第3章ー3
「だから、ピエールは、僕の実子ではない以上、アラナが結婚することに何の問題も無い。お互いに好き合って、結婚したいと言っているんだ。母として、娘の結婚を祝福してくれないか」
アラン、彼は、私にあらためて頭を下げながら言った。
私は、肯かざるを得なかった。
「ところで、君が何故、「饗宴」の主になっているのか、教えてくれないか。他にも色々と、教えてほしい事がある。ピエールが結婚したい女性がいる、と僕に言ってきたので、一応、スペインの知己、何人かに頼んで、アラナや君の事を調べてもらった。公私混同と言われそうだが。かつてのスペイン青師団にいた知己の一人に至っては、国防省でもかなり上の地位にいて、スペイン政府内のほとんどの情報にアクセスできる立場だ。だが、君が「饗宴」の娼婦になる以前の事は、その知己にさえも、ほとんど分からない、と言われた。一体、君は何者なんだ」
彼は、私の正体を探るような目をして、私の目を覗き込んだ。
「どうしても知りたい?」
私は、その時、ぞっとするような笑みを、自分でも浮かべながら言った。
彼のさっきの言葉は、彼は全く意図しなかったことだが、私の心の古傷を、思い切り抉っていた。
「私は、表向きは、スペイン内戦の時に死んだ身。それこそ、墓さえ既にある身」
私は歌うように言った。
そう、私の本当の故郷、あの土地には、私の本当の名、ファナ・グスマンの墓がある。
スペイン内戦後、夫の旧友、彼に頼んで、彼から私の兄に伝えてもらったのだ。
私が内戦中に、地中海に飛び込み、自殺したようだ、遺体は見つかっていないが、ほぼ間違いないと。
カサンドラ・ハポンとして生きていく以上、自らにけじめをつけようと、そうしたのだ。
私は涙が目に浮かぶのを覚えた。
あの土地、兄や幼い頃の友達と過ごしたあの土地を、私は、もうファナ・グスマンとしては、訪れることは決してできない。
私の両親は、既に死んだらしい。
兄が、私と夫と娘カサンドラの墓を建ててくれたらしい。
私は、一度だけ、その墓を訪れた。
兄が手入れをしてくれているのだろう、私達家族の墓はきれいな状態だった。
だが、その墓には誰一人入っていない。
私は、まだ生きている。
夫は、拷問の末、惨殺され、遺体の行方は分からない。
娘カサンドラは、地中海の底に眠っている筈だ。
夫の両親は、どうしているだろう。
もう、西サハラの土になっているだろうか。
夫と異なり、夫の両親は、スペイン共和派に忠誠を尽くした。
そのために、祖国の裏切り者として、西サハラに口実をもうけて送られたはずだ。
夫と結婚して、娘カサンドラが生まれ、内戦勃発まで、ずっと、私を実の娘のように愛しんでくれた義理の父母だった。
だが、内戦は、私と義理の父母を無惨にも引き裂いたのだ。
あの内戦は、私達のように、多くの親子兄弟といった家族を引き裂く等、多大なトラウマを遺した。
そして、その時に生きていたスペイン人の多くの間では、未だにトラウマが癒えたとは言えない。
あの時、産まれていなかった娘アラナには、決してわからない話だろう。
スペイン内戦を実際に経験した目の前にいるアランでさえ、完全に理解してくれるとは思えない話だ。
だが、そのトラウマは、今でも私の心の中でうずき続けている。
そう、その違いから、娘アラナは、西サハラ勤務をむしろ志願し、私は、強く反対したのだ。
アラナが、空軍士官学校を志願し、空軍士官になるのは、まだ私には認められる話だった。
実父アランの血故に、軍人を志望したのだろう、とさえ、私は考えた。
そして、空軍少尉に任官、操縦士の資格も取ったアラナは、帰省してきて言った。
「お母さん、私、西サハラで勤務することになった」
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