第3話 『感情の激流』
プラウダに着いて行って、到着したのは見上げてもその全体を掴めない大樹の真下。
幹に手を当てると謎の温かみが感じられ自然と心を温めてくれる。
汗を流すとのことだったのに、しかしそこにシャワーの類が見られず、だからと言って井戸やくみ上げポンプが設置されているという事はいない。
いったいどういう事だ? と二人の方へ首を傾けてみると、
「わぶっ」
昴の顔面に何やら冷たいものがひっかけられる。手で遮るとそれは液体であることがわかった。
発生源に目をやるとプラウダが指を昴に向けその先端から水鉄砲のように水が発射されている。手品か何かを見ているような感覚だ。
「暴れるなよ」
プラウダは指を下へと向けていき昴の全身をびしょびしょにした。
男の濡れ姿などどこの誰に需要があるのだ、ホモにしか需要は無いぞ! などと思いながらも昴はその水を遮ろうと四苦八苦する。
「ちょっ、止め! なんだよこれ!」
手で待ったをかけても二人は特に気にした様子は無く、それどころかプラウダは水の勢いを強めて行く。
「ほら、さっさと汗を洗い流せ。臭い」
「臭いくさーい! 昴は超汗臭ーい!」
吐き捨てるように呟くプラウダに対し、からかい気味に言ってくるアリシアには救われた。
正直なところ女の子に臭いと吐き捨てられた昴の心には言葉の槍が突き刺さっている。
「う、うるさい! ってか、なんだよコレ!」
いい加減に鬱陶しくなり始めて水を止めるべくプラウダへと一歩近付き、腕を掴んで上へ向ける。水が上空へと舞い、晴天の下に人口の雨が降らされた。
頬を優しく濡らす水を乱暴に脱ぎながらプラウダの水の発生源である指先を見る。
いったいどんな手品の種があるのか、それを確かめる。が、そこには何の変哲もない指。
機械が取り付けられているわけでもなく何もない指から水があふれ出ている。
「ちょ、痛い! 離せ」
プラウダは腕を振るって昴の手から抜け出すと手首を擦りつつ睨んでくる。しかしそんなことはどうでもいいとばかりに昴は気にも留めない。
明らかにおかしい。ただその疑念が胸中を埋め尽くしていた。
よくよく考えてみれば先ほどこの少女の腕を振りほどけなかった時点でそのルーツに疑問を抱くべきだったのだ。
どう見ても筋肉質とは思えない貧弱なか細い腕。その腕が男である昴を押さえつけることは不可能だ。何か超常的な力でもない限り……。
アリシアは、彼女は顔が整っていて美しいが、それでもやはり『スポーツ女子』を彷彿とさせる野性味あふれた感じがする。それに風が駆け抜けチラリと見えたおなかはうっすらとだが腹筋が割れていた。ムキムキと言うほどではなく、あくまで自然に付いたと言う感じで男子高校生の昴は少し戸惑った。
つまるところアリシアのような運動の出来そうな女性であるならば昴を押さえつけることが出来るかもしれないという事だ。
だがプラウダは違う。
細い腕にそれほどの膂力があるとは思えない。
ならば、ならば一体彼女の力の根源とは一体何なのだろうか。
「なあ、プラウダ」
「ん? なんだ?」
「あのさ、今お前が指から出してた水ってどっから出て来たんだ?」
プラウダは驚いたように目を見開き、その後アリシアと目を合わせると不思議そうな顔をして答える。
「どこって、そんなの魔法使って作り出しただけだよ」
プラウダの言葉を聞いて――昴の心は踊る。
魔法……反芻するように脳内を暴れ回るその言葉に昴は酔いしれる。
――そうだ、ここは異世界なんだ。剣と魔法がテンプレの、異世界なんだ。
「ま、ほう……魔法! 魔法!?」
完全に理解し終え、興奮した様子で鼻息を荒くしプラウダの肩を掴んで食って掛かる。
昴やクラスメート達を召喚するさいに魔法なるものを使ったと言うことは女神の物言いや昨日の討論で既に判明していた。
が、昴はそれを儀式的ななにか、それか、多大な代償が必要で酷使はできず、一般的に使われているとは考えても見なかったのだ。
プラウダは驚いたように目を見開いた後、そのか細い右腕を昴の顔面に放つ。
「痛い、臭い、気持ち悪い! 濡れてるから触るな!」
細いはずの腕から放たれた殴打は物凄い力を持っており、昴の体は一瞬中を浮いたかと思うとそのまま地に倒れ伏した。
「ほっぺたが痛い……。心が……痛い……」
大木の葉が空を覆っておりわずかにしか見えない青空。
昴はそれを見つつ涙を零し、衝撃に揺れた脳はすぐに意識を失った。
■ □ ■
「起きましたか?」
意識が覚醒し、自分の体がどこかに横になっているという事に気が付くよりも早く優しげな男性の声が欠けられた。
声の主に視線をやるとそこに居るのは金髪の美青年。美しき碧眼を細め、目じりを下げて安心するように微笑みを浮かべる姿に男の昴すら見惚れてしまう。
昨日、昴と話し合いをしたシンス・ウィスダムである。
「あ、ああ」
「返事が返せるのでしたら大丈夫ですね。――うちのボスが申し訳ない」
寝起きの昴に首を垂れるシンス。
サラサラと金髪が流れた。
「い、いや。大丈夫だ。――と言うかボス? やっぱりプラウダはこの集団のボスだったのか……」
自分の予想があっていたことに喜ぶべきなのか、本当にあの頭の悪そうな子がボスで大丈夫なのかと心配すべきかわからない。
「やっぱり……という事は何となく察していた、と?」
「まあな。観察すりゃ簡単だぜ? でも、あれをボスにするメリットがまったくわからないから確信はしてなかったけどな」
「初見ではそうですね」
自分のボス――上司の悪口を言った昴をシンスは咎めるどころかそれに乗る。それがなんだかおかしく二人して「クククッ」と喉を鳴らした。
「そう言えばさ、俺ってどれくらい気絶してた?」
ひとしきり笑った後何気なしに尋ねる。
「そうですね二時間ほどでしょうか? まったくうちのボスは……はぁ……。身体強化して殴るなんて馬鹿な真似はもうしない様に注意しておくんで今回は許してあげてもらえませんか?」
「ああ、うん。別に構わない……ん? 身体強化ってなんだ?」
「何って、身体強化は身体強化ですよ。体に魔力を流して筋力などの能力を向上させる……。あ、もしかして昴の世界では魔法はこんな使い方はしなかったのでしょうか?」
聞きなれない単語が昴の耳に入る。
いや、聞きなれないでは語弊があるか。『現実では聞きなれない言葉』だ。
この『身体強化』と言う言葉……それに気絶前に聞いた『魔法』と言う言葉。
昴の中にあった疑いが確信へと変わっていく。
気絶されなければそのまま聞くつもりだったが思わぬ形で疑問が確信になった。
「さすが異世界。やっぱ一般的にも魔法を使うのか」
「え?」
昴の何気ない感嘆の呟きにシンスが驚きの声を上げる。
「何をそんなに驚いているんだ?」
「え、だって……え!? 今の物言いからすると魔法を一般的には使わない。と言うことになりますよ!?」
「使わないと言うより、無いな。全然これっぽっちも存在しなかった。たまに超能力者とか言うペテン師が居たくらいだ」
「ペテン……ま、まあそれは置いといて。ほう、魔法が無い世界、ですか。」
顎に手を当て瞑目し感慨深そうに唸るシンス。
それだけで絵になるのだから容姿が整っている男と言うのは本当に得である。
「まったく想像が出来ませんね」
「それは俺からしてもそうだ。魔法が存在する世界なんてものは想像のしようがない」
シンスは目を開き簡潔に述べた。
昴は本心を伝え、そして目の前の美青年に頼んだ。
「で、そこでお願いがあるんだが……」
「はい、なんでしょう?」
彼は小首を傾げて昴の言葉の続きを待つ。
しかし、その数瞬の間に昴の思考はぐるぐると回転し、言葉の続きを言うことを躊躇わせた。
昴は彼らの事を知ろうとは決めた。
だが、彼らの話――『戦力を求めていた』という事を聞くにもし仲間になるとするならば自分が戦場に立たされることは確定であろう。暴力が嫌いな昴にとってそれほど嫌なことは無い。
つまるところ仲間になんてなる気はないのだ。
あくまで彼らの下に身を置き、時期を見計らって逃走。その後クラスメイト捜索の旅にでも出ようかと考えすらする。自分は死なないし、クラスメイト達も神の加護というチート能力を持ち合わせているはず。
危機を回避しながら帰還方法を探すのが得策。
――と、このように考えてしまっている。
仲間にならない。裏切るつもりでいる。期待だけさせている。それが、彼らに嘘をつくという事が昴の良心を苦しめ罪悪感を膨張させる。
だから、これ以上彼らに何かを教わるのは気が引けた。
「あ……いや、やっぱり何でもない」
思考ののちに昴はその口を閉ざし俯いた。
自分が嫌いになりそうだった。
と、その時。
「起きたか?」
バンッと扉が開かれそこには黒髪黒目の美少女プラウダ・シーラが立っていた。
「あ、プラウダ」
「やあ、プラウダ。昴はとっくに目が覚めているよ。まったくキミはもう少し後先を考えて行動すべきだと……」
思わず口からその名前を零してしまった昴。その昴に目をやるとプラウダは一歩二歩と近付き、説教を垂れるシンスを軽く無視するとそのまま説教を遮ってその頭を下げる。
ポニーテールが揺れ、ワンテンポ遅れて彼女の背にかかる。
「すまなかった――。頬は傷まないか? 頭を打ったりはしてないか? 他にも倒れた拍子に擦り傷とか……」
謝罪の言葉を皮切りに早口に昴の容態を確かめようと彼女は昴に手を伸ばす。
が、ふと昴の中に宿る黒い感情。
ボスと確信して初めてであった少女に抱いた自分を『グランドダンジョン』に突き落とした張本人に、怒りと言う感情を抱いてしまう。
スッと体が無意識に逸らされプラウダの手は虚しくも空を切る。
「――――ッ」
それを見た彼女は伸ばした手をキュッと握りしめて自分の下へと引き戻す。
その表情は唇を強く噛み目が伏せられていた。
昴は彼女の表情を見、そして自分がどれだけ露骨に感情を表したかを思い出して慌てる。
「あ、や、これはっ」
言い訳が頭に思い浮かばない。
ついさっき彼女に一歩近づけたばかりだと言うのに、今度は自分から下がってしまった。
そう、それは彼女が彼らのボスだと確信した故である。
確信に至っていなかったさっきだからこそ彼女は『昴を地獄へ突き落した集団の一員』だったのだ。
それが先ほどのシンスの言葉によって『昴を地獄へ突き落した集団のボス』に変わった。集団のボス――つまりは命令を出した人だ。
シンスやアリシアへの恨み辛みが薄まり、その分プラウダへの感情が濃くなったのだ。
だから、一歩下がってしまう。
薄情だと嗤え、情けない、男らしくないと嗤え。だけど昴はどれだけ嗤われても自分の中のどす黒い感情は揺るぎ無いと感じる。
彼女に対し罪悪感が生じた。だが、それも嫌いな人の前で露骨にそれを表してしまったと言った類の物。相手は知らない方が良いことをついうっかり口を滑らせて言ってしまった感覚。
自分の情けなさに嫌気がさす。
「ごめん昴。――シンス、後は任せていいか? 説教は後でいくらでも受けよう」
疑問形で投げかけたにもかかわらず彼女はシンスの答えを聞く前に二人に背を向けそのまま外へと走り去ってしまった。
昴の中でやりきれない思いと罪悪感が混同し、ぐちゃぐちゃになって吐き出すこともできず『ストレス』と言う形で心に溜まった。
■ □ ■
時間はゆっくしと、だが確実に過ぎていく。
昴とプラウダがすれ違ってからすでに二週間と言う時間が経過していた。
二人は未だ口をきいていない。
昴が言った『話をしよう』と言う物も未だ果たされてはいない。昴はプラウダに対して無知でプラウダも昴に対してまた無知であった。
昴はプラウダと会話しない代わりにその時間を埋めるようにシンスやアリシアとのコミュニケーションをよく行った。
すれ違いが起こっていて昴が明らかに逃げるように話をしてきているのに、しかし二人は嫌な顔一つ見せずそれに答える。
そうしてプラウダと会話をしないまま二週間が経過した昴の頭の中には一応の異世界常識が詰め込まれていた。
昴は今ではもう薄らにしか残っていない女神の言葉を思い返し、まず初めにシンスに『戦争』について尋ねる。
そうして得られた結論は酷く単純な物だ。
結局は人型の生き物の喧嘩である。
魔王が復活しそうで魔王軍と人間軍が争っているから助けて勇者! なんてものは夢物語だった。
――いや、一概に夢ともいえないかもしれない。
何せ魔王はいるし、実際に人間と戦争をしているのだから。ただ、その勢力図には獣人種と言われる種を交えなければならない。
――魔王は別段無理な圧政を行っていたとか無意味に人間を大量虐殺したとかもなく、突然の戦争に魔国の魔族が驚くほどには普通の王様であったそうだ。
それは人間族の王も、そして獣人族の王もだ。
確かに仲の良い国同士ではなかったのだが戦争を起こすなどだれも考えておらず、起こったときはパニックが生じたそう。
が、今ではそんなものは権力の前に封殺されているとのこと。
特に魔王は戦争が始まって以来処刑の王と言われる程反逆者や捕虜を処刑しまくっているそうだ。
戦と言う事象が仮にも魔王の名を持つ者の血をたぎらせたのだろうか? そんなこと、昴にわかるはずもないのだが。
以上の事を簡潔にまとめあげ最終的にたどり着く答えが『三種族が戦争をしている』だそうだ。何とも分かりやすいことこの上ない。
「あ、ちなみに僕とプラウダは一応王族ですよ」
と、そこまで話したシンスがいきなりの爆弾発言。
思わず口に含んでいた飲み物を吹きだす。
「ぶー!! ゲッホゲホッ! え!? なんだと!?」
「いえ、だから王族ですって話ですよ。人間国の名前はウィスダム王国。魔国の名前はシーラ。ね?」
ね? じゃない。と昴は胸中で突っ込みを入れる。
しかし、あまりにも実感がわかない。シンスの方は確かにその行動の一端一端に絵になるような美しさが見え隠れしているから言われれば納得できてしまう。が、あくまでシンスの話だ。
黒髪黒目の少女を脳裏に思い浮かべ、湧き上がる悪感情にいが付かないように努力をしながら考えるが、しかし王族などとは到底思えない。
怖い人たちの頭の一人娘、と言われても昴は納得してしまえる自信があった。
疑わしい、疑わしいがきっと本当の事なのだろう。
シンスは昴に嘘をつかない。それは彼が昴の力を必要とし、仲間として引き入れたいと思っているからだ。故に彼はそんな信頼されなくなるようなことを行わない。
「な、なるほど……。ま、まさかアリシアも……!?」
自分の周りに庶民は一人もいないのか! と悲観めいた叫びを上げる昴に、シンスは笑って返すと。
「大丈夫です。アリシアはただのアリシアですよ。王族でも何でもないです。あ、ちなみにですが獣人族の国の名前はグリーブ。自然に囲まれたいい国だと聞いたことがあります」
アリシアが同じ庶民と分かり胸をなでおろす昴。その姿を面白そうに見てくるシンスを昴は一瞥し、
「で、シンス王子様や。俺――私の今までの無礼な態度を許してもらえるのでしょうか?」
「ははっ、敬語なんて……そんなあんまり深く考えないでくれ。それに僕は国を捨てたからね。王族って言っても名ばかりだし信仰心も愛国心も欠片もないよ」
「お、おう。そうか? ならそうさせてもらうわ」
一瞬、眼前の美青年の顔に影が差した気がした。
が、すぐに彼は光を入れる。
「さてさて世界情勢については何となくでいいからわかってくれたかな?」
「『三つの国が戦争をしている』」
「そう正解! じゃあ次の授業に行こうか」
そう言ってありもしないメガネをクイッと押し上げるモーションを行いシンスはすっかり教師気分だ。
出来の悪い生徒を持つ新米教師が途中で匙を投げないか不安が残るところである。
「それじゃ次の授業は外へ行こう」
そう言って親指で外を指すシンス。
「外?」
「ええ、体育の時間です」
にこやかな笑みにつられるまま外へと向かう。
広場にはアリシアが一人準備運動を行っていた。
昴とシンスに気が付くと顔を上げて手を振るアリシア。
「やあ、待ってたよー!」
テクテクと歩いてくるとアリシアはシンスと何事か言葉を交わしたのち昴へと目を向け小さくうなずくと距離を取る。
そこで腰を落とし、手を前に突きだして構えを取る。
「では、始めてください」
「その前に事前説明をお願いします」
何もないかのように話を進めて行くシンスに思わず素で突っ込んでしまう。
昴の向ってきょとんとした表情を一瞬浮かべたのちシンスは「あー、言い忘れていました」とわざとらしくおちゃらけて見せた。
「えーっとですね。まあ単純な話アリシアと戦ってほしいって話です」
「いや、それは何となくわかる。だがその理由がわからない。何で俺はあいつにぼこぼこにされるのがわかっているのに戦わなくてはいけないんだ?」
後ろから「あいつじゃなくってアリシアだよー」と声が聞こえてくるがそんなものには構わない。
シンスも真剣な表情へと戻して説明を開始する。
「それはもちろん実力を測るためですね」
「実力?」
「ええ、昴はあの『グランドダンジョン』から這い出てきた。それは本当にすごいことです。が、それは逃げてきた、という事でしょう?」
鋭い目でシンスは続ける。
「それに時間がかかりすぎです。予想では半月程で出てくると思っていましたが六カ月となるとやはり確かめが必要になります」
淡々と話すシンスに慌てたように昴は両手をぶんぶんと振ってそれを遮る。
「なんですか?」
「なんですかじゃねーよ! 俺はまだお前たちの仲間になるなんてキメテねーぞ? お前らのことはここ数日過ごして信用に値する奴らだ。とか、なんだかんだでいい奴らだ。とは思うが戦力とか戦うとかってのは俺は無理だ。――それに」
いつの間にか自分が仲間になることが決まっていたことに驚きつつも否定の言葉を述べる昴。
それと同時に二人に抱く感情を正直に伝えた。
シンスは昴が困っていると一回一回かいがいしく相談に乗ってくれたりその頭の良さから歴史や常識を少しずつ教えてくれる。
アリシアは明るく活発だが見えないところで気を使ってくれていることは何となく察している。シンス達と自己紹介をした次の日――アリシアが朝一番に昴の部屋へ突撃を掛けたあの日だって彼女が運動を強要することで昴の悩みを和らげようとしてくれたのだろうことは察している。
特に証拠があるわけでもないが昴の心が弱りかけていると気を使ってくれているのは明らかだった。
この二人は優しい。
おそらく昴じゃなくまったく利用価値のない人間に対してでも同じように接することの出来る『良い人たち』だ。
「それに?」
だからこんなわがままを言うのは少し心苦しい。
でも、昴ははっきりと告げなくてはならない。
自分にその気はないことを。
自分が最もやりたいことを。
「俺はクラスメイト……勇者として召喚された他の仲間と会いたい」
意を決し本心をぶつける。
口にした瞬間、抑え続けてきた心苦しさが少し和らいだ。
シンスは仲間になってくれると思っているから勉強を教えてくれる。だが、昴にその気はない。
それがずっと辛かったのだ。
本心を隠し、相手を利用するように媚び諂ってニコニコしているのが辛かった。
彼らは『良い人たち』だ。だから、嘘をつきたくなかった。
嘘を言っていなくても勘違いさせるような態度を取っていたことが嫌だった。
首を垂れ、弱気に言葉を震えさせ昴は述べた。真摯な謝罪の言葉を。
「ごめん。お前たちの仲間になるつもりはさらさら無い。――友達に会いたいんだ」
昴は脳裏に一人の男子生徒の姿を思い浮かべる。
ぼっちだった昴と仲良くなった変わり者でそれでいて頭の切れる頼りになる友人――帝伯太の姿を。
彼の頭脳と己の不死身の力。それに頼み込めば他のチート持ちだって仲間になってくれるかもしれない。そしたらもう最強の軍隊と同じだ。
魔法に詳しい奴でも捕まえて帰還方法を探る。
そして、日常に戻る。
昴が思い描いた目的だ。洞窟から脱出し、目的を見失っていた昴が決めた新しい目的。
そこまではシンス達には伝えないが、それでも昴は真摯に謝罪の言葉を述べ続ける。
「悪い。我儘なのは自覚しているんだ。でも、心配だし、それに、寂しい……」
『寂しい』。
その言葉を口にした瞬間何かが決壊したように昴の眼から一筋の滴が走る。頬を伝い、顎を伝い、ぽつ、ぽつと地に零れる。
頭を下げているので顔をが見られないのが幸いした。
「昴……」
ふと、頭上からシンスが声を掛ける。
それに続くように今度はアリシアが声を掛けた。
「――そんなの判ってたよ」
驚き、顔をあげる。
すましたような顔のアリシアと慈しむように目を向けてくるシンスがこちらを見ている。
「全く……。突然に訳のわからない場所に連れていかれて不安に思わないはずがないでしょう? 昴じゃなくても誰でも生き別れた仲間がいると知れれば会いに行きたいと考えますよ」
呆れたようにシンスは告げる。
「そ、そうか。――確かにそうだな。ははっ、全部見通されていたってか。情けねぇ」
苦笑を浮かべ肩を竦める。
バレていたのであれば必死に隠して行動していた昴の姿はひどく滑稽に映っていたことだろう。
「情けなくなんかないですよ」
しかしシンスはそれを真っ向から否定してくる。
「いや、情けない」
「情けなくなんかない」
「情けないって!」
「情けなくなんかないっていっているでしょう」
子供みたいに言い返してくるシンスに、昴はギリッと歯を食い縛り苛立ち任せに怒鳴り散らす。
「うるっせぇ!! 俺は最低なんだよ!! お前らみたいな優しい奴らにであってもこそこそと余計なこと考えている最っ低の奴なんだよ! 未だにプラウダに恨みは持ってるし、優しいお前らを裏切ろうと考えるし、器が小さい只の餓鬼なんだよぉ!! だから、だからぁ……」
言っていて本当に情けない。
プラウダに対しても、頭では理解しているのに心が許せない。
昴はほとんどプラウダと接していないが、最後に接したあの一歩引いてしまった時。彼女が昴のみを案じて手を伸ばしたことは脳裏に焼き付いている。
昴の体は回復すると前日に告げられていたと言うのにである。
はじめの印象通り、頭が悪いのだろう。
だけどそれは彼女がシンスやアリシアに退けを取らないほど優しさを持っていることだ。
あの時以降姿を見せないようにしているのも昴を気を使っているのかもしれない。
――そう思うと、やはり自分は情けない。
だから、だから……。
「やはり昴には来て欲しいと改めて思ったな」
腕をこちらに伸ばして、仲間に引き入れようとしないでくれ……。
「――――」
「昴は情けなくなんか無いよ。今まで頑張って『グランドダンジョン』を逃げ回ってきたし、僕に常識をならいに来たりさ」
「――――」
「昴は『諦めない』よね? 『グランドダンジョン』でも光を諦めなかったし、僕に常識をならいに来たのだって他の勇者に会うことを諦めなかったからだ」
「――過大評価のしすぎだ。俺はただ……」
「ただ、怖かっただけだ。とでも言うのかな? 諦めない心の原動力には十分すぎるものだと僕は思うけどな」
どこまで見抜いているのだ目の前の男は。
唇を噛んで金髪の美青年を睨み付ける。
「――ああ。怖かったんだよ。そうだよ。俺は怖かった。皆はチート能力かなんか貰って召喚者のところへ召喚されてるのに、俺だけいきなりエテ公にぶっ殺されるし。怖くないほうがおかしいと思う。だから俺は逃げたんだ。確かに諦めなかったかもしれないが逃げたんだ」
そう、昴は今までずっと敵前逃亡を続けてきた。
グリーンイーターとの戦闘で一度だけ激昂し反撃したがそれ以外は逃げの一途だ。
そしてそれは『グランドダンジョン』から出た今も続いている。
訳のわからない状況に一人立たされ昴は逃げようとして、そしてバレてしまい今に至る。
「何が前向きだよ。今の今まで逃げてきただけじゃないか」
『グランドダンジョン』の中で昴があの地獄を前にしても諦めなかった理由。
死んでも大丈夫と言うの自分の思考を嘲笑う。
――死んでも大丈夫? 死なない努力をすることから逃げていただけじゃないかッ!
――どうして自分にばかりこんな大変なことを考えなくてはならないのだろうか。
もういいではないか。どうせ今まで逃げてきたんだ。ここからも逃げよう。
シンスから習ったことを思い起こせばここは確か危険なモンスターが蔓延る孤島だったはずだ。まあモンスターはいいが問題は海だなぁ。
筏でもつくって頑張って諦めずに漕いでいけばいずれはどっかの大陸につくだろう。
「昴。キミは自虐しすぎだ。逃げのどこが悪いんだ? 悪いのは逃げをも中途半端に行い、途中で諦めてしまうことだ。――諦めていては例えどんな目的であろうと達成することはできない」
「――――」
目の前の男は心でも読んでいるのだろうかと思った。
目を丸くする昴に、尚もシンスは言葉を続ける。
「だから僕は改めて仲間にしたいと思ったんだ。キミが諦めずに『勇者として召喚された他の仲間と会いたい』と口にしたから」
そう、シンスが口にした瞬間、昴の頬を滂沱の涙が濡らす。
地に蹲るように丸くなり、顔を隠す。
そして昴は嗚咽を噛み殺し、自分がしてきた行いを認められたことに壊れかけていた心が救われた気がした。
『グランドダンジョン』から這い出て、本当の意味で立ち直れた瞬間だった。




