18話
しばらく歩くと、小さな喫茶店に着いたが、目的が分からずにいると、姫路が喫茶店の中に足を進めていた。
「帰るんじゃないのか?」
「まだ電車混んでるし、機材、置かせてもらってるから」
なるほど、家から持ってきてるわけではなく、借りてるものだったのか。
店内に入ると、ドアに取り付けられたベルが通りのいい音を鳴らす。
四人ほどが座れるカウンターと、数台のテーブル席がある狭めの――だが個人経営にはちょうど良い広さの空間があった。
姫路に着いて行くと、奥の端に小さなステージが備え付けられていた。狭さ的には踊り場といった方が、シックリくるかもしれない。
そこの端に道具を置いていると、カウンターの奥から、男性が出てきた。
綺麗に揃えられた白髪に口髭と、いかにもといった風貌でニコニコとしている男性は、初老だろうか、顔に皺はほとんどない。
だがその白髪や柔和な雰囲気のせいか、六十手前と言われても納得できる。
「爺さん、またしばらくここに置かせてもらうよ」
「えぇ、どうぞいくらでも。あれば私も、勝手に使わせてもらっていますから」
「ありがと」
短く礼を言うと、姫路はテーブル席に着いたので、それに倣うように席に着く。
姫路の不躾な態度にもニコニコとしているあたり、このやり取りが普通のようだ。
席に着くとまだ注文もしてないのに、三人分のコーヒーとミルクが置かれる。
「え、っとこれ……」
「いつもこの娘が頼んでるやつ。お代はいいよ、話しかけてほしくなさそうだからね」
「ありがとうございます。でも口数が多い、余計なお世話」
ニコニコとしながら姫路を見るマスターと、鬱陶しげにしながらも感謝する姫路に、なんだか面白くて笑うと、こちらを恥ずかしそうに睨んでくる。
姫路は一口、カップに口を付けると、熱かったのか苦かったのか顔をしかめて、ミルクを入れると、満足そうに息を吐いた。
なんだか姫路と会って、今日初めて空気が緩んだ気がする。玲音も安心したようだ。
コーヒーに口を付けると、鈍い苦みと芳ばしさが、口の奥から鼻に抜けていく。
不思議と喉を通した後に、深く息を吐きたくなる風味だった。
「ホッとするな」
「怒るとでも思った?」
いつもの調子で毒づく姫路だが、そこにいつものような刺し刺しさは無い。むしろからかってるような、茶目っ気すら感じる。
「正直、もう来ないかと思ってた。呆れて出て行ったんじゃないかって……。でも今の雰囲気を見て安心した」
「別に、いつも通りだよ。それで、出来上がって? どれ? 今ある?」
「偉そうだな、ほらコレ」
興味津々な様子で体を仰け反らせる姫路に、玲音は笑いながら譜面と歌詞を渡す。コーヒーを啜りながら目を通す姫路の姿は、とても様になっていて自然と笑みがこぼれる。
一通り見終わると、ブツブツと声を漏らしながら見返す姫路は、少しピリピリとした空気が漂い、だんだんといつものツンケンしたものに戻っていった。
しばらくして呟きが終わり、目を瞑って黙る。
ダメ、とでも言うだろうか。
一分か、二分か。沈黙が続き、自然と空気が重くなっていく。気を紛らわすようにコーヒーに口を付けると、もうすでにぬるく感じる程度に冷めていた。
考えに詰まったのか、姫路はコーヒーの残りを煽ると、先ほどのステージに向かう。
ギターを片手にセッティングを黙々と始めると、呼吸を整えて曲を弾き始めた。
「♪~~、♪~~~~」
曲を弾いて、鼻で歌いながら、譜面に赤を入れていく。その様子は真剣そのもので、俺たちは静にその様子を見守る。
ゆったりと。
どれくらい経ったのだろうか。しばらくして姫路の作業が終わったのだろうか。大きく息をついて、ギターを下ろすとこちらの席に戻ってきた。
机に放り投げた譜面には、赤いペンで修正と追記が細かくされている。
「一回皆で合わせないと、何とも言えないけどさ」
そう言ってカップに口を付けるが、さっき飲み干してしまったのだろう。カップを見て何事もなかったかのように元に戻す。
これで必要なものは全部そろった。
後は全員でどれだけ、質の良いものに出来るかが勝負だろう。
玲音も同じように感じたのか、ニヤニヤと口元を緩ませて、嬉しそうに立ち上がった。
「よぉし、これで俺たちのバンドも、本格的に動き出せるってもんだぜ」
「まぁ、もうアンタはメンバーにいないけどね」
「一応メンバーだぁ! ……庶務だけど」
話にオチが着いたところで、明後日また全員で残りの話をすることにし、今日の所は解散することにした。




