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2話

 片桐(かたぎり)(あずさ)――《富高きっての問題児》《姉にすべてを取られた出がらし》

 この学校での通り名は散々たるもので、だがしかし、本人を目の前にして見れば、なるほどと、評価にある裏の意味に唸らざるえないほどに、彼女は美しかった。

 夜空のように暗く艶やかな長髪が揺れ、隙間から除く横顔は陶磁器のように白く肌理細かく、カーテンから除く夕日によって黄金の輝きを発してるように見える。

 彼女は影冶の方に気が付いたのか、旋律を刻んでいた人形のように細い指の動きを止めて影冶の方にちらりと視線をやると、また鍵盤の方に目を戻し、弾き始めた。

 

「なんだ、まだ居たのか」

「何だ、とはまた……友達甲斐のないやつ、キョウは?」

「先に帰った。今日はウチも親が遅いからな。お前の家で鍋だ」

「鍋って、まだ九月だぞ……ってことは弥生さんも来るのか」

「考えたのも姉さんだ。水炊きならあっさりいけるぞ」

「気分の問題だ。気分の」


 梓と影冶の家は共働きだったので、小さい頃から共通の友人であった水月(みずき)鏡花(きょうか)の家で、夕飯を共にすることが多くなっていた。高校生になってからは、片桐宅の防音室で演奏練習をしては、両親が海外を拠点に活動して家を空けている影冶宅で夕飯を食すのが定番になっている。

 影冶自身、夕食のメニューに不満を漏らすことはあっても、幼馴染達と夕食を共にすることには、むしろ心地よさすら感じており、最近の楽しみでもあった。だからこそ食事を気分良く過ごすためにも、影冶の頭にへばりつく玲音のヘタレ顔は、早いところ吹き飛ばしたい悩みの種の一つでしか無かった。

 影冶はコホンとわざとらしい咳払いをし、佇まいを直すと精一杯のキメ顔で問題の解決を試みた。


「なぁ、バンドって興味ないか」

「やらないぞ」


 ここまでは、影冶も想像通りだった。元より彼女は面倒臭がりで、表舞台には立ちたがらない。そういったところもクラスで問題児扱いされ一線引かれている原因でもあった。

 影冶自身、その事に思うものがあり、今回の件を皮切りに社交的になればと考えていた。


「いや話をちゃんと聞けよ」


 彼女を誘うのには意味がある。彼女と関係をある程度持った人間ならば、「それは思慮に欠ける」と非難、忌避するだろう。だが彼女の幼馴染だからこそ、彼女、片桐梓の音楽への思いに触れているからこそ、俺はまた彼女を舞台に立たせたいのだ。


 片桐梓――問題児や出涸らし等と馬鹿にされている彼女には、もう一つの顔がある。いや、正確にはあったと云うべきなのだろう。

 《期待の超新星》《天才ヴァイオリニスト姉妹》

 姉の弥生やよいさんと共に現れた天才児として、かつて賞賛と喝采を浴びた彼女は、その重さに潰れ、舞台から堕ちた。

 かつて、あれほど離さなかったヴァイオリンはどこにもなく。今では、こうして一人こもり続けている。少なくとも、そう見えた。

 彼女の母親に共に習っていた頃の、自信に満ちた彼女を知っている身としては、もう一度あの頃の片桐梓を見たい……、そう願って止まない自分がいた。


「どうせ玲音のバンドメンバーが欠けたから入らないか? とか言うんだろ」

 だいたいのことは見通しのようで、現在の状況を大体言い当ててきた。

「違う、玲音のとこは音楽性の違いで解散したから、バンドをやろうと言ってるんだ」

「むしろ、ゼロか。もう二月無いぞ」

「だからお前に頼んでる。 お前なら出来る実力があると知っているからな」


 文化祭まで残り一月半、ここから全くのゼロでバンドを始めようというのは、ほぼ不可能というか、無謀と罵られても仕方がないことなのは承知の上だった。

 だがそこまで把握したうえで、それを可能に出来るだけの確かな積み重ねがあることも事実で、それはきっと梓も理解しているだろうという確信はあった。


「実力がある奴は安売りをしないらしいぞ?」

「安くないぞ、大事な学生時代だからな。 それに今なら好きに演奏できる」


 もう少しその調子を周りにも向ければいいのにと呆れつつも、基本鉄面皮の彼女らしくなく、ニヤリと笑いながら話してくる様子に少し嬉しく思う。


「ならやろう」

「……いいのか?」


 正直影冶としては拍子抜けもいいところだった。断られるとは思って無かったが、すんなり受け入れられるとは思ってもいなかったのだ。

 豆鉄砲でも食らったような顔をして黙り込んでいる影冶を不審に思ったのか、梓はまたちらりと視線を向けた。鍵盤から目を離しても演奏が狂わないあたり、出涸らしとは言われても元の出来が違うようだ。


「? どうした」

「いや正直、もっとかかると思って、色々、考えていたんだけど」

「安くないんだろ? お前といる時間は……ならやってやるよ」

「あぁ……うん、ありがとう」

「なんだよ、使いたい口説き文句でもあったか?」

「あぁまぁな……いや、そうじゃないんだが新たな問題が」


 元々梓を誘い込むのだって突発的なもので、他の当てなど考えてもいない影冶は困ったように考え込んでしまった。


「お前を誘い込むことしか考えてなかったから……他のメンバーどうしよう」

「そんな事か、だったら決まっているよ」

「えっ?」

「好き勝手やらせてくれるんだろう?」


 ニヤリ、と梓は不敵な笑みを浮かべて区切りがいいと云わんばかりに鍵盤を弾くと、近くにあった学生鞄をヒョイと持ち上げ教室を後にした。

 いつもより機嫌が良く明るい幼馴染に少しの不安感を抱きつつも呆気にとられていた俺は、ただ後ろについて行くしかなかった。



………………


…………


……



 影冶が家に帰ると、キッチンで鍋番をしている鏡花と、リビングでテレビを見る弥生の姿があった。

 後から自宅で着替えを済まして来た梓は、他人の家で男の鏡花に料理を任せ、くつろぐ自分の姉の姿に何か言いたそうにしていたが、それが無意味な労力であることは小学生の時にすでに理解していたので、ぐっとこらえ料理の手伝いに向かっていた。影冶には何度目かも解らない見慣れた場面だった。

 そんな様子を横目に、影冶がリビングのソファに腰を落ち着けると、テレビを見ていた弥生は何か思い出したのか、視線を影冶に向けニヤリと口角を上げて尋ねてきた。


「城崎君、バンドの子と、メンバーの彼女にまで手を出したんだって?」

「概ね正解。いつものことだよ」

「アンタが補欠で出るっていうのも、聞いたけど?」

「そりゃ初耳、俺は補欠になったことなんて一度もないよ」


 食事前だというのに、頭の痛い話は聞きたくないといった様子で、影冶は目の前にあった弥生のお茶を奪い飲むと「めんどくさい」とぼやいて、ソファから腰を上げた。

 おざなりな対応に、後ろで文句を言ってくる年長者を放置してキッチンの方へ意識を向けると、鏡花の料理ができたようで、「できたよー」と呼ぶ声のする方へ配膳の手伝いへと向かうのだった。


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