19話
二人と別れて、新都で夕飯の買い物をした帰り道。駅前に新しく出来た書店が目に入る。
ここら辺には古本屋や楽器屋が多いせいか、用事のある学生以外は、そうそう寄り付くことがない。そんな中で流行りの本を宣伝しているのは、なんだかとても浮いて見えた。
それでも、少ない移動で新旧どちらも手に入れられるというのは、楽でおいしい。
「ヴィオ、ヴィオ、ヴィオ、ヴィオ」
「あの、もしかして、こちらをお探しですか? ……ぁ!」
雑誌を探していると、視界の脇で、店員が本を差し出してくれる。
「あ、ありがとうございます。……って」
店員にお礼を言い、顔を向ける。そこにいたのは、勧誘した彼女と同じ顔した、というより丸っきり本人で……。
「どうぞ、もしかして季刊の方だったかな? それだと、来週になっちゃうんだけど……」
「あぁいや、これでいいんだけど。なんか意外だなって……、そうだバイトっていつ上がり? 別に大した用じゃないんだけど」
実際、次からちゃんと練習が出来る。なんて話は、どうせ明後日来れば分かることだが、なんとなく曲が完成した今、話したかった。
葵は時計を見て、少し申し訳なさそうな顔をする。
「二、三十分かかっちゃうけど、大丈夫?」
「大丈夫、向かいの喫茶店で夕飯食べながら待ってるよ」
すると下がった眉のまま「ごめんね。また後で」と笑って、仕事に戻る。
俺は見つけてもらった本をレジへ持っていくと、並んだレジ対応に励んでいた葵の場所になった。さっき後でと言ったのに、すぐ顔を合わせたことに可笑しさと気まずさを感じ、お互い笑って誤魔化しつつ、俺は足早に店を出た。
………………
…………
……
「ごめんね。遅くなっちゃって」
夕飯代わりのオムライスを食べ終わった頃。少しばかり息を上げながら、席に近づいてきた葵は、走ってきたのだろう。額にうっすらと汗が滲んでいた。
「もう少し時間があれば、これも読めたかな?」
先ほど買った雑誌を出して冗談を言っていると、店員が空いた皿を片付けに来る。ついでに葵の分とのコーヒーを新に頼むと、急に神妙な表情で葵が席に着く。
その様子は、こちらが話があるというのに、まるで何か重大な告白でもしそうで、なんだか面白い。
頼んだコーヒーが来て、お互い一息入れる。ここのは初めてだが、なかなか酸味が強くて、つい顔をしかめる。正直好みと合わない。
冷めて酸味がきつくなる前に、飲み干してしまおうと一気に飲んでいると、前の葵から笑うような声が聞こえる。
「なんか、美味しくなさそうに飲むよね。こう、眉間をグイッって寄せて……って笑わないでよ」
「いやごめんごめん。でも何だろう飲み物とか飲むときって、大体そうだって」
お互いに雰囲気も柔らくなって、自然と言葉の端々にも笑みが現れる。
「それで話って、何かな?」
「あぁ、いやさっき玲音と姫路といてさ、そこで曲の細かい調整したから、明後日から三曲とも練習できるってこと。明日でも良かったんだけど、なんかテンション上がっちゃって」
自分で言っていて、やっぱり突飛で変なことしてるなと思い、頭を掻く。葵は
笑いながら頷いてくれるが、どこかでツボに嵌ったようで聞き終わった今もクツクツとしている。
「そんなに笑わなくたっていいだろ」
「ごめんねっ。っでも、さっきのコーヒー思い出して、……ふふっ、小さい子みたい」
「どーせ、子供だよ」
「ごめんってば、ね?」
諦めて葵の息が整うのを待つ。少しして落ち着いたのか、深呼吸をして胸を押さえている。それでもまだ完全に抜けきってないのか、小さく息を吐いて、誤魔化すように口を開いた。その表情は確かな実感をかみしめているようだ。
「でも、そっかぁ。これで全部揃ったんだね」
葵は、カップのふちを指で撫でて、ゆっくりと深く息を吐き出す。
「ほ」
意味のない、意味の含まれたようなそれは、安堵の吐息なのか、それとも何かの告白なのか、それは彼女しか解らない。もしかしたら葵自身も解らない何かが混ざっていたかも。
しばしの沈黙。何かを落ち着けるように、カップのコーヒーを覗いたままの葵は、一口飲んで苦笑いを見せた。
「あんまり苦くないね」
深く追求しようとは思わなかった。そんなの事をしても誰も得しないし、気まずくなるのも嫌だ。
「そう言えば、意外だったな。葵が本屋でバイトなんて」
「うん? 皆にバレないところってここ位しかなかったから。新都に来るくらいなら、皆都内に出るでしょ?」
確かに、県境の人間からしてみれば新都も、新宿池袋も時間はさほど変わらないのだから、大体が逆方向の新都に行く用もないのだ。正直あそこに買い物などの用に行くのは、奥方の県民位だろう
「やっぱり大変なんだな、人気者は」
茶化したように言うと、葵は頬を膨らませて、非難するように口を窄めた。
愚痴一つにしても、愛らしさや気軽さを無くさない彼女は、なるほど、人の良さ、人気の理由がよくわかる。
「前、ファミレスでバイトしてた時大変だったんだから。毎日毎日お店の中ほとんど内の生徒ばっかりで」
だんだんと声に力がなくなっていく様子から、なんとなく予想はついた。そもそも学生の身として、そんなに所持金のないだろう彼らが頼むのは当然、安くて量の多いもの。
全員が全員ではないにしても、少なくない人数がそうすれば、商売側としてみれば損というものだ。
「解ってはいたんだけど、やっぱそういうのを気に入らない人って、いるみたいで」
「あぁ、そっち……、いやそっか、そうだよなぁ」
現代の高校生にとって、大事なのは人間関係。特殊な能力や、学力が最重要視されていたのは一、二世代前の話だ。
いやだからと言ってその二つをないがしろにしていい訳じゃないし、低ければ馬鹿にされる。ただ今まで求められていたものにプラスする形で、時代に合った注文が増えただけ、むしろ前提条件になりかねない前二つの方が、ほとんどの一般学生にとっては悩みの種だ。
文化祭の後は期末テストも控えている事を思い出す。
そういえば今回ほとんどバンドに感けているため、どうにも勉強を疎かになっていた。帰ったら久しぶりに勉強もやらなきゃなと、時計を見ると時間は既に一時間ほど経っていた。もう完全に夜といっていい時間だ。
「それなりに遅いし、送ってくよ」
「え!? いいよ別に、大丈夫だからそんなに遠い場所じゃないし、駅から直ぐだから」
「直ぐならなおさら、送ってく」
席を立ち、出口のレジに向かう。少々強引だが、お互いに善意で押し相撲を取っていても、しょうがないだろう。
慌てるように支度をする葵が来る前に、さっさと会計を済ませドアをくぐる。
ベルが子気味のいい音を鳴らしたかと思うと、少しリズムのズレた音が再度鳴る。
「別に奢ってもらう理由なんてないのに」
背中に突進する勢いで出てきた葵が、慌てたような声音で話してくる。
「理由ならいくらでも作れるぞ? 引き留めたのは俺だし、バンドに勧誘したのも俺だ」
「それなら、私は待たせたし、愚痴聞いてもらったし、送ってくれるって……、それにっ、バンドだって歌作ってもらったもん!」
適当に言いくるめようとすると、それに張り合うように理由をなくそうとしてくる。正直こういった類の言い合いは面倒だし、時間の無駄に感じて好きじゃない。
納得いきません! といった様子の葵の膨れっ面が、なんだか可笑しく笑うのをこらえると、それが癪に障ったのか、そのまま顔を真っ赤にさせる。
「男の甲斐性、面子だよ、帰りを送るのだってそう。こういうのをある程度の範囲で受け止めてくれるのが、女の甲斐性ってやつだと思うんだけどなぁ」
「なんか今の城崎君っぽい、しょうがないなぁ。送らしてあげましょう」
なんたって校内一の美少女ですから。とおちゃらけた様に舌を出して笑い、横並びになるように歩き出した。




