「早すぎた場所取り 第二回」 庵字 【本格ミステリ】
コンビニに買い出しに出る往路と復路で、それとなく私は件の男性とその周辺を観察して、理真と亜麗砂が待つ花見席に戻った。
「待ってたよー、由宇ちゃーん」
酒類やおつまみの入った袋は赤ら顔の亜麗砂に預けて、シートに座ると、さっそく理真が、
「どうだった」
「確かにちょっと変だった」
「詳しく教えて」
「まず、服が汚れてた」
「どんな汚れ方?」
「土汚れだった。特にジャケットやシャツの袖口がひどかった。あと手も。手は一応洗ってるみたいだけど、爪の間に土が残ってたからね。それと、首からタオルを提げてるけど、そのタオルは特に汚れたりはしてなかったかな」
「他には?」
「敷いてあったシートだけど、あれ、レジャーシートじゃないよ」
「何?」
「ベッドシーツ」
「はあ?」
「だってそうなんだもん。確かにベッドシーツだった。柄物だから遠目にはそうと分からないけど、長方形の形といい、大きさといい、材質といい、絶対にシングルサイズのベッドシーツだよ」
「花見をするのにベッドシーツ?」
「解せないよね」
「……その下の地面は?」
「確かに盛り上がってたね。一部だけだけど」
「どのくらい?」
「面積はこのくらい」私は両手で直径五十センチ程度の円を作り、「で、盛り上がっている頂点の高さは、二十センチくらいだった」
「あとは?」
「あの人、何も持って来てないように見えてたけど、違った。鞄がシート――じゃなくて、シーツの上に置いてあった」
「どんな鞄?」
「黒い鞄。中身が空なんだろうね、潰して置いていたし、シーツも柄物だったから、ここからじゃ分からなかった。広げると……そうだね、縦五十センチ、横三十センチくらいの大きさになるかな」
「他には何か持って来てなかった?」
「なし。でも、男の人とは関係ないけど、看板が」
「看板?」
「そう、あの、場所取りの注意書きなんかが書いてある看板」
「それが?」
「やっぱり汚れてた。土で」
「どの辺りが?」
「看板の上のほうが。で、最後、男の人自身なんだけど、夜明け前から場所取りしていたっていうのは本当かもね。目の下にクマが出来てて、明らかに寝不足顔だった。そのせいか分からないけど、何だかイライラしてたみたい」
私は確認できた限りの情報を理真に与えた。
「もしかして……」理真は、じっと男性を見つめながら、「実はね、由宇が買い出しに行ってくれてる間に、丸姉に電話して、事件の詳細を訊きだしたのよ」
理真が口にした「丸姉」とは、最初の話に出てきた新潟県警捜査一課の刑事、丸柴栞の愛称だ。理真は丸柴刑事と昔から懇意にしている関係のため、プライベートでは愛称呼びをしている。
「事件って、あれさんが言ってた、この近所で起きたっていう?」
「そう。事件のあらましは、だいたいこんなところ……」
昨夜、というか日付のうえでは今日の午前二時、この近くの民家から110番通報があった。さる実業家の家に住み込みで働いている家政婦からのもので、雇い主である実業家が自室で殺されているという知らせだった。
最近になって花粉症を患っていた彼女は、目の痒みを落ち着けるため早くに寝てしまう事が多く、そのため未明の中途半端な時間に目が覚めてしまうことが頻繁にあったという。
その夜もやはり夜中に覚醒してしまい、ついでにトイレに行こうと部屋を出ると、争うような物音が二階から聞こえたという。続けて――恐らく実業家のものと思われる悲鳴のような声が響いたため、彼女は階段下に駆け寄り「どうかしましたか?」と叫んだ。すると、二階、続けて庭のほうから物音がしたあとに、人が走り去るような足音が聞こえた。これはただ事ではないことが起きた、と二階に上がった彼女は、ドアが開けっ放しだった書斎の敷居越しに、腹部から血を流して倒れている実業家を発見した。
「警察と救急が駆けつけたけれど、被害者はその場で死亡が確認されたわ」
「犯人はどこから侵入、逃走したの?」
「窓ガラスの一部にテープが貼られて割られていたから、そこから手を突っ込んで鍵を開けて入ったみたい」
「窓からって、二階だよね?」
「庭に足場が立っていて、それを上ったんだと見られてる」
「足場?」
「そう、鯉のぼりのポールを立てるための足場。被害者は奥さんに先立たれて家政婦さんと二人暮らしなんだけれど、息子夫婦が東京で暮らしていて、女の子と男の子の二人の孫もいるんだって。でね、息子家族が連休に帰ってくるから、小学校に入学した孫のために鯉のぼりを上げようとしてたんだって。被害者は、東京での卒業式――保育園だから卒園式か――もしくは入学式に参加する予定だったんだけど、体調を悪くして行けなかったから、その分も含めて孫を喜ばせようとしてたみたい。端午の節句にはちょっと早いけれど、業者に頼んで先に足場だけを設置したそうなの。女の子の孫には桃の節句に雛人形を送っていたんだけど、鯉のぼりは送るわけにいかないからね。息子夫婦は東京のマンション暮らしで鯉のぼりなんて上げられないから」
「その足場を伝って、二階の部屋に侵入、さらに逃走したと」
「うん。足場のてっぺんに上れば、窓までは一メートルもないし、外壁にはエアコンのダクトなんかが這わせてあったから、それをさらに足場にして立てば、窓を割るのも可能ね」
「でも、足場まで行き来するためには、庭を歩かないといけないでしょ。昨日の夜なら、まだ雨も乾ききっていなくて足跡も残っていたんじゃ」
「それがね、庭はほぼ全面芝生張りだったから、いくら雨後で地面が湿っていたとはいえ、足跡の採取までは無理だったみたい」
「そうなんだ」
「でもね、足跡というんじゃないけど、ひとつ、気になる痕跡があったの。部屋の窓の直下に、僅かに土が露出した箇所があるんだけど、そこに四角い跡が残ってたって」
「どんな?」
「三十センチかける四十センチくらいの大きさの、長方形の跡だって」
「何のものかは分からないと」
「うん」
「犯人の目撃情報とかは?」
「夜中にパトカーや救急車が来たせいで、付近の住人が目を覚まして現場周辺は野次馬騒ぎだったそうだけど、有益な証言は今のところなしね。でもね……」
そこまで言うと、理真は改めて視線を男性に向けた。
「あの男の人が気になるの? まさか、犯人?」
「もしかしたらね」
「何か根拠があるんだね。理真、さっそく丸柴刑事に電話して来てもらおうよ」
「いや、こんな花見客でごった返した中で混乱を起こすのは避けたいわ」
「じゃあ、どうするの?」
「持久戦に持ち込む」
「はあ?」
「私の推理が正しければ、あの男の人は最後の花見客が捌けるまで、あそこから動かないはずよ。それまで私たちもここで見張っていよう」
理真はコンビニ袋に手を伸ばして、
「あれさん、私も貰うよ……って、寝てるし」
見ると、亜麗砂はレジャーシートの上に横になって気持ちよさそうに寝息をたてていた。缶ビールに口を付けた理真は、おいしそうに喉を鳴らして頭上に広がる桜を見上げた。混乱を避けたいためというか、自分が花見をしたいだけなんじゃないのか? それならば私も負けじと缶ビールを開ける。この公園に夜桜観賞用の照明設備は用意されていないため、どんなに遅くとも日没までに勝負は決するはずだ。桜の花と春の陽気で桃色に染め上げられた風景を楽しみ、だが視界の端には件の男を捉えながら、私と理真は持久戦に突入した。
理真の言ったとおりだった。刻々と時間は過ぎるが、男は一向に動く気配がない。いざというときに備えるためアルコールの買い足しはせず、昼食に弁当を買うだけにした。トイレは当然、交代で済ませ、亜麗砂は未だひとり夢の中。徐々に日が傾いでいくとともに花見客も減っていき、薄暗くなる頃には、とうとう辺り一帯に残っているのは、私たちと件の男の二組だけになった。
暗くて腕時計は見えないので、携帯電話で時間を確認すると、
「うわ、もう六時回ってるよ。ということは、あの人、十五時間以上もああしてるってこと? 殺人犯とはいえ凄いね。敵ながら天晴れだね、理真……理真?」
返事がないので振り向くと……寝てる! 寝てるよ! 理真は亜麗砂の横で仲良く、すやすやと寝息を立てている。と、男のほうに動きがあった。やおら立ち上がり、公園出入口付近に挿してあった看板を引っこ抜いて持って来ると、敷いていたレジャーシート――じゃなかった、ベッドシーツをまくり、盛り上がっている地面に逆さにしたその看板を突き立てた。これは……土を掘っているのか?
「理真、理真、起きて」
私は理真の耳元で囁きながら、彼女の体を揺すったが、
「大丈夫です……カレーは別腹ですから……」
わけの分からない寝言が返ってきただけだった。そうこうしているうちに、男はスコップ代わりに使っていた看板を脇に放り投げ、掘った穴に両手を突っ込んで何かを引き上げ始めた。随分と重そうに見える。両腕で抱える程度の大きさの直方体の物体だが、暗くて詳細を視認できない。男は掘り出した物体を地面に置くと、その前に屈み込み、何かの操作をしだした。そこに、
「動くな! 警察だ!」
公園の出入り口付近から数名の男女が躍り出て、男を取り囲んだ。