「ツンデレインコート 3」 みのり ナッシング 【推理】
3
正面玄関に駆けつけた時、すでにざわめきが伝わってきていた。早足で来たため、息が少し上がっている。
『おい夏目。あれ、お前の先輩がやったのか』
『……え?』
朝練を終えたクラスメートの男子から「騒ぎ」のことを聞いた爽は、いても立ってもいられず教室を飛び出したのだった。
学校指定のスリッパを下靴に履き替えるのすらもどかしく、そのまま外へ出る。泥は後で拭えばいいし、目的地までは石畳で繋がっている。雨が降っていたが、気にはならなかった。耳元で脈打つ鼓動が、急げ急げと耳打ちする。
すぐに人だかりは目に飛び込んできた。そして、その奥に鎮座する像の姿も。
少女の像は、レインコートを羽織っていた。
鮮やかな、ピンク色のレインコート。当然だが、記憶の中の佐奈姫は身に纏っていなかったものだ。ちぐはぐな視覚情報に、脳が拒絶反応を起こす。それなのに目が離せない。それは、川端が先月着ていたものによく似ていた。
どうして。クエスチョンマークが脳内で乱立するが、混乱して、具体的な問いまでは浮かばない。どうして。そればかりが頭の中をグルグルと駆け巡り、ついに口を衝いて漏れ出た。
「どうして……」
「風邪を引くぞ。夏目君」
その声は、爽の身長よりも少し高い位置からかけられた。同時に傘を差し掛けてくれた男の正体は。振り向かなくても分かる。
「せ、先輩……!」
川端康生が駆けつけたのだ。正直、爽はかなりほっとした。訳の分からない事態に直面して、心細くなっていた。
川端ももう3年生である。評価を改めなければならないな、と思いながら爽が振り返ると、そこにはピンク色のツンデレインコートを羽織る、色白のオタクの姿があった。
「……」
何も言わず、爽は傘を受け取った。周りからの視線が痛い。一番イタいのは先輩だけど。
と、その時。
「美術部だ。通してくれ」
「ああ、ひどい! なんてことだ……」
そんな声がほぼ同時に上がった。二人組の男子が、先ほどまでの爽と同じく、傘も差さずに像へと近付いている。彼らも話を聞き慌てて駆けつけたらしい。がらりと印象の変わった佐奈姫を凝視している。
「一応言っておくが、犯人は僕ではないぞ」
川端が爽の耳元で囁いた。どこか冗談を言うような響きが混じっていた。
「この間のレインコートは今こうして着ているからな」
どこから指摘すればいいのか見当も付かなかったが、爽は反論を試みてみる。
「いや、先輩。複数枚持っているんでしたよね?」
「おっと、そうだった。ということはやはり一番怪しいのは僕ということになる。早いところずらかろう」
カラカラと笑う川端。まったく、こんな時にまで冗談を言わなくてもいいだろうに。走ってきた疲れが、今になって急に肩にのしかかってきたのを感じた。
昇降口まで歩きながら、川端は今度は打って変わって真剣な様子で問いを投げかけてきた。
「気付いたかい。佐奈姫は腕を前に出して本を持っている。つまり腕と本、胴体で『閉じた輪』ができているんだ。これがどういうことか、分かるか」
爽は息を呑んだ。足下がおぼつかないような、そんな不安な感覚に捕らわれる。
川端の発言の意図はこうだ――あの姿勢のままレインコートを着せるのは、不可能に近い。本を一旦手放すなどして、「閉じた輪」を解消しない限りは。
まるで、伝説の少女が意思を持って、自分で身に纏ったようではないか。
昼休み。爽は友人の誘いを断り、食堂に向かった。今朝、昇降口で別れ際に川端と約束していたからだ。無論、あの佐奈姫像について話をするためだった。
昼休みの食堂は生徒でにぎわっていた。
「ねえ、見た? 佐奈姫の像――」
「見た見た。レインコートを羽織ってたんでしょう?」
数人の女子が、朝の出来事についてどこか浮き足だった調子で会話を交わしていた。学校内ではもうかなり話題になっていた。それほどまでに衝撃は大きかった。
弁当を手に食堂の中を探すと、すでに定食をテーブルに置いた川端がこちらに手を振ってきた。爽は人の隙間を縫って近付いていく。
「すみません、待たせてしまって」
「かまわん。食べようか」
楽しげな会話があちこちで交わされる中、二人の顔は浮かないものだった。川端は黙々と箸を動かしている。仕方なく、爽が口火を切った。
「最初に見つけたのは美術部の子らしいですよ」
爽は友人から集めた情報を伝えた。春休み中、ある時から像が青いシートで覆われるようになったらしい。誰も気には留めなかったが、今日になって部員の一人が気付き、シートを取った。それであの騒ぎというわけだ。登校ルートが違うため、爽や川端はすぐには気付けなかった。
「あのレインコート……確か先輩が知り合いのサークルからもらったんでしたよね」
今朝、帰り際にちらりと見えたが、少女が羽織ったレインコートの背面にはあのキャラクターが描かれていた。同じタイプのものと見てまず間違いないだろう。
「そうだ」
その一言がきっかけになったのか、川端は堰を切ったように話し始めた。
「だから、不特定多数の人間が持っているとは思えないんだ。校外の人間で手に入れられたのは、サークルのメンバーたち。だが彼らはこの土地とはあまり関係のない大学生だ。除外していいだろう」
どうして中学生の頃の川端がそんなサークルと繋がりを持っていたのか、爽は気になったが問わないことにする。どうせネットのオフ会などを通じて知り合ったに違いない。
「そして校内の人間で考えられるのは、まずは僕。一応君も。それから潤だ」
「谷崎先輩もですか」
爽の頭の中に、あの人畜無害そうな、無防備な笑顔が浮かぶ。3月のあの日にツンデレ研究会を訪ねてきた、川端の幼馴染み・谷崎潤。作者本人まで犯人候補として挙げたことに爽は戸惑いを覚えたが、確かに彼女は爽の目の前でレインコートを受け取ったばかりである。動機に関してはさっぱりだが。
「他にも渡そうとした人間はいるんだが、何故か誰も受け取ろうとしなくてな……候補は以上だ」
何故かも何も、理由は明白でしょうに。
「谷崎先輩が犯人……。でも自分の作品なのに」
爽は自らが犯人ではないことを知っている。川端も違うだろう。適当なことは言うけれど、そんな嘘はつかない人だ。1年の付き合いでそれくらいは分かる。消去法で谷崎ということになるが、どうしてわざわざあんなことをしたのか。
「動機については、思い当たることがないわけではない」
「……やっぱり佐奈姫のことでしょうか」
実は爽も、もしかしたら、という考えは持っていた。川端は神妙な顔つきで頷く。
「潤は佐奈姫伝説をモチーフに像を作った。どういう話かは知っているな」
「はい。中学で習いましたから」
この県に伝わる物語である。とてもロマンチックな話で、爽の中学では特に女子人気が高かった覚えがある。高校に入ってから聞いた限りでも、他の中学出身の生徒にも広く知られている印象がある。
その内容は――。




