「往きし青き春の記 」 若松ユウ 【恋愛×純文学】
弥生の終わりの空は、見渡す限り桜一色だった。
「東京は、冷たい人が多いけど、くじけちゃいけないよ」
「親切な風情をして、言葉たくみに若い女の子を誘惑する男には、くれぐれも気を付けなさい」
両親に見送られ、道内を函館まで移動したあと、連絡船に乗って本州へ渡り、青森から寝台列車で揺られること数時間。
卒業式で詰襟を着ていた同級生が、まるで雛人形のように衣冠束帯で赤い毛氈の上に座っていて、そばには桃の花が飾られている。私も、横で十二単に扇を持って屏風の前に座っている。その異様さに驚きもせず「そうか、雛祭りか」と思っているうちに、いつの間にかセーラー服に着替えて午後の教室に移動しており、黒板の前では「本能寺の変は一五八二年だ。イチゴパンツの信長暗殺と覚えるように」と、ザビエルのように禿げた先生が教鞭を執っている。窓際の一番後ろの席で、その眩さから目を背けるように視線を窓外に移すと、民家の屋根の上を鯉のぼりが泳いでいる。
そんな、とりとめもない夢を見ていると、いつの間にか、汽車は上野に到着していた。
「親御さんからの電報を見たわよ。遠いところから来て、くたびれたでしょう?」
「急に賑やかな街へ来たものだから、驚いただろう? なぁに、すぐ慣れるさ」
シートベルトもない小さな乗用車で移動しながら、遠縁の親戚だという二人からは、立派に育っただの、別嬪さんだのと、親切半分、社交辞令半分の言葉を掛けられた。どうやら、幼い頃の私と面識があったらしい。
正直、狭くて硬いシートで長時間寝起きしていたし、柳行李に必要以上に物を詰め込み過ぎていたしで、十五歳の身体は疲労がピークに達していた。だから私は、内心で辟易しつつ、行き交うボンネットバスや三輪トラックを見るともなしに見ながら、気のない返事をしてやりすごした。
それからも、子供が居ないせいかアレコレと世話を焼きたがる二人を、どこかで疎ましく感じることは少なくなかったが、居候として厄介になっている身としては、とてもではないが「一人にさせて」と言い出せなかった。
「明日は、四月一日です。欧米では『エイプリルフール』と称しまして、罪の無い嘘をついても結構な日とされております……」
工場にあるラジオからは、毎日、様々な情報が流れてきた。私たちのような境遇の人間を「金の卵」と言うのだ知ったのも、そのラジオがキッカケだった。
同じ年頃でも、都会に住んでる裕福な家庭の子息は、入学式だの花見だのと浮かれている。
空に花粉や砂埃が舞い、水面に花筏が流れる川沿いの土手道を、ひたすら運搬用の無骨な自転車を漕ぎながら走りつつ、私は、生まれや育ちの不公平さを実感していた。
「支笏湖の薄氷は、もう融けたかしら。上京してからは、社会勉強の毎日です……」
実家へ届ける手紙には、充実した日々を送っていると嘘をついた。本当は、一日でも早く戻りたかった。
工場の監督には扱き使われるし、夜間高校は小父さん小母さんばかりで話が合わない。それに、いくら親戚とはいえ、私にとって他人に近い二人とは、どこか距離やズレを感じざるを得なかった。
中学を出たばかりの私が、それでも心折れなかったのは、持ってきた荷物の中に忍ばせた一葉の写真が支えになっていたからだ。
「この写真を、肌身離さず持っていてほしい。高校を出たら僕も上京するんだ。どこにいても、必ず探し出して見せるよ」
そう言って渡された彼の写真を、私は馬鹿正直に懐に忍ばせ、辛いことがあった時にガード下などで取り出しては、頭上を電車が通過するタイミングで、その写真に向かって泣いたり怒ったりして、ストレスを発散させていたのだ。
その時は、ただただ鬱憤晴らしにしか思っていなかったし、また会えるなんて信じていなかった。
だから、上京してから丸五年が経ったあの日は、声を失うほど驚いてしまった。
「良かった。もう駄目かと思ったよ。大事に持っていてくれたんだね」
何千何万という人間が犇めき合う大都会で、彼がどうやって私を探し出したのかは、彼が大学を卒業した後に結婚した今となっても、謎のままである。
あまりの不思議さに、新婚当初は何度か問い質してみたことがあるのだが、秘密だと言って決して種を明かそうとしてくれなかった。その姿勢があまりにも頑ななのと、現在時点が幸せであることから、次第に私の方も、どうでも良くなってしまった。
ただ、彼と運命的な再会した日の弥生の終わりの空が、見渡す限り桜一色だったことだけは、今でも鮮明に覚えている。
(了)