第5話 10年ぶりより猫がいい
露店で旅に必要な物品を調達していると、急に視界が反転した。
「……シルバ、買出し中の俺を《コール》するな」
俺の手には、会計の済んでいない薬草が握られていた。『強制的な《コール》のせいで会計ができなかった、申し訳ない』で店主が許せばいいが、そうでなかった場合大変なことになるんだぞ。晴れて俺は盗人だ。お先真っ暗ではないか。
幼馴染であるシルバディッシュ(略称・シルバ)は、呼び出した途端に駆け寄ってきた。いつもなら優雅な足取りで「やあ、ラルフ。久しぶりだね。待っていたよ」といったように貴族らしい挨拶をするものだが。普段では想像もしない対応に少々困惑する。
さて、これから話すのは魔法の話なので飛ばしてもらっても構わない。
……コールは対象物を近くに移動させる呪文だ。本来は無くしたものを見つけるために使うが、シルバは強力な魔力を保持しているため、対物に限らず対人も移動させることができてしまう。
聞くかぎりでは素晴らしいものであるが、20時間後くらいまで使用できない。
「信じられないことが起きているぞ、ラルフ!
ラルフ・ナイン!」
「その名前で呼ぶなっ」
コイツを忘れていた。
シルバは鼻を銀色の瞳を輝かせ、浮足だっていた。騎士の正装である白い戦闘服を身に纏ったまま、と言うことは、鍛錬中に抜け出してきているようだ。
この『信じられないことが起きている』は、実際、証明できる現象なことが多い。
割合にすれば8割だ。
「例えるなら?」
「すぐそこの海でリヴァイアサンを目撃したくらい、だ」
「失礼する」
リヴァイアサンがこんな近隣にいてたまるか。
確かに、幻獣であるリヴァイアサンの存在は事実である。が、伝説級の存在である上にこんな近くの海に存在しているわけがない。
クロウが誇る観光スポットで有名な海だぞ。誰も来なくなる。
「待って、行くな! 海にいたんだって!」
「……リヴァイアサンが?」
「違うっ、なんでお前はそう疑ってかかるんだよ……」
彼は白い腕をのばし、俺の腕を捕まえた。そして、逃すまいとして連行する。
「きっと見たら驚くぞー
あ、10年も旅にでてたら、ひょっとすると驚かないか?」
銀色のやわらかい髪を背中くらいでで1つにまとめているが、興奮しているせいなのかやや乱れ気味である。ほつれた髪が細部まで整っている顔を艶めかせていた。
10年見ない間に男前になったな、と同性ながら嫉妬する。腕を引っ張られていたが、強引に廊下の壁へ背を預けた。チラリと再度、シルバを見てみればまた楽しそうに話を始める。
こういう素振りは、当時のままだな。
「バイオノイドなのに、製造番号が存在しないんだ」
「……?」
あまり機械に関しての知識がない俺に、専門用語を使われてもな。
しかし製造番号くらいなら分かる。製造された年月日や、場所を意味する番号のことだ。製造番号が無いということは、いつどこで製造されたかわからないってことだろう。大抵の物に番号は割り当てられるものだから、珍しいといえば珍しいが、そんな事もあるだろう。
シルバは普段から機械にふれているが、いかんせん貴族のボンボンであることは変わりない。
世間をあまり知らないのだろう。
「製造過程のミスで、無いときもあるだろ」
「俺も第一にそれを考えたよ。
それでディガに解析させたら、このザマ」
シルバは俺の腕をつかんで、客間に引っ張りこんだ。すると、メイド型バイオノイドに周囲を囲まれた一体の人型を見つけた。なぜかシルバのバイオノイドであるディガが客間のソファーに寝そべっている。
「そこの猫ちゃんのせいで、俺のディガが熱暴走だよ」
指先が示す先には、一体のバイオノイドがいた。
暖炉のとなりに置かれた椅子に座っているのは、一瞬人間と見間違うほど精巧な作りをしていた機械だった。じっと顔を近づけてみればみるほど、人の肌と見間違う。キメが細かすぎる肌に、他の人形たちも見惚れているのだろうか。
彼女の首を一周するように埋め込まれた、縦1cmほどのシンプルな白線をみて安堵する。この白線はバイオノイドである証拠であり、これがあることにより外部との通信ができるらしい。
これが無ければ、俺はこの機械を人間と見間違っていたことだろう。
しかし、ここまで精巧なバイオノイドは10年旅をしていて始めてみた。
向日葵を思わせる金色の髪が、軽く縦にカールし綺麗にまとまっている。つい触れたくなってしまうほど、艷やかな髪質だった。ふっくらとしたキメ細かい桃色の頬と、みずみずしい果実のような唇、白く細長い指は行儀よく重ねられている。
人々の視線を釘付けにするような、魅力的なバイオノイドでだ。
明るい髪を栄えさせる純白のツーピースが、白い肌を強調させた。
「……」
言葉がない、とはこの事を言うのだろう。何を発言したとしてもそれでは足りないくらい、目に見えている事実はすべてを物語っている。
隣でなにか話したいような素振りをしていたシルバはバイオノイドに近づいた。
「かなり精巧に造られてるだろ」
「ディガは相当なハイスペック部品を購入して、改善したばかりなんだけどなあ。
……この猫ちゃん、中身がどうなってるんだろうね」
「どうって、部品が入ってるのだろう」
「えっ……ああ、そうか」
シルバから、そうだった機械音痴だったんだ、という声が聞こえた。
彼は「さて」と気分を切り替えて、説明を始めた。
長かったので要約するとこうだ。一般的なバイオノイドは所詮、大量生産品である。家事や育児、簡単な仕事の代行をすることを目的として作成されているから、顔面がどうであろうと関係ない。
多少は自分の好みに変えるユーザーも多いが、とりあえず整った顔であればいい、という程度で似たりよったりだ。性能もほぼ一緒、十分高性能なのでそれ以上の個性なんて求めないのが大量生産品のバイオノイド。
しかし、これだけの個性をもたせたバイオノイドであれば使用用途は限られる。
ひとつは貴族や王族が所有するメイド型バイオノイド。執務だけではなくて、主人をリラックスさせたりなにかと高度な人間的処理が必要だから、それだけプログラムも複雑化する。
どこかの受付や、案内係それも大きなカジノ場などの商業用。性的な解消を目的としたもの俗にいうセクサロイド。また、特異なものとして個人が究極に拘って完成させた、究極のバイオノイド(個人の意見)などがある。
これらのすべてに倫理プログラムが搭載してるんだが、倫理プログラムにはとても高度な技術が使われてるらしい。すごく簡単に言えば、それは良いことなのか、悪いことなのかを考え、反省し、次に活かす機能だけど……それを搭載しているだけで桁が1つ増える。だから超超高給品。
「最後以外はメーカー品なら製造番号は欠かせない、
それが存在しないとなれば個人がなにかしらの目的のために制作したと考えるほうが妥当かな」
シルバはしゃがみこんで、ちょこんと椅子に腰掛けているバイオノイドの服をピラリと捲った。
「や、やめろ」
「ええ? ただの機械だよ、そんな趣味もないよ
起動スイッチを探していただけ」
もしかしたら股の間にでもありそうだと思って。と付け加えるシルバ。
止めろって、貴族とも有ろう者が下品な言葉を使うのは。一応パンツも履かせたとか、いらん報告はするな。
「メイドに全部やらせたよ?」
そういった報告も不要である。……何の予防線だ。
俺は再度、バイオノイドを見つめる。シルバは話を聞いてほしくてたまらないのか、ことの成り立ちを話し始めた。
まあ、これも長いので要約すると、起動スイッチが見当たらないので故障しているかどうかも確認できない、という状態である。
「そういえば、何故か白衣だけを着てたんだよね」
前の持ち主の趣味かな、と独り言をつぶやいている。
できることなら起動したところを見て、性能がどれほどのものか確認したい。身近なバイオノイドといえばディガであるが、彼は結構な旧式モデルだ。しかし、シルバが中身の交換を繰り返し繰り返し交換しているといっていたので最新式なのだろう。
そのディガが、頭から湯気をあげるさせるほどの性能をもつバイオノイドか……。
「吸い込まれそうだな」
きっと瞼が開かれれば、きれいな瞳が見えるに違いない。
顔にふれていたほつれ髪を、人差し指で横へ払った。
「ん……」
そうそう、こんな海のように蒼い瞳がみえるはず……ん。
今まで瞼を閉じていたバイオノイドが、ぱっと瞼を開いた。顔を近づけてまじまじと見つめていたせいで、瞳と瞳の視線が重なる。その機械の瞳は清々しいほど真っ青な青色で、海を思わせた。
綺麗で目が離せずに見つめていると、虹彩の機能をはたす部分が収縮したり拡張したりしている。まるで、俺を認識しようとしているみたいだ。
「ーーー起動、した……」
静かな起動音を打ち消すかのように、シルバの声が響く。ピリピリとしたような静電気を肌に感じる。なぜかは分からない。瞳の奥には0と1の記号。やはりこれはバイオノイドである。
「コん、にちハ……ラルフ・ナイン様」
起動したばかりだからか声が安定していなかったが、可愛らしい声だった。
「……私の管理者、この個体の名前を決めてください」
チリンと鈴がなったような愛らしい音声が、俺の耳を刺激する。
※第一章 完結