126話◆魔女はひらめく
エミリーとたまにおしゃべりしながら過ごす時間はそれほど苦痛でもなかった。教えると言っても大したことはしていないし、ああでもエミリーは緊張してたから疲れたかもしれない。
問題はグラントとフィリップだ。彼らにはどうしても未知の魔草やまじないについて教えることになる。そして一緒に生活をするということはアルバートをはじめとした森の動物たちを知るということで……
「ちょっと待って師匠、驚きなんだけど」
「すごい」
アルバート産の火石燃料を回収したときのフィリップとグラントの言葉だ。セシルと暮らしていた時はこうはならなかった。アルバートは私がお世話していたし、セシルもわりと特殊な生い立ちで現在は立派な貴族婦人だ。私が「こういうものよ」と言えば「そうなのか」と納得してくれるぐらいには台所の燃料事情にはうとかった。ちなみにクライブは「わけの分からないもの=マリアならあり得る」という奇妙な方程式が出来上がっている為に問題ない。
ただそれは彼らには通用しなかった。
「ひたいに、石?」
「俺が知ってるどのヤギよりも立派だ……東の国には家畜の糞を乾燥させて、燃料にすると聞いたことがあるが……それにしてもこの硬度……」
あごに手を置いて何やら考えこむフィリップ、そして座り込んで糞を検分するグラント。案の定、彼らは正解を導き出す。
「もしかしてこのヤギ、魔の森の生き物?」
賢い子どもは嫌いだよ、て誰のセリフだったかしらね。
「そうよ。アルバートは飼ってるわけじゃなくて、遊びに来ているの。その柵の壊れたとこからね。このことはあんまり公にしたくないから、その辺しっかり頼むわよ」
なにがどう転んでこの子たちの危険につながるか分からない。他言無用でお願いよ、お弟子さんたち。フィリップは好奇心を隠せないままコクリと頷き、「魔獣……カッコいい……」とつぶやいたグラントは嬉しそうにアルバートを撫でていた。アルバートもカッコいいと言われて嬉しいのか、尻尾をふりふりさせてされるがままだ。アレクといい、何気にグラントは動物の扱いが上手いのかもしれない。
「魔獣ねえ……」
魔の森の動物たちが魔獣なら、あたしは魔人かしら。なんか語呂わる。あ、女だから魔女でいいか。
……ほら結局魔女なんじゃない。
◇
畑に行っても彼らの興奮は収まらず。アレはコレはと聞いてくるのが若干うっとおしくなってきた。自分たちの知らない魔草が生えてるから仕方ないのかしらね。彼らの質問をテキトーに流しつつ、座り込んで草むしりをしていると頭上に影が降ってきた。ふんふんと聞こえる息づかいでそれが誰だかすぐ分かる。
「オブシディアン、来たのね」
筋肉質の大きな身体に太い四肢、艶のある真っ黒の毛並みとサラサラの立て髪。そして黒曜石のような瞳をふちどる長いまつ毛。誰もが惚れ惚れするような黒馬のオブシディアンが、すぐそばまで来ていた。
「そういえばオブシディアンって立派な馬だったな。どうして忘れてたんだろう……」
惚けるグラントとは反対に訝しげにしているのはフィリップだ。オブシディアンほどの馬が自分の記憶にあまり残ってないことを不思議に思っているんだろう。私は立ち上がるとスカートについた土や草を叩いて落とす。
「会った時の印象をごく薄くするまじないを掛けているのよ。もう切れかかっているけど。記憶に残らないのも仕方ないわ」
オブシディアンの首筋を撫でながら、その黒い立て髪にの中にある白い糸の房に目をやる。ヴィンセントと一緒に初めて領都へ行くときに、私が彼につけてあげたおまじないだった。もうだいぶ前になる。八十年以上も生きると時間が経つのはあっというまに感じるわ。
「師匠、今までそのまじない使ってカルバートンでコソッと暮らしてたんでしょ」
あら、よく分かってるじゃない。そう答えるとフィリップは口を尖らせた。
「ねえ、師匠って何歳なの。僕と同じくらいか、どうかしたら年下だと思ってたんだけど……年上のお姉さんみたいに僕のことあしらうよね。実は若さをキープするまじないとか使ってない?」
「そんなわけ——」
ないじゃない、と言おうとして言葉を飲み込んだ。わざわざ私はそんなもの作らない。いらない。
「師匠?」
不老は体質的なものだと思っていた。だってほら、私ってば色々と特殊だし。でももしそれが一種のまじないの効果だとしたら。胸元にある赤い石を服の上からなぞる。いや、このさい体質でもなんでもいい。そう、まじないよ。素材の宝庫である魔の森を隅から隅まで探せば……この不老を相殺できる何かがあるんじゃないかしら!
「そうよ、まじないがあるじゃない! どうして今まで気づかなかったのかしら!」
今この家には私の事情を理解してくれて、留守を預かってくれる人間がいる。しかも家事も動物たちの世話もできるときたなら、今まで実現できずにいた魔の森の長期探索ができるかもしれない。あの森は広い。暗闇の森を一人で過ごす勇気がなかったから日帰りできる距離が限界だった。だけど、誰か一人くらい連れて行けば荷物もちにもなるし心強い。きっと何かしら見つけて持って帰った時も、相談や実験や改良に嬉々として手を貸してくれるはずだ。
ポカンとしているフィリップとグラントを尻目に私は頭の中で算段をつける。準備するものはアレとコレと、あとソレと……うんうん、十日もあれば準備できるわ。
「フィリップ。十日後に魔の森の深部に行くわ。それまでに必要なものを準備しなきゃ」
「え?」
「あたしもまだ行ったことがないの。でもあなた達がいてくれたらきっとうまくいく」
「それって——」
「グラントとエミリーには留守を頼みたい。フィリップ、あなたは私と一緒に来て」
一瞬の瞠目。そして理解したのか、フィリップの端正な表情がみるみる喜びに染まった。腕をぐいっと引かれると思わず身体がよろけてそのままフィリップにそっと抱きとめられた。
「ちょ、ちょっと」
いつもならぎゅーぎゅーと苦しいくらいなのに……ふんわり抱かれるのは初めてかもしれない。なんだか優しくされたみたいで逆に恥ずかしいんですけど。
「ありがと師匠」
頭に柔らかく頬ずりしながら、囁くように言葉を吐くフィリップは、なんだか知らない男の人のように思えた。





