幕間ー3
だが、この西サハラ共和国のスペイン系住民の拒否を素直に受けるようなことを、モロッコやアルジェリア等がする筈が無かった。
何しろ、フランスの植民地から独立して意気軒昂な時期である。
更に、本来の住民であるアラブ=ベルベル系住民を救え、という大義名分まであるのだ。
さすがに表立っては動かなかったが、自国から西サハラ共和国のアラブ=ベルベル系住民に対して、武器等の援助を秘密裡に行い、アラブ=ベルベル系住民の武装蜂起を煽った。
こうして、西サハラ共和国では、民族間の対立により、内戦が巻き起こった。
更にこれに宗教対立まで加わった。
言うまでも無くスペイン系住民の多くはカトリック教徒であり、アラブ=ベルベル系住民の多くはスンニ派イスラム教徒である。
スンニ派イスラム教徒は、ジハード(聖戦)を唱え、これに対抗するように、カトリック教徒は、現代の十字軍を唱えた。
こうなっては、お互いに相手を絶滅させることを主張する極論まで発生するようになる。
NATOが介入したのは、この頃だった。
NATO、北大西洋条約機構は、第二次世界大戦の反省から生まれた欧州の集団的安全保障体制にして、集団自衛権発動の体制でもある。
独やソの暴走を、何故に早期の内に食い止められなかったのか、という反省から、英仏が主導して欧州諸国により結成された。
加盟国一国に対する攻撃は、加盟国全体に対する攻撃であるとして、欧州における戦争を防ごうという考えを主にして結成された体制だった。
当初は、独や新生の露等は、完全非武装に近い体制にすることさえ、検討されたが、これらの国もNATOに加盟したこともあり、それなりの戦力を整えることが認められた。
だが、アジア、アフリカの植民地独立運動が盛んになるにつれ、NATOは変質する。
欧州のみならず、欧州の近く、中近東やアフリカにおける地域紛争予防や危機管理もNATOは担うべきだ、という意見が強まり、実際に、それをNATOは基本的に行うようになったのである。
(インド以東のアジアにおける地域紛争予防や危機管理は、日本が基本的に行うべきであり、南北アメリカ大陸の地域紛争予防や危機管理は、米国が基本的に行うべきと、NATO加盟国は考えた。
ある意味、世界を三分割し、地域紛争予防や危機管理を行おうとする考えともいえる。
なお、実際には、域外への派兵等を日米、NATO加盟国は、様々な事情から行っている。)
西サハラ共和国で、民族、宗教対立から内戦が巻き起こったことを、NATOは懸念した。
そして、内戦を鎮めようと、積極的な介入を図った。
だが、これは結果的に逆効果になる。
NATO加盟諸国は、どうのこうの言っても基本的にキリスト教国の集まりである。
モロッコを始めとするイスラム教国からしてみれば、スペイン系住民への支援のためにNATOが駆け付けたようにしか思えなかった。
このために、西サハラ共和国の内戦を鎮めるために派遣されたNATO軍は、支援しているイスラム教国の意向もあり、アラブ=ベルベル系住民を中心とする反政府勢力から、敵であるとして攻撃されるようになり、内戦は激化した。
かといって、内戦を鎮めるために来た以上、NATO軍が、本格的な武力行使を、反政府勢力なり、その支援を行っているモロッコ等に行い、更に内戦を激化させてしまう訳にはいかない。
少しでも西サハラ共和国内の内戦を鎮め、せめて停戦に持ち込もうと、NATOは四苦八苦していたが、終わりが見えない有様に陥っていた。
こういった事情から、現在、アラナ・ハポンやピエール・ドゼーが所属しているNATO軍の現場の兵達の士気は低下して、荒んだ有様となっていたのである。
幕間の終わりです。
次から第2章に入り、アラナの母、カサンドラ視点になります。
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