中国との対立
真名を呼ぶのは基本的に恋姫キャラと大臣だけです。
その他の副大臣等は恋姫キャラを本名で呼びます。
少しずつ、北郷内閣閣僚が政治の仕組みや技術になれてきた。真桜は、既に同時代の技術者と変わらないくらいの知識を持ち始めた。そんななか、7月31日に広田外相が一大ニュースを報告した。
「北郷総理、一大ニュースです!!!!」
「どうしたの!?」
「本日、国際オリンピック委員会が第12回夏季オリンピック開催地を東京に決定しました。これで、アジア初のオリンピック開催地は日本となりました。これは、一大ニュースです。」
「オリンピック開催地に東京がなったの、夢じゃないよね!?」
「夢ではございません。現実のことです!!!」
「それじゃあ、朱里にスタジアムの建設費用なんかを相談しようかな。」
「そうしてください!!!」
アジア初のオリンピック開催地とあって日本中がこの報道には沸いた。
そして、翌日からはベルリンで11回目の夏季オリンピックが行われる。
日本代表はベルリンオリンピックで18個のメダルを獲得した。
そんなうれしい報告もつかの間、
「総理、大変です!!」
「今度はどうしたんですか、広田さん。」
「中国四川省成都で邦人4人が中国人学生に襲われました!!!」
「何だって、状況は!?」
「2人が死亡、2人が重体です!!」
「中国側はなんて?」
「まだ、何にも連絡はありません!!」
「中国側の反応を待とう。」
「わかりました。」
そうしていると、今度は9月、
「総理、またです!!!!」
「何がですか!?」
「今度は広東省北海で邦人が暴徒によって殺害されました!!!」
「閣僚会議を開きましょう、広田さん、準備をお願いします。」
「わかりました!!!」
日中情勢が緊迫した状態にあるため、すぐに閣僚がそろった。
「今回の北海で起きた事件だけど、どうすればいいと思うかな?」
「同地方には新編独立第一師翁照垣麾下の旧十九路軍及び第六十一師丘北琛部隊がおります。迂闊な行動をすれば、中国との戦争に発展しかねません。ここは、軍艦と調査員を派遣して、翁照垣軍が撤退し次第現地調査を行うのがよろしいのでは?」
海軍副大臣の永野修身が提案してきた。
「海軍は生ぬるい!!!こうなった以上、中国に宣戦布告しましょう。中国軍ごとき、皇軍にかかれば、すぐに撃破して見せます!!!!」
陸軍副大臣の小畑敏四郎は永野修身の意見を真っ向から否定する。
「小畑さんの意見は採用できかねます。」
朱里は小畑陸軍副大臣の意見を否定する。
「どうしてですかな?諸葛財務大臣。」
「現在、陸軍への予算をこれ以上、増額すれば、東京オリンピックの予算が無くなります。」
「それが、どうしたと言うのですか?」
「分からないの?これだから男は。」
財務副大臣の栄華が口を挟む。
「それは、どういうことですか!!!曹洪財務副大臣!!!」
「いいかしら、我が国がアジア初のオリンピック開催地よ。今になって、『戦争で予算が無いので、辞退します。』と言ったら、他の国になめてかかられるわよ。この内閣の方針だって、世界平和なんだから、ここは、永野海軍副大臣の意見に従うべきよ。それとも、あなたはこの国がバカにされてもいいの?」
「そう言うわけでは・・・・。だが、しかし。」
「小畑中将、君の負けだ。」
「わかりました。永野海軍副大臣の案で構いません。」
それ以降、小畑陸軍副大臣はずっと黙ったままだった。
「では、永野副大臣の案を採用すると言うことで。」
「では、第一遣外艦隊を派遣いたします。」
その後、9月19日に湖北省漢口で邦人警官が射殺され、23日には海軍の水兵が上海で狙撃され、2名の水兵が死亡、2名が重傷を負った。北海事件の調査員は9月20日から現地調査を開始。24日に調査が完了し、北海近郊に隠れていた被害者の妻と子供を救出した。
これらの事件に対しての対応は大使の川越茂を通じて国民政府と厳重な交渉を行っている。
10月は特に何も起こらず、つかの間の平安が訪れた。
11月には日本嫌いのルーズベルトがアメリカ合衆国の大統領に就任した。
そして、9月から審議されていた日独防共協定は閣僚の賛成多数で11月25日にベルリンのリッベントロップ事務所で協定の調印式が行われた。
12月には真桜(李典)や戦車を重要視する陸軍将校らの希望により千葉県に陸軍戦車学校が設立された。
そして、12月30日には川越大使が国民政府との話し合いの結果、国民政府の陳謝、責任者及び犯人の処罰、被害者の遺族に対し3万元を贈ることその他を決定した。
そして、大晦日にはロンドン海軍軍縮条約が失効した。
山本海軍大臣は列強各国の特に英米の軍艦製造競争に危機を感じた。