11話
夕日のせいか、彼女自身に感じたのか、最初に感じたのは眩しさだった。
「…………ぁ」
先ほどまでの焦りは、全くといっていいほど無くなっていた。
茜色の空をバックに歌う彼女は、とても自由で、豊かで、つい羨ましくなってしまうほどに、日向葵という少女は綺麗だった。
曲が終わり、日向さんが満足そうな清々しい表情で振り返る。
「ふぅ……、って、えっ?」
一瞬、彼女の表情が固まる。自分の世界に入り切っていたのだろう。俺が居たことに今気づいたようで、状況を理解するにつれて、みるみる顔が青くなってい
った。
「……見てた?」
「あ、ああ、上手かったよ……すごく」
ブルブルと震えながら、泣きそうな表情で尋ねてくる日向さんに、なんだか悪いことをしてしまったような気になる。
質問に答えると、今度は顔を真っ赤にして、手をバタつかせ始めた。
「いやあ! これはぁ、そのっ……! なんか風が気持ちいいなぁって屋上出たら、軽音部の演奏が聞こえて、気持ちいから、つい口遊んじゃったりしてぇ!」
次々と表情が変わっていく日向さんからは、噂に聞く高嶺の花らしさというものは無かった。
それでも、だからこそか、少女の愛らしさ、可憐さが際立って見えて、とても魅力的だった。
「あのッ!」
「んっ? お、おう」
気付けば日向さんが、こちらに急接近してきていた。
鼻と鼻……、とまではいかないけれど、お互いの息が触れ合いそうになるほどの距離。実際、こちらが強く息を浮きかければ、前髪を揺らすくらいはできるだろうその距離。
相当、恥ずかしかったのだろう。多分いつもの彼女ならしない……。
根拠も何もないけれど、直感的にそう思った。
普段の彼女ならきっと。そう、もう半歩ほど不快にならない程度の距離で微笑んで……。焦っていても、多分それを伝えるために、相手の手を取る程度。
…………そっちのほうがよっぽど近くないか?
日向さんのほうに意識を戻す。なにをどこから説明しようか、といった様子で目を泳がせている。しばらくすると、落ち込んだように顔を伏せた。
「今見たことは、秘密のままで……」
別に秘密にすること自体は良かった。と、いうよりも、言ったところで、「あぁ、日向さんってやっぱり可愛らしいよね」って話にしかならないだろうと、あまり興味はなかった。
「別に、それはいいけど」
「ホント? ああ、よかったぁ」
胸を撫で下ろす日向さんは、やはり可愛らしかった。調子自体も落ち着いて戻ってきたのだろう。一息ついて上げた表情は、いつもの微笑みで……。
でも、なんだか、先ほどのを見たからだろうか、薄い壁のようなものを感じてしまうのは……、きっと気のせいじゃなかった。
「あの日向さん、その、バンドの件なんだけど」
「うん……やっぱり、逃げ切れなかったか……」
呟くように続いた言葉は、聞き取れなかった。けど、雰囲気からしてやっぱり断るつもりだったんだろう。
だから、もうダメなのはほとんど確定なのだから、もう当回しに話す必要もなかった。
「断られてもしょうがないと思ってた。だから代役も立てたし、入ってもらわなくても、まぁいいかって」
偶々とはいえ、素に近いところを見てしまったのだ。だったら、素に近いところを見せるのが、フェアだと思った。
日向さんは、何とか穏便に断る流れになりそう。と安心しているのだろう。笑顔こそないが、穏やかな雰囲気を纏ったままこちらを見て頷いている。
「でも、今のを聞いて、決めた。俺、やっぱり日向さんに入ってほしい。それで、俺たちの歌を歌ってほしい」
「それって、あなた達が作った曲を、ってこと?」
おずおずといった様子で聞き返してくる日向さんに、少し驚く。
「いや、オリジナルは一曲もないけど、でも入るって言うなら話は別。もし、やりたいっていうなら、作るよ」
「つまり、私の、私達だけの歌ってことだよね?」
「ああ」
「私達だけのオリジナル……私達だけ、オリジナル」
深く首を傾げながら、ブツブツと呟く日向さん。
もしかして、いやもしかしなくても、これはイケるんじゃないだろうか?
「ねぇ、ホントに、私でいいの?」
「むしろ、日向さんの声だから誘ったんだ」
そっかぁ。と、またしばらく考え込むと、小さく頷いてこちらの目を見てくる。さっきの微笑みよりも、ずいぶん柔らかに感じた。
「私、やるよ」
「ほ、本当にいいのか?」
いいんだけど、いいからやると返事が来たわけだけど。でも、なんだろう。
……決め手が分からない。オリジナル曲……だけじゃ、ないような。うん。
なにが決め手になったのか考えていると、目の前に小さな手が出されていた。
日向さんを見ると、ニコニコと笑っている。
「えっと……」
「握手。これからよろしくってことで」
「あぁ……」
出された手に、手を合わせる。ギュッと握られた手がとても暖かかった。
なんか、こう、改めてとなると……。
「日向さんの手って柔らかいなぁ、とか考えてるよ。きっと」
…………。
「いや、アイツのことだから、脳がショートでも起こして、次どうすればいいか解んないんじゃないのか?」
…………オイ。
「覗いてないで、さっさと来い」
「え?」
後ろを振り返ると、ドアに隠れてコソコソとしていた。キョウ達が笑いながら現れた。
玲音に軽音部ですらない弥生さんまで。俺の体で隠れていたのだろう、ゾロゾロと表れたメンバー+αに、日向さんは目をパチパチとさせ、どういうことなのか理解すると顔を赤くして、崩れるように座り込んだ。
「どこから見てた?」
「演奏終えて、すぐ走った」
にやりと笑い親指を立てる弥生さんに、日向さんは投げやりに笑った。
いろいろと大変な状況だが、不思議と先行きが明るいものに感じた。