線をやる意味が分からないと思ったが、そういうことか。フィリップはエミリーとグラントをことの外可愛がっている。嫁に出す父親の気分なんだろうな。
「もうこの話はおしまい。ところで、ひとつ不思議なんだけど、ヴィンセントに住民票調べられたってさっき言ってたよね。それってきちんと住民として登録してあるってことだけど……今まで徴収ってどうしてたの?」
へ、と間抜けな声をあげたのはマリアだ。初耳だと言わんばかりに首を傾げる。
「僕この国に来た時に説明受けたんだよ。住民として各町や村に登録したら、ある程度お金か現物を納める義務があるって。領都だけじゃなくて各地方を預かる子爵家もきちんと把握して管理しているはずだよ。そうだよね、ヴィンセント」
「……ああ」
その通りだ。子爵家の一員でありながらも騎士である為に詳しくはないが、住民としてその地域に住居を構えた者は一定の額を納める決まりがある。住民は徴収を受ける代わりに子爵家の庇護下に置かれ、そのお金は町を運営するのに使われる。道の整備や病院、集会所などの費用や、事業への投資だ。その地を預かる貴族の仕事のひとつにはその資金を上手に使い、町を発展させることがあるのだ。
「そう言えば両親が亡くなって何年かは払ってたかも。人が来て徴収票かなんか持ってきたわ。でもそれ以降は払ったことないわよ。家に来なかったもの」
「ここら辺は……確かウッドヘッド家だったかな。さすがに正式に登録された住民に何十年も無徴収はあり得ないと思うな。死亡により廃棄されたとかなら分かるけど……そうじゃなかったんでしょ?」
私は小さくうなずいた。サムが住民票を調べたがあの情報は間違いなかった。基本はその情報をもとに徴収員が自宅へ向かうものだ。彼らもそれが仕事だからきちんとこなすと思うのだが。
「もしちゃんと一年に一回徴収員が師匠の家に来てたら、年をとっても姿が変わらないことが世間に露呈してたかもね」
「そうね。きっとなにかあったんでしょう。あ、スープのおかわりちょうだい」
呆れるやら可愛いやら。碗にもりだくさんよそったスープをマリアに渡すと、とびっきりの笑顔になった。……徴収の件は気になるが、彼女の言う通り今考えても分からない。今は私の心の平穏の為にも、幸せそうに食べるマリアの姿を眺めていよう。
まだ完全に納得したわけじゃない。マリアの命を削るような事はできるならして欲しくない。しかし彼女がそれを望むだけの理由はあったし、理解もできる。なれば彼女の希望に極力寄り添うだけだ。単に危険なことは認めないし、無謀な実験も断固として阻止する。それ以外で危ないことをしないのなら、見守っていきたいと思う。
皆と一緒に歳を取りたいと願うなら。
その皆の中に私が入っていたのなら。
命をかけた願いに報いれるよう、私も精進せねばならない。ただ横にいて守るだけじゃダメだ。私が持っているもの全てを利用することが最善になる。例えマリアが嫌がったとしても。
◇
結局クイーンは夜になっても帰ってこなかった。完全に暗くなる前に近くを三人で探しまわったが姿は見つからない。時間が経つにつれマリアは不安がっていたが、これ以上勝手の分からない森を探しに行くわけにもいかないし、クイーンのあの能力があればあまり危険はないように思う。グラントに会いにいったという可能性も非常に高い。
暖をとるために三人寄り添って横になったのだが、真ん中がマリアなのでこれが非常に落ち着かない。毛布の中で私の服を握りしめ静かに寝息をたてる。間近に好いた女がいて健やかに寝れる男がこの世にいるのか。あまりにも落ち着かないので背を向けると、マリアが追いすがりくっついてくる。
ああーーーもう。
あまり眠れなかったが、おかげで火を切らさずに朝を迎えられた。辺りがうっすらと明るみ始めたのを待って私は天幕から出る。少し散歩がしたい。湖にはまだ足を運んでいなかったのでちょうどいいと思い歩き出した。
空気は冷たく、吐く息が白い。朝日が少しずつ登り始め、その陽に照らされ初めて見た湖は、圧倒的だった。
「すごいと言っていたのはこれか……」
水は美しく驚くほど透明で、どこまでも底が見えそうだった。そしてその水底に輝く様々な色合いの石。反射して湖全体が宝石のようにキラキラしている。例の魔石だろう。恐ろしいのはこの広い湖の底が全てその石ではないかということだ。いったいどれくらいの量があるのか想像もつかない。欲に駆られた人間なんぞに見られたら、あっという間にこの美しい湖は姿を変えるだろう。
「ヴィンセント」
湖面の美しさにしばらく見惚けていると、少し離れたところから声がかけられた。マリアだ。彼女も起きてしまったらしい。
「起きたらいなかったんだもの。心配したわ」
「少し早く目が覚めた」
「湖を見てたの?」
「ああ。美しいな。この世の眺めではないみたいだ」
マリアは外に出るには薄着で、腕をさすっていた。寒かろうと思い抱き寄せるとぽすんとマリアが腕の中におさまる。いやがる素振りも見せずに素直にこの腕に抱かれているが、どうしよう。思いのほか幸せだ。
「ずっとこうしていたい」
思ったままが口からこぼれた。そして赤い髪から覗く小さな耳に目が入る。口付けをしても怒られないだろうか。寒いからか耳先がほんのり赤い。吸い寄せられるようにそこへ唇をつけると、ひんやりした耳肌を感じた。
正直、私に触れる資格はまだないだろう。まだなんの成果も出していない。だが、今はこうしたかった。会えない日々がこれからも続くだろう。だったら私が好ましく思っていることを伝えたい。マリアの冷たい指先を握った。指先から、唇から、彼女の肌を通して浸透させたい。求められているのだと分からせたい。
「キスはもうダメだから」
「なぜだ」
「だって、ああいうのは……恋人同士でやるものでしょ」
マリアの頬が赤くなっていく。その様子がたまらなくいじらしく見えるので、つい踏み込んだことを言ってしまった。
「私と恋仲になるのはいやか?」
「……それを聞くのは、ズルいわ」
それはいやではないと言っているようなものじゃないのか。しかしマリアはぴしゃりと反撃してきた。
「ヴィンセントは妻にできない女とそういう関係になれるの? そんな器用さがあると思えないわ。あなたは優しい人だもの」
気分を損ねたのか、少し怒ったような口調だ。これは押し黙るしかない。その言葉こそズルいな。何を言っても逃げる理由が作れる。妻にする気はあるのだが。私が言葉を発せずにいると、マリアはしゅんとしおれたように下を向いた。
「ごめんなさい、かわいげがないわね。……ちがうの。あのね、今回森に素材を探しに来たのは、」
こちらを振り返ったマリアだが、一瞬だけ私と目が合うとすぐに恥ずかしそうに伏せてしまう。そしていくらかためらったあとに、おずおずと口を開いた。
「ヴィンセントの隣に、ずっといたいからなの」
あなたと一緒に生きたいの、と消え入るような声で言う。もう、脳が停止するかと思った。
「今の言葉、本当か」
マリアはなにも発さず、しかしこくりと小さくうなずく。私は一度彼女を離し、正面から向き合った。湖面のキラキラとした光を背にしたマリアは、とてもキレイだった。例え減魅の指輪をしていようと、私にとっては誰よりも美しい。
「今回いろいろ見つけたけれど、望む結果が出るかは分からないの。確認するのにも時間がかかると思う。でもうまくいったら……あたしが普通の人みたいになれたら、そしたらあなたに会いに行くわ。それまで待っててほしい。あ、いえ、待たなくてもいいんだけど……」
顔を真っ赤にしたマリアは俯いている。そんなもの、待つに決まっているだろう。彼女の青い瞳が見たくて顔に手を添えて上を向かせる。髪と同じ色のまつ毛に縁取られたその瞳は、わずかに潤んで、目尻が赤くなっていた。親指で赤くなった部分を撫でる。
「マリア。私は、おまえが好きだ。これはおまえが何者か知って言っている」
生まれも、立場も、立ちはだかる障害も、何もかも承知した上だ。おまえにも葛藤があるのは分かる。その中でほんの少しでも私を望むのなら、どんな手段を使ってもその手を掴んでやる。
「おまえが自ら私のもとへ来たときは、私の想いを受け入れたと考えていいんだな?」
「……うん」
「おまえも同じ気持ちだと思っていいんだな?」
「……うん」
「私になにされてもいいんだな?」
「……う、うん?」
疑問を顔に貼り付けたマリアがぱっと顔を上げ、目があった。その青い瞳にうつった男は上機嫌に口元に笑みを浮かべている。
「待つ。訂正は一切受け付けない」
「え、あの、ちょっ……」
「私は気が短い。あんまり遅いと迎えにいく。いいな」
言質はとった。
待つ代わりに、額に口付けをするくらいは許されるだろう。逃げられる前に顔を引き寄せてそこへ唇を寄せる。すると照れたような怒ったような顔をしたマリアが唇をとがらせた。
「もう、ヴィンセントっ」
「好きだ、マリア」
誘発されてあふれた想いが、一気に吹き出る。それは欲となって明確な願望へと変化した。
心の底から、おまえが欲しい。身も心も、人生も、何もかもが欲しい。好きという免罪符でどこまで許されるだろう。浅はかな感情に呑まれる自分が嫌になる。
「好きなんだ」
おまえも同じだけ私を求めればいいのに。胸が焦がれるという感覚を、改めて知った瞬間だった。
第六部 求める者たち 完





