10話
金曜日、彼女が設けた期間の最終日。
結局、日向さんからの返事がもらえるタイミングは無く、時刻はもう放課後五時半を過ぎたころだった。まぁ今週中とは約束したけど、結果を話し合うのは月曜でも問題ないだろう。
なぁなぁでして、話が無かったことになってしまうのは嫌だけど、そのくらいの猶予は許してほしい。
「――なぁ早乙女、アンタ誘ってるボーカルが誰だか、解ってるよね?」
考えに耽っていると、姫路から指摘が入る。俺は黙ってホワイトボードに視線をやった。
書かれているのは、文化祭で演奏する曲名の候補。姫路はそれを半目で睨み、溜め息を吐いて頭をかいた。
「日向さんだろ?」
「なら、どう見てもこの曲目はおかしいだろ……」
曲名は、『わかってもらえるさ』『世界の終わり』『終わらない歌』
…………うん。
「いい、曲だよな、ロックで」
「こっち見んな」
梓の方を向けば、ギンとした目つきで一蹴されてしまった。
玲音やキョウに関しても、どうにもしょうがないといった様子で肩を竦めていた。
「どう考えたって、彼女の声に合わないでしょ」
姫路はもう日向さんを迎えることには反対ではないようで、それを踏まえた考えだったようだ。
「いや、まぁそうなんだけど……、ほら深夜アニメとか、映画でよく女の子が歌ってるし、有りなんじゃないかなぁと」
「それもはや、ロックじゃなくて、ポップだと思うんだけど」
「何を言う。お前は『こんなもんじゃ全く満足できないぜ』という言葉を知らんのか!」
「それ曲名だし、そんなこと言うなら『ポップは死んだ』はどうすんだよ」
どうにも決まらない。いや、ようは声質と曲が合わないから変えろ。という至極全うな意見なのだが、それ以外にしたい曲がポッと浮かんでこなかったのも事実だった。
「へっ、そんな保守的かつ排他的なこと言ってるから、ロックは衰退するんだよ。ロックってのは動き続けるもの、自分の存在を叫び続けるものなんだ。だったら、多くの人にアピールするポップ・ミュージックと融和するのだっておかしくないだろ」
「だからって、周りに媚びるのはロックじゃないって――」
「ちょっ、ちょっとストップ!」
俺と姫路の間に割って入るように手刀を入れたキョウは、俺たちの肩に手を置くと、両方の顔を苦笑いで見た。心なしか眉が引きつっているように見える。
「今は音楽論とかどうでもいいから、曲目決めるんでしょ? 練習できないよ」
言い方に少し引っ掛かりを覚えたが、確かに正論で、言い返せる状況ではなかった。
それは、姫路のほうも同じ考えのようで、お互いに顔を見合わせて、キョウのほうに視線をやり、何か代案でもあるのか? と言葉の続きを促した。
するとキョウは、ホワイトボードに向かい新しい曲名を書き出した。書きづらく感じたのか、今まで書いてあった曲名を消して一から書いたそれは、綺麗な字で元からこれしか書いてなかったように感じる。あぁ、さらば我がロックよ。
「とりあえず誰でも知っている学校で歌うような曲を、バンド形式でやるのはどうかな?」
新しく書いたのは『Blue_Tears』と『翼をください』
古いな……いや確かに、メジャーと言えばメジャーだけど。それに……
「一つ減ったな」
「うん。でも時間に関してはいくらでも調整が聞くし、問題はないと思うよ。後でやりたい曲ができた時に入れればいいだろ?」
さらっと面倒なことを言いやがったが、実際動きがない状態で一週間だ。そろそろ痺れを切らしてきているのだろう。正直こちらも待たせてしまって、忍びなく思っていたので、ズバズバと言ってくれるのは気が軽くなる。
キョウもそこら辺を察して、話を進める。こういう時、馴染みの友というのは助かるものだ。
ビシッとこちらを指をさすキョウの顔は、眉を吊り上げているが、そこ以外の表情はとても柔和なもので、男にしては少し長めの髪と合わさって女性的なものに見えた。ドキッとしたのは秘密だ。少なくともキョウ自身に悟られぬようにしている。
昔それが原因で苛められてから、女性的に見られるのがコンプレックスなようだ。出来るだけ男らしくとしているのだが、どうにも男装の麗人にしか見られないのはもう諦めているのだとか。
「――ちょっと聞いてるの、エイジ?」
「んぁ? あぁ、悪い。日向……さんだよな? ちゃんと答えは聞いてくるさ」
社交辞令的に断られた感はあるものの、建前上の期限は今日。もう放課後になってしまっているうえに、日向さんがどこにいるかも分からない状態。
正直手の打ちようは無かった。
「じゃあ、俺がリズムで姫路がリード、キョウがドラムの梓がベースってことでいいよな?」
「オーケイ。そうするととりあえずのボーカルはあたしか……」
このままだと姫路への負担が大きくなってしまう。そうならない為にも何としても日向さんを入れなければ……。
「この二つってさ、今すぐ演奏することって出来る?」
姫路はギターを構えると、ぶっきらぼうな調子で演奏の準備を始める。
「いやちょっと待て、翼をくださいはともかく、ブルーティアーズは譜面ないだろ」
「いや多分あるぞ」
雑誌などが乱雑に積まれた山から、玲音は数冊のボロボロになった冊子を抜き出した。表紙の部分には、書き殴った字で各楽器の名前が書いてあった。
その中の『ギター』と書かれているのを机に置くと、パラパラと中を確認しだす。中には譜面と、どこをどう弾いたら良いかの補足が手書きされてる。
「昔の部員が置いてったギタースコア。多分ジュリマリなら何曲か……あった」
ページを広げてこちらに見えるように置く。それには、赤がビッシリと入れられた譜面があった。
「よく覚えてたな」
「伊達で部長やってねぇっての」
玲音が自慢げな態度をしている隣で、姫路が譜面に目を通して、カバンから自分のノートを取り出した。どうやら書き写すようだ。
ものすごいスピードで書き上げた姫路は、何やら細かいところの調整をしている。
「ギターが二人だから、その分のイジリをすれば直ぐ出来る」
姫路が書き写しを終え、俺たちは各自準備をすると、譜面に一通り目を通して慣らしを始める。
他の奴らも始めたようで、色々と自由に、譜面をなぞっていく。
誰一人として合わせて引いていないのに、微妙に音とリズムが重なるこの瞬間が俺は一番大好きだった。
しばらくして慣らしが終わり、演奏を始めると、やはり今見たばかりの譜面だからか、少しぎこちない演奏がゆっくりと続く。
そんな中でも、ブレずに演奏できる梓は流石といったとこだった。
姫路も演奏しなれているのか、梓ほどではないにしろギターの音を運んでいる。
「かぎりーなく……」
姫路の歌声は安定して、歌いなれているようだった。
……もしかして、持ち歌だったのだろうか?
スコアブックの発掘も早かったし、実は前から練習していたものだったのかもしれない。
後で聞いてみるのもいいか。
意識を手元に戻し、目の前のスコアを追う。
引くのは初めての曲だが、聞いたことがないわけでもないし、何とか弾くことはできる。
徐々に速くなった一曲目の演奏が終わり、一息つこうとした姫路に近づく。
姫路は何か考え込んでいるようで、ジッと口元に拳を当て床を見ていた。
梓もそうだが、姫路にしてもデフォルトのテンションだと、なんだか近寄りづらい。
「上手かったな、もしかして持ち歌かなんかだったのか?」
「ん、まあそんな所」
こっちに顔を向けずに、考えたままの状態で、短く返事をする。そっけない返事に、ついつい玲音のほうへ視線をやると、面倒臭そうに笑うばかりだった。
「アイツ、ストリートでやってたから、メジャーなのだったら大体弾けるんだよ」
「なるほど、じゃあこのグループじゃあ、一番本番慣れしているわけだ」
初耳の情報に納得していると、姫路が不貞腐れたように返す。
「別に、出来たからなんだって言うんだよ」
照れているのだろうか? 子供染みた様子の姫路に、なんだか笑ってしまいそうになる。すると姫路は、ムスッと不機嫌面になり、別の楽譜をバラバラとめくった。
「ほら次、『翼をください』やるぞ」
合唱曲としても定番の曲だ。他のメンバーも楽譜をめくり、準備を整える。
曲自体、慣れ親しんだものだからか、それとも二曲目で温まったからか、先ほどのような緊張感はない。キョウは全員が演奏体制に入ったことを確認のため、一人一人と目配せをする。
「いくよ。ワン、ツー。ワンツー三、四」
先ほどの曲よりゆっくりとしたテンポで、演奏されていく。
元が元だからか、ゆっくりのままでも曲としてぎこちなく聞こえ辛い。それだからだろうか……、なんだか物足りなく感じてしまった。
「このおーぞらにー」
こちらもやはりだんだん音が整ってきて、綺麗に聞こえる。だがなんだか声と音が、ちぐはぐな気がして…………。
「……あって無いな」
ボソリと、声に出てしまった。
慌てて周囲に気を回すと、どうやら楽器の音にかき消されて様で、何の反応も無かった。
間奏に入り、姫路が呼吸を整える。教科書の方はピアノ伴奏のもので、間奏など無かったので、急ごしらえの物を入れたが、どうやら正解だったようだ。
「「いまーとみーとかー」」
曲が二番に入り、テンポが安定してきた。元々あった曲のイメージからも離れ、ずいぶんポップな印象を受ける。
姫路のエッジの効いた歌声も、聞きなれてきたが、それとは別にノイズのようなものを感じる。
姫路自身も違和感を覚えたようで、声に若干の揺らぎが含まれ始めてくる。
何に違和感を覚えたのか、原因を突き止めるために神経を張り巡らせて、集中していく。
そして――
「「こどーものときーー」」
姫路の声に紛れて、別の、誰かの歌声が聞こえた。
聞こえてくるのは、窓の外。少女特有の澄んだ高音は、何処かで聞いたことのある声だ。それも、ごく最近。
いったい誰だったか……、記憶を辿っていると、右足に鈍痛が走った。
「痛デッ」
原因に視線を向けると、姫路が顎で廊下を指す。
……行けということなのだろうか?
解釈に戸惑っていると、姫路は眉を吊り上げながら腰に向けて、蹴りを放ってくる。
「ッ~~~~~~!?」
どうやら正解だったようで、蹴られた勢いのまま飛び出るようにして、声の主を探し始めた。
廊下を抜けて、階段に辿り着く。三階のここより上は、屋上だけ。曲は終盤。
どっちに行っても、失敗すれば戻る時間はない。
「そうだ、窓ッ」
上か下か、近くの窓から身を乗り出し、耳を澄ませる。
声の持ち主は……
「屋上ぉ!」
速やかに階段を昇っていく、二段飛ばしで駆け上がり、途中踏み外しそうになるも、体勢を立て直しながら流れ込むような形で、前に進む。
そして階段を昇り切り、ドアを開け放った。