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不死なる少年は、その屍を越えさせない。  作者: 赤月ヤモリ
第一章 ―始まりの激情―
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第5話 『異変』

 シンスとの親交を深めてから数日が過ぎようとしていた。

 その間昴の頭の中を埋め尽くしていたのは言わずもがなクラスメイト――強いては帝伯太、一之瀬花火の件に関してである。


 自分だけではどうしようもない現実に、嫌気がさしそうになっていた。


 今日も今日とてのそりとベッドから起き上がる。と、この日は少し早く起きすぎたようだ。そう判断した理由は太陽の傾きもあるがそれ以上に、いつもであればアリシアあたりがドアを蹴破って起こしに来ていたからだ。


 簡素な建物が故に隙間風が侵入してくるが、この部屋――強いてはここの土地はかなりの温暖地帯なようで、涼しい隙間風はちょうどいい。

 軽く伸びをしてからベッドから這い出ると次の瞬間、キシッと言う音と共にベッドの四つの足の一本が綺麗に折れてしまいバランスを崩してそのまま大きな音と共に昴の体は床へと投げ出される。

 顎を打ってしまい口の中に血の味がじんわりと広がる。


 口元を拭うと赤い血が手に着くが、すでに口の中の傷は癒されているのかそれは止まっていた。

 どの傷がどれほどの時間をかけて治るのかはいまいち判っていないが小さな傷だと数秒足らずで治るようだ。


 顎を撫でながらゆっくり自己分析していると隣の部屋からガタゴトと物音がし数秒の内に昴の部屋のドアが開かれる。


「昴どうしましたか!?」


 慌てた様子で現れたのは金髪の美青年。

 寝起きなのか寝癖が至る所に存在した姿に思わず近親感を得る。

 『英雄』と呼ばれていたり、王族であったりと完璧すぎる彼でも慌てていれば昴同様寝癖もある物なのだ。


「あ、ああ。大丈夫だ」


 床に突っ伏したまま片手を上げて返すとシンスは安堵の息を吐く。

 そしてそのまま昴が床に突っ伏す原因となったベッドへと目をやり「ぽっきり行ってますね」と淡白な感想を漏らした。


 昴は上体を起こすと同じように折れた足を見つめ、己のベッドの使い方を思い出す。

 このベッドは日本にあったベッド程いい品物ではないが、それでもしっかりとした柱の下作られている。それが折れるなど乱暴な使い方をする以外にないはずなのだが……。


 しかし、昴には思い当たる節が無かった。


「結構普通に使っていたつもりなんだが……。それにまだ一か月も使ってないと思うんだが」


 昴が『グランドダンジョン』から這い出て未だに一月過ぎていない。だと言うにも関わらずポッキリと折れるのはいささかおかしなことだ。


 小首を傾げる昴に言葉を返すのはすぐ隣にいる金髪の美青年。

 なんでも無さ気に口を動かすと、


「あー、たぶんこの部屋もともとプラウダのですから彼女が荒っぽい使い方していたのでしょう。あれで居てベッドによく飛び込みとかしていたらしいですから」


 昴にとって驚き以外の何物でもない台詞を口にする。

 シンス達が作り上げた『真実の公布者』のボスであり、昴が悪感情を向けている相手。その予想外の名前に昴は驚きの声を漏らした。


「そ、それってマジ?」


「マジですが? ――あ……。こ、これは秘密でした。忘れてください」


 今更なことを言うシンスに昴は疑問の言葉を止めない。


「は? なんで? なんであいつのベッドなの? てか、え? これがあいつのベッドだったらあいつはどこで寝てんの?」


 昴がいくら質問しようと、しかしシンスは何も答えず明後日の方向を向いて「さーてと、代わりの木材でも伐採に行きますかねぇー」と言うとそのまま部屋を出て行こうとする。

 だが、それを許すほど昴も甘くは無い。

 後ろからシンスの肩を掴んで無理やり引き止めると、


「ちょっと待ちなさいな。お話ししようかシンス君?」


 精一杯の力を込めてシンスの肩を掴んで止めていたのだが、シンスは一度昴を横目にちらと捉えるとその腕を容易く払いのけ脱兎のごとく走り去って行った。


 よほど言いたくないと見えるその対応に唇を尖らせつつも、しかし言いたくないのであれば無理強いも良くないと考えた昴は聞く相手を変更することにした。


 自室の扉から出ると左にはシンスの部屋。この建物には昴とシンスが寝泊まりする部屋しか存在していない。

 話し合いでよく使う部屋(通称会議室)がある建物は三つ部屋があるのに対しこちらの建物は二つしかないのだ。


 誰に尋ねるか考えた結果アリシアに尋ねるべく狐耳の女性の姿を探して外に出るも誰の姿も見えない。

 仕方がないので会議室のある建物へと向かう。

 三つある部屋の内一番左は物置、右は誰かの寝室だと言うことは以前確認済みだ。が、誰のかまでは判らないので入ることが躊躇われる。

 先日来た時は真ん中の部屋で寝ていたが、右の部屋がプラウダの寝室と言う可能性を完全に拭いきれないからだ。


 昴とシンスが居た部屋とは違い、中央の会議室と右の寝室の入口は暖簾で区切られているだけで、さらに言うと倉庫には何もついていない。男性陣と女性陣の待遇が反対ではないのかと思うがこれも後で聞くことにしよう。

 とにかく昴は中央の部屋から覗いて行くことにした。


 暖簾(のれん)をくぐり中に入ると、そこには……。


「すぅ……すぅ……」


 黒髪の美少女の姿があった。


「ここにプラウダって……いつかの焼き写しみたいだな」


 先ほど話題に上がったばかりの少女を見て顔を引きつらせつつそんなことを呟く昴。

 だがその視線はプラウダの整った綺麗な顔から、若干汗ばんでいる首筋、大きすぎず呼吸と共に上下する胸部、寝相のせいで服が捲れあがり露出してしまっている腰、と彼女から離せないでいる。


「……ん」


 その美しさに見惚れていると、わずかに彼女が声を漏らした瞬間ドキリと心臓が跳ね、同時に何をやっているんだ。と頭を抱えた。

 プラウダの年齢は見たところ昴とそこまで変わりないように見える。


 年上の女性――アリシアくらいの年齢の女性の方が男子高校生にとって見慣れているが故に昴にとって同年代の、それも美少女のそんな色っぽい姿の方が興奮するのだ。


 もっと見ていたい。そんな衝動に駆られるが『こいつは自分を地獄に突き落とした張本人だ』と思うと一瞬でその感情は凍りつき、ぎらぎらとした瞳は軽蔑の眼差しに変わる。


「こいつに聞くのもなぁ……。早くアリシアを見つけよう」

 

 ベッドの件ならば張本人であるプラウダに聞くのが一番手っ取り早いのだろう。それは昴自身もよく分かっている。

 だが、今は彼女と話すことは出来ない。

 自分から突き放しておいて、向こうに気をいっぱい使わせているこんな状況で、都合のいい時だけ利用するなんてことは最低だ。


 踵を返し暖簾(のれん)をくぐって部屋を出ると向かって左側。入り口から見て右側にある誰かの寝室と思われる部屋に足を向ける。


 プラウダが会議室にいたという事はこちらにアリシアが居る可能性が高い。

 アリシアの部屋を昴は知らない。それは前述した通りアリシアから昴の部屋に来ることが多く出向く必要が無かったからだ。


 ――なぜ、アリシアがいつも起こしに来るのか。

 それは昴と行っている『日課』が理由である。


 暖簾をくぐり、中へと侵入してみると、そこでは……。


「わ、わぁ! 昴! 入ってきちゃダメ! 今着替え中!!」


 素肌を露出し、服に腕を通している真っ最中のアリシアの姿があった。

 胸、腰、足、の順番に視線が吸い込まれていく。

 極め細やかな肌だが至る所に点在する切り傷や火傷の後が、彼女もシンスと同じ『英雄』と呼ばれた兵士であることを思い出させ興奮していた脳が急速に冷めて行った。


 と、いつまでも視線を向けているわけにもいかず慌てて踵を返すとそのまま部屋の前に移動し待つこと一分。ほどなくして若干恥ずかしげに頬を赤らめたアリシアが服の裾をキュッと掴んで睨むようにして出てきた。

 そんなオシャレをしているわけではない。

 というか、そんな服はココには存在しない。


 着替えられたのは布きれを服の形にしただけの簡素な物だが、寝間着のまま『日課』を行うわけにはいかない故、この着替えは必須である。

 ちなみに寝巻きも似たような形だが寝やすいように少しだけ布の触り心地がよかったりするのはどうでもいい話だ。


「わ、悪い。アリシア」


「――あんまり人に見られたくなかったんだけどねぇ」


 目を伏せ乾いた笑みを浮かべるアリシア。

 その姿から彼女の言葉が「裸を見られたくなかった」ではなく「傷を見られたくなかった」のだと理解できた。

 アリシアだって女だ。昴より年上の立派な女性だ。綺麗な体で居たいと言う女性の感情を持っていても何らおかしくはない。


 ただ、それは彼女と行う『日課』のせいで昴の頭の中から忘却されていたのだ。


「悪い……」


 しゅんと肩を落とす昴を見ると今度は変わってカラカラと楽しげに狐耳を揺らして笑うと「じゃあ」と前置きして、


「早くいつもの初めよか!」


 満面の笑みで言葉にする。

 始めると言うのは『日課』の事だろう。その証拠にいつも行っている広場へと足を向けている。

 だが、その前に昴には聞きたいことがあった。

 言わずもながらプラウダの件だ。


「なあ、その前にちょっと聞きたいことがあるんだけど……。いいか?」


「なに?」


 昴の言葉に小首をかしげるアリシアに向かって、昴は告げる。


「あのさ、シンスから聞いたんだけど俺が今使ってるベッドがプラウダのだっていうの本当? それでもし本当だったら何でそんなことしてるか知ってるか?」


 その言葉にアリシアは一瞬ピクリと反応したが、すぐに平静を装って……。


「し、知らないよぉ~?」


 視線を泳がせ震えた声で答える。


「――嘘。つけないのって困るよな」


 憐みの視線を向ける昴に、悲しげに眼を閉じてアリシアはコクリと首肯した。


■ □ ■


「何で教えてくれないんだよー」


 結局アリシアもシンスと同じではぐらかすだけ。どうしても知りたければプラウダ本人から聞けとの事だ。

 何をそうひた隠しにしているのだろうか。

 だが、教えてくれないのであれば無理強いはしない。と言うか出来ない。昴の中にはアリシアに対する感謝の気持ちが溢れ返っているからだ。


 多くの情報で錯乱しかけていたあの日。アリシアが気分転換に連れ出したことで昴はゆっくりと物事を考えられる程度には落ち着いた。

 最後こそシンスが占めた形になったがアリシアだって多くの気遣いをしてくれていたのは分かっている。

 そんな彼女を困らせることは出来ない。


「いいから集中する!――ハッ!」


 どうやってプラウダと接触を図るかと、前向きな思考を行っていた昴にアリシアが飛び蹴りを放ってくる。

 だが、それはあくまで人の放つ跳び蹴りだ。散々化け物の瞬間移動のような攻撃を見て来た昴にとって回避は容易い。体を捻って攻撃を避けるとスタッと後方に着地するとアリシアはさらに追撃を仕掛けてくる。


 ――これが昴とアリシアの『日課』。

 シンスに促され半強制的にアリシアにはじめられた戦闘訓練(、、、、)と言う名の日課である。


 シンス曰く「これから昴がどんな風に進んでいくかは僕には見通すことは出来ないけど、どちらにしてもここでは力がものを言う。だから、訓練しておいて損は無い」らしい。

 最初はそんな馬鹿な。と笑い飛ばしてしまおうかと思ったほどだったが、しかし後から考えればまったくもってその通りだ。


 昴が進む道は簡単に言って三つだ。

 彼ら『真実の公布者』と共に世界の崩壊を防ぐか、無茶無謀と分かっていながらクラスメイトの奪還に挑み帰り道を探すか、すべてから逃げるか。


 最後の選択肢は論外だと速攻で排除した昴だがその三つすべてにおいて体術が出来るに越したことは無い。

 世界の崩壊を防ぐには戦闘能力は必須であるし、奪還にも必須だ。逃げるにもシンスから聞いた限りこの世界の中心政府は腐っているそう。政府が腐っているなら国も腐っていく故、少なからず危険な目にあうだろう。それを回避するにはやはり必要となってくる。


 だから、昴はこの『日課』を受け入れたのだ。


 最初、アリシアとシンスが付いて見ていてくれていたのだが『日課』を始めた初日にシンスに「昴には剣の才能が無いな」と言われてしまった。

 シンスはウィスダム流王宮剣術・断裁型と言う名の剣術を習得しているそうなのだがたった一日で才能無しの烙印を押され昴の剣への道は閉ざされてしまった。


 落ち込む昴にアリシアが「剣が駄目なら拳を使おう!」と言ってきたことから昴とアリシアの二人の『日課』が幕を開ける。


 そうして今現在、アリシアから繰り出される猛攻を交わし続けているのだが、どうもそれでは不満なようだ。


「ねえ、昴はどうして回避ばっかりしてるの?」


 動きを止めてアリシアは疑問を言葉にした。


「どうしてって、そんなの殴りたくないからにきまってるじゃねえか。人を殴るのは駄目なんだぞ? 暴力なんて絶対に反対だ」


「強くなる気あるの?」


「あるにきまってるだろ。だからこうして毎日戦闘訓練をしているんじゃねぇか」


「矛盾してるって気付こうよ……避けてばっかりじゃ強くなれないよ? 攻撃も覚えなきゃ」


 言ってアリシアはシャドーボクシングを行う。

 軽く数発殴った後、最後の一発を大きく踏み込んで全身の力を込めて放った。――瞬間、昴の耳を空気の衝撃波が掠める。

 後方にあった木々をメキメキと破壊し、そこに人外の威力を文字通り刻み込んだ。


「さ、さすが『英雄』」


 あまりの迫力に腰を抜かして乾いた笑いを零す。


 昴はいつもの軽い態度からすっかり忘却していたのだ。彼女が『英雄』と呼ばれる女神にすら認められた生命体であったという事を。

 さっきまでの攻防が遊びにすら思えてくるその力は絶大で、こんな彼女たちがさらに助けを求めると言うのは、本当に世界の崩壊が迫っているという事なのだろう。


 その事実が何処か現実味を得れず楽観的にこの『日課』を行っていた昴の心に一本の芯を突き刺した。

 もっと、真面目に行わなくてはならない。何をするにしても異世界(この世界)では学力よりも力の方が重要だ。

 

 深く大きく息を吸いこむと、己の心を湧き立たせるようにはいに溜まったすべてを叫び声にして弱い感情を吐きだした。


「あぁー!! くそっ! わかった。わかったよ。攻撃も練習する。けど……」


「けど?」


「殴る蹴るの行動はやっぱり俺は好かないからできれば木を相手にそう言う練習をしたい。アリシアを殴るのは、その……したくないし」


 実際にアリシアを殴る蹴るの相手として練習したとしても彼女であれば一切痛がる素振りは見せないだろう。『英雄』が凡人である昴の攻撃を受けたくらいで怯むとは考えられない。

 だが、それでも昴は殴りたくなかった。


 もともと暴力が嫌いと言うのももちろんあるのだが、それ以上に傷が付かないとわかっていても先ほど彼女の素肌を見てしまったので、彼女には手を上げたくないと思ったのだ。

 女性があそこまでの傷を負って良い思いをしているはずがない。それ位の事は昴にもわかった。


 昴の言葉に、しかしアリシアは大きく溜息をついた後、


「うーん。その気遣いは……まあ、嬉しいけど……はぁ……。わかったそれでいいよ」


 諦めたように目を閉じる。


 ――その日から昴の『日課』に攻撃の練習も加わった。


 攻撃の練習と言ってもそれは武術的なものでは無い。ただ、すべてに関してド素人の昴に殴る形を教えていくだけの物。木を相手に思いきり拳を放つと、しかし当然のごとくアリシアのようにはいかない。木は傷一つつかないし揺れもしない。

 唯一の救いは痛みを感じない体なので手加減する必要が無いという点である。

 皮膚をすりむき、打撲をしてもその程度の軽い傷は数秒後には完治してしまっている。


「ほら脇閉める! 腰を落として足場を安定させないと! あー! もうっ! こう!」


 手本として見せるようにアリシアが踏み込んで拳で空を一突きして見せると、轟音と共に木々が数本へし折れる。

 相変わらずな人外のパワーであるが少しずつ慣れてきている己が恐ろしい。

 彼女ほどの力を得たいとは思っていないが、それでも少しは食いついて行けるようになりたいと思う。


 昴は見よう見まねでアリシアの動きをなぞるように体を動かす。


 先ほどよりも安定した攻撃が放てた。

 それは小さなコツの問題だった。昴の攻撃を受けても木は一切傷を負っていない。先ほどと威力はさほど変わっていない。それでも、わずかにだが放ちやすくなった。


 己のその成長に少しの興奮を覚えた。


 『日課』を終えると一人とある場所へと向かう。

 そこは始めてアリシアに「運動をしよう!」と言われた日の終わりにプラウダに汗を流してもらった場所だ。そこには一つ樽があり、その中には樽から溢れそうになるほどの量の水が入っている。


 気を遣い昴の前に姿を現さないように努力するプラウダが用意した物だ。

 昴たちが住む周辺に生活に使える川の類はない。もともとこの地が比較的小さな小島であると言うのも大きいのだが、ひとたび森に入り川へと向かうと洞窟で昴を襲ったのと似たモンスターが多く現れる。

 故に水汲みと言うのが出来ないのだ。

 さすがの英雄と言えど水を汲んだ状態での戦闘は辛い、と説明してくれたシンスが苦笑を漏らしていたのを思い出す。


 と言うわけで昴の汗流しも含めココの生活用水と言うのはほとんどがプラウダの魔法によって生み出された水である。


 プラウダの『自分が嫌われているってわかっていながら、その相手に気を遣う』と言うその姿に昴は罪悪感を抱く。


「俺は最低だな」


 樽を覗き込むと水面に己の顔が映った。

 ゆらゆらと揺れ動く最低な男の顔を拳で殴りつけて消し去ると、タオルに水をしみこませ体を拭きはじめた。


■ □ ■


「昴の動きもなかなか様になってきたことだしさ、そろそろ魔獣と戦ってみない?」


「魔獣……か……」


 魔獣……それは昴が元居た『グランドダンジョン』にてさんざん目にしてきたあの化け物たちの事だ。


 魔獣たちは魔力濃度の濃いところを好んで生息する習性がある。

 そして昴が生活している場所のもっとも目を引く巨木――世界樹(ユグドラシル)と言う木は女神ギフトが魔力を生成するためだけに植えたといわれる木であったりする。

 つまるところこの世界樹(ユグドラシル)の周辺は特に魔力濃度が高く魔獣が多く生息していて、そのどれもが他の地域に生息する魔獣より強力だと言われているそうだ。


 ならばなぜそのような危険なところにアリシア達は住んでい居るのか。また、昴を住まわせているのか。

 それは魔獣の性質に魔力の濃すぎるところには住めないと言うのもあるからだ。故に魔獣は自分たちが生息できるギリギリのところで巣をつくり生息している。

 昴たちが居るのはおそらく世界で最も魔力が濃いであろう世界樹(ユグドラシル)の真下だ。

 少し薄まる森や『グランドダンジョン』にこそ生息は出来てもあまりにも濃いその根元には近寄らないのだ。


 だから一度魔獣たちの群れを突破し、この世界樹(ユグドラシル)の真下へとやってくれば魔獣に襲われる心配はないし、人がせめて来ようにも魔獣によってそれは阻まれてしまう、と言う仕組みになっている。

 まさに自然が作り出した絶対的安全地帯と言うわけだ。


 よって、一歩森へ足を踏み入れると多くの魔獣と接敵することになる。


「大丈夫だよ。『グランドダンジョン』を突破した昴ならもう怯えることもないでしょう?」


 昴の眼前に立つ狐耳の女性はそう口にすると一歩昴へと近付き、人差し指を立て「それに」と続け……。


「昴は死なないしね」


 昴のみが持つ異常な力――不死の力。

 狐耳を揺らすアリシアの言った言葉の意味を返せば「死ぬだろうけど練習にはちょうどいい」という事で、つまり昴の実力はまだまだ倒せるには至っていないという事だ。


 悔しさに奥歯を噛んだ。


 力強く噛みすぎて口の中に違和感が現れ血の味が広がる。

 慌てて緩めると口の中の違和感はすぐに消失した。


 『死なない』こと以外に昴の持つ異常な力――女神からもらったご加護、『癒しの力』に関して言えば『グランドダンジョン』で逃げ回っていた時にたっぷりと使わしてもらったおかげでおおよその使い方は分かっている。

 小さな傷であれば数秒。

 骨折などは意識すれば数秒、自然回復は一日はかかる。

 腕を切断された、などは集中すれば十数秒だが、放っておくと大量出血で死んでしまった。


 つまり、意識さえすればどんな傷もすぐに治せるという事だ。

 ――最初はどうかと思ったがやはり腐ってもチートと言うことか。


「そう言われると……何も言い返せないな」


 死なないなら危険なこともできる。

 それは至極正論だ。


「ごめんね? でも、さ……時間が、無いんだよ」


 その言葉にどうしてアリシアがこのタイミングで、実力も見合っていないの昴を執拗に練習させようとしていたかがわかった。

 つまりはてっとり早く強くなってほしい。そう言うことなのだ。


「時間、か……」


 おかしなものだと天を仰ぎ昴は溜息をもらす。

 少し前ならばみんなを知るために時間を遣おうと考えていたのに、気が付けば戦う為に時間を使っている。


 だけど、すべての事情を知った今本当に切羽詰っているという事が昴にもわかっている。

 これが正しい使い方だという事も……。


「はぁ……わかった。やるよ」


 諦めたように溜息を零すとアリシアは申し訳なさそうに苦笑を零してから「ありがとう」と言った。




 +




「待てやゴラァ!」


 背後から迫りくる追っ手の怒号が一人の男に焦燥を与える。


「おとーさん?」


 抱きかかえた四歳と言う年端もいかない娘が心配げに自分を見てくるが、それに笑って答える余裕すらない。

 立ち止まれば死ぬ。

 それが今、娘を抱える男の置かれている状況だ。


 辺りは草木が生い茂り、一見して隠れれば背後から追ってくる男を撒けそうなのだが、立ち止まればその瞬間このあたりに多く生息している『魔獣』に匂いを察知され食い殺されてしまう。


「クソッ、なんてしつこいんだ!」


 娘を抱きかかえている手前、汚い言葉は使いたくなかったがそれでも焦りがそれを許してしまう。


 いつもは温厚だったはずの父の変貌に娘は怯えたように「ごめんなさい」と零す。

 本来なら「お前に言ったのではない」とフォローしてやりたいが、焦りがそれを許さない。


 娘が男の服にしがみつく力を強めて必死に落ちない様にする。

 男の荒い息と汗臭さが鼻に突くが、それでも文句ひとつ言うことなく大人しく体を縮こませている。

 その健気さが男の庇護欲を強く刺激し、なんとしても逃げ切る。と硬い意思を強くその胸に抱かせた。


 すでに森の中を逃げ続けて三十分が経過している。

 男が目指しているのはただ一つ、世界樹(ユグドラシル)と呼ばれる巨木の麓。安全地帯と名高い場所であった。

 たどり着く確率は限りなくゼロに近く、しかしこのまま追っ手に捕まれば自分は殺され娘は貴族の慰み者にされることだろう。


 娘を殺したくはない。

 だが、娘が慰み者になる姿はもっと見たくない。


 これは親の我儘なのかもしれないが、せめて娘が死ぬ時は貴族の慰み者(おもちゃ)ではなく女として死んでほしい……。


 魔獣に殺されるか、世界樹(ユグドラシル)に行きつき助かるか。まさにそれは一世一代の賭けである。


 そして男とその娘は――賭けに負けた。


 眼前に現れたのは頭部に柴色の雷光を迸らせた漆黒の馬のような生き物だ。

 一瞬で分かる。

 目の前に現れた生き物が自分では――いや、人では太刀打ちできない生命体であると……。


 悔しさに奥歯を強く噛んだ。


「――おとーさん!」


 娘の悲鳴が知らぬうちに止まっていた男の足を再度動かした。

 一秒でも生きる。娘と生きる。長く、長く、生き続ける。


 ふと、追っ手の方を振り返ってみると、追っ手の男は来た道を一目散に引き返している所だった。

 これで魔獣の狙いは己と娘に絞られる。


「クソックソッ! クソがぁぁぁッ!!」


 男の激昂が森の中を木霊する。


 ――ダメだ、このままじゃ、死ぬ。せめて娘だけでも逃がすか? だが、この森の中を年端もいかない女の子が一人で駆けれるはずもない。彼女の心は今は唯一の家族である自分に依存してしまっている。

 逃げることすらしないかもしれない。


 だったら、最後の最期までこの娘と一緒に……。


「ごめん、ごめんなぁ……」


 男の頬を熱いものが伝う。

 腕の中にいる娘を強く抱きしめる。

 悲しみの嗚咽が喉の奥から零れてくる。


 視界の端に紫の雷光が瞬いたのがわかった。


 その瞬間、娘との記憶がすべて思い起こされる。

 これが走馬灯か。と一瞬で理解し、それと同時に懐かしさで頬を伝う物の量が倍増した。


「おとーさん……」


 娘がボロボロになった服の袖で男の目元をぬぐう。


「泣かないで……」


 濡れた袖口を男から隠すように抱きかかえ、そう、小さく呟いた。


 堪えきれない、やりきれない、苦しい思いが胸を引き裂きそうな痛みを与えてくる。

 かつて娘と交わした約束が思い起こされる。

 その約束はほんの小さな約束で、二人で花畑にある母のお墓参りをすると言う物。

 この娘の母はこの娘を産んだ時にそのまま死んでしまい、母方の実家近くの花畑に埋まっている。

 まだ幼いこともあり、娘とはまだ行ったことが無かったのだ。


 戦争なんて起きなければ、数年後には娘と行けていたはずだったのに……。


 後悔の念がふつふつとわき上がり、世の理不尽さに苛立ちを堪えきれない。


 そこで帯電している漆黒の馬はいつ放電してもおかしくないほど瞬いている。

 この雷に当てられ自分たちは黒焦げにされてしまうのだろうか?


 ――せめて、娘だけでも痛くしないでやって欲しい……。


 そんな思いと共に男は目を閉じる。

 涙がこぼれた……。


 が、いつまでたっても痛みは襲ってこない。

 まさか本当に痛みなく殺したではないだろうと思い恐る恐る目を開いてみると……一人の女が漆黒の馬の首を蹴り飛ばし、その首が宙を舞っていた。


 現実味のないその情景に、唖然とするしかない。


 首が無くなりぴくぴくと痙攣している胴体を、左足を軸とし回転蹴りを放つことで遠くへと蹴り飛ばすと女は綺麗に着地。姿勢を正しこちらに向き直る。


「大丈夫ですか?」


「――え、あ……え?」


 驚きのあまり言葉が出てこない。


「ちょっ、アリシア! いったいなんなんだよいきなり走り出して……って、うぇ!? 何この血!? って何この人たち!?」


 女の後を追ってきたのか一人の少年が姿を現す。

 服はボロボロで体中を血まみれにした少年は、しかし外傷は一切ないように見える。


「いや、なんか魔獣に襲われてたっぽくてね。悲鳴がこの耳に入ってきたんだー」


 女は己の頭部に存在する大きな狐耳を引っ張ってそんなことを言った。


「――その耳ッ! まさか獣人!? クソッ助かったと思ったのにッ!」


 呆けていて気が付かなかったが男を助けたのが獣人とわかるないなや娘を強く抱きしめ数歩後ずさる。

 男にとって獣人は戦争中の敵国であり、そしてその獣人相手に武器も無しに戦いを挑むなど死を意味する。

 一難去ってまた一難。男は終わらぬ絶望の連鎖に感情のタガが壊れそうになっていた。


「あ、いや、私は……」


 女が何か弁解するかのように手を上へあげ何もしないことを表すが、それでも警戒を解くわけにはいかない。己の腕の中には世界一大切な娘がいるのだから……。

 

 と、その時、獣人の女の前に彼女の後を追ってきた少年が割って入り、


「落ち着いてください。ほら、俺は人間ですし、それに助けたのにその反応はあんまりだと思いますよ?」


「――キミは?」


 どう見てもその少年は人間だった。それだと言うのにこんな森の奥で獣人の女と一緒にいる理由がわからなかった。無理やり連れてこられたのだとしても敵対しているようには思えない。

 そう考えての質問に少年は一呼吸置くと自分の胸に手を当てて口を開く。


「俺は昴って言います。福津(ふくつ)すばる。ウィスダム王国に召喚された勇者の同郷です」


 真摯な目で少年はそう告げた。

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