第3話 『到着、目指すは領主邸』
昴は眼前で轟々と燃え盛る炎に包まれた『魔力式航海船』に向かってそっと敬礼をしていた。
ある程度港まで接近すると攻撃を受けることは想定していたので昴たち『真実の公布者』は緊急避難用のボートに乗ってあらかじめ脱出していたので怪我は無い。
普段、港『戦争の逃げ道』の人たちが暗黒大陸に入港するのはそれ専用の秘密裏の港があるそうなのだが、今回は船を壊すと言うもったいないことを行う必要があった。
こうして船が全焼しているところを見せてあらかじめ警戒させないと言うのが狙いである。
シンスとアリシア曰く、魔人族は本当に頭があまり良いとは言えないらしく、こうして倒したと思い込ませればまず侵入したと疑うことはしないらしい。
シンス達と練りに練った作戦の第一段階は無事終了。
木造の船に積まれた燃料に炎が行き届いたのを見てプラウダが最大の魔力を注ぎ込むと、膨大なエネルギーと共に船が爆散する。
木片が宙を舞い、海に雨のように降り注ぐ。熱風が頬を撫でる。
「お勤め、ご苦労様でした」
その言葉を最後に昴は敬礼の姿勢を解くと、ボートに座り直しオールを持ってきこきこと海水を漕ぎ始めた。
ゆっくり少しずつ、人の居ないところへと移動するとようやく昴たちは暗黒大陸に上陸することが叶った。
到着したのはシーラ王国の港町ゼリア。
アルーフ・シドランと言うシーラ王国にとっても有用な貴族の男が領主をしているシドラン領にある港町である。
他にもいくつもの港町は合ったのだが、昴たちはある理由からこのゼリアを選ぶことにした。
港事態には入ることが出来ないので正確にはゼリア郊外と言える海に面する岩陰で昴たちは身を潜めながら次の作戦についての最終確認を行う。
「街の入り口には関所があるはずだ。私とアリシア、シンスはそれ以外からの侵入がそれほど難しくないが……昴を抱えてなると難しくなる」
神妙な面持ちでプラウダが昴を見た。
だが、今のはもうすでに解決する方法を編み出している。
もちろん昴とシンスの二人で考えてだ。
プラウダは何もしていない。
「そこで、まずシンスが侵入。髪色は泥でも被れば目立たないから置いといて、侵入後適当な服屋に入って服をいくつか購入。昴の身なりを整えてから昴は正面突破する」
「――わかってたけど、実際にやるってなるとビビっちまうな」
「まぁ、落ち着け。この作戦はお前たちが考えたんだろ?」
「そうだな、俺とシンスが考えた。プラウダは何もしてないな。馬鹿だもんな」
プラウダを茶化すことで昴は緊張の糸を緩めていく。
一つ溜息を零すと、頬を張って気を引き締める。
叩いたところで痛みが無いので意味ないが、それでもしないよりましだった。
「じゃ、日が暮れる前にするとするか」
「「「おー」」」
昴が決意を持って小さく呟くと、三人が掛け声とともに拳を天へと向けた。
大事な作戦の前と言うのにその子供っぽさが似つかなくどこかおかしくて、昴は思わず苦笑を零す。
■ □ ■
シンスが無事服を持って戻ってくる。
彼の手にはいくつかの袋が有り、その中にはしっかりした服が数枚入っていた。
服を着替えなくてはいけないのは昴だけではない。
昴たちが着ているこのぼろ布では侵入したとしても周囲の目を集めるのには嫌と言うほど効果的だろう。
そして、誰もそんな効果を欲してはいない。
故に全員分の服が必要だったのだ。
昴はボロボロになった服を脱ぎ捨てて、シンスが勝ってきた服に袖を通す。
ごわごわとした荒い布は日本の高水準の服を十七年着続けたからか違和感がぬぐえない。
だが、それでも十分すぎるほどに着心地は良くなった。
少なくとも変な臭いがすると言うことは無い。
プラウダの出す水で洗い続けていたとはいえ限度があったので匂いが取れて昴の表情は少し緩んだ。
「なかなか似合っていますね、昴」
昴同様に着替えを済ませたシンスが、昴の着姿を見て、満足と言う様に頷いた。
この服を選んだのはもちろん買ってきたシンスだ。
故に似合って嬉しいのだろう。
昴も褒められて悪い気分でもないし、しかし、少しの恥ずかしさから若干頬を染め気を紛らわすように頭をかいて「そ、そうか?」とぶっきらぼうに答える。
シンスが選んできたのは紺色のズボンに黒のTシャツのような、だが、もう少し荒い布でできた服だ。
科学繊維的なものが含まれない純正の布から作られた物なのだろう。
昴はその上にグレーのフードつきのコートを羽織っている。
昴的には黒より白の方が好きだったので、この服を購入する作戦を立案した際にできたら白にしてくれと要望を出していたりする。
だが、目立つとのことでやはり却下。
しぶしぶ昴はグレーのコートで手を打ったのだが、似合っていると言われ嬉しくないと言えば嘘になるだろう。
シンスも似たようなものだが、彼の場合は完全な黒のフードだ。
細かなデザインが結構違うので二人の黒ずくめ、などと言われ目立つことはないだろう。
互いを評価し合っていると着替えを終えたプラウダとアリシアがやってくる。
二人とも町娘のような服に袖を通しているが、プラウダは顔がシーラ王国においては知れ渡っているので首に布を巻いて顔の半分を隠している。
アリシアは狐耳を窮屈そうに畳んでバンダナのようなもので押さえつけていた。
「お二人とも良く似合ってますよ。――と、お二人とも見てください、どうですか? 昴の姿、結構様になっているでしょう?」
「おぉー良いじゃん!」
「うむ、シンスはセンスがいいな」
三人で和気あいあいと話し合っている。
シンスは彼女たちに似合うと評していたが、可愛らしい服だけに顔が見えないことに昴は落胆した。
確かに似合っている分、もったいないと思うのはやはり男なら誰しもそうなのだろう。
しかし、そもそもそんなことは今関係ないと頭を振って雑念を振り払うと、顔を引き締めて昴は遠くに見える関所を見据える。
港町ゼリアは海に面している部分を除けば巨大な壁に囲まれており、城塞都市と言う言葉が脳裏をよぎった。
ただの一介の町だと言うのにここまで警備がしっかりしていることに疑問を抱き昴は作戦を練っている段階でシンスに疑問を投げかけていた。
曰く、すべては魔獣が原因だそう。
世界樹のある孤島だけではなく暗黒大陸にも魔獣の類はうじゃうじゃいるそうだ。
だが、その強さは格段に落ちるとか。
最初から強い滴相手に戦ってきたから、気にすることなどないか。
と、カッコよく言ってやりたい気持ちになったが自分の身体能力が上がっていないことは百も承知なので言葉を飲み込んだのをよく覚えていた。
「ちょっと、昴ぅー? 感想ゼロかなぁ? シンスはちゃんと言ってくれたよぉー?」
関所を見据え、物思いにふけっていた昴の頭部をガッと掴むとアリシアは力任せに昴を振り向かせる。
痛くはないが抵抗すると首がもげそうだったので素直にアリシアに向き直ると、
「似合ってるな」
一言言ってすぐに関所へと向き直った。
せっかく雑念を振り払ったところだと言うのに、こんなところでほんわかムードになってしまえば何の意味もない。
緊張しすぎるのもダメだが緊張しなさすぎるのもダメだと言っていた小学校の教師の言葉を思い出す。
「うがー! それだけ!?」
「それだけも何も、顔が隠れてるんだから評価のしようがないだろ。そもそも俺にセンスなんてものはねぇ。顔隠れた状態で似合う似合わないを測れるほど俺は凄くないの」
シンスは脳内でそれが補てんできるのだろうが昴にはそんな高等技術は行うことは出来ない。
センスもないのに顔が見えにくい状態で評価せよなど無理もいいところだった。
「わかったよぉー。はぁ……」
「わかったならいい。じゃあ、作戦開始だ。アリシアは俺が無事侵入出来たらすぐに合流。プラウダとシンスは先にアルーフ・シドラン邸の偵察を頼む」
港町ゼリアにやってきた理由。
それはゼリアにシドラン領領主のアルーフ・シドランが住んでおり、その邸宅がこの町にあるからだ。
そう、昴たちが数ある港町からこのゼリアを選んだその理由とはまさしくアルーフ・シドランと言う人物に話があるからである。
だが、相手は貴族。
その厚い警備を無理やり突破することは、しかし、英雄である三人が居る限り難しくないことだろう。
が、そんな目立つことをすれば英雄がシーラ王国の貴族を襲ったと噂が流れてしまう。
国王を打破し、平和な世界を作ろうとする集団だと言うのに悪評が付いては元も子もない。
結局は一緒なのだ。
大多数に支持された方が正義。
大多数に悪意を向けられた方が悪。
人の上に立つためには、あらかじめ何等かの権力を持っているか大多数に支持されるしかないのだ。
そして残念なことに『真実の公布者』の中に権力者はいない。
故に大多数に悪評を与えるようなことはしてはいけないのだ。
細心の注意を持ってアルーフ・シドラン邸に侵入し、アルーフと話しをしなくてはいけない。
そのための偵察がプラウダとシンスだ。
偵察なのだから少数精鋭を念頭に置く。
二人を先に偵察に向かわせるのが一番と話し合いで決を下した。
それにあくまでも目的は偵察だが、戦闘に陥ることも無きにしも非ず。
しかし、そんな時アリシアでは襲ってきた兵士を殺してしまうだろう。
彼女のの戦い方はまさに『一撃必殺』。
みねうちを知らない。
今回は殺すことを目的としないので殺すことなく警備の兵を無力化できるシンスとプラウダが抜擢された。
抜擢したのはやはり昴とシンスである。
「わかった。じゃあ、侵入に成功したらてきとうな人通りの少ない路地裏にでも入って。そこで合流する」
「了解」
アリシアとの打ち合わせを終えるとちょうどシンスもプラウダへの最終確認を行っていた。
「いいですか、あくまでも偵察だけです。間違っても突っ込んでいかないでくださいね」
「わかってるって」
二人の話が終わるのを待ってから、先に三人が英雄の膂力を容赦なく発揮し昴を置いて風のような速さで駆けて行ってしまう。
関所までかなりの距離があると言うにもかかわらず、彼らはものの数十秒で到着しひょうひょうとした態度で関所から離れた町を囲む壁を飛び越えてしまう。
彼らの身体能力に唖然としつつも昴はゆっくりと歩みを始めるのであった。
しばらく、あまりきれいに整備されたとは言えない土道を歩いているとようやく関所の目の前に到達することが出来た。
時間にして十分ほどである。
この距離を物の数十秒で駆け抜け、見上げるほどもある壁を難なく登ったあの三人に昴はもう何も言うまいと考えることを止めた。
関所に付くとそこでは仕事仲間とげらげらと笑いながら簡素な椅子に座って話し合っている職員らしき男が二人いる。
そのうちの一人に昴は意を決して話しかけた。
「あの、ここを通りたいんですけど」
男の内の一人が無精髭を生やした強面な面を向けて昴を見る。
どこもおかしくは無いはずだと思っていても見られていると、後ろめたいことがばれそうで冷や汗が背中を伝った。
「おっと、こりゃ失礼。悪いな兄ちゃん。まぁ、仕事はちゃんとやるから勘弁な」
強面の面から性格も強かったらどうしようかと思っていた昴だったが、どうやらそれは杞憂に終わったようだ。
男は相好を崩すと柔和な苦笑を浮かべながら昴に片手を前に出して謝罪する。
それから、いくつかの質問を受けたがすべて事前に聞いていた物ばかりだった。
形式ばった所を見るとお役所仕事と言う言葉が頭に浮かんだがよく考えると一人一人に一回一回違う質問していたら頭が回らなくなるだろう。
最後に身分証を見せてくれと言われたが、持っていないと答えると銀貨一枚を徴収される。
これも事前に説明を受けていたので特に困惑することは無かった。
男に頭を下げつつ昴は関所を通り抜けると、早速手短な路地裏へと入って行く。
屋根の上を移動していたのか空からアリシアがゆらりと振ってきた。
音もなく地面に着地する様を見て猫のようだと思ったが、彼女の耳を見ると狐のようだと言う表現の方が正しいのかもしれない。
「ご苦労様。昴」
「ああ、待たせた」
短く言葉を交わすと昴とアリシアは路地裏からそっと大通りへ。
大道理を往来する人々の姿は一見して人間と違いないように思えるが、しかし目を凝らして見て見ると微妙に鱗が頬にあったり、細い尻尾が生えていたりと少しだけ人外要素が見え隠れしていた。
「もっと、ザ・魔族。みたいなのを想像してたんだが……」
「え? 彼らは魔人族だよ? 魔族じゃないよ?」
「んと、あんまり違いが判らないんだが……?」
小首をかしげる昴に、アリシアは歩みを休めることなく隣を歩きながら説明を始める。
「魔人族って言うのはそのまんま、人の形をしている魔族の事だよ。怒ったりしたらもっと人外な部分が表面に浮き彫りになってくるけど身体能力が上がるわけでもないし、普通にしていたらまず見分けを付けることさえ難しいって言われてるよ」
「ってことは魔族は人間の形をしてないってことか?」
「そうだね、でも、魔獣とは違って意思を持つし魔人族と一緒に暮らしている人たちもいるって話だよ」
「へー」
アリシアの言葉に感心し、あたりを見回してみると確かに大通りの中にほんの少数だがトカゲの頭を持った二足歩行の生物がいた。
日本の亜人と言われる類がこの世界では魔族なのかもしれない。
だとすれば獣人族と言うのは獣の特徴を持った人間の事なのだろう。
おそらく犬が二足歩行していたりして意思を持っていればそれも魔族と呼ばれていると思われる。
アリシアと話をしながら昴は人々が往来する街道を歩きながら街並みを観覧していく。
街並みはアフリカの、どちらかと言えば乾燥地帯によくあるエジプト風の白く四角い家が多かった。
昴の思い描く異世界とは中世ヨーロッパをイメージしていただけに拍子抜けである。
ふと、がらがらと音を立てながら道を割って進む馬車のようなものが通っているのが目に入った。
馬、と言うにはいささが大きすぎる全身真っ黒な生き物は荒々しい見た目に反し、従順に動き決して暴れる様子など見せない。
しかし、目に入ったのはそこではない。
その後ろに繋がれている、いわゆる荷台と言うところに乗せられている檻に入れられた十数名の人だ。
「アリシア。あれってまさか……」
昴はある程度の予想を立てながらアリシアに問を掛けるように振り返る。
その昴の瞳を見つめ、アリシアはどこか悲痛な表情でぽつりと呟く。
「ぁ……奴隷、だね……」
昴は偽善者ではない。
故に見知らぬ人の為に今動き、目立つような行動をするわけにはいかない。
だから昴は偽善者ではなく偽悪者になる。
捕まっているのは魔人族だけではなかった。
おそらくどこからか攫われたのだろうことに獣耳の生えた少女にまだ年端もいかない子供。
戦争から逃げ出しそこで捕まったのか傷だらけの男。
決して自由を奪われるべきではない人たちがほとんどである。
彼らを助けることは昴たちがすることではない。
しかし、昴とアリシアはそれを見逃せるほど薄情な人間と言うわけでもない。
助けたい。
心の底からそう思う。
そして、昴とアリシアならばおそらく実現は可能だ。
――だが、目立つことは出来ない。
もう一度言うが昴は偽悪者になる。
心の底から助けたい。
それはデイトとマインの影を彼らに重ねているからなのかもしれない。
苦しみを味わったものには極楽を与えるべきだと言うのに、苦しみの先に苦しみが待つだけの奴隷にされているあの人たちを昴は心の底から救いたいと願う。
でも、出来ない。
昴はたぎる怒りを胸の内に押しとどめ、唇を強く噛みしめて拳を握りしめる。
力の入った爪が掌の皮膚を裂いて生暖かい血が滴るのを感じた。
「そっか……」
怒りをすべて抑え、苦渋の答えを零す昴。
「うん、そうなんだよ……」
その心情を読んだのかだろうか。
いや、おそらくそれは違う。
アリシアも昴とまったく同じ考えなのだ。
怒りを押し殺し、感情を抑え込んでいる。
昴とアリシアは、二人で連れられる馬車を見送った。
――……反吐が出る思いで。
■ □ ■
昴とアリシアは二人でしばらく街を徘徊し、適当に食事をとりながら過ごす。
お金はもともとプラウダが持っていた物という事は事前に聞いていたので『闇金なのでは?』と怯えて使うことを躊躇うなんてことは無かった。
が、好きな女の金で別の女と食事をとっているという事にちくりと胸が痛んだ。
「いっつも思うけどほんと情けねぇな」
「唐突に何?」
「いや、別に何にも。ただ、口に出して愚痴ってみたかっただけ」
「ふぅん。でも、私は情けないなんて思わないよ?」
「そ、それはなんというか嬉しいと思う反面、気を遣われているのではないかと言う新たな情けない部分が……」
苦笑を零しながら斜め下に視線をやって昴は小さく呟いた。
その態度を見てアリシアも苦笑を浮かべる。
「別にそんなつもりないよ。昴結構頑張ってるから全然情けないって思ったことないよ? そもそも、いろんなことが連続で起こって昴は辛くないの?」
「それは精神的に、だよな?」
「肉体的に、とも言いたいけど昴の体は何でも治っちゃうからねぇ~」
どこか羨ましそうに昴の傷一つない体を見つめるその視線に昴は気が付き、その意味を考え、そして思い出す。
以前アリシアの体を見てしまったときに見つけた体に刻まれた痛々しい傷の跡をの存在を……。
「ぁ……えっと」
なんと声を掛けたらいいのかわからない。
アリシアも女なのだ。
傷が体に刻まれて嬉しいはずがない。
今すぐ消したくて消したくて仕方ないだろう。
でも、昴にはどうすることもできない。
昴の持つチートは誰も救えない自分勝手なチートなのだから……。
だから声のかけ方が判らなかった。
変な慰めはアリシアの気に障ってしまう。
だが、昴の焦りを見てアリシアは苦笑を浮かべ、そっと口を開く。
「ありがと、気にしてないって言えば嘘になるけど、傷があろうが無かろうが人に見せる機会なんて一生無いと思うから良いんだよ。ま、覗きをされたら見られちゃうけどね!」
「うぅ……その節は本当にすみませんでした」
首を垂れる昴を目にすると今度こそアリシアはいつも通りのからからと楽しそうに笑った。
「さ、もっと街を見て回ろっ!」
昴の手を握るとアリシアは駆けだした。
そうして昴は久しぶりの休日と言える日を送ったのであった。
アリシアと言う『女性との初デート』だという事も気が付かずに……。
しばらく、街を観光していると太陽が傾き始める。
日中あらかじめ見つけておいた人気のない一つの建物。
その上に昴とアリシアが仁王立ちの形で立っていた。
建物の上から見える広場の日照時計が時間に達し、町中に六時を知らせる鐘の音が鳴り響く。
日本で言うところの五時のチャイムのようなものだ。
「時間だよ、昴」
「わかってる」
短く言葉を交わすと、まずアリシアがバレーのレシーブをするかのような体制で構えを取り、そこに昴が走って飛び乗る。
瞬間、昴の体に強大なGがかかり内臓がシェイクされるような錯覚を覚えた。
刹那の間に遥か上空へと打ち上げられた高さは雲にすら届きそうな程で、昴は数千メートルと言う遥か上空で改めてアリシアの化け物っぷりを思い知らされる。
「くっそぉ、わかってたけどやっぱ怖えぇぇ!!」
文字通り地に足がついていない状況で絶叫を上げながら昴は薄く暗闇が勝ってきた空を見上げた。
紐無しバンジーならぬ、パラシュートなしスカイダイビングを行いながら昴は地面へとまっさかさまに落ちていく。
このままいくと大地には昴の肉片がまき散らされ自分の血で汚ねぇ花火を作ることになってしまう。
いや、昴ならば不死身なので再生できるのだが……。
むしろ再生できる昴がいたからこそこの作戦は執行できたのだ。
普通ならありえないような作戦。
ありえないから敵に警戒されないという作戦。
重力に任せて自由落下をしていた昴の体を、ふと、何かが包み込む。
すると昴の落下の勢いはだんだんと収まり、やがて上空で停止した。
恐怖に瞑っていた瞳をビビりながら昴は少しだけ持ち上げて、自分を包み込むモノをその目におさめる。
「よし、昴。作戦通りだな」
綺麗な黒髪をポニーテールに結び、鋭い目つきをした少女の顔がすぐそばにあった。
昴の目が驚きに見開かれ、次の瞬間には朱に染まった。
乙女のような昴の本能にどうしたのか? と、黒髪の少女プラウダは小首をかしげる。
疑問に思いつつも昴に質問することは無く彼女は自身の背中から生えた翼をはためかせながらゆっくりと高度を下げていく。
昴がアリシアの手によって人間ロケット花火となったのには、彼女たちと合流すると言う意図があった。
この町は昴を含めアリシア、シンス、そしてプラウダすら初めて訪れる場所だ。
つまるところ別行動をすれば合流が難しくなる。
故に取った行動だ。
プラウダの使うことの出来る、この世界特有の力『魔法』の中に気配探知の魔法があるのだが、あらかじめ時刻を決めて置きその時間に一人だけ遥か上空に移動することによって昴たちの居場所がわかると言うことだ。
あとは簡単、プラウダが間に合えば落下する昴を助けに来ると言う物。
今現在彼女は『魔族化』と言う物を使っている。
魔人族、それも王族のみが使えると言うこれはまさしく今のプラウダの姿の事だ。
人に近い姿をしている状態から一気に悪魔らしくなる。
黒い二対の翼が背から生え、小さな尻尾が覗いて見える。
薄緑に光る瞳は魔法を行使していると言うことがわかった。
魔人族が起こったら人外に近付くと言うがそれとは別物らしい。
昴を連れてプラウダは地面に降り立つと、プラウダの移動と同時に屋根を渡って到着したシンスの姿があった。
「アリシア、超絶怖かった」
足の裏に感じる地面の感触。
それに歓喜しながら昴は鋭い目でアリシアを睨み付ける。
「そんなこと言われてもこれは昴とシンスが考えたんでしょ?」
「うっ、まぁ、そうだけど……」
「だったら私を咎めるのはお門違いじゃない?」
正論過ぎて昴は言い返すことが出来ず、誤魔化すように溜息をつくとプラウダとシンスに視線を向けた。
「で、どうだった警備の方は」
「僕が伝えましょう。警備ははっきり言って笊でしたね。作戦に支障はありません」
「よし、んじゃ、もうちょっと暗くなってから始めるぞ?」
昴たちは作戦の最終確認を行いながら完全に夜が更けるのを待った。
■ □ ■
時刻深夜二時。
アルーフ・シドラン邸を軽やかな足取りで駆けぬける三つの影と、誰の目から見ても素人丸出しのゆっくりとした歩きをする影があった。
豪奢な壺に真っ赤な絨毯。
見るからに金持ちと言った廊下を駆け抜け、やがて三つの影が停止。
遅れてもう一つの影が停止する。
影が停止したのは屋敷の中で最も頑丈そうで、それでいてもっとも豪奢に飾り付けられた扉の前であった。
もっとも先頭に居た金髪の美青年があらかじめ決めておいた合図を狐耳の女性に伝える。
それを見て狐耳をピコピコと動かしながら扉の反対に移動する。
指を三本立てて、一つずつ折り曲げて行き、最後の一つが折れると勢いよく扉を蹴破った。
大きな音が鳴るがすでにどうでもいいとばかりに豪快に蹴破られた扉。中では一人の男が何事かと驚き体を硬直させていた。
昴たち『真実の公布者』の探していたアルーフ・シドランである。
「あんたが、アルーフ・シドランだな?」
部屋の中に一人なのを確認すると昴が話しかける。
シンスとアリシアは外から誰か来ないかを見張り。
プラウダはこういう交渉事が苦手で、それに彼女の顔は魔人族の国では、人間国のシンス同様知れ渡っているだろう。
『裏切り者』としてこの国で認知されているプラウダをこの交渉に出すのは駄目だ。
誰にも知られていないただの協力者Aの昴だからこそ言葉に信憑性が出てくる。
いや、少なくとも『裏切り者』の彼らよりはましと言うだけだが。
「な、んで『裏切りの英雄』が……!?」
青ざめた表情で突然現れた昴たちを見つめるアルーフ・シドラン。
そんな彼を落ち着かせるように昴は一歩踏み出し、優しげに声を掛けようとして……喉下を駆け上ってくる血液を口から吐き出した。
――腹部に違和感がある。
「ぐふっ……なん、で?」
突如として現れた黒い影に昴は腹部を貫かれていた。
シンスも、アリシアも、プラウダも、英雄であるはずの三人すらも気付かないほどの動きで影は現れ昴を貫いたのだ。
痛みこそない。
だが、昴の負った傷は致命傷だ。
視界が暗転する。
意識が遠のいて行く。
自分の血で溺れてしまいそうだ。
現れた影の冷徹な瞳が視界の端に映ったのを最後に、昴は死んでしまう。
――……実にあっけなく。




