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春麗のミステリーツアー【アンソロジー企画】  作者: 春麗のミステリーツアー参加者一同
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「般若観音寺の犯罪 2」 Kan 【ミステリー】

 ふたりが桜の花がこぼれ落ちてきそうな道を、まっすぐ歩いてゆくと、前方に立派な本堂が見えてきた。瓦葺きの大きな屋根が天に連なるようである。

 正面に賽銭箱があり、堂内の金色の仏が見えているので、ここから参拝することもできるが、どうせなら堂内で参拝したい、と祐介は思った。

 本堂の参拝者用の玄関は、向かって右側にあった。胡麻博士がそこを覗きこむと、土間と靴箱と受付があり、受付の窓には、女性が顔を覗かせている。付近の壁には「参拝料三百円」の文字と近日開催される美術展のポスターが貼られていた。


 胡麻博士が鞄から財布を出しながら、玄関に入ろうとすると、背後から聞き覚えのある声がした。

「胡麻さん、羽黒さん!」

 ふたりが振り返ると、豪華な袈裟、坊主頭に白い髭の老人が桜の木の下に立っていた。

「中川和尚!」

 胡麻博士は乾いた声だったが、さも感動したように言った。


 その人はこの般若観音寺の住職、中川照行(しょうぎょう)和尚であった。


「おふたりとも今、到着されたのですね。良かった。バスで来られたのですか。そうですか。それでは、早速、明日の打ち合わせを。いえ、その前に私が本堂をご案内しましょうね」

 と中川和尚は、いかにもせっかちな様子でそう言うと、髭を撫でながら、ふたりの反応もろくに見ずに、本堂の玄関に向かって歩き出した。

 胡麻博士と祐介は、それより先に飲み物が欲しかったが、物申す元気もなく、中川和尚についていった。


 ふたりは和尚に案内され、玄関で靴を脱ぎ、それを靴箱に放り込み、そこから(うぐいす)張りの廊下を歩いて、線香に(いぶ)されたような薄暗い堂内に入った。

 絢爛たる荘厳(しょうごん)が蝋燭の灯りに照らされ、暗闇の中に朦朧(もうろう)と浮かび上がって見えた。目の前には三メートルほどの大日如来坐像が金色に輝いている。見た目は釈迦如来とあまり変わらないが、宝冠をかぶり、忍者のような印を結んでいる。その表情は、眠りについているような静けさの中に、慈悲の心が満ちているようだった。


「これは立派だ」

 と胡麻博士は頷いて、渇いた声を出した。

「ご本尊ですな」

「ええ。なんでも、室町時代のものだとか。大日如来坐像です」

「ほほお」

 胡麻博士と和尚は、それから祐介には理解できない会話を続けた。


 祐介は般若観音寺なのに、ご本尊が大日如来というのはどういうわけだろう、と疑問に思った。しかし、そんなことを聞くのはいかにも野暮な気がしたので、祐介は、気分を変えて、ぼんやりと内陣の諸々の仏像を眺めながら、大日如来のまわりをぐるりと一周することにした。


 大日如来の座っている蓮華座の檀を後ろから見ると、なにやら金属の戸のようなものがついている。これはなんだろう、と一瞬は思ったが、それ以上は詮索しないのが、興味のない者の常、祐介はそのまま、一周して和尚と胡麻博士のもとに帰ってきた。


「それでは、おふたりとも、会議室に行きましょう」

 と和尚が言うので、胡麻博士と祐介は本堂を出て、隣にある真新しい二階建ての建物に入った。ここはなんでも般若観音寺会館というらしかった。その一階に会議室と書かれているドアがあり、そこには白いテーブルと椅子が並び、ホワイトボードまでかかっているというひどく現代的な内装だった。


 中川和尚はふたりに茶を注いだ。胡麻博士はそれを受け取るとふうふうと冷ましながら、慌てた様子で飲んでいる。和尚はそれを見つめながら、椅子にどっかりと座ると、さも心配そうな声を出した。

「おふたりを本日、こちらにお呼びしたのは、先日ご相談した通りなのですが……明日、江戸時代から秘仏であった観音像を厨子から取り出すのです。そのための専門家の方も何人かお呼びしているのですが、どうも心配でならないのは、その中に観音像を盗もうとしている人間がいるのではないか、ということです」

「その中に?」

「ええ。観音像の存在を知るもの、そして、その価値を知っているものは専門家レベルの人間だと思うんです。今夜から専門家の方々がこの寺に泊まりますが、どうも疑わしい人ばかりで、明日、警報機をオフにして厨子から取り出したりする時に、この寺の宝ともいうべき、観音像が何者かに盗まれるのではないか、と思うのです」

 祐介にはどうも和尚の考えすぎに思えた。一体、仏像が狙われているという疑いに根拠はあるのだろうか。


「なにか、そう思わせるような事件があったのですか?」

 と祐介が尋ねると、和尚は悲しげな顔をして頷いた。

「あったんです。ずいぶん前なのですが、厨子の鞄錠を壊そうとした形跡が見つかりましてな」

「なるほど。厨子には警報機等はつけていないのですか?」

 と祐介がまたも尋ねる。

「現在はつけております。厨子の鞄錠を壊そうとした引っかき傷を発見してから、すぐに警報機を取りつけました」

「それだったら、何もそんなに心配することもないでしょう」

 と祐介は妙に楽観的な気持ちになって、かえって、少し馬鹿馬鹿しい気がしてきて言った。


 胡麻博士も盗難についてはあまり関心を示しておらず、お茶をもっと飲みたそうにしている。そして、じろりと中川和尚を睨みつけると、

「それよりも」

 と切り出した。

「秘仏を開帳することでなにか祟りが起こるということは考えられませんかな」

 和尚は、馬鹿馬鹿しい、と言わんばかりにかぶりを振った。

「いえいえ、祟りだなんて。一番心配なのは盗難ですよ。観音像を盗もうとしている輩はきっとこの近くにいるんです。いいですか。祐介さん。定朝作の観音像ということになれば、いくら小さいものでも、オークションで、おそらく数億円の値はつくでしょう。私は別に金額のことを言っているわけではありませんが、それだけのものがあるとして、どうして安心していられましょうか」

 と和尚が金額を出して、熱く語ったのが、胡麻博士には逆効果だったらしく、空になったお椀を握りしめながら胡麻博士は、

「でも、なんで、秘仏を開帳しようだなんて思ったんです」

 と不満げに言った。


「それは、寺の経営に関わる話です。世間では裕福に思われている般若観音寺ですが、過疎化のせいで檀家の数も減り、深刻な状況です。それなのに観光寺になるにはまだまだ弱いんです。立地も悪いですからね。なんとか手を打たねばなりません。観音さまだって、もともとは開帳されていたものですから、このまま秘仏にしておく必要はないわけです」

 とあまりにも経営的な話が続くから、胡麻博士はいよいよ面白くないらしく、顔をしかめた。

「私は反対ですな。文化財保護の観点でみれば、開帳すれば、それだけダメージを受けやすくなる。また信仰の観点でみれば、帳の外からでも、御前立ちでも、ご利益はきっと変わらないはずですな。観光寺なんて目指さなくてよろしい。信仰が第一」

 と非難たっぷりに言った。

 なんだか、祐介は嫌な空気感を感じて、そわそわしてきた。


「そういきません。仏教にとって、観光寺がいけないわけではありません。観光仏教のおかげで、若者は仏教に関心を持ち、遠くからはるばるこの地まで参拝に来るわけです。それは仏教にとって非常にプラスなことです」

 と和尚は熱く語り反論する。


 祐介は完全に話題についていけなくなって、胡麻博士と和尚の論争を眺めていた。

(ふたりとも頑張れ。そして、今日の晩御飯はなんなのだろう……)

 祐介はお腹が空いていた。

「それで、その観音像はどこにあるのですかな」

 と胡麻博士がいくらか興奮が落ち着いた様子で尋ねた。

「観音堂の厨子の中にあります。この寺には、その他に弥勒堂と文殊堂がありますが、観音堂は弁天橋という橋を渡った先にあります」

「ちょっと見に行きましょうか」

 と胡麻博士は機嫌がよくなったらしく、立ち上がった。


 三人はその般若観音寺会館から出て、再び桜の小道を通り、さらにアスファルトの坂道をひたすら登った。まわりには朽ちかけた地蔵菩薩がちらほら見えている。

「明日、皆さまの前で厨子を開けることになっていますが、実はこっそり、今日のうちに中身を確認してしまおうか、と思うのですが、それで、別の場所に移動してしまおうか、と……」

 と中川和尚が声をひそめて語ると、胡麻博士は不満げに唸った。

「それはいけませんな。明日は大安、今日は仏滅。日付けは変更できませんな」

 祐介は、お坊さんよりも厳格な胡麻博士を微笑ましく思った。


 空は今にも雨が降り出しそうな灰色だった。三人はアスファルトの歩道から抜けた。道はそのまま、弥勒堂の方まで続いているらしい。しばらく土の上を歩かなくてはいけなかった。

「こちらは雨が降ると、とてもぬかるみますから気をつけて……」

 と和尚は言った。あとで考えると、これはとても重要なことだった。


 橋が見えてきた。なんでも、これが弁天橋らしい。その下を流れる川は、補陀落(ふだらく)川という名だという説明を和尚から受けた。補陀落というのは観音さまの浄土のことである、という説明をされても、祐介は観音さまも浄土もよく分からないので、微妙な気分になった。さらに進むと、左手に小ぶりなお堂が建っていた。


「あれは文殊堂です。文殊菩薩をお祀りしています……」

 と和尚は説明を交えながら、さらに突き進んで、目の前に現れたお堂を指差した。

「あれが観音堂です!」

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