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春麗のミステリーツアー【アンソロジー企画】  作者: 春麗のミステリーツアー参加者一同
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「四月の魚は夢をみる 前編」 佐野すみれ 【純文学】

 桃の節句といわれる雛祭りの日は、家中が女を(にお)わせる色や物で溢れ、(かしま)しくて仕方がないと四月一日(わたぬき)綿(わた)は、宴が開かれている大部屋の縁側に座り、障子の縁に背を凭れさせながら庭の池を眺めながら思う。

 池の近くには桃の節句に相応しく、桃の花たちが濃厚な花香を春風にのって薫りたち、春のそよ風に揺られ、はらりと舞い散った幾枚の桃色の花弁が池の水面に浮かび、花の筏を作っている。

 美しい桃色の花弁は、池の錦鯉たちには餌と同等なのか、時折ぱくぱくと口を開いては花の筏に食らいついており、綿はその光景を黙りと見つめていた。

 背後からは春の宴に舞いあがり、浮かれ騒ぐ大人連中の酒気と声量が飛び交い、それらが女の色と(にお)いに()ざりあい、一つの混沌を創造しているようで、綿はその爛れた空気から逃れるように、目の前に広がる静かな景色だけを瞳に捉えていた。

 柔らかな春のそよ風に撫でられるたび、さわさわと慎ましく愛らしい喘ぎ声を奏でる桃の花たちは、無垢で、可憐でいいなと耳を澄ましていると、綿の頭上から騒音を切り裂くような耳慣れた声が落とされる。


「お兄さん。昼間からなにを一人で黄昏てるんです?」


 ゴム毬が弾んでいるような楽しげな声音から、声を発した人物がどんな表情をしているのか、綿は見なくとも分かった。なので後ろを振り返ることなく、綿は庭の景色を捉えたまま返事をした。


「別にいいだろ。俺が何をしてようが俺の自由だ」


「まあ。つれないこと、お兄さん」


 綿の素っ気ない反応にかまうことなく、声をかけた人物は冗談をいう口振りをしながらカラカラと笑い声をあげ、そのまま綿に断りを入れることもせず勝手に隣へと座した。

 自由気儘な素振りをするのは何も自分だけに至る話ではないため、綿は無断で隣に座る人物を特に咎めるようなことは口にしなかったが、それでも寡黙な一瞥をくれてやることだけは怠らなかった。

 無気力な視線だけを相手に送りながら、綿は隣に座った人物を目にする。

 若草色の落ち着いた着物を纏う自分と違い、鮮やかな緑色の布地に毬や桃の花の紋様が施された着物を着用し、長く伸びたふわふわの猫っ毛を緩やかに結い上げたところには、着物の紋様と同じく桃の花を(かたど)った飾りのついた(かんざし)を差し、なよやかな風が吹くたび揺れている。

 唇にはほんのりと紅がさされ、薄く開かれた口もとは見事なまでに艶やかであり、ぱっと見たら誰もが妖艶な女性だと胸の鼓動に早鐘を打たせることであろう。綿は冷ややかな溜め息を一つ吐くと、その妖艶な雰囲気を漂わす人物に話し掛ける。


「…(きぬ)。なんで女物の着物なんて着てるんだよ」


「えー?だって今日は雛祭りだし?折角だから童心に帰ろうかなと思って」


 綿は隣に座る実の弟である絹に向けて、半ば呆れた様子を隠すことなく晒しながら言うが、当の本人は兄である綿にそんな反応を示されたところで一向に気にもせず、ただ愉快そうに笑って話すだけであった。

 先ほどまで悪巫山戯(わるふざけ)に鼻につくような高い声を発し、女のような声音を作っていた絹は、声を地の色に戻して快活な笑い声をあげている。そうしていると、普通に年相応に若者の青年であるなと弟を見つめながら安心感を覚えていると、絹は今度は無邪気な少年のように口を開きはじめた。


「家は毎年雛祭りになると煩いよね。子供たちは可愛いからいいとして、行き遅れの女達も無駄に着飾るし。それに一々お愛想振る舞わなきゃいけない男たちの身にもなってほしいな」


 にこやかな笑顔を絶やさず、悪怯(わるび)れることなくそう言ってのけてしまう絹に、綿は苦々しい表情を浮かべることしかできず、そんなことを口にするものではないと叱咤するべきところなのだろうとは、良識的には分かっているが、私的には同感するところもあるため、頷き返すこともせず、ただまんじりと黙っていた。それから、宴の渦中にいた間はあんなにも“おねえさま”方に愛想の大盤振る舞いをしていた者から出た言葉だとは、到底思えないほどの言い様の弟に、末恐ろしさを感じていた。


「雛祭りって女の子の無病息災とかを願って、健やかな成長をお祝いする為にあげる祝事のはずなのに、あんなに立派な雛人形を飾っても、大して誰も見やしない。女達は雛人形よりも綺麗な着物を着た私を見てって、そればっかりだね」


 雛人形たちもあれじゃお飾り人形というよりも、ただの置き物になっちゃうね。という絹の皮肉に、綿はちらりと目だけで後ろを振り返ってみる。

 確かに、立派な何段もの雛飾りの雛人形たちは宴の開かれている大広間の部屋に鎮座しているだけで、誰も人形を見ている者はいなかった。

 皆一様に用意された馳走やつまみ、酒や飲み物、菓子や甘酒といった酒肴を交わしながら、薄っぺらな内容の話を興じては談笑している。

 小さな子供たちは大人たちのその馬鹿騒ぎに飽きてしまったのか、大広間には可愛らしい小さな女雛のような姿の子供たちは姿を消していた。

 屋敷には他にも部屋が幾つも存在するので、子供たちはきっと別の部屋で骨牌(カルタ)やトランプなどのカードゲームをしているのかもしれないと綿は思った。それから、その判断は正しく利口であるとも。大人よりも余程賢い選択を心得ている。

 大広間に静かに佇む雛人形たちが、憐れな大人たちを雛壇から恨めしそうに見下ろして睨んでいるようにも思え、綿は思わず身震いしそうになってしまう。

 人形の怨念などホラー以外の何物でもないと、冷たい想像を払いのけるように呟いた。


「…お着物を着た置き物ってところだな」


「うわ。寒い。春なのに寒い」


「まだ冷え込むからな」


「え?まだ寒くなるようこと言うの?」


「お前の頭はいつでも春だから安心しろ」


「なにそれ、酷いね兄さん」


 心外にもほどがあるんだけどなどと言いながら、態とらしく寒そうに自身を抱き込めて擦る絹は、自然な形で頬を緩めて笑っていた。


「頭のなかが春じゃない奴が、趣味でもないのに態々女の着物を着るわけがない」


 綿がぴしりと断言するように指摘してやれば、絹は猫目石を彷彿とさせる煌めく瞳を三日月の形へと変貌させて、猫口の緩んだ口元を楽しそうに綻ばせて言う。


「だからさっき言ったでしょ?童心に帰ってるんだって。なんなら兄さんもそんな地味な着物脱いでさ、俺と一緒に童心に帰らない?」


 にやにやと悪戯な笑みを浮かべる弟に、綿は心底呆れて嘆息を漏らし、次いで一言だけ述べた。


「断る」


 竹を一刀両断にする鋭い刃の如く断言する綿の頑とした態度に、絹は絶えず愉快そうな笑みを浮かべている。


「えー?おねーさん達も言ってたよ。俺と兄さんが二人で女装したら、きっと他の女達(ひとたち)が霞むくらい美人姉妹が出来上がるに違いないって」


「あの人達は面白がってるだけだ。真に受けるな」


「そうかな?多分負け惜しみだと思うよ。女の自分達が男に負けてるっていう劣等感を直隠(ひたかく)すために、口を揃えて意地になってるのが目の中に明け透けだったもん」


 必死に取り繕ってるのが見え見えなのに、それでも頑張って私は全く気にしてませんからっていう空気感がね、ひりひり伝わってくるんだよ。と笑う絹に、綿は兄として弟の性格の捻れ具合が多少心配になってきた。

 絹も綿も、青年にしては細い体の線をしており、長身とはいえ和服という体の線が浮き彫りになりにくい着物を纏ってしまえば、その儚く涼やかな相貌も相まって女性に見えないこともないのであろう。

 整った顔貌と体型は中性的な美の雰囲気を放つには十二分であり、この兄弟の容姿が端麗であることは、一目瞭然であった。そして兄の綿と違い、弟の絹はそのことを自覚しているために、わりと傲慢不遜な物言いをする。素直で純粋といえば聞こえはいいが、要するに残酷無比なのだろうと綿は見事に妖艶な女に扮している絹を見ながら、また一つ憐愍の息を吐いた。


「兄さん溜め息ばっかりだね。あんまりし過ぎると、幸せも楽しみも逃げていくよ」


「逃げていく幸福も愉楽も持ち合わせてないんだ」


「それは大変だ。それじゃ、やっぱりここは一度童心に帰って子供の頃の楽しい記憶を甦らせよう」


「断る」


 何がなんでも自分のことまで童心に帰らせよう試みる絹に、綿は切れ長の目もとを一際鋭くさせながら言葉を断ち切った。

 ひりついた空気を醸しはじめる兄の姿を見た絹は、これ以上のお巫山戯はよしておこうと肩を一度だけ竦めると、冗談だよ。と笑うのだった。

 綿は冷たく言い置いた拒絶の言葉を反芻しながら、絹の言った童心に帰るという言葉も一緒に反芻し、幼少の頃の記憶を手繰り寄せる。


 七つまでは女の格好を強要させる、おかしな家系。四月一日。

 八つの歳を迎えるまで、綿も絹も女児の装いをさせられていた。そのため、幼少時は兄弟というよりも、姉妹と間違えられることが多かったのだ。男なのに女のような振る舞いや服装を強制させられていた子供の頃の思い出は、綿にとってはあまりいいものではない。

 この習わしは今も四月一日の家に根強く残っており、桃の節句に似合った華やかで愛らしい着物を着た子供たちのなかには、男児も含まれていたことを思い出した綿は、思わず眉を顰めてしまう。


「馬鹿げてる。この家も、お前も」


 腹のなかに巣食うどろりとした何かを吐き出すように、綿は言葉を捨てた。しかし綿が捨てた泥々の何かは、絹が簡単にひょいと拾い上げる。


「馬鹿でいいじゃん。なんせ我が家系の名は四月一日。四月馬鹿なんだからさ」


 四月馬鹿。いい得て妙だなと、綿は弟の戯言に口端を素直にあげた。


「まだ三月も始まったばかりだっていうのに、家はもう四月がきてるのか」


 三月の訪れを知らせるように咲き乱れる、庭の桃を見つめながら、綿は途方もなく先を生きすぎているような心地がして、また溜め息を吐いてしまった。

 再び口から憂いの吐息を漏らす兄を見て、弟は仕方がない年長者だなと再度肩を竦めていた。

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