キスは危ない!
短編ではなく連載ですが、ご了承いただけたらと思います。
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「『良い子はマネしないでね!』ってよく言うけどね」
出し抜けにそう言ったのは廃部寸前ではないが部員が二人だけの文化部の先輩だった。
「じゃあ悪い子ならマネしていいってことになるのかしら」
「あの、恐れながら言わせてもらいますが先輩。 そんなの揚げ足を取りたがる小学生がとっくに話し尽している話題ですから、俺たちみたいな高校生がしていい話題ではないですよ」
「えー、そうなの?」
不満げに口を尖らせてるその様子は年上とは思えないほど幼い。
「……まぁ、いいわ。つまり私が言いたいのは危ないことは誰でもやってはいけないということなのよ」
「はぁ。でもそんなに危ないことなんてありますかね?」
よくテレビで見るフレーズではあるけれど、具体的にマネしようと思ってもマネできないことが多い。
あまり物事の分別がついていない子どもの力ではできないことばかりだと思うのだが。
「例えば……うーん、そうねぇ。ドラマってあるじゃない?」
「ありますね。毎日のようにありますね。それが何か?」
「あれってたまにキスシーンがあるじゃない?」
「ありますね。毎日……ではないですがありますね。それが何か?」
「でもキスって好きな相手にしかしちゃいけないでしょ」
「ん?」
なにが言いたいだろう、この先輩。
全体的にこの人には知的なイメージを勝手ながら俺は持っているが、こんな子供染みたことを言う人だったか?
「でも、あれは……ドラマのストーリー上仕方ないでしょ? 濡れ場シーンがあるよりも遥かに健全じゃあないですか」
「そうね。濡れ場シーンについても言えることなのだけど、キスをする側される側、セックスをする側される側の男と女は―――――」
「ちょっと待ってください!! 今、先輩セックスって……」
「セックスくらい言うでしょ? 何をそんなに慌てているのかしら」
また言った……。
女の人が……その、そういう単語を言うのを初めて聞いた。
しかも平気な顔で。
なんだろう、この幻想が打ち砕かれた感じは………。
「? 何をそんなに悲しそうな顔をするのかはわからないけれど、詰まる所、私が言いたいのはあれらの行為をする男女は演技でやっているわけであって、本気で恋人でも夫婦でもないから危ないと言っているの」
「危……ないですか? それって」
「危ないに決まっているでしょ。なにを言っているの」
なにを言っているのって。
それはこちらのセリフのはずだ。
「いい? 私もあれらのシーンはドラマの中の演技だから仕方ないというのは理解しているわ。でもね、それを演技ならキスもセックスもしていいんだって子供が間違った方向に解釈したらどうするの」
「まず演技だと見破った時点でそう解釈する子供はいません」
フィクションとはそういうものだと認識するだけだ。
「キスをしたら結婚しなければならないから私は危ないと言ってるの」
「………………え?」
「なに? 聞こえなかったの? ちゃんと聞いときなさいよ、人の話くらい。この先苦労するわよ」
「苦労するのはあなたのこれからの人生だ!」
「なによ、いきなり大声を出して」
若干引き気味に言われてしまった。
でも、今はそのことを気にしている場合じゃない。
「先輩。俺たちはもう高校生ですよ? 男女の関係について先輩はどんな教育を受けてきたんですかぁ!」
「キスしたら結婚。セックスしても結婚」
「またセックスと!?」
言いましたね!!
という言葉が出なかった。
あまりの驚きで。
「というわけでキスシーンおよび濡れ場シーンにおいてテレビ局は『良い子はマネしないでね!』のテロップを出した方がいいと思うわ」
「台無しだよ!!」
ともかくこの先輩はセックスという単語は恥ずかしげもなく言えるくせに、キスをしたら結婚をしなければならないという身持ちの硬さを持っているらしい。
ちぐはぐが過ぎるよ、こんなの。
「先輩、ひとつ聞いてもいいですか?」
「なにかしら」
「キスをすれば結婚しなければならないとかそういう話を誰かとしたことがありますか?」
「ないわ」
きっぱりと竹を割ったようなスパッとした言い方だった。
ああ、そうだった。
この人にはいないんだったな、そういえば。
「私には友達がいないもの」
そう言った先輩はなんとも誇らしく、自信たっぷりだった。
これが俺の部活の先輩だ。
たった一人の先輩―――雛菊先輩だ。
学校でぼっちを極めている、とある大企業のお嬢様。
俺がこの部活に入った時もこの人は一人だった。
一人で、独りだった。
今日もこんな雑談ばかりの放課後が過ぎる。
そんな春の出来事だった。
「ところで役者はすごいわよね。本気でキスしてるみたいに見えるのだから」
「………………」
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