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春麗のミステリーツアー【アンソロジー企画】  作者: 春麗のミステリーツアー参加者一同
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「八木の宿」 みのり ナッシング 【コメ☆ディ】


 村田はムラムラした。


 かの有名なメロスがメロメロしたように、村田――つまり俺のことだが――は、ムラムラと湧き起こる衝動に悶えていた。


 いや、いちおう訂正しておくが、メロスは激怒したのであってメロメロはしていない。それに一体メロメロするって何だ?


 ああ、もう。イライラする。


 それじゃあ俺はイラ田だな(笑)。


 こんな寒いダジャレばかり言っていたから、ひかりにフラれたんだろうか。いや、原因は他にもあるんだろうな……。


 1年前の大学のサークル新歓、花見の席における俺のひとめぼれから始まった彼女との交際は、先日あっけない終わりを迎えた。『来年も桜を見にこようね』なんて言ったのはお前の方じゃないか。


 腹が立って、よっぽど、スマホの連絡先の「日野ひの 光」の項を消去しようとした。が、結局できなかった。


「へくしゅん!」


 くそ、この時期は花粉症の俺には辛い。やはり朝に点鼻薬を打ち忘れたのは失敗だった。


 春うららと呼ぶにふさわしい穏やかな日本晴れも、心にポッカリと空いた穴を嘲笑われているようで、俺の目には嫌みとしか映らない。今日は地元の高校の卒業式らしく、初々しい男女の、青春そのものといった感のある眩しい姿に目が潰れそうだ。ちくしょう、サカりやがって。


 そんな光景があちらこちらで繰り広げられているんだから、たまったものじゃない。俯きがちに避けて彷徨ったあげく、こんな人気の無い山間部まで来てしまった。へっくしゅん! けっ、杉花粉も真っサカりってか。


 ――さて。ここで冒頭の一文を思い出してほしい。今俺は、いかにもという感じの怪しげな建物を目の前にしている。


 俺がたどり着いたのは、いわゆる、春を売る宿だったのだ。看板には「八木の宿」とある。「やぎ」と読むのだろうか。表には女の写真が並んでいた。


 いや、違った。絵だ。その宿には、美人画がいっぱいに貼ってあったのだ。意味が分からん。店の女の子、だよな? 取締まりから逃れるために絵? まさか……。


 とにかく俺は、警戒しながらも、中に足を踏み入れた。事の真相を確かめるという、アカデミックな探究心に基づいて。



 ※



 この宿に来てから、そうですね、半年くらいになりますか。おじいちゃんやおばあちゃんはどうしているのでしょう。私を大切に、大切に育ててくれたあの二人は。


 私はヒカリ。この名前をくれた親の顔を、私は知りません。だけど寂しいと感じたことはありません。代わりに、おじいちゃん達が私の育ての親となってくれたのですから。雨の日も風の日も私を心配してくれて、とっても嬉しかったです。


 二人は農家でした。お金にはだいぶ苦労していたみたいです。だから、私がここへ売られてきたのも、仕方ないことだったのでしょう。


 私は最初とても悲しくて、二人を恨みそうにもなりましたが、今ではそれで良かったと思えます。私を売ることで、おじいちゃんとおばあちゃんは何とか生活していけるのですから。


 そう思って、私は自分の運命を受け入れたのでした。


 ……と、格好付けてしまいましたが、実は私は、まだ一度も「買われて」いません。最初にここに来た頃は、宿の中で他の方と並んでいるのも恥ずかしくて、嫌だったのですが、不思議なもので、彼女達が殿方に買われていく様子を見ているうちに、まだ「買って」もらえない自分がだんだん惨めになっていったのでした。


 今日こそは。誰か私を求めて。


 と、そこへ一人の男の人が店へ入って来ました。おしゃべり好きの新之助さんが寄っていきます。


「いらっしゃい」


 そのお客さんは、目をギラギラ輝かせ、だらしなく鼻の下を伸ばした、頭の中は桃色なことだらけというような有り様でした。かなりお下品な印象を受けます。


 ですが、これも数少ないチャンスの一つ。私が声をかけようとした、その時。


「おにいさ―ん、あたしのこと買わなーい?」


 なんといやらしい声でしょう。その声は隣に座る女のものでした。確か、先日店に来たばかりの新米です。


「ちょっと、その人は私のお客さんです。横取りはやめてください」


「なに言ってんのさ。こんなのは早いもの勝ちだよ。さあさ、おにいさ―ん」


 まあ。ムッとなって、つい私は強い口調で言ってしまいました。


「あなたのような失礼な女、初めてよ」


「はあ、なんだって? あんた、名前は」


「ヒカリよ」


「ぱっとしない名前だねえ」


 むかむか。生意気な口をきく小娘ですこと。


「じゃあ、あなたはなんという名前なんですか」


「町子よ」


「古風で地味ね」


 言ってやりました。町子はたちまち顔を紅潮させます。自分でも気にしていたようです。


「なによ、あたしを侮辱したね! もう許さないから!」


「ふん、なに言ってるんですか。あなたの体重、私の二倍くらいあるんじゃないですか? このデブ女!」


「なにを……服がはち切れそうなのはおばさん・・・・も一緒だろ!」


「ふん。お、大人の色気ってやつです」


「買われたこともないくせに、偉そうなこと言うんじゃないよ!」


 う。痛いところを突かれました。


「それに、あんた、服がひどく汚れてるじゃないか。ああー、見てるだけで虫が湧いてきそう。気持ち悪い」


「湧いてきそうな、じゃなくて、本当に湧いているんじゃなくて?」


「うわー、もう頭に来たわ。こうなったら、どっちが魅力的か勝負よ! あの男が、あたしたちのどっちを買うか。まあ、あたしに決まってるけどね」


「お黙りなさい。今日こそは私なんです!」


 そして私達は、あの男の人を誘惑し始めたのです。



 ※



 八木は、「やぎ」ではなくて、「はちぼく」と読むそうだ。「はちぼく」とは、米のことで、何でも米と言う漢字を分解すると「八木」になるからだそうだ。これは俺が後で店主に聞いた話なのだが……。


 俺は店に入った瞬間、自分の思い違いを悟り、叫んでしまった。そう、ここは、


「……米屋かよ!」


「いらっしゃい」


 表に貼っていたあの謎の美人画は、米の袋に描かれている女の絵だったのだ。くそ、紛らわしい! まあ、俺もちょっと見境がなくなっていたのは事実だ。


 すっかり萎えてしまったが、嬉しそうな店主の手前すぐに帰るわけにもいかず、少し見てまわることにした。家に帰ってもやることはないしな。


 そう決めた時、俺の目はある一点に釘付けになった。


 米が、俺を誘惑していたのだ。


 いや、正しくは、米の袋に描かれている女が、俺にやけにいやらしい視線を送ってきたのだ。たわけのうわごとと思うなかれ。それだけなら気のせいに出来たが、その絵の女が動き出し、胸をはだけさせ始めたんだから、どうしようもない。


 これは夢か。しかもあまり良くないほうの。並んだ二つの袋が同時に俺を誘惑している。私を買って~、と言わんばかりに。


 どちらも日本では超ポピュラーな銘柄で、一つは五キログラム、もう一つは十キログラムのものだ。


 あまりにも現実を超越した奇妙な絵面に、俺は度肝を抜かれ、ついでに毒気も抜けた。


「……帰って課題しなきゃな」



 ※ ←「こめ」じるし



「行っちゃったわね、あの人」


 町子が言いました。あたしは、そうね、と返事をします。男の人は、なぜか顔を青くして逃げるように店を出て行ってしまったのでした。


「また売れ残っちゃいました……」


 これでは、丹精を込めて育ててくれたおじいちゃん達に顔向けできません。泣きたい気分です。


「元気出しなよ」


 思いがけず、町子が私を慰めてきました。


「ほら、あれだよ。あの野郎、こんな上玉が二人も揃ってるってのに、逃げ出したりしやがって。あんな意気地無し、こっちから願い下げってもんさ」


「町子さん……」


 真っ暗だった目の前の景色が、ぱあっと晴れるような、そんな錯覚を抱きました。いいえ、それは現実。男の人が慌てて開けたままにした扉から、晴れわたる大空が覗いていたのです。


 吹っ切れたような、すっきりした心地でした。私はおずおずと、隣で照れくさそうに笑う町子さんに切り出します。


「あの。これからは売れ残った者同士、仲良くしませんか?」


「賛成! あ、じゃあフルネーム教えてよ。まだ聞いてないわ」


 町子さんが、輝く瞳で尋ねてきました。こうしてみると、素直そうな良い子です。彼女となら――ダメダメな私だって変われるかも。


 新たな関係が始まる高揚感が胸に湧き起こって、私の声は少しだけうわずったのでした。


こしヒカリです。これからよろしくお願いします」


「あたしは秋田町子よ。こちらこそ、よろしく!」


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