第2章ー2
おそらくだが、私は入水自殺に失敗した直後の頃、完全に心を病んでいた。
ともかく、その頃の事は、私の記憶に、ほとんどない。
周囲の話から、私は当時の状況を推測するしかない。
周囲の話によると、私は波打ち際にぼろ屑のような衣服をまとい、海から打ち上げられていたそうだ。
周囲からの質問に対して、自分の名はカサンドラです、ということしか答えず、それ以外の事を聞いても何も答えられない状態だった。
そして、私を知っているという人も現れなかった。
もし、私が本名のファナ・グスマンを名乗っていれば、対応も違っていただろう。
だが、別人の名を名乗っていて、それ以外、何も答えないのだ。
更に当時のバレンシアにおいて、ある意味、国民派のシンパとして、私はお尋ね者同然の立場だった。
どうにも怪しいが確証が無い、ということで、ある程度、回復した段階で、私はバレンシアの街に放り出されることになった。
だが、私は、身元が分からず、当てのない状態だ。
そう言う状態につけこむ人間は、常にいるものだ。
私は、バレンシアの街に放り出された直後、秘密娼館「饗宴」の主に、声を掛けられ、自分が娼婦として働くことを承諾していた。
その時、私は、娼婦と言うのが何かわからない状態だったらしい。
ただ、この人についていけば、飯を食べさせてもらえる、ということで喜んで付いてきた、とのことだ。
おそらく、記憶喪失に伴い、知能もかなり低下した状態に、この時の私はあったのだろう。
そして、何人かの客の相手をし、時間が流れる内に、私は少しずつ自分を取り戻した。
自分の状況を認識するにつれ、余りの状況に絶望していったが、最早、私は自殺する気力を失っていた。
私は、惰性で娼婦として働くようになった。
だが、心の奥底が馴染めなくなり、どうにもつらい状況に陥った。
かといって、「饗宴」を抜け出して、何処かに行って、どうにかなるものではない。
何しろ、当時のスペインは内戦中で、食糧等は配給される状況にあった。
私が「饗宴」を抜けたら、餓死等する運命が待っていることは間違いなかった。
私は、共和派支持者の振りをして、自分の運命が好転するのを待つことにした。
そうした中で、マルランという男に、私は愛されるようになった。
マルランは、「赤い国際旅団」に所属していて、いい顔、幹部らしかった。
私の事を若死にした妻か、娘の成長した姿に見えると言って、しょっちゅう「饗宴」に来ては、私を抱くようになった。
私としては、どうにもマルランを好きにはなれなかったが、自分が娼婦である以上、拒むこと等できようはずもない。
ひたすら耐えるしかなかった。
そして、エブロ河の戦いがあり、更に、バレンシアはスペイン国民派の手に落ちた。
実は、「饗宴」はスペイン共和派の息が掛かっており、主人は、スペイン共和派の完全なシンパだった。
そのために、身元の怪しい私を平然と娼婦として雇えたのだ。
もし、スペイン共和派の息が掛かっていなかったら、そもそも私を雇えなかったはずだ。
おそらくだが、私を監視下に置いて、自分の食い扶持を稼がせるために、「饗宴」の主人等は動き、私を雇っていたのだろう。
「饗宴」の主人は、国外逃亡を策したが、そもそも国外逃亡に必要なお金を、他の共和派幹部に奪われてしまっていたらしく、金策に奔走する状況にあった。
そうした状況にある中、彼、アラン・ダヴーは私の下に現れたのだ。
彼は、私にマルランから自分の死を告げてほしい、と頼まれたことから来たそうだ。
私にとって、それは福音に他ならなかった。
これで、この地獄から抜け出せるのは間違いない、と私の内心は歓喜に打ち震えた。
私は恩人の彼への懸命のサービスに努めた。
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