第1章ー1 アラナ・ハポン
「うーん」
寝ぼけた声で、彼、ピエール・ドゼーが寝返りを打ちつつ、目を覚ました。
パンとコーヒーくらいしか、出してくれないとはいえ、ここは、酒場兼逢引の宿として造られた建物の一室だ。
逢瀬を共にした男女が朝食を取れるように、この部屋には2人掛けのテーブルと椅子がある。
私は、あらためて、彼におはようのキスをした。
彼もやりかえしてくれ、私達は朝食を取ることにした。
「君のお母さんが、あれ程、怒るとはね」
「私の目の届かないところで、何を勝手にしているの、絶対に許さない、って。私は22歳よ。私を12歳と勘違いしているのかしら」
完全に目が覚めた彼の言葉に、私は一緒に朝食を食べながら言った。
「僕は、そんなに気に食わない存在なのかな。やっぱりフランス人のせいかな」
「そんなことはない、と思うけど。私からすれば、高嶺の華、といっても、あなたはいいわ。あなたは嫌うけど、フランスの英雄と言ってもいい、アラン・ダヴー将軍の息子なのでしょう。私のような父も分からない娼婦の娘と結婚して、本当にいいの」
「親と結婚する訳じゃないさ。それに、君は、立派なスペイン空軍少尉じゃないか」
「そうね。あなたもフランス陸軍少尉だものね。軍人同士が結婚して悪い訳ないわね」
彼の言葉に、私は気が楽になり、笑った。
「あなたの御両親は、何と書いてきたのだっけ?」
「お前が結婚したいなら、止めない。お前も大人なのだから、といった感じ。フランス語の手紙だけど、また、読むかい」
「ありがとう、手伝ってね」
彼の言葉に、私は嬉しくなった。
少なくとも、彼の御両親は、私を歓迎してくれている。
フランス語なので、私の語学力では、きちんと読解できない気がするが、彼が手伝ってくれれば、何とか読解できるだろう。
だが、その一方で、急に私の心の中で不安が込み上げた。
「私の実家の職業は、ご両親には伝えたの」
私は、彼に気持ち声を潜めて尋ねた。
娼館の娘と言うことで、彼の両親に偏見を持たれていないか、私は気になって仕方なくなった。
「伝えたよ。何れは分かることだし」
彼は、朗らかな態度を崩さずに言った。
「母は、余りいい顔をしていないらしいが、少なくとも父は反対していない。いや、お前が結婚したいなら、大賛成と手紙には書いていたな。あの様子だと、母を父は説得しているのかも」
彼は、私にそう言ってくれた。
「ま、父自身、父を知らない身だしね。僕の祖父が、サムライ、日本の海兵隊士官なのは間違いないらしいけど、具体名は、父さえ知らない。僕の祖母が、頑として言わないから。言っても、認知すらしてもらえないよ、というのが祖母の口癖だ。事実だから仕方ないけどね」
彼の口調が、少し沈んだ。
確かに、自分のルーツが分からない、というのはつらい話だ。
私自身、父を知らないから、彼の言うことが理解できてしまう。
「だから、お互いが気に入って、好きになり、結婚したいなら、速やかにお前は結婚しろ、と父は手紙に書いている。こういうことを言ったら、怒られそうだけど、父も写真で見た君を気に入ったのではないかな」
「それは、あなたのお父さんが、私を気に入ったの意味によるわね」
彼の軽口に、私も軽口で答えた。
私を気に入ったか。
そう言いながらも、私は、内心で思いを巡らせた。
彼の父、アラン・ダヴー将軍が、息子の妻として、私を気に入ったという意味ならいいのだけど。
でも、彼が私について知る限りのことを手紙に書いていたとして、彼の父に私が気に入られる要素があるのだろうか。
私の内心に不安が込み上げた。
父と息子で私を共有しよう、と考えているのでは、という想いが内心に浮かび上がってくる。
被害妄想、と私は思いたかった。
ご感想をお待ちしています。