「人ヲ殺ス死体 ―― Murder of the Dead ―― 8.復活」 夢学無岳 【本格推理】
8.復活
老人が早乙女を見ると、彼女は気を取り直し、慌てて「物的証拠と動機ですね」と言った。
それを聞いて、彼は嬉しそうな顔をした。
「その通りでございます。これらがなければ、犯人が生きていた場合の話でございますが、起訴して有罪にする事が不可能でございます」
早乙女が「明らかにすることは、無理……、ですよね」と言うと、彼は「ふむ」と顎を撫でた。
「ここから先は、推理ではなく、推測でございますが……」
彼女が、それでも、と言うと、彼は先を続けた。
「犯人にとって、想定外だったのは、消防車が、たまたま近くにいて、消火活動が早かった事でございます。そもそも、これは計画的犯行ではございません。このように頭の良い犯人なら、計画を立てるのなら、もっと楽で確実な方法を選んだはずでございますし、また、後悔して自殺することもございませんでした。つまり、これは衝動的犯行であり、犯行時、使った道具は、すべて、ご主人の家にあったものと推測できます」
老人が、手の中の卵を揉むと、卵は綿の手袋へと変わった。
「犯人は、ご主人を殺害し、家中の自分の指紋をふき取っていた時に、ご帰宅された奥様と鉢合わせしたものと存じます。犯人は咄嗟に奥様を気絶させました。しかし、思い出したのでございます。家を訪れた時に、隣人の女性に顔を見られたことを。おそらく路上に停めた車からも、すぐに足がつくと思われたでしょう。それ故、アリバイを作るためのトリックを考え出したものと存じます。奥様を、ダクトテープを使って椅子に拘束し、殺害現場の血痕を拭きとり、部屋を綺麗にしました。そして後で、自分が帰った時には、まだ二人とも生きていたと見せかけるために、彼女を脅迫して電話をかけさせ、テレビをつけたものと存じます。しかし、その時は、まだ昼間だったので、作業を行った部屋の電灯しかつけなかったのでございます。家の鍵は、玄関を施錠して外へ出た後、窓のすき間から、リビングに投げ込んだのでございましょう」
彼は手袋をはめた。
「犯人は、おそらく、ご主人の射撃用のグローブをつけて作業されました。その革の欠片がテープに付着したのでございます。そして、作業が終わった時、ご主人のDNAを含んだ血液と、内部に自分の指紋が付いている、その物的証拠を持ち歩きたくないと思われたかも知れません。帰宅途中、警官からの職務質問を受けたり、事故や事件に巻き込まれたりするなど、万が一を恐れたのでございます。そして、証拠品はこの場で処分しようと思い、どうせ火事にするのなら火元に置いて、すべて灰にしてしまおう、と考えたかも知れません。よもや、一部屋だけ燃えて消し止められるとは、考えが及ばなかったと存じます」
早乙女は叫んだ。
「そうです! 証拠品の中に、黒焦げのグローブがあったと思います。たしか、爆発のあった部屋、段ボール箱の中に、大量のガラクタと一緒に入っていました。フィリップスや他の捜査官は、爆弾の痕跡などは熱心に探して、詳細に分析していたけど、ガラクタの大半は、まだ、ほとんど調べ切れていませんでした。調べ終わる前に、捜査が打ち切られたんです」
「早乙女様。革の組成が一致するか否かは、すぐに判明すると存じますが、燃えた手袋内部の指紋を検出することは、可能でございますか」
早乙女は眉間にしわをよせて考えた。
「内部まで完全に燃えていないと良いのですが……。あの外観を見た限り、粉末法は難しいと思います。もし内部が完全に炭化してなかったら、噴霧法や液体法で検出できるかもしれませんが……。それ以上だと……、炭化した素材が崩壊しないように工夫して分解し……、レーザー光を使って、スペクトル分析結果を3Dマップ化……、波長ごとに確認していけば……、とても難しいですが、不可能ではないと思います」
その返答を聞き、老人はとても満足そうに頷いた。
「物的証拠が存在する可能性がございましたね。では、次に、動機でございますが、それは遺書に書かれてございましたか」
「ええ。姪の手術代を借りようとしたら、ジョージに、姪の命などはどうでもいいと言われ、まるで、それを理由に金をせびる虫けらのように扱われたそうです。命の恩人に対して、そんな態度をとるので、つい、逆上して殺してしまったと書いてありました」
彼は、「そうでございましたか」と悲しそうな顔をした。
「兇悪なる殺人は、許されざるものでございます。しかしながら、この世には、完全なる悪人はいないのでございます。誰でも、愛する心を持ち、神から与えられた、大いなる知性と理性を持つにも関わらず、一時の激情により、罪を犯してしまうものでございます。その後、罪の意識に苦しみ、自ら命を絶たれてしまわれるとは……、犯罪とは、まことに悲しいものでございます」
窓の外を見ると、桜の花びらが、はらはらと散り始め、入学式の帰りなのか、ランドセルを背負った子供と、その両親が楽しそうに歩いていた。
早乙女は、「長年の疑問がやっと解けました。ありがとうございます」と深々と頭をさげた。老人は「お役に立つ事ができまして嬉しゅうございます」と微笑んだ。
「それで、あのう……」
彼女は恐る恐る「お返事の方は……」と聞いた。
老人は、彼女の前のコーヒーカップを、手のひらで指し示し、「それがお答えでございます」と言った。彼女は、不思議そうに見ていたが、思いついたのか、コーヒーをすべて飲みほした。
カップの底に、金文字で「Yes」と書かれてあるのを見て、早乙女は顔を輝かせた。
「はじめから、引き受けてくれる、おつもりだったんですね」
「いいえ、早乙女様のお話を、すべてお聞きした上での返答にございます」
彼女は「でも……」と思ったが、もしかしたら、断わる場合は、コーヒーを飲み切る前にカップを下げるか、交換するつもりだったのだろうと推測した。彼女の考えを見抜いたのか、老人はニッコリと微笑んだ。
「これから、どうぞよろしくお願いいたします」
老人がお辞儀をすると、彼女も慌てて頭をさげた。
「次は、何をなさいますか」
「チーム作りです。まだ、これで二人だけなので」
そう言うと、彼女はテーブルの上に置かれた、自分のハンカチを広げた。そこには透明のケースに入った、真新しい名刺が挟まれていた。
警視庁 刑事部捜査第一課 特命捜査対策室 不可能犯罪係
顧問 特別捜査官
氷室裕天
それを見て、老人は軽く目を見開き、嬉しそうに笑った。
「これはこれは。早乙女様。一本取られました」
彼女は、恥ずかしそうに、それを彼に渡した。
「ところで、早乙女様……」老人は名刺ケースを両手で持って、愛嬌のある目をした。
「フィリップス様のご推理、当たりでございましたね」
それを聞き、早乙女は、ちょっと複雑な気分になった。
本作は、Kanさま主催の『春麗のミステリーツアー【アンソロジー企画】』のために、
急遽、(そのうち書こうと思っていた)『引退魔術師の奇妙な事件簿(仮)』のプロローグとして、執筆したものです。
初めて書いた推理小説。けっこう楽しかったです。
この企画がなければ、フィリップス捜査官などのキャラクターは生まれませんでした。
Kanさまに、厚くお礼を申し上げます。
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