「サイコロジスト・乙丑《いっちゅう》さん 〜ありふれた殺人事件〜(1)事件発生」 にのい・しち 【ミステリー】
"東京都"福生市。
横田基地で知られる同市は、西東京では一番小さい面積を誇る。
麗らかな春の日和も終わりに近づき、どこか物寂しい時期に差し掛かろうとしていた。
福生駅から南へ、約一〇分歩いた場所に位置する旅館。
神蛇・尊。三十八歳。
親は代々、福生市で旅館を営み、息子である彼もその旅館を継ぐ。
この旅館の魅力は、一本"桜"が鑑賞できる何とも風流な客間。
ふすまを開き、居間から見る美しい一本桜は、まるで絵画のような趣向が凝らされ、泊まり客の心を捉えてリピーターとなることが多い。
とはいえ、桜が散り始める時期というのもあり、旅館の客足は遠退き始めていた為、旅館内には空き室がちらほら目についた。
営業も区切りがついたところで、旅館の主人である神蛇氏は、桜が鑑賞出来る客間で"花見"を提案。
日頃の感謝と労いも含め、妻や従業員達を空いた客間へ集める。
一本桜を酒の肴に旅館の人々は、十年物のシングルモルト・ウィスキーを、今か今かと待ちわびた。
褐色の物が輝きを放つなど、ありえないかもしれないが、ウィスキーにおいては別。
タンブラーを光に当て、ガラス越しに中の液体を通して見ると、ウィスキーは琥珀のように耀くのだ。
辛抱たまらず旅館の人々は、目の色を変えて、ウィスキーを乾ききった喉へ流し込む。
口の中いっぱいに広がる独特の香り。
喉を焦がすほどの刺激は、生きてる実感を教えてくれる。
身体は水を吸収するスポンジのように、五臓六腑に酒を染み渡らせる。
――――――――事件は、その時に起きた。
おぞましいことに、酒を口にした旅館の主人こと神蛇氏は、悶え苦しんだ末、絶命したのだった。
刹那の惨劇。
その後、旅館から通報を受けた、福生警察が現場を保存。
到着した警視庁、刑事部、捜査一課が臨場を行う。
鑑識係の検査で、被害者のタンブラーから「青酸カリ」が検出された。
福生警察署にて捜査本部が設置。
目下、事件は継続捜査中。
――――――――三日後。
桜田門に構える警視庁の、とある応接室にて……。
「このお事件、掘りましょう」
丙馬・麗和。
三十路の独身女は、自分の軽口を呪った。
また外部に情報を漏らしてしまった。
やはり自分は、この仕事に向いていないのかもしれないと、憂鬱になる。
耳を露出した短髪のせいか、職場ではシガニー・ウィバーと揶揄されることも多い。
もちろん、SF映画「エイリアン」を指してのことだ。
干支の組み合わせで甲乙丙の三番目、丙と十二支における午年が合わさる、丙午の年に生まれた女は、火のように気性が荒いなど言われる。
数え年こそ違えど、丙馬はまさに名を体で表したような気質。
その気質が功じて警察官となった。
警視庁刑事部、捜査一課、第五強行犯捜査、殺人犯捜査第七係(殺人、放火)に在席する丙馬巡査部長が、このカウセリングを受けるきっかけとなったのは、逃亡中の殺人犯を同僚の刑事と追っている時のことだった。
壁際まで追い詰めると、殺人犯はナイフを取り出し、同僚の刑事を襲いかかる。
とっさに人命の保護が急務と判断した丙子は、携帯していたリボルバー銃、М三七エアウェイトを発砲。
当たりどころが悪かったのか、殺人犯は死亡してしまう。
同僚刑事の命を救ったものの、彼女の銃使用は適切だったかを対象とした、審問会が警察庁にて開かれる。
審問会の結果は「人命の保護を第一とし、被疑者への発砲やむなし」とされた。
世論も彼女の発泡は、「正義の鉄槌」として支持していた為、社会で議論の的になることもなかった。
が、相手が凶悪犯とは言え、銃の発砲により人の命をその手で殺めた事実に、自暴自棄へ陥る警察官は少なくない。
丙馬巡査部長は直属の上司の判断で、周二回のカウンセリングを受けることを義務づけられ、今に至るのだった。
彼女はダークグレーのスーツから、ピアニッシモ・アイシーン・グラシアの箱を取りだし、一本口へ運ぶと内ポケットに箱をしまう。
すると―――――――。
「丙馬さん。ここは禁煙ですよ?」
「あぁ、失礼した」
彼女はピアニッシモの持つ、甘い香りを楽しむ間もないまま、煙草を箱に戻す。
革のソファーでくつろぐも、テーブルを挟んで向かいに座る人物が、視界に止まる度、落ち着かない。
心理員、乙丑・宗純。
四十五歳。
彼は警視庁警務部、厚生課、健康管理室に席を置く”地方上級心理職”、または”心理系地方公務員”だ。
【臨床心理士】と言った方が、まだ解りやすい。
被害者の心の傷を癒すカウンセリングもそうだが、警察に席を置く心理員に与えられた主な業務は、警察職員が職務に注力し安定した生活を過ごせるよう、メンタル面を整えること。
「乙丑」の名前は呼びづらい為、顔見知りは皆、読み方が違う「乙丑さん」と愛称を付けている。
この乙丑という初老の男。
初対面の時は度肝抜かれた。
上から下まで染まる、”桃”色のスーツは否応でも目を引きつける。
首に巻いたスカーフは”鯉”の刺繍が施され、鯉ののぼりが首根っこを、締め付けているように見えた。
百人中百人が目を奪われるであろう、奇抜なファッション。
春を運ぶ妖精も、このカウンセラーの服装を見れれば勘違いして、真冬に春の魔法をかけて桜の花を咲かしてしまうことだろう。
細見のレンズが光る、老眼鏡をかけた乙丑氏のヘアースタイルはというと、茶色味かかった髪を七三分けにし、前髪にボリュームをつけている。
どこかタカラジェンヌを気取っているように思えた。
服装もさることながら、その言動も引っかかるものがある。
カウンセラー乙丑は足を組み、膝の上で頬杖を付きながら考えにふける。
彼の思考は独り言として漏れ出てしまい、こちらにまで聞こえた。
「やはり”おウィスキー”に毒物が混入してたのかしら?」
ウィスキーに"お"はおかしいだろ?
この独特の言い回し。
本人は否定しているが、カウンセラー乙丑は周囲が”オネェ”だと揶揄しても、決して認めない。
彼のオネェ口調はカウセリング相手に対し、強い言いましや否定的な言動で、相手の意思を抑えつけることを避け、物腰の柔らかい投げかけで、警戒心を持たせない為にしているとのことだ。
とくに、このオネェ口調は女性に対して親しみを持たれ、相手が警戒心を解いて心が開きやすいとのことだが、言動を聞いていると、どこまで本当なの疑ってしまう。
おかげで課内じゃ、≪オカマ野郎とつるんでる丙馬≫と陰口叩かれている始末。
極めつけはその肌。
齢四十五の男とは思えぬほど、色艶のある肌だ。
とても放っておいて保てるような、色艶ではない。
日頃のスキンケアを想像すると、不気味さから悪寒が走る。
こっちは職場のストレスからなる生理不全と酒、煙草の不摂生で化粧乗りが、日々悪くなるというのに。
比べる相手が間違っているとは思うが、女子力において、完全な敗北を覚える。
天から授かった性は男と女。
しかし、その性格はジュブナイル小説で見る、思春期の男女が頭をぶつけたことで、中身が入れ替わったかのように性格が真逆である。
そのオカマ野郎は嬉しそうに、こちらの話に飛び付く。
「ワタクシ、こういう推理小説に出てくるような事件が大好物なんです。まるで作家、にのい・しち先生の作品のようですねぇ」
「にのい・しちが好きとは悪趣味だな? 文学の才も知性も感じられない、幼稚で低俗極まりない底辺作家だ。私が読んだ小説は『”本能寺の変”態・オレ信長』だった。あんなのが、よく作家なんてやってられるな?」
「丙馬さん……何故、それ読んだんですか? 女性が読む内容ではありませんよ? さすがのワタクシも引きます」
「う、うるさい! 暴行事件で犯人の裏付け捜査を行った時、押収した私物にあったんだ。好きで読んだわけじゃない…………まったく、なんで私はカウセリングなんか受けてるんだ? 今頃、捜査で借り出されるはずが――――」
日頃うっぷんが溜まっていたのか、口を開けば愚痴が、決壊したダムのように流れ出る。
後輩刑事の仕事の飲み込みが遅いだとか。
自分が女ということもあり、男がまだまだ幅を利かせる警察社会で、正当な評価を受けていないとか。
かと思えば同期に「刑事になる代わりに女を捨てた」などと、冷やかされたとか。
自分でもその口に、歯止めを効かせられなくなり、重要事件の概要まで口を滑らせてしまった。
やはりこれも話を聞き出す、心理士の技術によるものなのか?
カウンセラー乙丑は、こちらの愚痴を遮るように、話をかぶせる。
「都心から遠ざかった旅館……ありがちですねぇ。ミステリーの王道ですねぇ。ワクワクしますねぇ。青酸カリを飲むと、アーモンド臭がするのは本当なんてしょうか?」
「先生……不謹慎だぞ?」
咎める丙馬を見て、カウンセラー乙丑は手で上品に口を押さえ、それ以上出る言葉を塞いだ。
口から手を離すと、彼は話題を変える。
「あら、ワタクシったら、失礼しました。それでは丙馬さん。捜査の基本は、”容疑者”を絞るところから始まるのですよ?」
うるせぇな、こいつ。
丙馬は吐露した後、語り始める。
「言われなくても解ってる。容疑者は、もう固まっているんだ」




