9話
「わぁ、お家にスタジオがあるなんてすごいね」
半ば無理やりな形だが、予定を合わせてくれた日向さんを家に招いた第一声は、結構ありきたりなものだった。
「まぁ、あたしの家だけどな」
そう、本日来たのは、我が家の向かいになる片桐邸だ。そして、今日集まったのは理由としては……
「ここで演奏するのも、久しぶりだね。一年くらい?」
キョウが楽しそうに、ドラムの準備をしながら、尋ねてくる。どうやら楽しそうなのは他のメンバーも同じみたいで、姫路や梓なんかは音の調律に入っていた。
「いや中二の頃だから二年半だな」
梓の母親が家で2年ほど前まで音楽教室を開いたが、親父さんが別居することを期に、辞めたのは個人的には記憶に新しい。
教室に通っていたころ、よく使っていた棚を見ていると、見覚えのあるノートが出てきた。表には俺の名前と、『LIBRETTO_NOTE』と書いてあった。中を見ると過去に自作した、歌詞が書かれていた。
「おぉっと!」
慌ててノートを閉じるが、こちらに気づいたのか、皆の視線が俺の手に集中する。
俺はノートを元の棚に無理やり詰め込むと、笑って誤魔化した。
「いや~無くしてたと思ってたノートここにあったのか~気付かなかったな~」
「誤魔化すにしても、下手すぎるでしょ」
「黒歴史でも、見つけたんだろ。俺のサイキョー超絶カッコイイ武器とか、自作歌詞とか」
梓は心底どうでも良さそうに、むしろ呆れ気味なようすで話を切ると、ベースを弾いた。
日向さんは、どうにも落ち着かない様子でうろうろすると、メンバーと対峙する形になる場所に、膝を抱えて座った。
「ねぇ、私は何のために呼ばれたのかな?」
「いや、俺、日向さん誘うのに、一回も自分たちの演奏見せてないな。と思ってさ」
今回日向さんを誘わなかったとしても、やっていたことだ。それに見てくれる人がいるだけで、こちらのモチベーションも違う。
もし見た上で、入ってくれれば大成功。もし失敗しても最終手段は無いことも無い。
俺たちは各自の調律が終わると、軽く音合わせを始める。
正直、梓やキョウとここで一緒にやるのは、本当に久しぶりでなんだか少し緊張する。
ストレッチをして気を誤魔化しているのがバレたのか、梓は鼻で笑って顎をしゃくった。
「とちるなよ」
「梓こそ、足引っ張んじゃねーぞ」
強気に返してやると満足したのか、梓は嬉しそうにベースに視線を戻した。
俺は座っている日向さんの下に向かい、今日誘った理由を説明する。
「一度はっきりと返事貰う前に、一回も日向さんには見てもらってない気がしてさ。それでダメならキッパリ諦めるしぃ……たぶん、きっと」
「キッパリじゃないね」
日向さんは潜めるように笑うと、ニッコリとした笑顔でこっちを見た。
「いいよ、わかった。ここで聞いて、それで誘ってもらったら、その時はハッキリ言うね?」
だからしっかり演奏して誘ってね? と言ってくれる日向さんに俺は安堵し、しっかりと背を伸ばす。
ここまで付き合ってもらったのだ、絶対に参加をしてもらって見せる。
「むしろそっちから入れてくれって言わせて見せるよ」
最初は適当に、二曲ほど流行の歌を演奏し、メンバーの調子を整える。
梓はやはり流石と言ったところか、特に淀みなく引き進めていく。低いベースの音が響き、しっかりとこちらに届いてくる。
こちらのテンポがずれると、戻すように合わせてくる演奏は、なんだか指導を受けているような感覚になり、安心して音を任せることが出来る。それに足して走ることなく、正確にドラムを刻んでいくキョウも力強いモノだ。
俺たちギター二人は、梓やキョウのおかげで比較的自由に演奏することが出来、全体として安定した演奏となっているように感じる。だが、内と外からでは感じ方も違うだろう。
日向さんの様子を見るが、真剣に聞いているのだろう。その表情は少し力んでいて、フラットに近いモノになっていた。感情はなかなか読み取れない。
上手く……聞こえているだろうか?
日向さんの方を気にしていると、ベースの音が固くなったような気がした。どうやら全力を出せということのようで、梓がキツイ視線でこちらを睨んでいることが、見なくてもわかった。姫路もリードがしっかりしていないと感じたのか、たまに体をぶつけてくる。
俺は意識を手元のギターに集中して、周りの音に合わせる。
姫路も周りの音に負けない力強い、唸るような音で主旋律を弾いていた。
お互いの音が、お互いの音に負けないようぶつかり合い、溶け合っていく。
演奏が終わり、一瞬、場が静まり視線が日向さんへ集中する。
日向さんは一斉に見られて、体を少しビクリとさせるが、すぐさまニコリとした笑顔で拍手をしてくれた。
「すごい、すごいよ皆。上手だった」
弾けたような声音で褒める姿に、安堵の息が漏れた。どうやら、演奏は好評のようだ。
俺はギターを立て掛けて、日向さんに近寄る。手がじんわりと汗ばんでいることに気づき、手を閉じたり開いたりした。少し緊張していたらしい。
日向さんは、穏やかな表情で俺のほうを向き、笑った。
だが緩く垂れ下がった眉は、何処か申し訳なさそうにしている風にも見える。断られるのでは? という緊張が戻ってきて、体中の筋肉がキュッと閉まる。
「とりあえず、演奏はこんな感じなんだけどさ……。喜んでくれてよかったよ」
「うん。皆かっこよかった」
「褒めすぎだろ」
姫路が不機嫌そうに言うが、声とは裏腹に表情は嬉しそうだった。
本人も表情が隠しきれていないのが分かったのか、直ぐ俯いてギターを弄り始める。
日向さんは、そんな姫路に微笑んでこちらに向き合った。その表情は真剣そのものだった。ここからが本日の正念場だ。
「それでさ、日向さん。どうかな?」
日向さんは曖昧に笑みを浮かべたまま、静かに口に手を当てて考えるポーズをとった。
「少し……明日だけでいいから、考えさせてもらっていいかな?」
帰ってきたのは、延長の言葉だったが、その顔には前のような笑みは、浮かんでいなかった。