「ツンデレインコート 5」 みのり ナッシング 【推理】
5
1週間が過ぎた。期限の日の放課後、爽と川端は約束通り美術室を訪ねた。
「すまないな。場所は変更だ」
開口一番、そう言って二人を出迎えたのは美術部部長だった。彼は爽が両手で抱えたボストンバッグに好奇の視線を向けていたが、これは後のお楽しみだ。
「えっと、代わりに隣の美術準備室を空けてある。狭くなるが、いいか」
「かまわない」
「え」
爽は驚いた。川端がさも予想していたかのような態度をとったからだ。が、部長はやれやれと肩をすくめているだけだ。
「夏目……だったか」
彼は理由を知らない爽のためだろうか、扉を小さく開けてくれた。ちらりと見えた美術室の中の様子に、爽はなるほどと頷いた。新入生らしき女子生徒が5人ほど、部員の説明を聞いていたのだ。部活の見学だろう。
爽も顔だけは知っているその部員は、慣れないのか、あたふたと説明をしていた。確かに邪魔をするのは忍びない。
部長は扉をそっと閉めた。
「この通り、例年より忙しくてな。許してくれ」
「ツンデレ研には縁の無い話でしょうがね」
鼻を鳴らしながら得意げに登場したのは、例の可愛らしい顔立ちの男子部員である。ここまで明け透けな憎まれ口を叩かれると逆に怒りが湧いてこない。むしろ部長が仏頂面で彼の腕を小突いていた。
爽たちは隣の小部屋に案内された。画材や教本、普段使われない石膏像の類が天井まで積まれている。4人が入っても窮屈には感じないくらいの広さはあった。
舞台が整ったところで再び、王子様風の男子はテンプレートな台詞を吐き始めた。
「川端康生。逃げ出さずに今日この場に来たことだけは褒めなければなりませんね」
この勿体ぶった話し方。どことなく川端の姿と重なる。爽は水をかけられたくはないので、そんなこと口には出さないが。
「その余裕がいつまで持つのか、見物――」
「笑止」
すると突然、川端が学ランを脱ぎ捨て、両手を広げ、大の字で直立した。肌色の貧相な上半身が晒される。王子は絶句した。
爽も内心、かなり慌てた。打ち合わせと違うではないか! ボストンバッグから黒い垂れ幕を取り出し、急いで川端の前を覆う。川端の満足げな表情を見るに、2年の部員を驚かせたかったのだろうが、突然の奇行は本当に謹んでいただきたい。爽は切に願うのだった。
「お前、少し太ったんじゃないか」
部長は呆れた顔で腕を組んだ。
「失礼したな。だが、今の行為にもちゃんと意味はある。
今日は、少女の像にレインコートを着せた犯人がどうやってそんなことを可能にしたのか、実際に再現してみせよう」
「犯人も何も、あんたがそうなんでしょ」
王子部員が小さく吐き捨てたが、川端は余裕の笑みを崩さない。その間も爽は着々と準備を進めた。この1週間で何度も練習したから、ばっちりだ。
爽は1週間前すでに犯行方法を聞いていた。川端が期限を設けたのは再現実験の練習のためだったのだ。
「さっき裸になったのは、種も仕掛けもないことを示すためだ。これからこの夏目助手が、例のレインコートを僕に羽織らせる」
「川端……後輩になんてことさせるんだ」
爽は、部長から痛ましげな視線を向けられる。確かに、冷静になって考えてみると、自分は何をやっているのだろうか……。
むなしい気持ちで、爽は川端の前に2本のポールを広い間隔で立て終えた。そこに垂れ幕を固定する。川端は手を離した。前方からは川端の首から上しか見ることができない。
「さて、あの姫の粘土像はこのように手を前に掲げていた」
川端は垂れ幕に入れてあったスリットから両手を出した。
「そして本を持っていた。諸君らもお気付きのように、これにより『輪』が形成されていたことになる。だから他者がコートを羽織らせることは極めて困難だ」
続いた両手を握り合わせる。部長も2年部員も、この大がかりなショーの趣旨が呑み込めてきたみたいだ。このように手を握った状態では、レインコートを着るのも、着せるのも不可能だ。粘土像と違って、川端の腕を切り離すわけにもいかない。
「夏目君。準備はいいかな」
「はい。だいたい終わりました」
最後に爽は、ボストンバッグからあのレインコートを取り出し、美術部の二人に手渡した。ピンク色の、ツンデレインコート。王子は眉をひそめながらも、切れ目などがないことを確認した。
「よし。では今からそのレインコートを僕に着せてくれ」
「了解です」
美術部の面々からは、さぞやシュールな光景に見えていることだろう。真っ黒な垂れ幕の上からにやけ顔だけを出している川端。さらにその背後でがさごそと衣擦れの音を響かせる爽。爽は改めて悲しくなってきた。
1分も経たずに作業は終わった。
「出来ました」
「よろしい――では3、2、1で垂れ幕を降ろすぞ。3」
爽はポールと垂れ幕の固定を外した。布がかろうじて引っかかった状態になる。まだ川端の身体は隠されたままだ。
「2」
部長、王子、そして爽を含めた3人が、固唾を呑んでその瞬間の訪れを見守った。
「1!」
バッと、川端が両手を下に降ろした。垂れ幕が手から抜け、地面に落ちる。川端の上半身が再び曝された。
――果たしてそこには、ピンク色のレインコートを羽織った、半裸の男の姿があった。
「う、うそだ……」
呆然と近寄っていったのは王子部員だ。信じられないといった顔つきで、それでも、レインコートの袖口を手に取る。切れ目がないかを確かめるためだろう。
しかし理解はしているはずだ。あらかじめ切れ目を入れていたとしても、今の短時間で縫い合わせることなど不可能だ。無論、デザイン以外は何の変哲も無い、ただのレインコートだということも確認できたはずである。
「ま、まさか! 手首を切って繋げたんじゃ――」
「僕は化け物か」
川端が冷静に突っ込みを入れる。だがその姿は、美少女キャラが描かれたレインコートを裸の上に羽織っているというひどいものだ。ある意味部員の言葉通りと言えた。爽はいたたまれなくなり、そっと目を逸らした。
部屋に拍手の音が響く。部長だった。
「見事だな。いっそ奇術研究会に改名すればいいと言いたいところだが、まあ、さすがに目の前で見せられたら俺もタネが分かってしまったよ」
「部長、今ので分かったんですか――?」
「ああ。そこにある暗幕を探ってみろよ」
ハッとした様子で、王子は足下に落ちた黒い布をめくった。よく見れば、それが不自然に膨らんでいたことに気付けたはずだ。
そこには肌色の布、そしてピンクのレインコートがしわくちゃになって置かれていた。
「同じレインコートがもう一つ、と、しかもこれはTシャツ? 変なファスナーが付いています……」
待ってましたとばかりに、川端はコートのボタンを留めながら、満を持して種明かしを始めた。
「実はさっき、僕は裸に見えるTシャツを着ていたのさ。しかも腕の外側と、背中にファスナーが付いた特製だ。作るのに苦労したんだぜ」
それを聞いた途端、王子は端正な顔をしかめて特製Tシャツをその場に捨てた。
「そしてこのレインコートは、もとからその下に着ていたのさ。だからこれに細工する必要も、身体を切断する必要もなかった」
爽はレインコートを着せたのではなく、Tシャツを脱がせていたのだ。腕と背中を十字型に横切るファスナーを開けば、あの姿勢のまま剥ぎ取ることができる。中から現れるのは、ピンク色のレインコート。あとはそれを整えてやるだけでよい。
「そ、そんな……あり得ない!」
「どうしてかな、2年部員君?」
川端は例によってにやけ面で王子部員の顔を覗き込んだ。実は川端がトリックに気付けたのは、彼のおかげでもある。水をかけられた時、制服のシャツに美少女Tシャツの柄が浮かび上がった。そこからの連想で、川端は推理を組み立てた。
「だって! 不可能です! 像には切れ目一つ無かったんですよ」
「確かにその時点はな。ではその前は?」
その言葉で、王子はひどく傷ついたような顔をした。彼も、薄々感じてはいたのだ。そんなことができる人間は、一人だけ。部長が深くため息をついた。
「そうか。あの人はそんなにも前から準備をしていたということか」
「ああ。僕たちの1週間なんて、比べものにならないくらいに」




