1話◇騎士は振り返る
第一部 魔女と騎士の出会い
私は今、なぜか魔女に襲われている。
初対面の魔女に、騎士たる私が、だ。
先ほどまでは和やかなお茶の席だったはずなのにどうして、という疑問で頭がいっぱいになる。熱々のお茶を浴びせられ、鬼気迫る表情で無理やり服を剥ぎ取ろうとしている。なにを言っているかわからないと思うが、私にもよくわからない。
ちょっと冷静になって状況を整理したいがその前に誰か助けてほしい。切実に助けてほしい。どうしてこんな目にあうんだろうか。その瞬間、にやりとほくそ笑む領主様の顔が過ぎる。
その間にも魔女はあれよあれよと革の胸当てや服を剥ぎとる。まさかこれは貞操の危機なのか? あまりの出来事に思考がうまくまとまらず、先ほどから頭もズキズキと痛い。
そもそもなぜ私がこの魔女の元に来たのか。
どうしてこんな事態になっているのか。
すこし振り返ってみようと思う。
◇
この世には『まじない』というものがある。
それは魔法のようなもので、特別な糸を衣服に縫い付けると、さまざまな効果を持つお守りとなる。常に身につける衣服にまじないを施すことで、『護身』や『厄除け』などの守りをその身に授かることができた。
誰が最初に見つけたのかは分からない。しかしこの数十年でまじないはこの国の人々に浸透していた。その効果は決して軽んじることができなかったのだ。
「ねえヴィンセント。『カルバートンの魔女』のうわさを聞いたことがあるかい?」
「いえ、初耳です」
私の目の前で優雅にほほ笑むのはシェフィール領の領主であるロイ・ワグスタッフ様だ。御年34歳になる男ざかりの領主様だが、その経営手腕は大したもので、ここ数年で一気に力を付けているシェフィール領のトップである。そんなお方に真っ昼間から呼び出しを食らってしまった。いったい何の用だろうか。
「その者がどうかしたので?」
魔女という単語にいやな怪しさを感じる。続きを促すように問いかけてみるものの、思ったよりも冷めた口調になってしまった。
「カルバートンはもともと良質な魔草が栽培されるのだけどね。目利きが言うにはその中に、さらに良いものが混じっているというんだ」
「左様ですか」
「ここまでの品質は過去の栽培においてないという。天然ものだとしても一定量を確保するその腕は称賛に値するものだと」
魔草というのはまじないに使用する材料だ。わがシェフィール領が急激に栄えた理由の一つにこの魔草がある。今までは魔の森の近辺にしか生えていなかったのだが、人の手による栽培に成功したのだ。これによりまじないの大量生産が可能となった。
「それだけじゃない。カルバートンではここ最近、見たことも聞いたこともない効果の守りが出回っているらしい」
本当だったらすごい事だと思った。まじないの研究はここ数年、領主様を中心に熱心にされている。しかし既存の材料で応用はできても、新たなまじないの開発はなかなか難しいようなのだ。領主様は眉根をぎゅっと寄せた。
「だけどそこから先がつかめないんだ。いろいろと調べるうちに『カルバートンの魔女』という名前が出てきた。魔法が使えるだの、赤子を殺して食うだの、魔草を生み出すだの。容姿についても鬼婆だ醜女だ美女だとさまざまで、どれをとってもうわさの域を出ない。しかし誰かがいるのは間違いないようなんだ。……その先に何があるのか知りたい」
領主様は真剣な顔でまっすぐに言葉をぶつけてきた。
「騎士ヴィンセント・グスクーニア。『カルバートンの魔女』についての調査を命じる。後日出発する視察団の護衛として随行し、到着したら別行動で魔女について調べ、可能なら接触してくれ」
「はっ」
雇用主の指令に騎士仕様の返事をする。しかし領主様は、にへらと表情を崩したかと思うと、目にいたずらな光を灯してこう言った。
「なに、魔女と言うからには女の人だよ。君のその存分に麗しい見た目でたぶらかしおいでよ」
ああもうこの人は。悪気がなさそうなその言葉につい眉がピクリと動く。返事をせねばと気力を振り絞ったところで、善処いたします、と嘆くようにしか返せなかった。とたんに、ずきりと頭が痛む。
「報告を楽しみにしているよ。以上だ、訓練に戻ってくれ」
晴れやかな笑顔で私を送り出すこの領主に一発入れてやりたいと思う私は騎士失格だろうか。いや、基本的人権の尊重の範囲内だと言うことにする。
ああ、頭が痛い。
こんなことを自分で言いたくはないのだが、私は人と比べて見目がいいようだ。母親譲りの黄金の髪、父親譲りの深緑の瞳。体格にも恵まれた。両親だって目立つ人たちなのだが、他人から言わせると私はその両親のいいところを割り増して奇跡の比率で生まれてきたとかなんとか。
この無駄にいい容姿のおかげでいらぬ苦労をしてきたと、両親のいないところで声を大にして言いたい。幼少の頃はなんども誘拐されかけ、変質者が現れた。いい年をしたおっさんに迫られてみろ。恐怖で夜中に泣いてしまうだろう。そうすると駆けつけてきたメイドに鼻息を荒くされるんだ。もう何も信じられない。
成長とともに女たちが遠巻きに騒ぎだした。近づこうもんなら鼻血を出して卒倒する者がでる始末。私は歩く卑猥物なのだろうか? 男には容姿でバカにされ身分ですり寄られた。屋敷の使用人たちは過保護にしすぎて逆に怖い。ケガをしたら大変だとナイフも持たせてくれず、ステーキだろうがパンだろうが全てをひと口サイズに切り分けられた夕食の光景をぜひ見てもらいたい。もうみんな距離感がおかしい。むしろチヤホヤされた経験が思いつかない。
「金髪ショタ……膝下ソックス……尊い……」と言って失神した礼儀作法の先生はお元気だろうか。
そしてわが家も領主一族を支える由緒ある家系のため、私と結婚したい人も多かった。小さい頃から見合いの申し込みがすごかったらしい。ほどなくして婚約者というのが決まったが、互いに12歳くらいだったんじゃなかろうか。これ幸いにと婚約者を隠れみのにして女性の好意を避けていたのだが、これがまた悲劇の始まりだった。
結果的に婚約は白紙にされ、私は24になった今でも独身を貫いている。縁談を望む声はあるのだが、その悲劇を理由に断ることができている。正直、女性と関わるのは恐怖でしかない。さすがにずっと独身という訳にもいかないのだが、騎士を退任した時には一考してみます、と言葉で濁していた。周囲はうるさいが、家族や屋敷の使用人たちはそれがいいと言ってくれている。
騎士になり、誇りある仕事をしているという自負が今の私の支えだ。美醜に興味がない脳筋の友人もできた。容姿に興味ない人だってたくさんいるのだ。私は今、一番充実した人生を送っていると言っても過言ではない。
だから例え尊敬する雇用主から「その美貌で魔女を落としてこい」と暗に言われても、ぜんぜん悲しくはない。
本当だったら本当だ。
ズキリ。
ここ最近つづく頭痛は無視するしかない。
せめてすんなり魔女が見つかることを祈るばかりだ。