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春麗のミステリーツアー【アンソロジー企画】  作者: 春麗のミステリーツアー参加者一同
18/64

「春爛漫!桜餅増量事件」 国見秋人 【ミステリー】

春は別れと出会いの季節、といったのは誰だったか。

卒業式と入学式、新社会人としての門出など氷の下から芽吹く息吹のようにこの時期は様々な物語が生まれる。

寂しさと一抹の不安とともに、素敵な出会いの予感にどこか心が浮き足立ってしまう人も多いだろう。

春の陽気に誘われ特に行くあてもないままふらりと出かけてみたり、思いきって気になっていた店に入りショッピングを楽しんでみたり。

今まで気づかなかった自分を知り、そして新たなことに挑戦するにはピッタリな季節ではないだろうか。

そうして次の縁を紡いで世界が広まっていくのだろう。


ただ1人の引きこもりを除いては。





神保町駅から有楽町線に乗り換えて約20分。

私と先生、そして友人の椿井(つばい)さんと桜の名所、江戸川公園へやってきた。目的は勿論、この時期にしか見られない桜並木を見ながらのお花見だ。

既に多くの花見客で埋め尽くされており酒盛りをする者、弁当に舌鼓を打つ者、写真を撮る者などおもいおもいの方法でこの景色を満喫していた。

「晴れて良かったですね。桜も満開で綺麗だなぁ」

レジャーシートに弁当を広げながら舞い散る桃色の雨に目を細める。神田川に張り出した桜のなんと華やかなことか。

去年は先生が修羅場だったため泣く泣く断念したが今年は来られて良かった。

まぁ、たとえ修羅場でなくても先生を外に連れ出すこと自体が一番厄介なのだが。


先生――――鬼頭宗一郎(きとうそういちろう)は推理作家でありながら相談役と称して警察から捜査協力を依頼されることがある。

その推理力が評され噂を聞きつけた他の警察署からもお声がかかることがあるが、如何せん彼は酷い出不精なので外に出ることを極端に嫌う、いわゆる引きこもりなのだ。

そのため助手である私、九重千紘(ここのえちひろ)が学業のかたわら小説の資料収集や彼の身の回りの世話など家事全般を任されている。


「太陽光が突き刺さる…つらい…眩しい…」

「んもぅ、こんな最高のお花見日和なのに辛気臭い顔しないでちょうだい。せっかく作ったお弁当が不味くなるわ」

タオルを頭からかぶり直射日光から逃げるようにうずくまる先生に椿井さんが注意するが、オネエ口調なのであまり迫力がない。

「クソッ、何でこんなに晴れるんだ。雨になるようあんなに逆さのてるてる坊主をぶる下げておいたってのに。そもそも公園なんて人は多いわ酔っぱらいはうざいわ花粉はギュインギュインとんでるわで良いことなんて1つもないじゃないか」

「そんなF1みたいなスピードで花粉はとんでいませんよ先生」

銃弾か。外にいる人全員蜂の巣じゃないか。

そして大量の逆さてるてる坊主は片付けるのが本当に大変だったので後でたっぷり説教しておこう。楽しみにしておくがいい。

「ではでは!あたし特製お弁当箱の御開帳よー!今回は春野菜をふんだんに使ったおかずに筍ご飯、そしてお弁当には定番の唐揚げとだし巻き玉子も詰めてあるわ」

神田神保町の路地裏に喫茶店を構えるマスターの彼が作る料理はどれも絶品でリピーターも多い。それをよく知っている先生は色とりどりのおかずを見つめごくりと生唾を飲みこんだ。

「僕お手製の和菓子もありますよ。春ということで桜餅にお花見団子、うぐいす餅に草餅も拵えました。桜餅は先生が好きな長命寺タイプで作りました。こし餡が好きな先生のために頑張って漉したんですからね」

「ええい御託はいい。ぼさっとすんな。とっとと食わせろ!」

さきほどまでの死にそうな顔はどこへやら。レジャーシートを叩き早く早くとせがむ姿はまるで駄々っ子だ。

「はいはい。宗一郎は花より団子ですものねー」

「花見たって腹は膨れないだろうが」

「テンプレートな回答をどうも。さぁ食べましょう」

いただきますの合図と同時に先生は勢いよく箸を伸ばした。

唐揚げと桜餅を取り交互に頬張るものだから見ているこちらは喉を詰まらせないかハラハラしてしまう。頼むから落ち着いてくれ。

「あ、椿井さん。お弁当のお礼に甘酒をどうぞ」

「あらーありがとう、ちーちゃん。早起きしたかいがあったわ。やっぱり甘酒は欠かせないわよね」

「良さが全く分からん。ドロドロして不味いだけじゃないか」

ほうじ茶を啜りながら先生がぶつぶつと文句を垂れた。

「お子ちゃま舌の宗一郎には一生分からないわよ」

「オカマ舌の間違いじゃねえか」

「オネエだっつってんでしょうが」

学生時代からの仲なのでお互いに全く遠慮がない。笑いながらも憎まれ口を叩き合う2人を横目に私も草餅を頬張った。

桜の合間から暖かな陽光が差し込みのんびりとした微睡みを感じる。

うっかり寝てしまいそうな心地よさに浸っていると何かが手に触れ急速に現実へと引き戻された。

「…ボール?」

大きめのゴムボールだった。

辺りを見回すと4、5歳くらいの子供たちがこちらに向かって慌ただしく走って来た。どうやら持ち主のようだ。

「ご、ごめんなさい、そのボールぼくたちのです」

ガキ大将っぽい男の子が申し訳なさそうに首をすくめた。たどたどしい口調がとても可愛らしい。

「はい、人がいるところで遊んじゃ駄目だよ。気をつけてね」

「うん、ごめんなさい」

素直に謝りボールを受け取った。見たところ親がいないようだがまさかこんな小さな子たちだけで遊びに来たのか?

「君たちだけで来たの?」

「ううん、ママたちときたんだよ。ほらあそこ」

指を差した先には若い母親たちが私たちと同じようにお花見を楽しんでいた。ママ友ってやつだろうか。まぁ目が届く範囲に親がいるなら一安心だな。

「すごーいおいしそう!」

三つ編みの女の子が弁当を見て感嘆の声をあげた。他の子たちも興奮したように飛び跳ねながらわいわいと騒いでいる。

「もし良かったら食べる?」

食事は大勢で食べる方が楽しいし美味しいからと誘ってみたのだが子供たちは途端にしょんぼりと顔を下げてしまった。

「たべたいけど、知らない人から食べものもらっちゃだめってママから言われてるの…ごめんなさい」

失念していた。

そりゃそうだ。昔に比べ物騒な事件が多くなった昨今、知らない人間に食べ物をもらうどころかこうやって話をしていること自体この子たちにとってリスキーなのだ。

余計なお節介を焼いてしまいかえってこの子たちに申し訳ないことをしてしまった。

「別にいいじゃねえか九重。食わないっつってんなら無理に勧めんな」

大人しく食べていた先生が突然話に割り込んできた。

「ですが先生…」

「だから無理に勧めんなっての。むしろ俺の食う分が減るから食わせるな。でもあーあー残念だなーこんなに美味いのになーほっぺたが落ちちまうなー最高だなー」

わざとらしく大口で菜の花のベーコン巻きに食らいつく先生に子供たちの視線が釘付けになった。黄色い帽子をかぶった男の子なんてよだれをだらだらと垂らしている。

「う、うそだ!ほっぺた落ちてないじゃん!」

「そうだそうだ!」

嘘つきだと口々に言い合う子供たちに推理作家はしれっと言い放つ。

「あぁん?文句があんならお前らも食ってみればいいじゃねえか。百聞は一見に如かずだ。オラ、チビども靴を脱いできちんと座れ。順番にウェットティッシュを配るからしっかり手を拭いていただきますを言うんだぞ」

よーし負けないぞ!と何故か意気込んだ子供たちがぞろぞろとレジャーシートにあがってきた。

別に勝ち負けは関係ないのにと思いつつうまいこと誘導した先生に拍手を贈った。口先のうまさは天下一品だなこの人。

「おいしい!」

「ほっぺたは落ちないけど落ちちゃうくらいおいしいよ!」

「このさくらもち、ぼくのママよりおいしいかも!」

いやいや、さすがにそれは君のお母さんに悪いだろう。

でもこんなに喜んでくれたのなら作った者として冥利に尽きるが少し複雑な気持ちである。

「君のママも桜餅を作ってくれるのかしら?」

「うん、そうなの!」

いつの間にか席を外していた椿井さんが戻ってきた。思えばこの子たちを食事に誘ったあたりから姿が見えなかった気がする。

「しっかり許可はとってきたんだろうな。もう手遅れだぞ」

「心配ご無用よ。あたしのトーク術をナメないでちょうだいな」

マスターはVサインで応えた。

「椿井さんどこへ行っていたんですか?」

「この子たちのお母さま方に挨拶しにいっていたのよ。大切なお子さんが見知らぬ人間が作ったものを口にするんだもの。きちんと身の内を明かして食べる許可をもらってきたから安心してちょうだい」

痒いところに手が届くというか、さすが接客業をしているだけあって周りへの気配りが段違いにうまい。

「ありがとうございます。でもすみません、僕の考えなしの言葉のせいで手間をとらせてしまって」

「いいのいいの。茨屋珈琲店の割引券を配って宣伝もバッチリ出来たから寧ろ助かっちゃったくらいよ。今度のお茶会ではうちのお店を利用してくれるって言質もいただいたしね!」

決して手ぶらでは帰らない逞しすぎる商人魂に開いた口が塞がらない。さすがやり手のオネエマスターだ。

喫茶店のマスターが作ったものなら私たちに対する不審感も少しは拭えただろう。

「ふふん、うめぇだろう。俺はなこれを毎日食ってんだぜ」

「毎日!?」

「朝ごはんもお昼ごはんも夜ごはんも?」

「すごーい!!」

「いいなーいいなー!」

子供たちが先生を取り囲み称賛の嵐を巻き起こした。それに気を良くした先生の顔が次第にだらしなく緩み始める。

「そうだろうそうだろう!すげぇだろう!」

ガハハハと大笑いをする先生に生ぬるい視線を送る。

あんな小さい子供におだてられてどうする。それに凄いのは作った私と椿井さんであって決して貴方じゃない。何をドヤ顔で言っているんだこの35歳児は。

「でもねれんくんのママもすごいんだよ。『カリスマしゅふ』っていうお仕事してるってママがいってた!」

「カリスマ主婦?」

「うん!こんどねお料理のご本もだすんだって!」

友達に褒められ『れんくん』と呼ばれた黄色い帽子の男の子は照れくさそうに頬を赤らめた。

「なんだよ坊主。そっちこそ毎日美味い飯が食えていいじゃねえか」

「えへへ、あのねママはねいつもキラキラしたごはんをつくってくれるんだよ!」

「あらーすごいじゃない。カリスマ主婦なだけあって見た目も豪華ってことね素敵!いつかご相伴に預かりたいものだわ」

一口にカリスマ主婦といっても節約術が得意だったりカフェ風のお洒落な料理を作ったりと様々なタイプがいるが彼の発言から察するに後者だろう。

レシピ本が出版されるほど有名なら料理好きとして買わないといけないなとくだらない使命感に駆られる。

ひとしきり満足した子供たちにさようならをして私たちはようやく一息つくことができた。月並みではあるがまるで台風が去ったあとのようだ。

「たくっ、喧しいったらありゃしない。あーあほら見ろ俺の言った通りになったじゃねえか」

ごっそり減った弁当箱を指差し文句を言った。

「なーにが喧しいですか。あんなに楽しそうにしていたくせに」

「そうよ。意外に子供好きなのね宗一郎」

「ケッ、誰が」不機嫌そうに鼻を鳴らしそっぽを向いてしまったが口辺に微笑みを浮かべていた。

予想もしない招かれざる客だったが先生が喜んでくれて良かったな。こちらとしても外に連れ出した甲斐があった。

飲み物のコップにひらりと花びらが舞い、もしかして桜が良い出会いを運んできてくれたのかもしれないなと夢見がちなことを考えた。

「あの、すみません」

ふと香った甘い香水に振り向くとバッチリと化粧をきめた若い女性が立っていた。

短めのタイトスカートにゴールドのラメが入ったネイルが日差しに反射して光った。

「お礼が遅れてしまって申し訳ありません。子供たちが大変お世話になりました」

あぁ、さっきの子たちのお母さんか。わざわざお礼を言いに来てくれたなんて心配りができた女性なんだなと好感を持った。

「お礼だなんてそんな大したことしていません。むしろご迷惑をかけてしまって…」

「いえいえ皆、嬉しそうに話してくれましたよ。特に私の息子…れんって言うんですけどすごい食いしん坊なのに好き嫌いが多くて大変だったでしょう?食べ物を粗末にしちゃいけませんって言い聞かせているんですけど」

「れんくん…あっ黄色い帽子をかぶった子かしら?ということは有名なカリスマ主婦って奥さんのことね」

「あらやだわ、あの子ったら。そんなこと言ったんですか?うふふ」

嫌だと言っているが満更でもなさそうににこにこと頬に両手をあてている。

カリスマと言われるだけあってファッションも若々しいし派手めな原色の色味を上手に着こなしている。これを機に寝癖なのかだらしないのか分からないボサボサ頭の先生に少しで良いからお洒落をご享受していただきたい。

「本当に気にしないでくださいね。子供はたくさん食べる方が可愛いんですから、ね?」

母親は再度お礼を口にして安堵の溜め息を吐いた。

「そういえば皆さんはこの近くにお住まいなのかしら?」

「そんなに近くではないがな。電車で来たんだよ。そういうあんたはこの近くに住んでんのか?」

「えぇ、そうなんです。ほら、見えますか?神田川の向こう側にあるマンション。私、そこの最上階に住んでいますの」

彼女が指差した方角を見ると最近建てられたセレブ御用達と言われる高級タワーマンションがあった。

確かマンションのロビーにはコンシェルジュが常在していて最寄駅までの無料シャトルバスに24時間営業のスーパー、スポーツジムや託児所などの施設が完備されていると聞く。そのうえ最上階だなんて…旦那さんの年収が化物並みなのか、カリスマ主婦としての稼ぎが良いのか。

「はー、たっけえな。無駄に」

「あそこの賃料最低でも100万超えって聞いたわよ。あたしたちとは別世界ね」

「そんな、うふふふ。たったの100万ぽっちじゃないですか。面積だって200㎡ぐらいしかないですしそんな騒ぐほどのことじゃありませんわ」

愚痴っているように言っているが完全に自慢話だ。小鼻を蠢かし尚も得意気に語り続ける彼女に嫌気が差した先生が堪らず待ったをかけた。

「聞きてえのは山々だがいいのか?早く戻ってやんねえと他のお友達や子供に悪いんじゃねえか」

「あ、そうですわね。ではそろそろ失礼します。本当にありがとうございました」

軽くお辞儀をしたあと彼女は甘い香りとともに去っていった。

直後、私たちはハァと大きく肩で息を吐いた。は、話が長すぎる!朝礼のときの校長先生じゃないんだぞ!

「疲れた…よくやったわ宗一郎。グッジョブよ」

「これだから女ってやつは…」

「先生それは男尊女卑ですよ。とは言え先生が止めてくれなかったら永遠に喋り続けていたんじゃないでしょうかね」

子供たちの相手をしていた時よりも疲労が激しい。

ここは自作の甘味で癒しを得ようと徐に桜餅に手を伸ばした、が。

「…あれ?」

妙な違和感を覚えピタリと手を止める。

「どうしたのちーちゃん。虫でも入っちゃった?」

椿井さんが心配そうに顔を覗き込んだ。

「あのですね、勘違いかもしれないんですけど。なんか、桜餅が多いような、気がするんです」

「桜餅が多い?」

きゅうりの浅漬けをつまむ先生が訝しげに鸚鵡返しをした。

「気のせいじゃないの?減ることはあっても増えるなんてことありえないわ」

「はい、いえ、でも僕たちと子供たちが食べた分を差し引いても確かに多いと思うんです」

確証はない。でも作った本人だからこそ私にはこの桜餅がどうにもミスマッチに思えて仕方がなかったのだ。

「増えた桜餅の謎、ね」

現状について探偵はしばし黙考した。

「九重の言っていることが本当なら不思議というよりも、不気味だな。増える意味がてんで分からん」

そうですねと相槌を打ちながら先生でも不気味という感情を持っていたのかと若干感動する。

まぁ口に出すと拳骨がとんでくるので黙っておくが。

「増えた、ということは誰かしらの意図的な犯行か。真っ先に考えたのは犬、猫、鳥など動物の犯行だ。しかしこれだけの人間が周りにいるんだ。桜餅を咥えた姿なんて目立つし騒ぎにならないはずがない。むしろ動物が犯人なら増えるよりも減る方が納得いくしな」

「仮に鳥が落としたものだとしても落下音であたしたちが気づかないわけないものね」

可能性は0ではないがここは人目がある。この説は除外した方が良さそうだ。だったら。

「誰かが間違えて入れてしまったとか」

「どんな間違いがあって桜餅を俺たちの弁当に入れるんだ?」

そこを突かれると非常に痛い。私は基本的に下手な鉄砲数撃ちゃ当たる戦法なので理由までは考えていないのだ。

「では誰かのイタズラとか?」

「メリットがない。気づいてもらえない方が圧倒的に高いこの方法でイタズラなんて成り立つか?それにイタズラならもっと盛大にやるだろう。その方が楽しいし愉快だ」

だよなぁ、犯人にとってリスクが高いしデメリットしかない。

ん?あれ、ということは…。

「もしかして犯人は桜餅が増えたという事実に気づいて欲しくなかった…?」

「かもな」

一度ここまでの推測をまとめておこう。


・犯人=動物の可能性は低い

・間違って私たちの弁当箱に桜餅を入れる理由とは?→不明

・桜餅を増やすイタズラは地味だし気づいてもらえない可能性が高い

・犯人は恐らく桜餅が増えたと気づいて欲しくない


そこから導き出される答えは私の中ではこの1つしかなかった。

「でしたら、毒物がたっぷり入った桜餅を誰かが仕込んだ、とか。これはイカれた犯人による無差別殺人事件なんです」

まだ未遂だが。そもそも有り得ないが。

しかし先生は真剣な表情で一言。

「有り得るな」

有り得るのかよ!頼むから否定してくれよ!私の中で一番可能性が無くて一番怖くて一番先生に潰して欲しかった説だったのに!考え直してくれホームズ!

「とまぁ冗談はさておき、椿井。さっきから黙り込んでないで何か言えよ」

どこまでが彼の冗談なのか分からないが無差別殺人説は彼の中では低そうだ。

そうだよな。仮に無差別だとしたらこんな大人の男性がいるところじゃなくて子供や女性をターゲットにする方が事件の悲壮さが増す。

と、脳内で言い訳を考えていると指名されたマスターは顎に手を当てうんうん唸っていた。

「そうねぇ。桜の妖精さんの仕業じゃないかしら?こんなに綺麗な桜が咲いているのよ。美味しそうな食べ物につられてやってきたのかもしれないわ。そしてお礼に桜餅をプレゼントしてくれたのよ」

「いや、ファンタジー脳にも程があるだろう!真面目に考えろよ」

「失礼ね大真面目よ」

「余計タチ悪いじゃねえか」

椿井さんには申し訳ないが全面的に先生に同意だ。今まで出た推測の中で一番ひどい。

しかし動物の仕業でも誰かのイタズラでも桜の妖精のせいでないとすると…。

「おら九重、椿井にガツンと言ってやれ。そんな夢物語は現実じゃありえませんってな」

「呪いではないでしょうか!?」

「…はあん?」」

先生が頭の先から抜けるような素っ頓狂な声を出した。

「だってほら!桜の木の下には死体が埋まっているって言いますし!これだけたくさん桜が植えられているのならその分の死体と同等の恨みつらみもあるんじゃないでしょうか!きっと摩訶不思議な怪奇現象を起こして僕たちをせせら笑っているんですよ!」

「こっちはこっちでホラー脳かよ」

いや、だってそれしか考えつかなかったんだから仕方ないじゃないか。

探偵は呆れながらポケットに入っていた棒つき飴を取り口に放り込んだ。彼は何か考え事をする際に飴を舐める癖があるのだ。

「九重、増えたと言っていたがいくつ増えたか分かるか?」

「たぶん1個…かと」

「1個ね。ついでに言うとどれが増えたか分かるのか?」

私はジッと見つめこれだと思う長命寺の桜餅を呈示した。

「多分これだと思います。何となく自分が作ったものと違うような気がして」

「あー分かるわ。人によって作り方が違うものね」

先生は手に取った桜餅をくるくる回し目を皿のようにして見ている。

「ん?桜餅の底に何か付着しているな」

「どれどれ、あら本当。少しだけど光っているわね。何かしら?あ、桜の妖精さんの鱗粉じゃないかしら?」

「お前は今すぐファンタジーの世界から戻ってこい」

仰視すると確かにキラキラ光るものが付いていた。この謎の手がかりになればいいが、さすがにこんなものじゃ解決の糸口になりはしない。

やっぱり私の勘違いだったのかもしれないしこの件は無かったことにしよう。そう先生に提案するため振り返ると――――

「なるほどね」

先生は不敵な笑みを浮かべ舐めていた飴をガリッと噛み砕いた。まさかたったこれだけの情報で分かったというのか?

唖然としている私たちを尻目に探偵は「いいかお前ら、よく見てろ(・・・)よ」


そう言うと先生は大きく口を開け、問題の桜餅を──────








「ぐっ!」

眼鏡の男は醜い呻き声を上げ体を前に屈ませた。他の2人は突然の出来事に慌てふためきながら必死に男の背中をさすっていた。


あははははははは、バーカ!苦しんでやんの!ざまあみやがれクソ野郎!

あんたが食べたのは餡子の中に練り辛子がたっぷり詰まった私特製の桜餅なんだよ!

弁当用にチューブ型の練り辛子を持ってきておいて正解だったわ!

本当は桜餅を作った張本人である喫茶店のマスターに食べさせてやりたかったけどこればっかりは運だもの、仕方ないわね。

うふふふ可哀想なご友人さん。でも恨むのなら私よりも美味しい美味しい桜餅を作ったそこのオカマ野郎を恨むことね。

あんたたちにはこの屈辱が分からないでしょう。

ママ友たちの前で子供に「ママの作った桜餅よりももちもちしてておいしかったんだよ」なんて言われて笑われた私の気持ちなんてね!カリスマ主婦として崇められている私の顔に泥を塗りやがって!

ズタズタに切り裂かれた私のプライドはこんなものじゃ癒されないわ。見ていなさい、今度のお茶会であんたの店に特大のクレームを出してやるから!

まずはそうね、シュガーポットの中に家から持ってきた塩でも混ぜ込んでやろうかしら?

それとも料理に虫でも仕込んでやろうかしらね?

どっちにしてもあんたの人生は終わったも同然よ!底辺の分際で調子に乗りやがって!

あははははいい気味だわバーカバーカ!あはははははははははははははは!!!


「お楽しみのところ失礼するぜ」

いつの間にか涼しい顔をした眼鏡の男が背後に立っていた。

は?何でこいつここにいるのよ?いや、そもそもあの激辛桜餅を食べておいて何で平気そうなのよ。

「帰る前に挨拶しようと思ってな。先程は美味しい桜餅をありがとうよ」

「え?」

な、何で!何で私が犯人だってバレてんのよ!?私の演技は完璧だったじゃない!

「あら、奥さん何かお裾分けしたの?」

「桜餅って奥さんが手作りしてくれたこれのことかしら?」

―――――まずい。

他の母親たちが不審がってざわつき始めた。どうにか誤魔化してこの場を切り抜けないと。

「勘違いじゃありませんこと?私は桜餅なんてお裾分けしていませんよ」

「またまたご謙遜を。桜餅を作った張本人である九重が他の人間が作ったものが混入していて不自然に思わないわけないだろう。推理においてはてんで素人小僧だが料理に関しちゃあいつは侮れないからな」

「え、あの桜餅を作ったのって、喫茶店のマスターじゃなくて、あの男の子なの?」

嘘よ。

あんなヘラヘラ笑う頭が緩そうなクソガキにこの私の料理が負けたっていうの?有り得ないわ。信じられないわよそんなこと!

頭の中が真っ白になった私に眼鏡の男がグッと近付き肩を掴んだ。

「少しの見栄と嫉妬は可愛いもんだ。だが、行き過ぎは体に毒だぜ」

これみたいにな、と言いながらにこやかな笑顔で私の手に桃色の物体を持たせた。

え、嘘、何でこれがここにあるのよ。だって、これは、この男が、さっき食べて、苦しんでいたはずじゃ――――――――

「「食べ物を粗末にしちゃいけない」んだろう?自分の言ったことぐらい覚えておいでですよね、奥さん?」

そっと耳元で囁き、男は静かに離れていった。





さっきまで真っ青になっていた母親が今度は茹で蛸のように真っ赤になりへなへなと力無く座り込んだ。

ご愁傷様です。あなたは絶対に喧嘩を売ってはいけない人に喧嘩を売ってしまった。

自業自得とは言えさすがに同情せざるを得ない。

しかし、どうして先生はあの母親が犯人だと分かったのだろうか。意気揚々と戻ってきた探偵に疑問をぶつけてみた。

「まぁ、あくまで推測だったけどな」

まず1つ目と人差し指をピッと立てた。推理ショーの開演である。

「高級タワーマンションに、100万の賃料。それを鼻高々に語っていた母親の自慢好きなあの性格だ。かなりプライドが高いんだろうな。それを踏まえての2つ目。子供の「ママよりもおいしい」といったあの言葉。興奮したガキどもの様子から察するに母親たちの目の前でも同じ台詞を吐いたんじゃないか?さて、そうするとどうなる?」

確実に黙ってはいなかっただろう。

何としてでも私たちに一泡吹かせたかったに違いない。

不幸中の幸いはその怒りを子供ではなく私たちに向けたことだ。

母親の逆恨みだが私のせいで何の罪もないれんくんが傷ついたら凄く嫌だ。

「そして一番の決め手になったのが桜餅に付着していたあのキラキラした物体だ」

「結局あれはなんだったのよ」

決め手というがどこにそんな要素があったっていうんだ。私と椿井さんは頭を捻りながら先生の次の言葉を待った。

「おそらく、マニキュアのラメだ」

「ラメ?ラメってあの爪に塗ってあるキラキラしたやつですか?」

「あぁ。子供の言葉を思い出してみろ。「いつもママはキラキラしたごはんをつくってくれるの」って言っていただろう。きっとあの母親は日常的にテッカテカのラメが入ったマニキュアをしたままメシを作っていたんだ。それで今回もラメの一部分が桜餅の底につき犯人を特定する証拠となった」

あのキラキラしたご飯って比喩じゃなくて物理的での意味だったのか。

「でも宗一郎。あのお母さんはあたしたちとずっと話をしていたじゃない。どうやってバレずに桜餅を滑り込ませたっていうのよ。そんな隙なかったじゃない」

「あっただろう。タワーマンションを自慢していたときに俺たち3人の視線はあの母親の指先にあった」

あ、そういえば!

「全ての要素を集合させると犯人はあのカリスマ主婦ってなったんだよ。子供たちの話から長命寺タイプの桜餅だったと知った母親は爆弾仕込んだ桜餅を俺たちの視線がタワーマンションにうつっている隙に仕込んだのさ」

「だからよく見ておけなんて言ったんですね」

あの母親の表情を。

先生が桜餅を食べたふりをして苦しむ演技をしたとき、母親はそりゃもう溢れんばかりの笑顔で見つめていたのだ。分かりやすいほどに。

「カマかけようと思っていたがビクビクして俺の顔をまともに見ていなかったし、言動でモロバレだったな。問い詰めるまでもなかったわ」

面倒事が減って助かったと世界一物臭な探偵が独り言ちた。

もし全世界の犯罪者があの母親みたいに分かりやすければもっと生きやすい世の中になるのになと考えてしまった。

ふと、隣の椿井さんが眉間に皺を寄せ物凄く真剣な顔で考え込んでいるのに気づいた。

もしかして私の為に怒ってくれているんじゃないか?

そうですよね。歳は離れていますがなんてったって私たちは友人ですもんね!

「椿井さんそんなに怒らないでください。僕はもう気にしていませんから、ね?」

彼の腕を引き微笑む私に、椿井さんがぼそりと呟いた。

「何であのお母さん、あたしの作ったお弁当には嫉妬しなかったのかしら…?」


そこかよ!








《春爛漫!桜餅増量事件    完》

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