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気づかない少年

作者: 相生あるか

 街中で少年が泣いている。行き交う人々はまるで無反応。そこに少年がいる事に気付かないとばかりに、少年の横を無言で通り過ぎる。


 そんな光景を十分ほど眺めている男がいた。男はタバコを吸っている。ちなみに辺り一帯は禁煙となっている。


 男はその看板の前で吸っていた。歩き煙草禁止。立ち止まっているからいいだろう、という男の考えは、あまりに幼稚。


「吸いたい時に吸えないなんて、それはもう煙草じゃない」


 わけのわからない持論を展開して、男は煙草に火を点けた。すれ違う人々が文字通り煙たそうに過ぎ去っていく。中には露骨に顔を顰める人もいた。


「世も末だね」


 男は嘆いた。それから肺に溜めこんだ煙を細く長く吐き出しながら、歩き始める。歩き煙草だ。社会のルールを破ったという背徳感。その感覚はやはり幼稚。とても、不惑を越えた男の考えることではない。何より大人げない。


 男は少年に話しかける。


「子どもが泣く時は何かを訴えているというのが相場だ」


 子どもは目を真っ赤にして泣いている。あまりに泣くのに夢中で、男の事を確認しきれていない。それでも男は構わずに続ける。


「そしてその訴えというのは、大抵の場合聞いてもらえる。何故なら親バカが多いから。違うか?」


 男が少年を見る。その視線に、少年はようやく男の存在に気付いたように顔を上げる。


 瞳の大きな少年だ。どちらかというと中性的。幼いからなおさらそう見える。髪が長ければ女の子と見間違えたかもしれない。頬は涙で濡れて、鼻水も出ている。それでもみっともないと思えないのは、まさに子どもの特権と言っていいかもしれない。


「泣いたら世界は変わるのか」


「おじさん、分かるの?」


 想像以上に高い声。まるきり女の子だ、と男は思った。


「大人は大抵の事が分かる。分からないという事も含めて」


 煙草を指先で弄びながら、男が言う。少年は首を傾げるでもなく、男の声に耳を傾けている。


「そして、泣いていたところで事態が進まない事も知っている」


「お母さんを探しているんだ」


 そう言って目に涙の気配。泣きますよ、のサイン。


 男は煙草を地面に落とす。悪く言えば捨てる。そして足で煙草を踏み消した。紛れもなくポイ捨て。


「お母さんが言ってた。煙草のポイ捨ては非国民だって」


「そりゃまた随分と大きく出たな」


 非国民と来たか。男は苦笑い。


「ポイ捨てはとうとう、人間だけでなく国家レベルで悪い事になったのか」


「煙は死ぬんだって。本当?」


「当たらずとも遠からず」


 男は首を巡らせて周囲を確認する。目につくのは街を行き交う人、人、人。


 都心とまではいかない地方都市。それでもこれだけの人がいるのだ。確か人口は減少の一途を辿っているはずだけれどな。男はそんな事を思う。


「二度と会えないお母さんに会える方法があるらしいんだ」


「二度と会えない?」


 それを聞いて男はある噂を思い出す。


 死んでも死んでない人の噂。それはいわゆる都市伝説。死んでいる事に気づかない死人が、街を生きている人のように彷徨っているという。それは、普通の人には見えない。何かしら心に歪みがある人には見えるという。例えば人間不信。たとえば張り裂けた良心の持ち主。たとえば悲しみに溺れそうな人。要するに情緒としては不安定な人が、死んでいるはずの人間と街中で出会う、らしい。それが、死んでも死んでない人の噂。


「人探しは面倒だ」


 男が言う。嘘偽りのない本音。ましてや少年が探しているのが、都市伝説の人間だとしたら。


 だとしたら、死んでいる。


 死んでいると、二度と会えない。


「二度と会えないお母さん」


 男はそう口にして考える。はて、どうしよう。


 子どもに都市伝説と嘘っぱちの見分け方を教えるべきか。適当に人探しの協力のふりをするべきか。知らない振りで最寄りの交番までつれていくか。その他大勢の大人たちに右ならえで、いまから知らんぷりを決め込むか。


 話しかけたのが運の尽きだったな。男はそんなことを思った。


「俺の話を聞いてくれるか」


 男はしゃがみ込む。少年と視線の高さを合わせる。大きな瞳に吸い込まれそう。それくらい、翳りのない無垢な瞳。黒目の大きさが、近くで見ると一層引き立つ。


「俺の話を聞いてくれるか」


「大人の話?」


「いや、俺の話」


 男は大人という括りが嫌いだ。自分を大人だと認めたくない。四十過ぎなのに。それは多分に、大人を嫌ってきた子ども時代があるからなのだけれど、今この場でそれを蒸し返すほどには、男は幼稚ではない。さすがにそこまでは。でも、大人であることは否定する。俺の話を聞いてくれるか。


「二度と会えないってどういう意味か知っているか」


「三度目も無いってこと」


 少年は素直に応じる。


「三度目が無いってことは、二度目も無いってことだ」


「じゃあ一度目は」


「一度目はある。でもそれは、過去の話だ。過去の話をする時っていうのは大概、未来が行き詰まっている時と相場が決まっているんだ。おそらくお前は行き詰まっている。だから一度目の事ばかりを思い出す」


「僕に未来は無い」


「まあそう悲観するな。確かに失ったばかりの時はキツイものだけれど。一度目があった事実を噛みしめていけば、なんとかなる場合もある」


 男はなるべく分かりやすく話そうとするけれど、それが上手く少年に伝わっているかの自信がない。


 少年はじっと見てくる。見てくるので見てしまう。真っ黒な瞳。吸い寄せられそうな、無垢な黒。


「だからあれだ。会えないものは会えない。都市伝説っていうのは本格的な嘘っぱちの事を言うんだ」


「あの、すいません」


 不意に声を掛けられる。男は小さく驚く。相手はお巡りさん。どうやら近くの交番から。


「何をされているんですか」


 そうか。不審者に見られたのか。誰かが通報したのかな。そんな事を考える。


 男が上手い理由はないかと考えていると、お巡りさんは再び訊ねてきた。


「あの、ですから、お一人で何をされているんですか」


 男はその言葉を頭の中で繰り返し唱える。それからお巡りさんの訝しげな顔を見て、それから少年に視線を移す。そこにあるのは大きな瞳。無垢な黒。


「煙草をね、拾っていたんです」


 男はそう言って吸い殻を拾い上げる。少年はその様子をじっと見ている。


「二度と会えないんだ。もう、二度と」


 少年が言った。


 都市伝説は、本格的な嘘っぱち。


「ここは禁煙区域ですよ」


 お巡りさんが言う。男は適当に謝る。違反者には罰金を、とお巡りさんがくどくどと言うけれど、男の耳には入らない。


 都市伝説は、本格的な嘘っぱち。


 気づけば少年がいなくなっていた。おそらくもう二度と会う事はない。


「俺は歪んだ心の持ち主なのか」


 男は一人呟く。


「悪くない」


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