メイドは危ない!
◆
「……………はっ!」
「おぉ、目が覚めたか実々花」
「あれ? くー先輩だぁ……おかしいなぁ、さっきまで明日が来ない魔王城で幼馴染に監禁されて爆発したはずなのに………」
「ひたすら俺になにがあった?」
寝ぼけてやがるこの子に簡単に状況説明をする。
「ああ、そういえばヒナ先輩の家に遊びに来てたんでしたね……。この部屋がそうなんですか?」
テレビで紹介してそうなホテルのスイートルームみたいな部屋に俺たちはいる。
ちなみに先輩は何やら準備があるとかでこの場にはいない。
「それにしても………うわぁ、このソファーふかふかですよ?! ふっかふか!」
「多分、この家具家電どれを取っても俺たちの家にあるものとはランクが違うんだろうなぁ」
「なんだか改めてヒナ先輩がお金持ちだって思い知りました」
「ならばもう一つ教えてあげよう」
「?」
俺たちがいる部屋だけでも家族が十分に生活できる広さだが、それはまだ氷山の一角に過ぎない。
このタワーマンションの最上階から数えて実に両手で足りないくらいのフロアが先輩の家なのだ。
こんな街中に建てられた高級な建物の高級な部分を所有している。
らしい。
「………絶句です」
「だよねー」
「招き入れて言葉を失われるとは……、初めての経験だわ」
「あ、先輩」
準備とやら終わったのだろうか、いつの間にか先輩がいた。
「あのあのくー先輩?」
「なに?」
「わたしの目が確かならヒナ先輩の後ろにメイドさんがいるように見えるんですが」
「えっ、マジ!? どこ?!」
俺が並々ならぬ反応に気圧されながらも彼女は先輩よりも後ろの部屋の隅を指さす。
確かにそこにはメイドさんがいた。
一目でメイドだとわかるくらいわかりやすく、黒のロングスカートに白いエプロンの所謂メイド喫茶のようなコスプレではなく、正規のデザインのメイド服に身を包む若い女性だった。
「うわぁ、本物のメイドさんなんてわたし初めて見ましたよー! 漫画やアニメだけの存在だったのに!!」
「俺もやっと目に触れることができた」
六月に天体観測をやったときは、色々すれ違いがあって会えなかったからなぁ。
「二人ともこれからお世話になるから紹介するわね」
ほっとくと拝み出しそうな俺ら二人を見かねて先輩がこの場を仕切りだす。
「お初にお目にかかります。ワタクシはこちらにおわします雛菊様の専属メイドを務めさせていただいています甘味と申します」
そう言ってスカートの端をちょこんと抓んで恭しく顔を下げる甘味さん。
本来ならこちらも自己紹介をするべきところだ。
「専属……」
「メイド……」
しかし俺たちは別世界の単語にただただ打ちひしがれていた。
「今回は猛暑の中、主様の急なお招きに応じてくださり、感謝の意を捧げます。つきましては空馬様と実々花様にはこちらからの細やかなもてなしを受け取ってもらえましたら最上にございます。どうか本日は楽しんでくださいませ」
「………………」
「………………あのぉ、くー先輩」
「なにかな?」
「わたし、もう満足です」
「……そうだな」
なんならもう帰ってもいいくらいだ。
「あら、まだこれから遊ぼうというのに満足して荷物をまとめられても困るわね。……そんなにメイドって珍しいのかしら?」
「雛菊様。ワタクシたちメイドは御家という閉鎖的な空間で日々主に従事しているので人の目に晒されないものであります。先日読まれていた『○○○のごとく!』とは違ってメイドと執事というのは――失礼ながら――普通の人からすると親しみは薄いと考えられますので、お二人の反応は過剰にしても当然と言えます」
「マリアさんはメイド服で買い物をしていたのにね」
「彼女は上からコートを着ているので。ワタクシは常々彼女のメイド魂なるものには見習うものがございます」
「そろそろくーくんがツッコミを入れる頃だけど……できそうにないわね」
あの漫画もあなたたちにとっては日常系なんですね。
心の中でそう呟くことしかできなかった。
「さて、そろそろ行きましょうか」
「行くってどこにですか、先輩?」
「夏と言ったら決まっているでしょう?」
さっき遊ぶとも言っていたし、海にでも行くのかな。
「そう。屋内プールよ」
「………………」
"屋内"というところに先輩は本当に夏は引きこもっているんだなぁと思った俺だった。
◇
「お待たせしたわね、くーくん」
屋内プールが設置されているらしい、このマンション。
もちろんそのプールも雛菊先輩の所有物だった。
だから、俺たち以外は誰もいない貸し切り状態だ。
「び、ビキニをお召しになられたようで……」
「褒めてくれる?」
水着などはすべて甘味さんが用意してくれていて、俺は無難に黒のトランクスを着用している。
対する雛菊先輩はスクール水着なんかではなくて白いビキニタイプの水着だった。
夏場外出しないおかげか、それに負けないくらい真っ白な肌をしているわけだが。
正直言ってとても……、
「綺麗、です……」
照れながら言ったせいで妙に情感が出てしまった。
「あ、あら……そう、なの………、あ、ありがとう」
そのせいでからかい気分だった先輩まで照れてしまった。
うわー、なんだこれ、恥ずかしい~。
「と、ところで実々花のやつはまだですか?」
とにかく空気を変えたい。
どうか助けて、実々花!
「ミミちゃんは……ほら、私の後ろにある柱に隠れているわよ」
そう言って先輩の指さす方を見てみると確かに誰かがいた。
「おーい! 着替え終わったんなら早く来いよ!」
正直、こんな綺麗な体をしている先輩とこれからプールで遊ぶなんて男としての血が騒ぐというより、気後れしてしまうが。
せっかくのプールだ、みんなで楽しみたい。
「………………」
返事がない。
「実々花?」
先輩の横を通り過ぎ、実々花がいるであろうところに近寄る。
「くー、先輩ぃ、……こっちに来ないでぇ」
「ど、どうした? 具合でも悪いのか?」
街の中を歩いているときくらい弱った声だが。
「水着なんて学校のやつしか着たことないのに、こんな格好………」
物陰に隠れた実々花を俺は目にした。
水玉のワンピース型の水着を着ていたが、そういえばそうだったと思い出す。
さっき彼女を背中に負ぶったときに感じていた。
実々花の感触のほうに意識が行かないように尽力した。
だから、忘れていたのかもしれない。
この子は着痩せするタイプだと。
「ミミちゃんって私よりも大きいのよね。羨ましいわ」
「……ほ、ほら! 自信持てって実々花! せっかく可愛いんだから」
嘘を付いても仕方がないし、ここは本心をさらけ出して実々花を立てよう。
「ここにはくー君しか男はいないわ。つまり、あなたのことを邪な眼で見る人はくー君しかいないから安心しなさい」
「どんな安心のさせ方だ!!」
「………うぅ、なら大丈夫ですね」
「それでいいのかよ!?」
びっくりだよ。
なんだったんだよ、俺の努力……。
「さて。どうかしら、くー君。水着女子を二人も侍らせた感想は?」
「のーこめんと」
準備も整い、いざプールで俺たちは遊んだ。
先輩と泳ぎを競ったり。
実々花に泳ぎ方を教えたり。
水鉄砲でなんだか俺はイケナイ気持ちになったり。
ただ静かに水の上で浮かんでみたり。
意外と結構遊んだ。
今は先輩と実々花が女子トークしてて、ちょうどいいから俺は休憩する。
「………ふぅ」
プールサイドにあるこれまた高級そうなデッキチェアに座ると、一気に今日一日の疲れがやってきた。
「お疲れですね」
そうこうしていると、どこからともなくメイドの甘味さんが現れた。
「お飲み物をどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
受け取ったジュースは今までに飲んだことがない味がしてて、大層うまかった。
「お嬢様があんなに楽しそうにしているのは珍しいですね」
「そうなんですか?」
「お友達をお招きすることはあまりないですから」
俺の質問に自己紹介したときと同じように甘味さんは淡々とした口調で答えた。
「あまり……ということは前に何度かあったんですか?」
友達いらない主義の先輩についてもしかしたら核心を突いているのかもしれない。
「一度だけ。前の学校に通われていた頃に」
「前の学校?」
「ご存じありませんでしたか。空馬様が通われている学校にお嬢様は転校しております」
なら先輩は転校生だったのか。
そんなことも知らない自分に少しだけショックだ。
「前の学校はわかりやすく言うとお金持ちの方たちだけが通える学校でございました。ちょうど少女漫画に登場するようなそんな感じですね」
「意外と漫画好きですよね、甘味さん」
さっきの何とかのごとく! の話といい。
「お嬢様はそんな学校でも優秀な生徒でした。だからでしょうか、友達という存在に何の必要性も感じていらっしゃらないようでございます」
「そこらへんは今と変わらないんですね」
「そうでしょうね。しかしその前の学校に通われているときにお嬢様は突然こう仰いました。"友達ってどんなものなのかしら?"と」
「………………」
先輩のモノマネが激ウマだ、この人。
「そう仰ってから数日後に初めてお嬢様はご学友を何人かこの家に招待されました。そして、その日を境にお嬢様は『友達』というものに再び興味をなくしました」
曰く。
そのご学友とやらを招待したその日に雛菊先輩は甘味さんにこう言ったそうだ。
"仮説を立てて検証してみたけれど、私が思っていた通りね。『友達』なんてただの記号だわ。記号がついているだけのただの他人。所詮それだけのことだったのねあの子たち。……ふふっ"
"気持ち悪いわね"
少しだけ笑ったのは今までの自分の生き方が間違っていなかったという喜び。
それと、最後の言葉に『友達』という存在へ込められた嫌悪。
とても印象的だったと甘味さんは話した。
やはり淡々と。
このことがきっかけかどうかはわからないが、それから先輩は長年通っていた学校を転校した。
「転校した後は空馬様のご存じの通りでございます」
「……なんで、先輩は今の学校に来たんですか? お金持ちが通うような学校じゃなく、ごく普通の学校なんかに」
「それは存じ上げません。なにやら旦那様……お嬢様のお父上と決められたようですが」
「そうですか。……あと一つ質問をいいですか?」
「一つと言わずいくらでもどうぞ」
「なぜ、俺にこんな話をしたんですか?」
俺はあの人の後輩だ。
それは事実である。
でも、それだけだ。
なのになんで甘味さんはこんなに詳しく話をしたんだろう。
「メイドだからです」
「…………え? それが答えですか!?」
「そうですが」
「なにもおかしくないみたいな顔をしないで!?」
そんなに便利な言葉だったっけ? メイドって。
「お分かりいただけませんか?」
「……説明を要求します」
「メイドというのは主のためにすべてを捧げるものです。専属ともなれは殊更でございます。ワタクシはお嬢様のためにならどんなことでもやらせていただきます。そう自分の心に誓い、その心さえもお嬢様に捧げております」
「えーっと、つまり?」
「つまり、空馬様はお嬢様を良い方向へと導いてくださると信頼しております」
「だから話した、と?」
「そうでございます」
「なぜ俺なんかを信頼するんです?」
お言葉に甘えてもう一つ質問させてもらう。
「俺と甘味さんは今日初めて会ったのに」
「確かに会うのは初めてでございますが、ワタクシは空馬様のことはよく存じ上げています」
ん?
ということは……どういうことだ?
「まさか、俺の弱みを掴んだのって……?」
「ご報告させていただきました、甘味でございます」
ご丁寧にどうも。
そうか、この人なのね。
「言わせてもらいますけど、俺ってそんな信頼されるほど大層な人間じゃないですよ?」
「ワタクシがそう判断したのです」
「俺が先輩のことを導けるわけないじゃないですか」
「ワタクシの判断を疑われるのですか?」
「結果的にそうなりますけど……」
「………………」
やばい、黙りこんじゃった。
しかも俺のことをじっと見ながら。
「………………」
気まずい。
なんだよこの空気。
苦し紛れに少し離れたところにいる先輩と実々花、二人の様子を見る。
「………そこでわたしは覚醒をします!」
「熱い展開ね………」
なんの話をしてるんだ。
でも、混ざりてぇ。
「……それでは空馬様、不肖ながらワタクシとメル友になりましょう」
「なぜに!?」
いきなりなに言ってんの、この人。
「空馬様にワタクシのことを知っていただくことで、ワタクシが空馬様を信頼しているということを信用してもらいます」
「回りくどいですね」
「どうぞ隅から隅までワタクシのこと知ってくださいね」
こうして俺は憧れのメイドさんとなぜかメル友になった。
何がどうなって、こうなるのか。
人生とは、げに恐ろしきかな。
「………そこでわたしは甦ってですね!」
「怒涛の展開ね………」
まだ話してるよ……。
◆