「サイコロジスト・乙丑《いっちゅう》さん 〜ありふれた殺人事件〜(2)問題と推理」 にのい・しち 【ミステリー】
事件現場の室内は、六畳一間の和室。
和室の中央には木製のテーブルが置かれ、縁側から見える、庭の一本桜は散りかけている。
旅館の主人と女将である妻、二名の従業員は、この和室で花見を楽しもうとしていた。
夫妻のもてなす側をマネージャーと仲居の二名が担当。
入室の順番を簡単に説明すると、その時間、最初に入室したのは仲居。
彼女は水の入ったピッチャーとテーブルナプキンを持って入室。
ナプキンを畳に敷いて、ピッチャーを畳の上に置き、花見に必要な物取りに厨房へ戻る。
次に女将である妻は、人数分の四つのタンブラーを客間へ持ち込んで、中央のテーブルに腰掛けると、散りかける一本桜を先に鑑賞する。
妻は桜から見て右側に座る。
三番目にマネージャーが、氷の入ったアイスペールとマドラーを持って、部屋へ入る。
アイスペールに入った氷は、全て透き通るほど奇麗な氷だった。
マネージャーはテーブルを挟んで、桜と真向かいに座る。
これは彼がテーブルの側で、酒作りをする為の座位置だ。
彼は持ち込んだアイスペールとマドラーを、テーブルナプキンの敷かれた、畳の上に置く。
最後に旅館の主人が、シングルモルト・ウィスキーを持って入室。
この時、主人は持ち込んだウィスキーをマネージャーへ渡し、酒作りを任せる。
そして主人は中央のテーブルへ、女将である妻と向い合せで座る。
桜から見て左回り側の座位置。
マネージャーは夫妻に背を向けて、畳の上で四つタンブラーにウィスキーを入れ、酒を作り始める。
中央のテーブルに座る夫妻からは、死角となりマネージャーが酒を作る様子は見えない。
マネージャーが四人分の水割りを作り終えたところで、厨房から客間へ戻った仲居が、予備のテーブルナプキンを持って、呼びに来る。
呼んだ理由は、マネージャー宛に電話が来ていたので、その伝言。
仲居がマネージャーと入れ替わりで、再度入室。
マネージャーは部屋を出る際、仲居へウィスキーを中央のテーブルへ運ぶよう指示。
そして、仲居は予備のテーブルナプキンを畳の上に置くと、マネージャーが作り終わった、作られた四つのウィスキーを、中央のテープへ運ぶ。
電話を終えたマネージャーが部屋へ戻り、四人揃ったところで、花見を開始。
主人、妻、マネージャー、仲居は、それぞれ配られたウィスキーを、乾杯の合図で一斉に口へ運ぶ。
その後―――――――旅館の主人は絶命した。
これにより、事件現場にいた主人以外の三人。
【女将で被害者の妻、春姫】三十五歳。
【旅館のマネージャー、蟹沢】四十歳。
【旅館の仲居、酒井】ニ十七歳。
以上が容疑者として、捜査一課の聴取を受ける。
青酸カリが使用されたこと以外、殺害方法は不明。
ウィスキー、タンブラー、マドラー、水の入ったピッチャー、アイスペールに入れた氷、テーブルナプキン……どこから毒物が混入されたのか、今だ不明。
こちらの話が終わるとカウンセラー乙丑は、遠足が待ちきれない子供のように、嬉しいそうに考えこむ。
「女将、仲居、マネージャー……ありがちですねぇ。王道ですねぇ。毒物が青酸カリなのも、無味無臭で扱いやすいので、ミステリーモノでは好まれる毒物ですわ。おウィスキーは被害者が持ち込んだ物なので、予め青酸カリを入れておくのは、難しいですわねぇ……」
「先生はどう見る? 毒物が入っていたであろう、小瓶が焼却炉からみつかった」
「なるほど、犯人は被害者のお酒に青酸カリを混入させた後に、焼却炉へ捨てたのですね」
「その可能性は低い」
「あら? なぜですか?」
「まず焼却炉を使っていた時間帯は、被害者が殺害された、花見の時間と重なる。溶解した瓶の具合から、三〇分以上焼かれていたことを考慮すると、花見の前に小瓶から毒を取り出して焼却炉へ投げ込んだ。焼却炉でゴミを燃やしていた清掃員の証言では、焼却炉は清掃員自身が火を着けて、ずっとゴミを投げ込んでいた」
「その間、焼却炉へ怪しい人物は来たのですか?」
「いや、清掃員しかいない」
「焼却炉では何を燃やしていたのですか?」
「紐で結んだ新聞紙や雑誌の束だ……」
乙丑の口から何か出かかったので、彼女はそれを察し、答えを先回りした。
「あぁ、みなまで言うな。おそらく、瓶は古紙の束の中に挟むように入れられ、古紙ごと焼却炉で燃やされていたと考えられる」
「うふん! つまり被害者を殺害される前に青酸カリは小瓶から取り出され、何かに”入れ替えた”か、何かの”形に変えられ”て被害者のおウィスキーに混入されたと言うわけですね?」
うふん?
「多分な。それは液体のまま使用されたのか? それとも固形物に染み込ませたのか? 今だ持って捜査中だ」
「それですと、直接犯人に繋がる状況にいたらないですねぇ……」
カウンセラー乙丑は、聞いてもいないのにべらべらと考察を述べる。
「”仲居”が怪しいですわ。客間に入る際、持ち込んだのは"タンブラー"。四つのタンブラーの内、被害者が口にするタンブラーに毒物を塗って置くのです。タンブラーの底か、口と接するフチに塗っておくのです」
「四つの内、被害者が飲むタンブラーを、どうやって選ばせる?」
探偵役のオネェは自信満々に答えた。
「行動心理学には『左回りの法則』という原理があります。これは七〇%もの人間が、この法則に当てはまります。《心臓が左にあるから》や《人体は右側に重い肝臓があり、バランスをとる為、左に重心が移る》など、諸説ありますが、有力な説は《多くの人は右利きであるので、右手で物を取る際、左回りで移動するほうが取りやすい》とのことです」
「なるほど」
「四つのタンブラーをテーブルへ一列に並べて、青酸カリの入ったタンブラーを一番左へ置きます。そうすれば、被害者が無意識に左へ置かれたタンブラーを選ぶわけです」
「そうか……」
丙馬は腕を組みしばらく考えた後で、カウンセラーへ目を戻し、かすかに湧いた疑問を投げかける。
「先生の理屈で言うと、客間にいた七〇%の人間。つまり四人中、三人が青酸カリ入りのタンブラーを、手に取る可能性が高いことになるな? そこに殺害相手へ毒を飲ませる、確実な勝算があるだろうか?」
先ほどの自信と雄弁はどこへ置いてきたのか、乙丑は急に黙り、こちらを澄んだ瞳で強く見つめた後に言葉を継ぐ。
「話を変えましょう」
「おい?」
「タンブラーが駄目なら、”テーブルナプキン”。最後に持ってきた予備のナプキンに、毒を染み込ませて、そのことを知らない被害者が、ナプキンで口を拭いた時、青酸カリを取り込んでしまった……と、見ていいでしょう」
「それは無い。被害者は花見の時はテーブルナプキンを使わなかった。なにより致死量の青酸カリだ。口に着けたくらいなら絶命しない」
「でしたら、染み込ませた青酸カリを部屋へ持ち運び、ナプキンを絞ってタンブラーの中へ入れれば、お酒に混入できます」
「それは不可能だ。仲居は”素手”でテーブルナプキンを運んでいたんだ。激薬が染み込んだ布を素手で持つなんて、馬鹿だろ? それにナプキンは"撥水性"のある生地だ。液体はなかなか染み込まない」
「あらやだー。いい線いってると思ったんですけどぉ……なら、他の可能性ですね」
「さり気なくスルーしてるが、周囲に人がいる空間で、ナプキンを絞ってタンブラーに異物を入れるなんて。すぐにバレるだろ?」
「…………ですね」
乙丑は人差し指を顎に当て、目を明後日の方向へ向けて考えこむ。
私見だが、初老の男が見せるその姿は、非常にキモチ悪く不快極まりなかった。
カウンセラーは何かを思いつき、こちらへ語りかける。
「お酒の割り方かもしれません。"ウィスキーフロート"なんてどうでしょう?」
「ウィスキーフロート? 同じグラスに水と酒を注いで、混ぜずに"ウィスキーを浮かせたまま"飲む、アレのこと?」
「えぇ。青酸カリはお水に混ぜられていて、その上に無害なお酒が浮くように注ぎます。その際、被害者のタンブラーだけマドラーで、お酒と毒のお水をかき混ぜます」
「被害者以外の三人は、ウィスキーフロートで、無害なウィスキー部分のみを飲むわけか……」
乙丑の渾身の見立ては――――。
「つまり、犯人は"マネージャー"」
「そうか……その線も無い」
「あらやだぁ」
「端的に言うと、水が注がれた四つのタンブラーを鑑識係が検査したが、毒の痕跡が見つかったのは主人である夫のタンブラーのみだ。他、三つのタンブラーから青酸カリは出なかった。マネージャーが犯人とは断定しづらい」
丙馬は肩をすくめて続けた。
「付け加えると、酒と水が混ざらずにウィスキーフロートを飲むのは難しいだろ? タンブラーを傾けた時に、どうしても混ざる」
「そうでしたか……残念ですねぇ。となると……」
乙丑は、再びキモチの悪い不快な顎当てポーズを見せた後、ひらめきを口に出す。
「―――――――”氷”。青酸カリはかなり前に、小瓶から何かの容器に移されて冷蔵され、凍った青酸カリをアイスペールに入れて置くのです。その氷は全てのタンブラーへ入れられます」
「全て? そんなことしたら、四人全員が毒物で……いやまてよ」
丙馬にある、ひらめきが浮かぶ。
「”毒の氷が溶ける前”に酒を飲み干せば、先に飲み干した人間は、体内に毒を摂取せずに済む」
「はい。それを踏まえると、犯人は氷を持ち込んだ”マネージャー”。それか、毒物の摂取を回避した”妻”。いえ……もしかしたら妻とマネージャーは通謀していてたかもしれません。今回のお事件は”共犯”の可能性が……」
「待て待て? ミステリーの見過ぎだ。先生の妄想が肥大している。順を追って説明すると、氷が溶ける前に酒を飲み干したのは被害者である”主人”だ。他の三人が半分ほど飲む頃には、主人は二杯目を飲もうとしていた」
乙丑は少女のような、つぶらな瞳を見開かせ動揺する。
「なな、なんですってぇ! 氷が毒ならば、むしろ主人以外の三人が絶命していないと、理屈が合いませんね」
「それと、不純物の混じった氷を凍らせたら、”白い濁り”ができる。旅館で使っている氷は”透明度の高い氷”だ。すぐ異変に気づくだろ?」
「おっしゃるとおりです」
「それに先生が今言ったことは、FBIの入局試験に出てくる問題じゃないか?」
「やだぁ〜、バレました?」
カウンセラーは腕組みをし、真剣に考え始めた。
眉間のシワや歪めた口元からくる、ほうれい線を見ても、次の推理は本気で答えを絞り出そうとしているようだ
乙丑氏の顔が上がり、アサガオのように咲く。
「――――――――”マドラー”。マドラーの先端に予め青酸カリを塗りつけておき、被害者が飲むお酒を、一番先にかき混ぜます。その際、毒はそのお酒に混入されると同時に"洗い流され"、他の三つのお酒へ使い回しても問題はありません」
「なるほど―――――――却下だ」
「えぇ!?」
「マドラーの先端につけたくらいの量じゃ、致死量にはいたらない」
丙馬の否定意見に対し、カウンセラーはフグのような膨れ面を見せた。
肌に張りと色艶が見られるとは言え、齢四十五と考えれば、決して可愛いモノではない。
「もう! 丙馬さん。さっきから私の推理をことごとく否定して、嫌がらせですか?」
「嫌がらせも何も、事実と違うんだ。仕方ないだろ?」
「まぁいいです。ところで、マネージャー宛の電話というのは、なんだったのですか?」
「わからん。マネージャーが言うには、受話器に話しかけた途端、通話が切れたそうだ」
「やだぁ。キモチ悪い」
「先生がそれを言うか? ともかく、電話のベルは鳴っていた。厨房にいた料理長が音を聞いて仲居が知らせにいった」
「マネージャーの芝居。犯行現場から離れることで、アリバイ工作したともとれますねぇ。ですが、お金さえ出せばイタズラ電話を外部に依頼することもできます……………フフフ」
なんだ? 黙りこくったかと思えば、急に笑いだして。
キモチ悪いな。
「うふふ……犯人は――――――――おケツを掘りましたね」
「は?」




