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ソ連軍との激突

汪兆銘率いる南京国民政府が中国の正式な国家と言うことに対して、これ以上、ファシズムの台頭を許すわけにはいかないアメリカは反対の意思を示した。

しかし、ルーズベルト大統領は戦争をしないことを公約に掲げ、大統領に当選したため、日本に宣戦布告することもできない。そこで、アメリカ政府は中華民国に対し、支援の用意はできていると伝えた。すると、中華民国はアメリカに支援を要請してきた。それを待っていたかのようにアメリカは銃や戦車・航空機を中華民国に送り込んだ。

その頃、日本では大本営が設置され、日独防共協定にイタリアが加盟。日独伊防共協定となった。


1938年になると、ドイツはオーストリアを併合、 ポーランドがリトアニアに対して48時間以内に国交を樹立する旨を要求する最後通牒を提示するなど、ヨーロッパでも戦争の影が見え始めていた。


「ご主人様、ちょっとよろしいでしょうか。」

「どうしたんだい、朱里。」

「現在、中華民国との戦争が激化しており、これまで通りの経済状態では軍隊の需要を満たすことができません。」

「そうか、陸軍は軍隊を減らすことはできないか?」

「一応、南京政府軍(以後南京軍)がいますが、今は、装備も少なく、南京軍に任すのは危ない賭けになるかと。」

「困ったな。」

「だったら、女性の活躍を促すべきよ。」

悩む2人に声をかけたのは華琳だった。

「どういうこと?」

「今までの、社会は男は仕事して、女は家庭を守るっていう考えだったわね。」

「確かに。」

「だから、女性の社会進出を促すのよ。」

「社会進出を?」

「そう、女性も商社に働きに出かけたり、議員になったり、とにかく、男性と同じ権利を女性に与えるのよ。」

「その手があったか!!!」

翌日、内閣は議会に女性平等法を提出。老人議員多数の反対があったが、賛成多数で可決され、即日公布・施行された。

これにより、男女共に参政権が認められ、今まで以上に女性の社会進出が進んだ。

だが、ほとんどの民間企業が女性を雇うのに消極的だったが、警察や軍隊・国が積極的に女性の雇い入れると、それにつられる形で民間企業も女性を雇いだし、国家総動員法を発令せずに済んだ。



日中戦の最中、朝鮮とソ連との国境にある張鼓峰で朝鮮に駐屯している日本軍(朝鮮軍)とソ連軍との間で戦闘が発生した。

ソ連軍の無線を関東軍が傍受したときから、朝鮮軍はソ連軍侵攻を考え、部隊を増強していた。

張鼓峰に進軍したソ連軍を当初は朝鮮軍も無視したが、ソ連軍は7月29日、張鼓峰北方の沙草峰にも越境し、陣地を構築しようとして日本守備隊に撃退されたことをきっかけに翌日にソ連軍は日本軍守備隊を攻撃したが、日本軍守備隊は反撃し、占領されていた領土を奪い返した。

しかし、ソ連軍は兵力を増強して朝鮮側に砲撃を行った。

朝鮮軍は満洲軍と共に戦闘を行い、ソ連軍を幾度も退けたが、ソ連軍が朝鮮軍と比べて機械化されていたことと、兵力の差に押され、8月11日に停戦協定が結ばれた。



その5日後には、ドイツからヒトラーユーゲントが訪日した。

ヒトラーユーゲントは日独防共協定の締結に伴う日本とドイツの同盟強化に伴い、青少年相互訪問の一環として訪日した。

ヒトラーユーゲントは靖国神社などを訪れた。同時期に日本からは各地の学生、青少年団体職員、若手公務員から成る大日本連合青年団の訪独団がドイツに派遣され、ナチス党大会の参観、ヒトラーと会見して同盟国のドイツの見聞を広めた。



9月に入ると、女性平等法施行後、初の陸軍女性兵士達を中心に編成された第205師団が従軍作家と共に中国に出発した。


10月には米国から女子野球団が来日。日本の女子野球団と試合を行った。

その頃になると、日本軍は南京軍と共同で次々と中華民国軍を撃破していった。


11月にはドイツはユダヤ人の迫害を開始。

これに対して北郷内閣はドイツのユダヤ人迫害を非難すると共にユダヤ難民の受け入れを表明。満洲国も同じくユダヤ難民の受け入れを表明した。

ヒトラーは日本の対応に激怒したが、ここで、日独伊防共協定に亀裂が入るのはまずいと思い、ユダヤ人の迫害を一部やめた。なお、この件に関してイタリアは中立を保った。




1939年2月に入るとイギリス・フランスがフランコ政権を承認したため、宣戦は一気にフランコ側に傾き、4月にはフランコ側の勝利でスペイン内戦は幕を閉じた。

3月にはドイツはチェコスロバキアを併合した。

4月に入ると、イタリアがアルバニア王国に宣戦を布告、ハンガリーが国際連盟を脱退するなど、戦争の影が刻一刻と近づいていた。

これに危機を感じたイギリスは徴兵制を導入した。

4月28日にはドイツがドイツ・ポーランド不可侵条約破棄を宣言した。

5月になると、張鼓峰に続きノモンハンで関東軍・満洲軍と蒙古軍・ソ連軍が戦闘状態に入った。



ソ連軍はソ蒙相互援助議定書に蒙古軍を支援するために戦車を含めた装甲車両約1000両と5万以上の兵力を送りこんだ。

連絡を受けた第23師団師団長の小松原道太郎陸軍中将は蒙古兵が国境を不法に超えたため、満洲軍騎兵部隊と共に攻撃を開始した。

報告を受けた関東軍司令部は詠陸軍大佐の第8独立戦車旅団と白蓮陸軍大佐の第34騎兵旅団を増援として向かわせた。

5月30日、陸空で劣勢となったソ連軍は一時退却した。

ソ連軍の次の侵攻に備え、安岡正臣陸軍中将率いる自動車化部隊と猪々子(文醜) 陸軍大佐率いる第5独立戦車旅団、月陸軍少将率いる2個戦車連隊と3個歩兵連隊からなる月支隊が増援として派遣された。


北郷内閣は西大使を通じてソ連に厳重に抗議したが、モトロフ外相は聞く耳を持たなかった。


7月に入ると、ソ連軍は蒙古軍第6騎兵師団と共同で日本軍機甲部隊に攻撃を開始した。

「やっぱり、数が多いわね!!!」

「そりゃ、そうだろう。あたい達は1個師団規模だからな。」

「戦況はどうなの!!!」

「わが第5独立戦車旅団の八九式が次々とソ連軍戦車に撃破されています。」

「やっぱり、旧式戦車じゃ、勝てないわね。」

「大丈夫だって。月の部隊には九七式があるだろう。」

「それもそうね。」

詠の部隊は八九式中戦車や九五式軽戦車で構成されており、ソ連軍のT-26軽戦車やBA-6装甲車に撃破されていった。



「やはり、日本軍は練度こそ、高いものの武器の性能は低いな。」

ソ連軍司令官のゲオルギー・ジューコフ大将は日本軍戦車の撃破報告を聞いてそう思う。

「報告、日本軍の新型戦車にわが軍の戦車が苦戦しております!!!」

「日本も本気を出してきたと言うことかな?」



月率いる2個戦車連隊の九七式中戦車はソ連軍戦車の砲弾を次々と弾き、撃破していった。

「この調子ならいけるかもしれない。詠ちゃんの部隊と合流を急いでください。」

その後、日本軍は本格的な反撃を開始、ソ連軍を押し返した。

空でも、日本陸軍の九七式戦闘機が次々とソ連軍戦闘機を撃破していったが、途中からソ連軍はスペイン内戦で経験を積んだパイロットを送り込み、日本側は複葉機である九五式戦闘機を出さなくてはいけない状況になるまで、苦戦した。

9月15日に日本の東郷茂徳駐ソ特命全権大使とソ連のヴャチェスラフ・モロトフ外務大臣との間で停戦交渉が成立した。

ノモンハンでは日満軍がソ連・蒙古軍を押し返し、反撃に移ろうとしたためにソ連側はそれまでの強硬な姿勢を崩したため、停戦協定が成立した。

国境線については全面的に日本の主張が受け入れられた。

この報告に激怒したスターリンはジューコフ大将をモスクワに呼び出し、粛清した。




ノモンハン事件の最中にはドイツ・イタリアが軍事同盟を締結した。

8月になると、ドイツがソ連と不可侵条約を締結。この情報は速やかに世界中に知れ渡り、多くの人々が驚いた。

9月1日に、ドイツ・スロバキアがポーランドに宣戦を布告。第二次世界大戦が勃発した。

翌日にはドイツと軍事同盟を結んでいたイタリアが中立を表明。

その翌日には、イギリス・フランスがドイツに宣戦を布告した。

4日にはアメリカが中立を表明。

6日、10日には英連邦の南アフリカ・カナダがドイツに宣戦布告した。

17日にはソ連軍がポーランド東部に侵攻した。

その10日後には、ポーランドの首都ワルシャワが陥落した。

10月6日にはポーランド全土がドイツ・ソ連軍に占領され、分割占領された。

11月にはフィンランドにソ連軍が侵攻、冬戦争が勃発した。

12月には国際連盟がソ連をフィンランド侵攻を理由に除名した。


ヨーロッパでも戦争の嵐が吹き始めた

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