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不死なる少年は、その屍を越えさせない。  作者: 赤月ヤモリ
第零章 ―洞窟の絶望―
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第3話 『発狂の少年Ⅰ』

 深く沈んでいた意識が巨大な浮力に背を押されるように覚醒する。

 開眼し詰まっていた息を吐いて呼吸を行うと心臓が拍動を激しくし全身を嫌な汗が包み込んだ。

 

 外界が見える。息が出来ている。心臓の鼓動が聞こえる。


「い、生きてる?」


 薄い緑の光をそこら中から浴びつつ昴は呟いた。

 瞬きし、それから左半身に手を当ててみるとしっかりと感覚が伝わた。

 ためしに左手を動かし、目の前に持ってくる。

 血に真っ赤に染まった左腕が目に見え、しかし昴がそれを見てもさして驚く様子を見せることは無かった。

 その血が今現在流血しているものではないとわかっていたからだ。

 

 手に付着している血はすべて地面に広がる先ほど流した自分の血で、どういうわけかその傷が塞がっている。

 と言うか腕が生えている。


 昴は確かに自分の腕を口にして好色の笑みを浮かべる化け物の姿をその目にとらえていた。


 それに地面に今現在広がったままのこの血液を見れば脳裏に焼き付いたあの悪劇が現実だという事がわかる。

 だと言うにもかかわらず確実に致命傷だと思われた傷は何もなかったかのように再生していて、感覚も特に問題は無い。

 いたって健康体だ。


 若干乾き、粘り気を帯びてきた血液が体中にまとわりついて気持ちが悪い。


「なんで生きてんだろうなぁ」


 不快感に顔をしかめながらも零した昴は一度立ち上がり肩を回す。

 こきこきと気持ちの良い音がなったことに若干嬉しく思った。


 昴は顎に手を当て逡巡する。

 先ほどの化け物の攻撃により確かに命を落としたはずだ。

 そしてその後あの化け物に体中を食い散らかされたのは、昴から千切った腕を加えて嗤った化け物の様子から明らかな事。


 しかしながら昴は生きている。

 千切られたはずの左半身も傷一つ無く接合されている。


 いったいどういう事なのだ。

 もしかすると女神が渡した《癒しの力》と言う物が作用しているのではないだろうか?


 ふと頭に浮かんだその可能性に、しかし昴は頭を振って考えを否定した。

 癒しの力がどれほどの物かはわからないが、ただそれでは『癒し』の範疇を超えていると思われたのだ。

 尽きた命が再活動を開始するのはもう『癒し』ではなく『蘇生』である。

 命が尽きる前に身体が再生した、と言う事も考えられなくもない。

 が、しかしそこまで考えこれ以上の思考は無駄だと悟り思考を中断した。


 死んでから生き返ったのか、死ぬ前に回復したのか……そんなことはどちらでもいい。

 この助かった命をそう易々と散らすつもりが昴の胸の内には存在しなかったからだ。

 これ以上攻撃を食らわない。

 そう、これに徹すれば生き返ったかどうかなんてことはどうでもいい。


「と、そう言えば藤塚……頼むぞ、死んで目が覚めたら三年後とかで、飢餓で死んでたとか無しにしてくれよ」


 口にしつつ昴は立ち上がると一見して何もない岩壁に向かって歩きはじめる。

 昴が最後に意識を立ったであろう場所から目が覚めた場所まで赤い血痕が残っていたので猿は行儀悪く食べ歩きをしたようだ。


 べたべたとする体を動かして歩き始めると、ふと、天井から何かが落下してきた。

 部屋の天井とは違いかなりの高さがあるここは上を見上げてもはっきりとは見ることが出来ない。


 だが落ちてきたのは一つだけのようだ。

 かなりの高さだったろうにそいつ(、、、)は何事もなかったかのように動き始める。


 その足は何本あるのだろうか。

 そんなのは分からない。

 一メートルを優に超えるそいつ(、、、)が日本にいる百足と同じ本数とは到底思えない。

 絶望に顔から血の気が引いて行くのがわかった。


 だが、昴だって学習する。

 すぐに二度失敗を繰り返さない。

 さっきは部屋の中で動きが制限されたが今は違う。

 バックステップで距離を取り、頭の中にある百足についての情報を引っ張り出した。

 地球の、日本にいた百足相手の情報があの化け物にどれほど通用するのかはわからなかったがそれしか方法が思いつかなかったのだ。


「百足って言えば早いことと、生命力が強いこと。あとは……お湯に弱かったんだっけか?」


 あとは毒を持っていたはずだ。

 はてさてそれは顎だったか尻尾だったか。

 昆虫に対しあまりにも無知な昴の知るところではない。


 眼前でカサカサと腕を腕で撫でつけるような動作を繰り返すだけで近づいてこない百足を注視しつつ、一歩二歩と後ずさりながらさらに距離を取る。

 開けば開くだけ相手の移動時間が増えて自分の逃げる隙が生まれやすいからだ。


 そして昴の後退が五歩を超えた時だった。


 零から一気に百足のスピードがマックスになる。爆発的なまでの初速度だ。


「うわぁッ!」


 間抜けな声を上げながら驚き、思わず尻餅をついてしまう。

 命の駆け引きをしたことのない昴の膝はそんなにすぐに慣れていなかったのだ。

 恐怖と緊張。焦りと不安。

 胸中を埋め尽くす負の感情が体に顕著に表れた瞬間であった。


 そして完全な隙を見せてしまった昴に、百足の突進ともいえる接近を避けることはできない。


 小さく、細く。

 しかしグロテスクな無数の足がくっついた巨躯が迫り昴の体にぶつかる。

 易々と体は吹き飛ばされごつごつとした地面を転がりまわった。

 確実な重い一撃。

 しかし、不思議と昴は体に痛みを感じられない。

 ただ、感覚はある。

 今の一撃で肋骨が数本ぽっきりと折れてしまい、その内の一本が肺にでも刺さったのか息苦しい。


 吸い込んだ埃っぽい空気を吐き捨てると喉も音を通ったのは空気ではなく鉄の味がする液体だ。

 咽るように吐血すると、キッと百足を睨み付けるように見た。

 そして目の前に迫った百足の巨躯に思わず吐き気を催した。

 キチキチと動く足が覆いかぶさるように全身を包み込み気色が悪い。


 ふと、何かが腕に刺さった。


 そちらへ眼を向けてみると、百足の口から延びた一本の針がある。

 異物が入り込んだ気持ちの悪さに顔をしかめ、しかし次の瞬間それはもっと濃くなる。

 針の先端から昴の体の中に何かが排出されてきたのだ。


 腕の中をぼこぼこと動くその物体に昴は『恐怖』を覚えた。


「こいつッ!!――離れろよ! クソッ! クソッ! クソがぁぁッ!!」


 肉の間を縫って体中に侵入してくる気色の悪い感覚。

 侵入を防ごうと試みるも百足のその巨躯にのしかかられており動くことが出来ない。


 ぼこぼことした物が昇ってくる。

 何かが腕を伝って、首を伝って、そして最後に眉間を超えたあたりで昴の意識は無くなった。


 本日二度目となる死を昴は遂げたのだ。


■ □ ■


 クルクルと廻る。ギュルギュルと廻る。『――』は廻る。

 二度目の回転を行う。

 次元を超える。世界を超える。

 失われた繋がりを求める。

 しかし、失われた繋がりはうまく再生できない。


 『――』はさらに廻る。

 廻る、廻る、廻る。


 そして、次元を、世界を超えた先の一点で、大気中の魔力が一つに収束していく。

 それは形取る、人間の形を。

 『――』は廻る。

 魔力が変化し人の肉体へと変わった。


 『――』は止まった。



 そして、次元を世界を超えた先で福津昴は目を覚ます。


 傷一つない体を得て……。


■ □ ■


 昴が意識を取り戻した時部屋の中は異様な悪臭と怖気を呼び立たせる音が響いていた。

 それにより生き返ったことに対しての疑問や、状況の判らなさに狼狽していたことも忘れ耳を塞ごうとする。


 ぐちゅぐちゅとかさかさと鳴る音はすぐ近くから聞こえていた。

 鼓膜を侵すようなその音に顔をしかめながら辺りを見渡すと、ふと素足で何か(、、、、、)を踏んだ。


「って、何で俺裸なんだ? てか、何を踏んだんだ? 感触って言うかそう言うの、が……気持ちわ、る、い……」


 足の裏の感触に視線を下へと向けるとまず自分の裸が映った。

 どういうわけか全裸であったのだ。


 そして昴はその先の足元に広がる地獄絵図を目にする。

 目にして固まる。

 昴は足の下でうじゃうじゃと蠢く、ざっと数百匹はいるであろう百足の一部を踏みつぶしていた。


 ――気持ちが悪い。


 昴が固まった隙にも足を幾十もの百足が昇って来ており、よく見るとそのすべての百足はある一つの物体(、、)から溢れ出ていた。

 その物体(、、)を目にした瞬間昴は……。


「あ、うわぁぁぁ!!」


 半狂乱になり、たまらず駆けだす。

 全裸で駆ける。

 いや、もう全裸だとか足にまとわりつく百足が気持ち悪いだとかそんなことはどうでもよくなっていた。


 裸足でゴツゴツとした岩の上を走っているので皮が擦りむけ血が舞う。

 それでも昴は足を止めない。

 絶叫を上げて、ただ一つの目的地へと走っていく。


 それは昴にしては珍しい逃げの選択であった。

 百足の発生源にあった物体(、、)を目にし、しかし、逃げ出さずにあの場所に昴が居続け現実を受け止めたならそれは昴の精神の崩壊を意味する。


 物理的に逃げることで精神的に助かろうとしていた。

 それほどまでに百足の発生源は昴の心をかき乱し破壊しようとした。


 昴は駆けた。

 ごつごつとした道を裸足で、服も下着すら身に付けていない姿で……。

 服のすべては百足の発生源あの物体のところにあった。

 だから取りに戻ることはできない。


 昴は、体中から百足の子供を溢れ出さしている自分の死体(、、、、、)から逃げるように走り去る――。


 荒い息のまま昴は血の跡をたどり、やっとの思いで藤塚と最後にわかれた岩壁の前に来ていた。

 完璧なまでにカモフラージュされた壁はこちらからでは開けることは困難だと判断できる。

 だが、昴はそんなことお構いなしとばかりに岩壁に張り付くと手探りで必死に扉を開けようとする。


 中にいるであろう藤塚を驚かせるだとか、全裸であるとかは当に頭にない。

 それよりも何かに一生懸命になって今見た異常な光景を脳内から消し去りたかった。


 しばらく頑張っていると扉がゆっくりと開き始める。

 中は相変わらず真っ暗で、部屋の最奥の壁画が異様な存在感を醸し出していた。


 今にも壊れてしまいそうな心で部屋の中を見渡し、そして部屋の片隅ですすり泣く一人の少女の姿をその瞳にとらえる。


「ぁ……あぁ……。なぁ、なぁ!? 藤塚ぁ! 俺生きてるか? 俺生きてるよな!?」


 涙を流していた少女に近付くと昴は彼女に気など使わず自分勝手にまくしたてた。


 そこでようやく誰かが部屋の中に入ってきたと言うことを理解した藤塚は泣き止むのを止めて顔を上げる。

 彼女の瞳に見慣れた自分の顔が映ったのが確認できる。

 だが、この顔は先ほど百足の子供に埋もれてもいた。


 自分は、福津昴と言う精神は生きているはずなのに先ほど自分の死体を目撃した昴はどうしようもない恐怖感と孤独感。

 異常な現実に戦慄していた。


「福津……? スンッ……生きてる、の?」


 掠れかけた声で昴の名前を呼んだ少女。

 だが、彼女に気を遣っていられるほど昴も冷静ではない。

 先ほどの非情で異常な現実は昴の心をいともたやすく折りに来たのだ。


「生きてる? 俺は生きてるよな? お前がさっきまで話していた福津昴だよな?」


 昴の要領を得ない質問に藤塚は小首をかしげる。


「あ、え? ――何かよく判んねえがアタシにはさっきと同じように見える」 


 彼女は昴から少しだけ視線を逸らして困ったように口にした。


「さっきと同じ……ま、そうだよな。生きてるもんな。ははっ。でも、藤塚ぁ……俺、死んだんだよ。たぶん」


「は、はぁ? なに言ってんだよ。だったら今のお前はお化けだって言いたいのか?」


 訳の判らない事を狂ったように吐き捨てる昴。

 それは昴自身今自分に何が起こっているのかがわからないからだ。

 死んだのに生きている。生きているのに殺された。

 自分の死体があり、肉体が二つあると言うのに何も変わっていないと彼女は言う。


「さぁ、判らないが……そうだな、だいぶ落ち着いて来たしあの後のことを話すよ。て言っても正直説明しきれるかわからねえが……」


 感情の整理がまだつかず、どうすればいいのかわからない昴。

 一人だったならばもっと取り乱していただろうことは用意に想定できた。

 不良で、嫌われていたとしても目の前の少女が居てくれて本当によかったと昴は心の中で感謝する。


 その少女は昴から顔を背けたまま、おもむろに制服の上着を手渡すと告げた。


「と、とにかく服を着ろ。馬鹿野郎」


 大慌てで服を借り、腰に巻きつけるようにして局部を隠したのは言う間でもないことだ。


■ □ ■


「と、まぁこういうことだ。俺自身よく判ってないから……何とも言えねえがとにかくこれは俺がもらった《癒しの加護》の能力だと思う」


 説明を終えると昴は自分の加護が生き返った原因だと述べた。

 だが、顎に手を当て聞いていた藤塚が顔を疑問に染める。


「それだと癒しって言うより蘇生って感じじゃないか? いや、そう言うのにはあんま興味ねえからわかんねえけど」


「確かに言われれば癒しじゃないよなぁ……。痛みとかもなかったし……どう考えても他の何かな気がして仕方がないな」


 呟きつつ、昴は思考の海に足を踏み入れた。


 藤塚との会話で本格的に落ち着きを取り戻した昴は体の調子を確かめ、やはり明らかに異常だという事を確信する。

 いや、体に異常があったのではない。

 逆に異常がないことが異常なのだ。


 昴は一度死に、そして二回目も死んだ。だと言うのに今ここに生きている。

 息をしている。

 脈を打っている。

 そのことが異常でそして自分の体の事すらも満足に把握しきれていない現状に吐き気がした。

 昴は思い出す。

 自分が見た自分の死体自分の姿を……。


 目や鼻、耳や口。

 一瞬見ただけだがそこからは絶えず百足が這い出ていた。

 おそらくあれは自分を襲ったあの巨大百足の子供なのだろう。


 死の直前の違和感を思い出す。

 痛みこそなかったが、異物が体内を駆け巡る感触。

 気持ちが悪かった。

 あの時に百足は昴に卵または子供を植え付けたのだ。

 昴の体を使い――栄養分とするために。

 つまりはあの時、あの一瞬。

 百足は昴を敵どころか餌とすら思っていなかったことになる。

 養分を与えてくれるいわば肥料のような存在位に思われ、昴は殺されたのだ。

 虫唾が走った。


「クソッ!」


 苛立ちから思わず吠えてしまう。

 頭を掻き毟る。

 そんなことをしても何も変わらないと言うのに……。


 時間が過ぎて胸中を埋めていた汚泥を愚痴と共に吐き捨て幾分か思考がクリアになる。

 完全にクリアになると再度状況の把握を始めた。


 昴は確かに死んだ。

 それはわかっている。

 痛覚が無いのはどういうことだ? それはわからない。

 最初昴は女神からもらった癒しの力――花火曰く『チート』のおかげかと思っていた。


 猿の化け物に左半身をえぐり取られた時、絶命する前にそのチートが発動し何とか命を繋いだものだと考えたのだ。


 だが、それは違った。


 ――いや、裸足でゴツゴツの岩の上を走ったのにも関わらず負った傷が既にその後すら見せていないところを考えると、おそらく『即死の傷以外』は癒しの力によって勝手に癒されているのだろう。

 あくまで昴の想像でしかないが……。


 だがその想像の続きを語るとすれば、猿の時の死亡と百足による死亡からの復活。


 この二つはおそらく癒しの力ではない。

 まぁ、猿の方は癒しによる復活の可能性が完全に拭いきれたわけではないが、百足の件は完全に別の何か(、、)が働いている。そう考えざるを得ない。


 ――癒されていないじゃないか。

 今のこの体は新しい体としか思えないじゃないか。


 百足が子供を産みつけ、体内を大量の百足が埋め尽くしている状態で傷を治すと言う癒しの力を行使しても状況が改善されるわけではない。

 体の中に大量の百足が蠢く状態で体が回復し、しかしそんな体に意識が戻るとは思えない。

 食っても食っても復活する肉体に百足の子供を興奮させるだけだ。


 使えない体は使わず新しく作る。使える体は修復して使う。

 自分の身に起きていることを必死に分析した結果昴はそう結論付けた。


「福津……」


 昴が急に難しい顔で悩みこみ、さらに怖い顔で毒を吐いたことで彼女は彼女らしさを失い、普通の少女のように怯えていた。


「あ……悪い。なんでも無いからさ」


「――――」


 ただでさえこんな状況で疲れているだろうに自分の事で心配させてはいけないと判断した昴は健気に笑って見せる。

 しかし、それでも彼女の様子は改善されず、仕方なしに昴は別の話題を振った。


「そう言えば俺の為に泣いてくれてたのか?」


 口元をニッとさせて悪戯な笑みを浮かべると茶化すように軽い口調で藤塚の隣に腰を下ろす。

 びくりと肩を震わせつつ彼女は泣きはらした目を昴から背けて茶髪の先を指で弄びながら拗ねたような口調で告げた。


「いくら福津のこと気持ち悪いって思っててもやっぱ死んでほしいなんて思わないさ。特に今じゃ一緒にいてくれなきゃ嫌だ……。情けない話だけどアタシだって女なんだ」


 てっきり「そんな訳無いでしょ!」的なアニメ特有のツンデレリアクションを言ってくれるかと思っていた昴は彼女の態度に驚く。

 現実と二次元は違うとよく言ったものだが、まさか現実の方が良いとは思わず、昴は彼女の素直な感情に照れてしまい恥ずかしさのあまり左手で頭を掻いた。


「そ、そうか……。まぁ一応は男だからな。頼りないかもしれないができるだけお前を守ってやる」


「それって何かアニメのセリフ?」


「くっそ、雰囲気ぶち壊しアンド当たってるからなんも反論できないことが辛いなぁー」


 藤塚の軽口に苦笑を浮かべ昴は溜息をついた。


 と、ふと『くぅー』と言う可愛らしい音が聞こえてくる。

 一瞬何の音だろうかと昴は疑問に眉根を寄せたが、隣にいる藤塚がお腹を押さえてわずかに頬を朱に染めていたので腹の音だと察した。


「お腹すいたのか?」


「昴はデリカシーの欠片もねえのかっ」


 肩を叩きつつ、彼女は怒りの視線を向けてくる。

 だが、昴は今それどころではないとばかりに顔を真っ赤に染めて汗を流していた。


「い、いいい、今、昴って……」


 上ずったようなおかしな声になってしまうのを誰が止めれようか。


「ん? あぁ、だってとにかくここから出るまでは一緒に過ごすんだ。だったら仲良くしとかねえと身が持たねぇ?」


「あ、な、なんだ。そう言う事か。てっきり俺の事が好きなのかと思っちまったぜ。紛らわしいことするななよな」


「うっわ、童貞特有のちょっと親しげにされただけで『こいつ俺に気があるんじゃねぇの?』ってやつ? 全然お前みたいななよっちいやつタイプじゃねえから安心しろ」


「ひ、ひでぇ……」


 ぐさりと心に傷を負い溜息を吐き捨てる。


「お前も沙耶って呼んでいいぜ?」


「女子を下の名前で呼べるくらいコミュ力あるように見えるか?」


 苦笑を浮かべてからからと笑う少女。

 茶髪もはらりと揺れる。


 その姿を見て、昴の中にあったどこか黒い思いがすっと消えていく。

 いろんなことを考えなくてはいけないのに彼女を前にしているとその時だけは考えることも止め彼女と接したいと思った。


 しかし、それは愚策だと頭を振ると、目先の緊急に解決しなくてはならない問題の思考に取り掛かる。


「ま、それはそうと食料は確かに重要だよな。正直なところこのままじゃ明後日あたりで……って、ん? どうした?」


 水、食料をどうやって手に入れるかという事を脳内にある知識すべてをつぎ込んで思考を張り巡らしていると、ふと、隣にいた藤塚が昴にもたれかかった。


 暖かい体温と甘い良い臭いが昴の鼻腔をくすぐる。


「ヤバい、昴……。ちょっとだけ、いいか?」


 彼女の鼻息が首筋に触れ、次いで彼女の柔らかな唇。

 湿った舌の感触が同じ場所を走った。

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